2024/12/25 wed
前回の章
新たな職場が始まる。
東武東上線若葉駅からバスで十分程度。
ほぼ無一文の俺は、おじいちゃんに頭を下げ、千円だけ借りる。
さすがに電車賃や昼飯も食えないのは惨め過ぎた。
若葉駅まで行くと、派遣会社の担当社員が車で職場まで送ってくれる。
川越市駅からたった三駅だが、昔は若葉もかなり辺鄙な場所だった。
確か小学四年生の頃、同級生の小谷野利幸ら数名と若葉へ来たのが最初で最後だったよな。
当時野球をやるのに小谷野が若葉駅にいいグランドがあるからと、今思えば意味不明な理由で、わざわざ小学生数名が電車に乗って来たのだ。
当時駅から出ると、野球ができるグランドがあったくらいの印象しかない。
それが今や大型ショッピングモールができ、結構華やかになったなあと驚く。
「へえ、何だか随分この辺も賑やかになりましたよね」
「岩上さんは川越でしたよね。それじゃあこっちはほとんど来ませんよね」
派遣会社の職員である木本太郎が笑顔で答えた。
彼は俺より十歳年下だが、礼節も踏まえ中々好感が持てる。
「これから行く会社は川上キカイと言って、学校とかで最近はパソコンを使うようになったじゃないですか。そういうのほとんど五年契約のリースなんですが、そのリースが終わったものを扱う会社なんですよ」
「時代はすっかり変わりましたよねー。俺が小学生の頃なんて、パソコンなんてフロッピーディスクやカセットテープを使った極一部の人だけがやっていたもんなんですけどね」
「その当時って、まだファミコンも出ていなかったんですよね?」
「うーん、俺の記憶が正しければファミコンは俺の時代で言うと小学校六年生の頃ですね。まだマリオブラザースとか、ベースボール、ポパイとかしかなかったですけど」
懐かしい回想をしつつ、車が職場へ到着する。
太郎は俺を会社の人たちへ紹介すると、一礼して去っていく。
株式会社川上キカイの人たちは、みんないい人たちばかりだった。
俺を担当する上司の小田柳。
随分変わった苗字だなと思う。
小田でもなければ、柳でもない。
その二つを足して、小田柳。
彼は三十歳になったばかりだが、一つの部署を任されている。
黒短髪で黒縁のメガネを掛け、中肉中背。
俺が挨拶をすると、まずは一服しましょうとタバコを吸いに行く。
この会社では喫煙ブースが設けられており、タバコはここでしか吸えない。
「岩上さんは今まで何をしていたんですか?」
小田柳が過去を聞いてくる。
三十八歳…、いや、もうちょいで三十九歳にもなって、派遣でこの会社へ働きに来る。
それは気になって当然だろう。
しかし俺の今までといっても、どこから説明していいやら……。
待てよ…、一応俺もウィキペディアに小説家として載ってはいるのだ。
そのページを見せるのが一番早いのでは?
「説明すると凄い長くなってしまうと思うんですね。なので、このサイトを見て頂けるのが一番分かり易いかと……」
「え! 岩上さん、何でウィキペディアに載っているんですか! 何でそんな人がうちの会社何かに?」
小田柳は驚き、俺のページをまじまじと眺めている。
これまでの俺の経歴は、おそらく自分の口から話したのでは嘘にしか聞こえないだろう。
「自衛隊…、探偵…、全日本プロレス…、バーテンダーに裏稼業…、ピアノに、整体を開業? 本まで出して、総合格闘技? 岩上さん…、これ一体何なんですか?」
「まあ…、一応全部事実と言えば事実なんですよね」
「岩上さん…、いえ、先生! 先生と呼ばせてもらいます!」
「小田柳さん、ちょっと待って下さいよ。勘弁して下さい」
彼の気遣いにより、初日から働きやすい環境の職場となりそうだ。
俺がミクシィで熱心に記事を書き、小説ではしほさんに様々な指摘をされ執筆に取り組んでいた頃、俺の事を書かれたウィキペディアでちょっとした騒動があった。
岩上智一郎は日本の小説家。
埼玉県川越市出身。
別名ナルシスト小説家。
当時の俺はこのウィキペディアを書いた人間に怒り狂う。
しかし誰が書いたのかすら分からない。
さすがに自分で編集するのは反則な感じがしてヤキモチしていると、しほさんが編集してくれた。
ナルシスト小説家と書いた悪意のある馬鹿は、その度にまた皮肉った内容の訂正をしてくる。
その度親切な誰かが、まともな紹介文に直してくれた。
妬みからなのか何なのか分からないが、こんな印税も入らず貧乏暮らしをする俺に対し、無駄な中傷はやめろと言いたい。
まあ、最近は現在消息不明と書かれているくらいなので、俺も放っておく事にしている。
面倒臭い粘着系の嫌がらせを受けるくらいなら、消息不明扱いでいいから放置してほしいものだ。
小田柳は俺の本を読みたがったので、翌日家に置いてある『新宿クレッシェンド』をプレゼントした。
「先生、ありがとうございます」
深々と頭を下げる彼。
俺の職場での上司なのだ。
そこまで畏まらないでほしい。
川上キカイはパソコンだけでなく、様々な品を扱う。
主にパソコン系のものが多いだけで、種類は本当に色々あった。
大きな工場の中へ、フォークリフトで運ばれてくる品々。
俺らの仕事は、届いた品を何が何点あるのか、また色々検品してまだ使用できるものなのか、ただのゴミになるのかの判別をする作業。
他の部署はまた全然違った工程の仕事をしているらしい。
レーザープリンターや、まだ全然使えるトナーまである。
パソコン関連のものを見ると、俺にとってお宝の山のようだ。
「先生、一服行きましょうよ」
小田柳は適度なタイミングで休憩を促してくれる。
そしてその度、缶コーヒーをご馳走してくれた。
金が無い俺にとって、このコーヒー一本一本は本当に嬉しい。
翌日『新宿クレッシェンド』を読み終わった小田柳は、作品を絶賛してくれる。
「先生、他に作品は無いんですか?」
「うーん、実は出版社と喧嘩しちゃってて、他の作品は出していないんですよね」
「え、他にもあるのに出版していないんですか? 勿体ない」
俺の作品に対する久しぶりの生の声の勝算は、身震いするほど気持ちが良かった。
この人なら、本にしてあげてもいいよな。
立場的にもっと偉そうに接してもいいのに、常に俺を気遣い立ててくれる。
家に帰り『鬼畜道 ~天使の羽を持つ子~』の原稿用紙換算枚数を調べてみる。
五千八百十三枚。
さすがにこれを本にするのは、絶対に無理があるだろう。
まずはホラー系の作品を数作品まとめたものを本にしてみるか。
以前みゆきへプレゼントした形式で、俺は印刷を開始した。
その前に『忌み嫌われし子』のあとがきとして、あの時の遣る瀬無さも付け足しておくか。
ふとそんな気持ちになる。
俺は『忌み嫌われし子』を立ち上げ、あとがきを書き始めた。
二千六年十月十日から二千六年十一月六日。
あれから四年近い年月が流れ、今、俺はやっとこのあとがきを書く事ができるようになった。
『忌み嫌われし子』あとがき。
これまで様々な作品を書いてきて、ここで一つ、自身のリミッターを少し外してみようと思った。
それがこの『忌み嫌われし子』であった。
主人公、木島のブログにハマっていくやり取りは、当時『新宿の部屋』をハンドル名『新宿トモ』の名前で運営し始めた頃の私の感情や状況を正直に投影した。
つまり、ヒロイン役である木島の妻みゆきは、当時付き合っていた彼女とのやり取りとなる。
ブログ上で登場する人物たちも、当時はほとんど生存しているリアルな人たちで、この作品を書くに辺り、一人一人に名前を使っていいかと確認を取ってみた。
始めは執筆上の整理のつもりで始めたブログ……。
しかし、徐々に多くの人たちがコメントをくれ、中には熱烈なファンメールをくれる子が出始めた内に、当時付き合っていた彼女は、作中のみゆきのように何度もブログ批判を繰り返し、関係は悪化していく。
すべては作品の為と言いながらブログへのめり込んでいく私。
それを嫌い、余計に意固地になっていく彼女。
作品が完成した日、彼女はすぐに読みたがった。
私はプリンターで一枚ずつ丁重に印刷をし、一冊の本を作って渡した。
「いいか? おまえは明日も仕事があるんだし、そんな無理して一気に読んだりするなよな」
手渡せたのは、二千六年十一月六日の夜十一時過ぎ。
この作品が完成した日だった。
日にちが変わって明け方の四時頃になった頃、私の携帯電話が何度も鳴り、それで目を覚ました。
着信音は彼女から。
こんな朝方に電話なんかしやがって……。
そう思いつつも、嫌な予感はしていた。
作中の木島とみゆきのやり取りは、そのままリアルな私たちの会話でもあったのだから。
「私はこの作品を読んで、あなたの人間性が本当に嫌になりました。あなたが世に出るまで逢うのはやめましょう……」
電話に出た途端、私はそう彼女に言われた。
一つの作品を完成させるのには、とてつもない労力が掛かる。
いくら好きでやっているという事でも、自身の魂を削りながら一語一句を書いているのだ。
必死になって書いた作品。
読みたいというから、私は面倒なのを承知で本にして渡した。
それがこの言われよう。
さすがに感情的になっていた。
電話口で怒鳴りつけると、「何であなたは私の言い分をすべて聞いてくれないの?」と言われる。
産み出したばかりの我が作品を読んだ上で、いきなりこんな朝っぱらから起こされ貶されたのだ。
感情的にはどうしたってなってしまう。
そんな読んで嫌な気持ちになるぐらいなら、作品など読まなければいいだけなのだから。
まだ彼女は何かを言っていたが、その場は感情的になるので私は強引に電話を切った。
翌日、地元の知り合いの家で、私が全日本プロレス時代のちゃんこ鍋を作る約束をしていた。
その為多くの人たちが集まり、私は20名分のちゃんこ鍋を作るようである。
地元にある大きな楽器店の会長宅の中、集まった面子は大物が多い。
中には全日空の機長までいた。
みな、私の作ったちゃんこをおいしそうに食べ、楽しい宴は続く。
しかしそんな中、彼女から電話が掛かってきた。
予想通り、電話を強引に切った私に対する罵倒を散々言ってきた。
「悪いけどさ、今会長の家にいるんだよ。周りに人がたくさんいる。この事は前から伝えてあったろ? 場の空気ぐらい読んでくれよ」
それでも感情的になってしまっている彼女には通じない。
こちらが聞いているだけで、げんなりするような台詞を何度も連発してくる始末である。
せっかく多くの人間が楽しい酒とちゃんこを食べながらいるのだ。
私が怒鳴ってその空間を壊す訳にはいかない。
なので電話を切り、電源を落とした。
あとでまたひと悶着なるのを承知でも、そうするしか方法は考えられなかった。
何故作品を読んだだけで、彼女はああまで怒り、酷い罵倒をしてくるのだろう……。
家に帰ってから様々な憶測を立ててみる。
最近の彼女の行動は、常軌を逸していた。
私にブログやメール上で、しつこいぐらい迫ってくる女性もいたが、彼女は自分の感じた事を伝えてくる。
「あの○○って子ね…、私…、一番嫌いなタイプの女かも……」
「そう言うなよ…、俺の作品を素晴らしいって応援してくれる読者の一人なんだし。まあちょっと私が私がってところあるけど、俺の女はおまえなんだし、あの子の事なんかでいちいち目くじらなんて立てるなよ」
「私ね…、昨日の夜、トモの家から帰って、ずっとあの子のブログを隅から隅まで、朝まで掛かったけど読んだの」
「何でそんな事まで……」
「あの子…、子供や旦那さんいるのに、自分の事しか考えないタイプの女だよ。ああいうの一番大嫌い!」
目に涙を溜めながら私に強く話す彼女。
この頃から、私はヤキモチを焼く彼女に対し、少し疎ましさを覚えるようになったと思う……。
朝まで掛かって嫌な人間の書いた文章を読み続けるなんて神経が、私にはまるで分からなかった。
そして数時間掛けて作った『忌み嫌われし子』の本。
あれだって、付き合っている彼女が私の作品をすぐに読みたいと希望するからこそ、すぐにその作業に取り掛かったのだ。
自身の作品を読んで、あのような言われよう……。
さすがにそれを笑顔で対応できるほど、私は人間ができていない。
この作品を読んだネット上の人たちからは、暖かい感想をたくさんもらえた。
それで自身が作家として、今後もやっていけるのか、その大きな自信と原動力にもなっていたのだ。
この頃、家ではうんざりするような家族間のトラブルの連続もあり、本当に苛立っていた時期でもあった。
家でもうまくいかず、彼女からは罵倒されるなんて、現状に対し生きる希望をまるで見出せない状況だった。
夕方になり、再び彼女から電話が掛かってきた。
少しは時間を置いたから、向こうも冷静さを取り戻しただろう。
そう思った私は、電話に出た。
しかし考えが甘かった。
彼女は前と変わらぬテンションで、『忌み嫌われし子』を罵倒してきた。
「あんな三流お笑い芸人がパクったような小説…、よくもあんなものを私に読ませてくれたわね」
パクる?
何を?
自身の経験を作品に活かす事は、パクりとは全然違う。
「みんなが丁重にトモさんトモさんってくれたコメントとかまで、パクっちゃってさ」
だからこそ、登場させる人物全員に私は許可を取ってあるのだ。
何がいけない?
聞いているのが辛くなり、私は静かに言った。
「俺さ…、家でもああで、おまえからもそんな風に言われたら、生きていくの、本当に嫌になってきちゃうよ……」
同情を買わせるつもりで言ったのではない。
作品に対する罵倒をやめてもらいたかったのだ。
俺の分身でもあるのだ、これまで執筆してきた作品たちは……。
それでも彼女は酷い言葉を容赦なく浴びせてきた。
目の前が暗くなり、心にグサグサと突き刺さる。
力なく呟くように「もう…、いいよ…。もう、やめてくれ」と何度も懇願するように伝えた。
しかし、彼女はあんな作品を読ませたわねと、何度も罵倒を続けた。
聞いている内に、根底に幼い頃から眠っている激しい憎悪が出てくる。
「分かった…、よく分かったよ……。結局、俺の人生…、こうまでメチャクチャにしてくれた本当の現況は親父だ……。好き勝手に生き、みんなに迷惑を掛けてまで、あんな女を家に入れのさばらせやがって……。毎日が本当に嫌だった。おまえにそう言われ、生きていくのも嫌になったけど…、自殺する前に、あの元凶の命を摘んでやる」
「どうせ、口先だけでしょ? お父さんを殺せる訳ないじゃない」
「おい…、こっちはプロのリングにも上がり、死ぬほど体を鍛え抜いてきたんだ。人間を素手で壊すなんて容易い事だ。俺が口先だけ? できる訳ない? 三十になってから始めたピアノ…。発表会まで出場できる腕前になった。プロのリングの上にだって、上がり戦ってきた。すべて、俺の信念だけで貫き通してきた……」
「ふん、だから何よ? 今は何なの? しょせん昔の事でしょ」
「分かった…、電話を切るなよ…。今…、隣に親父がいるはずだ。目の前で殺すところを聞かせてやる。分かったな……」
過去のトラウマでもある部分に触れられ、それを簡単に言われ、私は完全に自分を見失っていた。
その時あったのは激しい憎悪による怒りの感情だけであった。
小学二年生で母親は家を出て行った。
親父は遊び呆け、子供の学費すら出してくれなかった。
そして浮気を繰り返し、遊ばれた女共が、何度だってこの家に文句を言いにやってきた。
二十九歳の総合格闘技復帰戦の前日……。
ほとんどの時間をひたすらトレーニングのみに没頭し、最高のコンディションを作って臨もうとしたあの日。
親父にしつこくつきまとっていた女が、夜中に私の部屋まで勝手に上がり込み、大きな騒動を巻き起こされた。
私は寝ずに、試合へ臨まなきゃいけなかった……。
鶴田師匠が亡くなり、リングの上で恩返しする機会を失った。
でも、少しでも俺はその意思を受け継いで、戦って、あの人の偉大さを多くの人間に伝えたいと、ずっとそれだけを思いながら、日々の鍛錬に堪えてきたのに……。
親父とその女のせいで、すべてぶち壊しにされてしまった……。
時が経った今、その忌々しい女は図々しくも、戸籍上私の母親になっている。
おじいちゃんだって、私ら三兄弟を育ててくれたおばさんだって…、親戚だって、近所のみんなだって、すべてが反対し、嫌ったあの女が家に入り込んできた。
巻き起こった家のトラブル……。
すべてあいつらのせいじゃないか……。
何度も殺意を覚えた。
でも、おじいちゃんがそんな事を望んでいない。
だから、いつだって感情を押し殺し、ずっと我慢してきたんだ……。
彼女は私と籍を入れたがっていた。
もちろん私だって、まだ先の話だけどそれに応えるつもりだった。
でも、いつだって親父はそんな想いを平気でぶち壊してきた。
玄関で挨拶する彼女を睨みつけ、無視して行ってしまう親父。
そんな事を何度も繰り返しされたら、彼女だって私に言いたくなるだろう。
一度じゃ伝えきれない数々の怨念。
それが彼女からの罵倒により、一気に爆発した瞬間だった。
「ちゃんと聞いておけよ、人が死ぬ断末魔ってやつを聞かせてやるから」
そこまで腹を括ると、彼女は焦ったのか、急に私を止め出した。
「今さら遅いんだよ…。おまえの言葉が、俺をこうさせた。あとで死ぬほど後悔しろ」
今振り返れば、完全に自棄になっていたのだろう。
もう、私は自分を止める事ができなかった。
親父の部屋のドアノブに手を掛けた時、持っていた携帯電話が鳴る。
キャッチホンにしていたので、別の誰かから電話が掛かってきたのだ。
電話になど出るつもりなど毛頭もない。
これから私は親父をこの手で殺そうとしているのだから……。
電話口の向こうで泣き叫びながら私を止める彼女。
何も気にならなかった。
ここまでそう追い詰めたのは、コイツなのだから。
こんなタイミングで掛けたきた着信主を確認する。
「……」
画面を見て、私は動きを止めた。
以前彼女と何度か行った群馬に住む不思議な先生だったからだ。
まさか、この展開があの人には見えて、連絡をしてきたというのだろうか……。
先生からの電話なんて、これまでにない。
初めてだった。
不思議な先生で、私の過去をズバリ何度も言い当てた事がある。
気が付けば私は部屋に戻り、電話に出ていた。
「一体何があったのですか?」
開口一番先生はそう聞いてきた。
やはり何かを感じて電話をしてきたのだろう……。
先生には一体何が見えているのだ?
私はこれまでの展開を詳しく伝えた。
「怒る気持ちは分かります。でも、それをしてあなたは何になりますか」
そう…、何もならない。
残った人間がいい迷惑をこうむるだけに過ぎない。
私は先生に話した時点で、怒りを吐き出させ、冷静になるよう誘導していたのだろう。
膝を抱えたまま、嗚咽を漏らしながら私はしばらく泣いた。
呪われていると思っていた人生。
小説を書く事で、徐々にではあるが自身の憎悪を浄化できていく事には気付いていた。
処女作の『新宿クレッシェンド』の主人公、赤崎隼人には幼少時代虐待に遭った頃の想いを与えた。
作品を一つ、完成させる度、心が軽くなっていく事にも自覚はしていた。
夜になって彼女が部屋までやってきた。
私の顔を見るなり抱きついてきて、「良かった…、生きていて本当に良かった」と泣いていた
では、何故あんな風に私の作品をけなしたのだ……。
もう争うのは嫌だったから、私は普通に話をするように努めた。
しかし、彼女に対する見方がこれで変わってしまったのは事実である。
この年の冬、あの件から約一ヶ月後、私は『岩上整体』を地元で開業した。
開業してすぐ、彼女とはまた口論になり、二年半ほど続いた付き合いは終わった。
『忌み嫌われし子』……。
この件が引き金となったのは否めない。
二千十年八月二十八日……。
これだけの年月が過ぎて、初めてここまで文字として書けるようになった自分がいる。
岩上 智一郎
うん、これをもって『忌み嫌われし子』は真の完成を迎えた訳だ。
俺の作品を読みたいと言ってくれる声。
そして本当に読んで感想を言ってもらえる幸せ。
こんな単純な事で、俺はまた執筆意欲に駆られている。
でも、これこそが原点なんだよな……。
書きたいから書く。
ずっとそう言い続けてきた。
でも、やはり他の人の意見や感想は聞きたい。
料理を作って自己満足するよりも、誰かに食べて「美味しいね」と言ってもらえるのと同じ。
表紙のデザインを済ませ、これだけは厚めの光沢紙を使って丁寧いに印刷をする。
A4横でプリントアウトし、これを半分に切ってA5サイズに整えた。
あとはA5サイズで作品を印刷していく。
それらをまとめ、糊付けして一冊の本が完成となる。
川上キカイは土日祝日休み。
来週の月曜日になったら、これを小田柳へプレゼントしよう。
気付けば九月になっていた。
もうじき三十九歳になる。
久しぶりにミクシィで記事を書いた。
これまで三十八年生きてきて、もう少しで三十九歳になる。
自身のこれまでを振り返ると、愚行、愚考、愚直さのみが目立つ。
どれだけの金を無駄遣いし、どれだけの女を傷つけ泣かせてきたのだろう。
考え出すとキリのない後悔。
運命を狂わされる人生への葛藤。
そして騙した人間への憎悪。
これの連続だ……。
小説を一人の女に格好つける為書き始め、どうにかしてそれを世に出そうと動いた。
何かしら賞を獲って、本になれば、こうして書く事で飯を食っていける。
そんな風にも思っていた時代。
多分『新宿クレッシェンド』が賞をあのタイミングで獲れたのも、信念と言うよりも、俺の執念が誰よりも上だったんじゃないか。
そんな事を考える。
放っておけば、出版社から執筆依頼が来るだろう。
ずっとそんな風に思い続けながら二年半経ち、気付けば表だって俺を応援しようだなんて人間はいなくなった。
処女作がこけた作家。
世間一般ではそんな風に思われているのだろうな。
書いても金など入らない日々。
未だ印税さえ入ってこない現実。
生き恥を晒したような錯覚に何度も陥り、何度も投げやりになり、もう生きているのを放棄しようかなって、多分今も正直そんな風に思う時はある。
それでも何故俺は、まだこれまでの作品の推敲をし、また新たな文章を書き続けているのだろう?
自分でもその行動がよく分からない。
ほとんどの人間は馬鹿な事を…、無駄な足掻きをしているなあって思われているかもしれないのに……。
ハッキリと…、堂々とは言えないけど、俺はまだ作品を書きたいだけなんだ。
もちろん執筆で飯を食えたら最高かもしれない。
でも、いい加減気付かなきゃいけない。
もう二年半経ったんだ。
どこの出版社も、鼻にすら掛けていないという事を。
それでも何でまだ書こうとしているんだろう?
家族からは一円もならない事をと罵倒され、挙句の果てに趣味とまで言われ、本を出した功績なんて誰も讃えちゃくれない。
している事を認められていないのに、何故まだ書く?
また何か賞でも狙おうって言うのか?
賞を欲しいかって聞かれたら、欲しい事は欲しい。
なら、何故貪欲に各賞へ応募なりしないのだろう?
ただ作品を書き綴り、時間経ったものの推敲をするだけ。
誰も引っ張りあげてなんてくれない。
それを自覚しながらも、まだ書き続ける自分。
簡単だ。
それは俺が愚かだからである。
回りからどう思われようと、自分でしたい事をしているだけなのだ。
誰が何て言おうと俺は一語一句書き綴る度、着実にギネスブックワールドレコードの記録へ日々迫っている。
例え泥を噛もうが、肥溜めの中を泳ごうが、まだまだ生きている限り、俺は突き進んでやる。
我が人生を漢字一文字に例えるなら、愚。
愚行、愚考、愚直の愚。
愚かと書いての愚。
一番下に心がついているじゃないか。
なら愚かで結構。
愚か者がいつの日か、何かしらの事ができたら面白いだろう。
もし、そんな日が来たら、俺はこんな自分にまだ関わってくれた人々とうまい酒を飲みたいと思う。
本を出してからの俺は、ずっと腐っていた。
それを今、こうして文章に起こす事で自覚させる。
誰かのせいにするのは簡単。
自分のせいにするのはなかなかできない。
腐る事は誰にでもできる。
頑張る事は誰にでもできない。
なら、愚か者は頑張るとしようじゃないか。
岩上智一郎
今から十年前の二千年五月十三日。
ジャンボ鶴田師匠が亡くなった日。
まだこの頃、新宿歌舞伎町にいた俺は身体を鍛え出し、総合格闘技のリングへ復帰しようとしている途中だった。
己の強さをリング上で見せ「俺がジャンボ鶴田最後のDNAを受け継いだ男だ」と声を高々に張り上げたかったのだ。
しかしそれよりも前に亡くなった鶴田師匠……。
当時付き合い始めだった子から連絡を受け、それを知った。
目的意識も何もなくなり、ただ試合へ出場した俺。
闘争本能の欠片もなくリングへ上がった訳だ。
前日には『運命の分かれ道だったあの頃。
恩師が亡くなってから何かするじゃ、もう遅過ぎるのだ。
二千九年六月十三日。
三沢光晴さんがリングの上で亡くなった日。
この当時俺はKDDIで目的も何もない日常を送っていた。
信じられない情報を聞いた俺は、インターネットで様々な情報を探した。
今まで何をしていたのだと……。
三沢さんが亡くなって、もの凄い後悔を感じたのだ。
ハンマーで頭を殴られたようなショックを受け、それと同時に今の自分が本当に情けなく感じた。
出会い接してからずっと俺の憧れでもあった人。
あの三沢さんが亡くなった?
亡くなってから何かをする?
遅いんだよ!
もう小説家なんて肩書き、いらねえ。
この当時三十七歳の俺。
自然とトレーニングを今年の六月十四日から九年ぶりに再開しだし二十日ほど時間が過ぎた。
会社の同僚たちから身体つきがすごい変わったと言われ始めた。
今後どうなるかは自分でも決めてない。
でも、俺は今って時間をもう後悔したくないから、自分が一番望む形で生きていこうと思った。
とりあえず、今、元気のない三、四十代の世代に、勇気や元気を与えられたらなあって思っていた、自分が復帰する事で。
柔術家たちを集め、中学校が武道場を貸してくれ、週に三回。
トレーニングに明け暮れた……。
当時の会社からは、残業をその日しない俺に対し、風当たりが強くなり、時間が経つと共に俺の居場所はなくなっていく。
柔術家の下から来るカウンターの三角締め、それさえも利用し、頚動脈に足が絡みついた瞬間、俺は相手の後ろ襟をつかみ、そのまま強引に持ち上げた。
この体勢なら相手を下に叩きつけようと、真後ろに頭から落とそうと何でもできる。
しかし仲間にそんな事できるはずがない。
柔術家と俺のパワーの差は明白だった。
今回の一件で俺はとても勉強になった。
柔術家ってこんなに頭の中で考えながら戦っていたのかと……。
技術も何もなく、体と力のみの俺。
まともに柔術ルールでやると、話にならないぐらい間接を極められた。
だから俺の戦法は、自らの身体を犠牲にして誘い込み、そこから力で捻じ伏せる。そんな方法しかなかった。
ある日、会社で仕事中、パソコンを打っていると、右腕に鈍い痛みが走った。
いつも無理をして腕ひしぎを堪えていた分、靭帯が伸び掛けているのだろう。
俺はこのままボロボロになってもいいと思った。
でも、右腕を失ったら、もう小説すら書けなくなるんだな……。
そう思うと、遣る瀬無い気持ちになった。
そして身体もこれ以上進化できない自分に限界を感じ、年を取ったのを実感した。
気付けば仕事の忙しさを理由に道場には足を運ぶ回数が減っていき、とうとう行けなくなってしまった。
不甲斐ない自分。
会社では無気力ながら、常に上位の成績を残してはいた。
何をしているのだろう、俺は?
日々考えても答えが見つからない。
眠れない日が続き、会社をよく遅刻した。
明け方になって眠れた日は、昼ぐらいに起き、大遅刻だと思うと会社を休んだ。
結局一週間の無断欠勤をまたした俺。
会社の上司に呼ばれ、このままだと難しいと言われ、口論になり、会社まで辞めた。
亡くなってから何をするじゃ遅い……。
ずっと骨身に沁みてきたつもりなのにな。
最近毎日五時に起きてやっている事がある。
もう後悔をしたくないからだ。
うちのおじいちゃんは九十三歳。
毎日早起きして掃除をするのが日課になっている。
でも最近になって左手がうまく力が入らないと言ってきた。
それなら俺が左手になればいい。
おじいちゃんの負担を減らし、少しでも喜んでくれるのなら。
だって俺がこうして大きくなり、無事に健康に生きてこられたのも、おじいちゃんが育ててくれたからなんだ。
鶴田師匠や三沢さんには、何の恩返しもできなかった。
だからって今はどうでもいいって訳じゃない。
朝五時になったらおじいちゃんは起きてくる。
まず朝刊を取りに行き、お茶を入れる。
それからおじいちゃんのほうの家の二階にある仮設トイレの掃除、そして台所や居間の掃き掃除や拭き掃除をするようになった。
時間にして一時間ほど。
夜から朝まで掛けて乗って執筆をしていようが、今はそれを何よりも優先させている。
もう後悔するのが嫌なんだ。
だから少しでもできる事はしておきたい。
一日一善?
そんなもんなんかじゃない。
そうしたいから勝手にやっているだけ。
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