2024/12/11 wed
前回の章
せっかくの休みだというのに、俺は夕方までボーっとしながら裕美の事を想っていた。
想像すればするほど、心が痛かった。
でも俺にはどうする事もできない。
部屋の中になんかいるからだ。
こんなんじゃ駄目だ。
ヒールらしく肩で風を切って威風堂々と歩けばいい。
道など譲った事がなかった。
いや、あるか。
ヨボヨボの年寄りが逆から来れば、道なんかいくらだって譲った。
当たり前の事だから。
歌舞伎町では譲った事がなかった。
気付けば休みの日なのに、駅に向かい電車へ乗っていた。
俺が地元以外で行くとすれば、歌舞伎町しかないのだ。
俺のようにやるせなさを感じた人間は、ああいった繁華街へ繰り出したくなるのかもな。
前に『ワールド』の部下を連れ、食事に行った時を思い出していた。
一番街通りでは、よく通行人同士が殴り合いの派手な喧嘩をしている事が多々ある。
満腹となった俺たちがそこへ通り掛かると、たくさんの野次馬が円陣を組むように立っていた。
普通に歩きながら「どけっ」と野次馬をどかす。
目の前には野次馬たちの注目の的となっている二十代半ばほどの男二人が鼻血を出しながら睨み合っていた。
「神威さん、喧嘩っすね」
「本当に邪魔だよ。俺に道を避けて通れって言いたいのかな、こいつら」
ワザと喧嘩している二人に向かって大声で言う。
二人とも睨み合いこちらを向く事はないが、しっかりと俺の台詞は耳に届いているはずだ。
くわえタバコをしながらそのまま真っ直ぐ歩く。
すると胸倉をつかみ合っている二人は、「テメー、この野郎!」と一人が怒鳴り、もう一人は「まだやんのか、おら」と威勢いい事を言いながら、素直に道を譲ってくれた。
部下はその様子を見て大笑いしている。
俺は立ち止まり、「おい、兄ちゃんたち。格好なんてもうついていないんだから、喧嘩なんてやめとけや」と言っていった。
たくさんの野次馬がモーゼの十戒のように人が割れる。
俺たちは笑いながらそのまま真っ直ぐ進んだ。
いい気になってこの街の顔ぶっていたところで、それに何の意味があるのか?
久しぶりの二連休。
だけど、どう時間を潰せばいいのかすら分からない俺。
中学時代の友人ゴッホでも誘っておけばよかったかな。
いや、今日は平日だ。
まだあいつは仕事中だろう。
明日からまた仕事……。
このまま何もせず、飲み屋で飲んでゲロを吐いただけで終わってしまっていいのか?
いい訳がない。
休みって楽しむものだろ。
決めた。
明日の夜までに戻ればいい。
今から鹿児島へ行ってしまおう。
JR新宿駅の靖国通り沿いにある大ガードをくぐり、小便横丁と呼ばれる場所へ向かう。
あそこには何軒も金券ショップがあった。一番早い切符で、今から鹿児島へ。
途中貯金を下ろす。
十五万もあれば問題ないだろう。
俺はチケットを購入し、羽田空港へ向かった。
JR新宿駅からだと山手線で、浜松町へ。
それからモノレールで着く。
携帯電話にメールが届く。
文江からだった。
《ねえ、龍一。何でずっと連絡くれないの? もう私、どうにかなっちゃいそう。お願い、何でもいいから連絡ちょうだい。 文江》
未だ写真一枚送ってこない女が、何を抜かしているのだろうか?
こんな内容のメールが毎日ように届いていた。
顔も知らん女なんて、俺はとてもじゃないが愛せる訳がない。
すぐ削除する。
飛行機に搭乗中は、電波の都合から携帯電話の電源を切らないといけないらしい。
まだ出発まで三十分もある。
鹿児島まで、どのぐらい掛かるのだろうか?
よく調べて置けばよかった。
考えてみれば、酢女と秩父の温泉に一度行ったぐらいで、俺はほとんど旅行なんてした事がない。
ちゃんとした彼女を作ってこなかったせいか。
それよりも面倒臭がり屋のこの性格だろう。
遠くの見知らぬ地へ行く自体は嫌いな事ではない。
ただ行くまでにこうした時間が面倒なのだ。
『ドラえもん』のアイテム『どこでもドア』があるならば、俺は色々なところに行ってみたい。
そんなの俺だけじゃないか。
みんなそう思うだろう。
馬鹿な事を考えていると、友香からメールが届く。
《やっほー、龍一元気? 昨日今日と休みでしょ? 何をしているのかな? 絶対に暴走なんてしないでよね。 友香》
暴走はしていないが、これから鹿児島へ向かうよと、返信したかったがやめておく。
土壇場で変に言われても面倒だ。
《これからおまえがビックリするような事をするかも。 神威龍一》
送信してから後悔する。
これじゃ、これから何かしますって言っているようなもんだ。
案の定友香からすぐメールが届いた。
《何、ビックリするような事って? 友香》
やっぱすぐ食いついてきた。
しょうがないので返事を打つ。
《何でもない。ただの言葉のあやだ。気にするな。 神威龍一》
待てよ、これじゃ余計に気にならないか?
打ち直そう……。
《言ってみただけ。俺、これから美容室行くようだから、すぐに返事返せないよん。髪を切り終わったら、電話するよ。 神威龍一》
うん、これなら問題ないだろう。
送信を終えると、携帯電話の電源を落とし、搭乗口へ向かった。
さて、小学生以来だな、九州は。
おばさんのユーちゃんが身銭貯めて、俺を夜行列車で宮崎まで行かせてくれたっけ。
あの時は食堂車があって、俺持っていた小遣いすべて食って終わっちゃったっけなあ……。
いざ、鹿児島へ!
久しぶりの九州の地。
…といっても小さい頃だったから、海があったとか、ハニワ公園に連れて行ってもらったり、サボテン園にも行ったっけ。
平和の塔ってハニワ公園の中にあったんだっけ?
あとは…、そうだ。
火山灰が降る山の近くにある屋台のおみやげ屋が、確かお釣りで一枚だけ、聖徳太子の百円札をくれるところがあったよな。
俺は当時そこで何回もおみやげを分けて買い、三枚ぐらい持っていたけど、どこにいってしまったのだろう?
あの時宮崎のコンビニエンスストアで、『週刊少年ジャンプ』を買い、一枚は使ったよな。
あの当時の価格は百七十円だった。『キン肉マン』見たさに毎週買っていた。
ここは鹿児島空港。
俺にとって初めての地である。
ゆっくりこの土地の匂いを嗅ぐ。
やっぱ都内と少し違うな、空気が。
携帯電話の電源をつけると、メールが三通も届いていた。
《何で髪を切るのに電源切っているの? さっきすぐ電話しようとしたら、全然繋がらないよ? 本当に髪を切っているの? 友香》
《寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。 文江》
《私たちずっとうまくいっていたじゃない? 何でずっとこんなに連絡くれないの? 龍一、連絡ちょうだいよ。お願い! 文江》
「……」
友香の疑り深さには少々ウンザリする。
別に俺がプライベートで何をしてようが勝手だろうが。
それよりも文江だ。
こいつはヤバいと思い、連絡を取らなくなったが、あれから一週間以上もこうしてメールが来る。
下手に返事をしても興奮させるだけだ。
前は文江の顔が見たいと思っていたが、こんなしつこい女なんてさすがにお断りだ。
とりあえず俺は鹿児島まで友香を抱きに来たのだ。
電話をしよう。
「もしもし、龍一?」
「ああ」
「何をしていたの?」
「ん、いや~」
「本当は美容室なんて行ってなかったんでしょ?」
「ああ」
「信じられない。じゃあ、何をしていたの?」
「今さ、どこにいると思う?」
「そんなの知る訳ないでしょ」
「今、鹿児島空港に到着した」
「何を冗談言ってんの」
「本当だって」
「もう、嘘つくんなら、もう少しマシな嘘をつきなさいよ!」
「マシも何も本当だって……」
「……」
しばらく友香が黙る。
「おい、友香?」
「本当だ……。龍一の背後で聞こえる声が、地元の人たちが話すイントネーションだ……」
なるほど、こういう見分け方もあるのか。
確か九州の人って、話す時語尾が変に上がる傾向があったような気がする。
「だからさっきから言っているだろ? 鹿児島までおまえに逢いに来たって」
「もう…、何で前もって言ってくれないのよ~」
何度も言ったけど、ちゃんと手順を踏んでと言っていたのは誰だ……。
「まあいいじゃん。とりあえず明日の夜には、歌舞伎町へ戻らなきゃいけない。友香、おまえはこれからどうするの?」
「どうするって?」
「いや、俺はこの土地に来たのって初めてなんだ。だから行く場所もないし、何をしようか考えているところだ」
「まだもうちょっと仕事に時間が掛かっちゃう……」
「別に来いなんて言ってない」
「何でそんな意地悪な言い方をするの?」
「いや、暴走モードに火の国で突入って感じかなと思ってさ」
「絶対に駄目ーっ!」
「ふん、俺の自由だ」
「ちょっと待っててよっ! お願いだからっ!」
「とりあえず長旅で疲れている。ホテルでも探すわ」
「どこのホテルか分かったら、電話ちょうだいね」
「はいはい」
俺は鹿児島空港を出て、大きく伸びをする。
変わり者が多く集まる歌舞伎町だが、出会い系サイトで知り合った女に会いに、こうしてここまで来た奴なんていないだろうな……。
タクシーを捕まえ、最寄のホテルへ案内してもらう。
タバコに火をつけ、タクシーの窓から九州の景色を眺めた。
本当に田舎で何にもねえところだな……。
手帳から友香の写真を手に取り、じっくりと見る。
この女とこれからやれる。
歌舞伎町に帰ったら、店のみんなに自慢してやろう。
「何を考えてんすか?」とか言われちゃうかもな。
裕美の一件で深く負った傷が、南国のせいか徐々に癒されているような感じだった。
俺を乗せたタクシーは城山観光ホテルに到着する。
時間はもう夜の九時半。
素泊まりなのに、三万二千円も取られた。
部屋に行くと、ベッドの上に飛び込む。
これからバンバンやりまくるぞー。
そうだ、友香に電話しなきゃ。
「もしもし、龍一。今どこ?」
「城山観光ホテルの一室」
「うーん、どう頑張っても三十分以上掛かっちゃうけど、待っててね」
「いや、暴走モードだから分からないなあ……」
「もうっ! 仕事がまだ残っていたのに、強引に抜け出してきたんだから」
テンぱる友香。
これ以上じらしても意味がないか。
変に焦らせて向かう途中に事故なんて遭ったら本末転倒だ。
「じゃあ、しょうがない。大人しく待ってるよん」
「本当に待っててよね」
「ああ、ちゃんと待ってるって」
部屋の番号を告げ、電話を切る。
さてと三十分ちょいは掛かるだろうな。
どう時間を潰すかな……。
ホテルの案内図を見る。
温泉があるのか。
でも別料金か。
こんな暑い時期にわざわざ行ってもしょうがないか。
スポーツマンが好きと言っていた友香。
レスラーを目指し、格闘家としてリングに上がったこの肉体を見たら、きっと驚くだろう。
総合格闘家としては、俺はかなりの大型選手になる。
身長百八十センチ、体重は現在ちょっと落ちて九十一キロ。
逆三角形の上半身。
鍛え上げた腕。
殺人技が眠る右の親指。
これは見た目とまるで関係ないか……。
どうやって友香を出迎えるか。
部屋でウイスキーを飲みながら、そこのソファーに腰掛けて優雅に待つのもいい。
逆にホテルの入口で待っていて驚かせるのも有りか。
いや、このホテルは妙に広い。
迷子になったら洒落にならない。
やめておこう。
浴槽へ行き、軽くシャワーを浴びておく。
あいつが来たら、すぐにしゃぶらせてもいいように。
どうせならドアの入口で待っていて、入ってきた瞬間抱き締めてベッドに連れて行くのもいいな。
百の言葉なんかより、一刺し。
そっちのほうが全然説得力があるだろう。
また友香の写真を眺める。
興奮する下半身。
時計を見る。
九時五十分。
あと十分ぐらいでここに、こいつが来る。
歌舞伎町の店『ワールド』に電話をしてみた。
「あ、神威さんすか?」
従業員の島根が電話に出る。
「うん、二日間も休んじゃって悪いね」
「いえいえ、たまには羽を伸ばして下さい」
「ありがとう。どう? 店の調子は」
「えーとですね…、一、二の…、八卓ですね」
「大丈夫?」
「ええ、問題ないですよ」
「じゃあ、明日はおみやげ持っていくから楽しみにね」
「はあ?」
「おみやげ持っていくからさ」
「え、だって神威さん、今地元ですよね?」
「それが違うのだよ」
「はあ?」
「ふふふ…、今、鹿児島の城山観光ホテルからなのだ」
「えっ! 昨日から行ったんですか? あの出会い系で知り合った女に会いに? てっきり冗談で言ってるものだと思ってましたよ……」
「いや、今日の夕方に出発したんだ。ふと思いついてね」
「はあ? 今日そっちへ行ったんですか?」
「うん、そうだよ」
「だって神威さん、明日は仕事じゃないですか!」
「だから、ちゃんと行くって。明日の夕方前にこっちを出れば、時間には間に合うからさ」
「ほんと神威さんってタフっちゅうか、何と言うか……」
電話口で島根は呆れているようだ。
「まあ、頼むよ、うひひ」
「任せて下さい」
窓の外を見る。
壮大な大自然に包まれた場所だな。
二十四時間もここへいられないけど、その分キッチリやりまくろうではないか。
携帯電話が鳴る。
もちろん着信は友香から。
俺はワザと電話に出なかった。
コール音が十回以上鳴り、一度やむ。
間髪入れず再び鳴りだした。
「もしもしー」
「何ですぐに出てくれないの?」
「ちょっとじらしてみた」
「もう……」
「それより今どこだ? ホテルに着いたのか?」
「そうっ! だから電話したんでしょ!」
「ははは、部屋で優雅にくつろいでいたよ」
「今すぐ行くから」
「了解っす」
さて、どうやって出迎えるのがベストだろう?
このまま大人しく部屋にいてもいいが、あと少しで彼女はやってくるのだ。
写真を見る。
この女がもうじき……。
鏡の前に立ち、ヘアーの乱れを整える。
落ち着け。
フライング気味で突然ここへ来たが、これで良かったのだ。
やれる女は抱いておく。
歌舞伎町に生きる男の鉄則。
いや、そんなものないか。
ちょっとお馬鹿過ぎる。
最初のひと言を何て言うか?
「ようこそ」
声に出してみた。
ちょっと違うな……。
俺が鹿児島に来ているのに「ようこそ」はないだろう。
「ちゃお!」
軽過ぎる……。
「はじめまして」
うん、こういうのがシックでいいかもしれない。
もうそろそろだろう。
俺は自然とドアを開け、通路へ出た。
廊下で早く待ち構えている。
これがベストの選択だろう。
初めはエレガントに、そしてスマートに。
部屋に入ったら、服を一気に脱がしてぶちこんでやる。
「男は狼なのよ~。気をつけなさ~い~」って、昔誰か女の歌手がそんな歌を唄っていたな。
ピンクレディだったっけ?
男の心理をついたいい歌詞だ。
だからきっと俺でも知っているぐらい流行ったのだろう。
いや、そんな事どうでもいいか。
本当に男って狼だ。
こういう時、実感する。
「ん?」
向こうから人影が見える……。
俺は軽く深呼吸し、近づくのを待った。
視力二・〇。こんな時、目がいいと本当に得だ。
一歩近づく事にその相手が女だと分かる。
「……」
でも、人違いか?
前から来る人は確かに女だが、友香じゃない。
ここの宿泊客だろう。
どっちみちすぐだ。
さっき到着したって電話があったのだから。
宿泊客がどんどんこちらに近づく。
通行の妨げにならないよう壁に寄り掛かり、ポケットに手を入れて下を向く。
足音が近くでとまる。
「りゅ、龍一……」
「ん?」
顔を上げて声を掛けた女を見る。
結構太めの女だ。
誰だ、こいつ……。
人の名前を気安く呼びやがって…、えっ……。
もしかして……。
「はじめまして、友香です。やっと逢えたね……」
おいおい、写真と別人じゃねえかよ……。
「あれ? 龍一だよね?」
「あ、そう、そうだよ……」
本当は違うと言って、この場から全力疾走で鹿児島空港まで逃げたかった。
「やっと逢えたね……」
太った女…、いや、友香は目を潤ませている。
確かによく顔を見ると、目とか鼻、そして唇などは友香そのものだ。
でも、写真じゃ、こんなに太ってなかったろうが!
まるで別人じゃねえかよ。
ふざけんなよ、詐欺じゃねえか……。
そのひと言が、なかなか声に出せない。
俺は本当に馬鹿だ。
二連休を取って、最後の日の夕方になり、ふと九州まで行ってしまった。
やりたいばかりに……。
さっき自慢げに『ワールド』なんて、電話しなきゃよかった……。
誰もこの事実を知らなければ、生涯墓まで持っていける。
しかし、もう遅い。
島根は知っている。
あいつはお喋りじゃないから、まだ俺は運がいいのか?
いい訳ねえだろ!
何で写真と実物が、こうまで違うんだよ?
過去に出会い系サイトで散々懲りて、警戒をしていたつもりなんじゃないのか?
何だ、このザマは……。
この女、何をウルウルした瞳で俺を見てやがる。
泣きたいのはこっちだよ、別の意味で……。
ひと言ぐらい先に言っとけよ……。
私はデブですって……。
歌舞伎町だって、こんな酷い詐欺する奴はいねえぞ?
この窮地をどうすりゃいいんだ?
思い切り叫びたかった。
その場に泣き崩れたかった。
「龍一……」
「は、はい……」
「もっと声を聞かせて……」
「は、はじめまして……」
俺の声が震えている。
これは神が与えた罰なのか?
それとも試練なのかよ?
何故ここで精神が崩壊しない?
思ったよりも俺は、肉体的にも精神的にもタフに、なり過ぎちまったんだ……。
「ここじゃ変な風に見られちゃうよ? 早く龍一の部屋に行こうよ」
「あ、ああ……」
馬鹿、何が「ああ」なんだ?
何を気取っている?
馬鹿馬鹿、本当に俺の馬鹿……。
勝手にドアノブに手を掛けている。
これから何が始まると言うのだ。
何か他に術はないのか?
この窮地を逃れるような術を……。
九州って言えば島原の乱。
島原の乱と言えば、天草四郎時貞。
昔SNKの出した対戦格闘ゲーム『サムライスピリッツ』にもボスキャラとして出ていたよな。
キリシタンになってもいいから、何とかしてくれないかな……。
馬鹿、何を現実逃避している。
気付けば俺は、部屋の中に笑顔で、友香と名乗る女を招き入れていた。
一本のタバコを吸い終わると、すぐ次のタバコに火をつける。
これで何本目になるのだろうか。
写真とはかなり違う実物の友香は、目の前でジッと俺を見ている。
俺はさ、今現在の自分の写真をわざわざ撮って送ったんだぞ?
ちょっとズルいよ。
汚いよ。
それでいて、あのヤキモチぶりなのか?
すべて心の中で叫ぶだけの意味のない言葉。
確かに人間って姿形は変動する。
だって食べ物を食べるし、飲み物だって飲む。
食べ物にはたくさんの種類があって、それぞれ栄養素だって違う。
食べる量だっていつも違うし、飲む量だってもちろん違う。
俺は大和プロレスに行こうと努力して、目一杯食べ物を胃袋へ詰め込んだ。
でも一生懸命トレーニングに没頭したから、本当に体重が上がらなくて大変だった。
その代わり筋金入りの肉体を手に入れた。
つまり人間は諸行無常。
この世の存在はすべて常に変動変化する。
一瞬といえども、同じ形などありえないのだ。
何故なら無数に生きる細胞たちは、こうして今も活発に動いているからである。
諸行無常といえば、学校で習ったな。
確か『平家物語』だったっけ?
『祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理を現す』
うん、まだちゃんと暗記している。
俺って結構記憶力だけは昔からいいんだよな。
中学の時、英語の教科書で出た『ムジナ』。
日本語だと『のっぺらぼう』。
俺はあの話を未だすべて暗記している。
「ロングロングアゴー。デアワズシティーオブ、エド」ってやつだ。
中学時代の悪友ゴッホの誕生日がバレンタインっていうもの覚えているし、俺に喧嘩してしまった中を取り持つよう強引に入るよう頼んだこれまた悪友のチャブーが、約束を破って彼女のケツに膝蹴りした事だって忘れていない。
「ねえ、龍一…。もっとあなたの声を聞かせてよ」
「あ、ああ……」
九州の夜は長い。
多分、いや、俺は今日これから、この女を絶対に抱かなきゃいけないんだろう。
好きでも何でもない女を、男は簡単に抱ける生き物だと思っていた。
『モーニング抜きっ子』の裕美も、他の客のチンチンを舐める時、こんな心境になっていたのかもしれないな……。
「素敵、龍一の声……」
友香は立ち上がり、俺の胸に飛び込んでくる。
「両腕が空いているよ……」
北海道時代、辺り一面の銀世界に包まれながら、スナック『パピリオ』の香織が言った台詞を思い出した。
あいつは今頃元気でやっているかな?
俺さ、あの頃に戻りたいよ……。
『パピリオ』の前にあるジャズバーのマスター。
彼は若かった俺に酒を奢ってくれた。
「またいつか北海道へ来い」と言ってくれたっけ。
俺が十九歳の時だから、もう十年以上経っている。
何故今まで顔を出しに行かなかった?
暇がなかったから?
違う。
そんなのはただのいい訳だ。
だってこうして大金を遣って、俺は鹿児島まで来ているじゃねえか……。
「ねえ、龍一…。ギュッと私を抱き締めて……」
「あ、ああ……」
両腕を友香の腰に回す。
こいつ、俺よりもウエストあるんじゃねえのか?
どうすんだよ、これから……。
流れに身を任せる弱い俺。
目の前では贅肉を弛ませながら友香が俺の上に乗って、懸命に腰を振っている。
そう、俺には何もなす術がなかった。
「キスをして」と言われれば、唇に触れるか触れないかぐらいのソフトなキスをして、「抱き締めて」と頼まれれば、そっと壊れ物を壊さないように優しく腕で囲む。
いつからこんな風になったのだろうか?
正に呪われているよ、絶対に。
不思議なもんで、頭で考えている事と、下半身で考えている事って本当に違うんだよな。
俺の意思にまるで従わない奴なんて、親不孝だよね。
大きな声を出しながら、友香は口を開けている。
うわっ、ヨダレが垂れたよ。
俺の黄金の肉体に、ヨダレが落ちたよ。
真っ赤に燃えるような熱さが体に欲しい。
そうすれば、こんなヨダレなんてすぐに蒸発しちゃうのに。
いや、そこまで熱ければ、この女も俺も上になんて乗っていられないだろう。
でも、俺は仰向けになって、天井を見つめる事しかできない。
さっきから何時間ぐらいこの女、腰を振っているんだ?
興奮なんてどこにもないんだから、出す事もない。
悪循環でそのいやらしい行為は必然と続く。
セックスって、もっとお互いの感情を混ぜ合わせてする行為だと思っていた。
でもそんなんじゃないんだ。
中には例外もあって、反比例するする事だってある。
別に言い過ぎじゃないよ。
ああ、入っているなっていう感覚ぐらい、そりゃあるさ。
人間だし、男だしね。
でもさ、ちょっとズルいよね……。
さっきから俺は誰に話し掛けているんだ?
別に話している訳じゃない。
じゃあ、自問自答をしているのか?
「もう駄目~……」
友香が俺の体に覆い被さる。
本当に重いな、こいつ……。
俺より体重あるんじゃねえか?
やめよう……。
もっとポジティブに考えようよ。
例えば、二連休の頭から、鹿児島に来ていたらどうだ?
明日になれば、いや、もう日付けが変わっているから今日か。
昼ぐらいになれば、俺は解放されて、元の居場所に戻れるんだ。
友香の荒い息遣いが耳元で「はーはー」聞こえる。
おいおい…、もうちょっと妄想に浸らせてくれたっていいんじゃないのかい。
時計を見る。
こんな時に限って時間が経つのは遅い。
神が天罰でも与えていると言うのだろうか?
「ねえ、腕枕して」
「あ、ああ……」
「龍一って電話だとあれだけ喋るのに、結構無口なんだね」
「あ、ああ、そうだね」
「何か話してよ。そうだ。お店の事をもっと聞きたい。龍一がどうやってカクテルを作っているのかとか、お客さんでどういう人が来ているのか。そういうのって聞きたいな」
そういえば俺は、こいつにバーテンダーをしているって誤魔化していたんだよな。
「俺さ、いきなりこっちに来ちゃったじゃん」
「うん、とっても嬉しかったよ」
甘えた声を出すなよ、このアマ!
「明日から仕事だし、ちょっとだけ寝てもいいかな」
「そうだよね。じゃあ寝ようよ」
「おやすみ……」
「おやすみ、ダーリン」
「……」
俺は目をすぐに閉じ、できるだけ早く眠るよう懸命に努力した。
夢を見ていたのかな、俺は。
とてつもない悪夢を。
そっと目を開ける。
時計の針は、朝の九時を指していた。
眩い朝日が窓から注いでいる。
目の前に肉の山が見えた。
夢じゃなかったんだ……。
どうしよう?
とりあえず起きたのは気付かれていない。
また目をつぶればいいさ。
こうやっていれば、ちょっとずつでも時間は過ぎる。
時間だけは人間に平等に与えられたものなんだ。
楽しい事をしていると、時間が過ぎるのが早いなんてよく言うよな。
じゃあ、楽しかった事を考えよう。
これまで抱いた女の中で、誰が一番良かった?
躍動感を持った芸術的な肉体は、『モーニング抜きっ子』の裕美だろう。
あとはブランド女もそうだな。この二人は肉体美で言えば、日本トップクラスだ。
顔だとどうだ?
まあそれぞれ人によって好みは違うだろうけど、俺的に好きな顔だったのは、やっぱり裕美か、北海道の香織。
あとは高校時代の永田瑞穂も結構好きな顔だった。
「おはよー」
何か耳元で誰かが囁いているぞ。
気にするな。
寝たふりだ。
あれ、唇に何か当たっているぞ?
もう嫌だな、こんな朝っぱらから。
本当に破廉恥だ……。
性格だと誰が良かったっけ。
性格だけで言えば、やっぱ酢女だな。
あいつも本当に馬鹿な女だ。
俺の目の前で酢をラーメンにドバドバ入れるから、ああなってしまったのだ。
いや、それは違う。
あそこでああしてくれたからこそ、俺は窮地を脱出したのだ。
でも、今またこんな窮地になっている。
何故だろう。
やはり酢をラーメンにドバドバ入れたぐらい、大目に見ればよかったのか?
でも、やっぱり堪えられないよな……。
「あれ~、朝から龍一の元気~」
何か聞こえたぞ……。
いちいち気にするな。
次行こう。
次は思い出のデートは何が感動できたか?
デートとなると、シチュエーションの問題にもなってくるが、一番は浅草ビューホテルのトップラウンジ『ベルヴェデール』に連れていったスナックの女、未来かな。
ホテルの人間がすべて俺の為に動いてくれたあの感動は、今でも鮮明に覚えている。
「ねえ、龍一ってばさー。いい加減起きてよー」
浅草ビューホテルに滞在していたキャシーとポール。
あの外人コンビは本当に痛快だったよな。
俺の好きなスティービーワンダーの『マイシェリーアモール』なんて俺らの席にスポットライトを当てながら、いきなり唄い出しちゃうんだもん。
未来はあれで一気にやられたんだろうな。
俺はあの日抱くつもりなんてなかった。
でも帰りの車の中、未来は俺の手を握り、「触れていると落ち着く」と身を預けてきたのだ。
本当にあの頃を振り返ると幸せだったよな。
「もう、起きないんじゃ、こうしちゃおう」
下半身が温かい何かに包まれる。
こいつ、勝手にくわえてんじゃねえよ……。
薄目を開け、時計を確認した。
あれからまだ五分しか経っていないのかよ……。
別の事を考えよう。
中学時代の友人であるゴッホこと岡崎勉。
うん、あいつの事を考えれば、元気もなくなるだろう。
そういえば最近奴の伝説的な事件はしばらく何も起きず、平和な時を過ごしていたなあ。
金は結構もらえるが、周りにゲーム屋で働いていると言えない俺。
いつも誰かに「歌舞伎町で何をしているの?」という質問に「会員制のラウンジをしているんだ。だから知り合いとかは呼べない」と誤魔化していた。
このまま今の仕事が一生続く訳ないのも自覚している。
しかし辞めたところでどうしていいか分からないでいた。
こんな時、ゴッホとくだらない会話をすると、気分が非常に紛れた。
そんなゴッホは相変わらず彼女がいない状況である。
生まれてから一度も女と付き合った事がない。
「もう、起きないんじゃ、乗っちゃうから」
何か物騒な事を言ってんな……。
体の上に重い何かが圧し掛かる。
早く俺の息子よ、静まってくれ……。
こんな時はゴッホの事を思い出せ。
今までのゴッホが起こした女絡みの件を頭の中で整理してみた。
『雪の振る中四時間待ちぼうけ事件』……。
通勤時、同じ電車に乗ってくる女をひょっとして自分に気があるんじゃなかと思い違いから始まった悲劇である。
男らしくアタックしたはいいが、雪の中で四時間も待たされた挙句すっぽかしを食らう。
そして風邪を引いて寝込んだ。
「あー龍一ー、気持ちいい!」
『館山留美江事件』……。
中学一年の時同じクラスだった彼女。
たまたま廊下を通り掛かったところを友達が、「ゴッホさん、通ったよ」のひと言で惚れていると勘違い。
しかもそれを十九歳になって、中一の事を蒸し返す。
俺が電話で彼女を誘ったまではいいが、次の日ゴッホはしつこく電話して断られた。
「あん、あん、あーっ!」
『垂直落下式ブレンバスター事件』……。
まあ、これはゴッホのふられ話とは少し違うな。
ゲロを吐いたゴッホを俺が家に帰そうとする時、雨で滑ってしまい、垂直落下で脳天を庭石に激突させただけだ。
「すごい、すごいわ、龍一……」
『バレリーナ事件』……。
レストランで働く奈美にひと目惚れ。
俺まで付き合わせ協力させるが、本人目の前にすると何も言えずじまい。
あとになって勝手に電話を掛けまくり、ジ・エンド。
「あん、いっちゃいそう……」
『パーティーのあとイノキにアタック事件』……。
ねるとんパーティーの詐欺に遭い、怒った俺たちはランジェリーパブに行った。
最初にフリーでついた女、イノキ。
俺は自分のほうが体大きいからと、ゴッホの隣へ行かせた。
まあ、これは場の流れでしょうがなかったのだろう。
「はあはあ、あーいくーっ!」
『結婚相談所事件』……。
あの異様な集団のビアーガーデン。
思い出す必要もないな。
これ以外にも、所沢の三人娘の件など数えればキリがない。
一気に体に重みが加わる。
気にするな。ゴッホの続きはどうした?
彼は未だ彼女ができていなかった。
ゴッホに彼女ができない問題点はどこだろう?
顔が悪いとか性格が駄目とかひとまず置いといて、どうすればいいのか考えてみる。
一番簡単なのは、真面目に仕事して金を貯める事。
これが一番の近道だが、彼は同じ業種を三回も転々としていた。
一番初めの帝国印刷でずっと頑張っていれば、今頃給料も待遇も良かっただろうに……。
まあ辞めてしまったものを振り返っても仕方がない。
ここまで彼に関わってきた。
俺はどうしてもゴッホに彼女を作らせたいという気持ちが潜在意識の中にあるのだろう。
「ねえ、龍一。本当は起きているんでしょ?」
そろそろ限界か。俺はゆっくりできるだけ静かにまぶたを開けていく。
「……。おはよ……」
「おはよう」
唇が塞がれる。
早く歌舞伎町へ帰らなきゃ……。
城山観光ホテルをチェックアウトし、俺は「自分で空港まで行くから大丈夫」と作り笑顔で彼女に優しく言った。
でも、俺の心を分かってくれないのか、何故か友香は強引に休みを取ってまで空港へ送ると言い出した。
彼女はここまで車で来ているのだ。
他に断る理由のない俺は、操り人形のように従順に従うほかなかった。
自然に囲まれた景色を眺めながら、車を運転しながら彼女は妙に一人ではしゃいでいた。
「今さ…、都内にはない壮大な景色を心に刻んでいるんだ。少し静かにしててくれ」
俺はそう静かに言った。
「わー、龍一ってロマンチストね~」と彼女は何故か喜んでいた。
このクソ女。何がロマンチストじゃ。
確かに俺はおとめ座だよ。
たまに女から「わー、目だけおとめ座してる~」なんて意味不明の事を言われるよ。
「神威さんって目だけ安達裕美みたいですね~」なんて抜かした『ワールド』の従業員の頭を強く叩いた事だってあるさ。
でもさ、別にロマンチックに言ったんじゃねえよ、ボケ。
表情にも声にも出さず、俺は心の中で張り叫んだ。
向こうでやるせない毎日を送っていた俺は、自分がいかに不幸だったかを考えていた。
でもさ、それってハッキリ言えば、ただの甘えだよな?
金だって同世代よりも稼ぎ、店内じゃ俺以上立場の人間だっていない。
それって結構幸せな事じゃん。
何でそれをあんな風にしかとらえられなかったのだろう。
自分の好きで、キャバクラや風俗に行っていたんじゃねえか。
好きで行くのに、何故あんな難しい事を考えていたのだろう。
そもそも金を気にせず、ああいった場所へ行ける自体、普通のサラリーマンやっている奴なんかよりも全然幸せだよ、俺は……。
うん、やっぱり俺はこう自然が広がるような場所なんかじゃなくて、人の欲望がギラギラと渦巻く歌舞伎町のほうが、居心地いいのかもしれない。
しれないじゃなくて、きっとそうなんだよ。
これまで本能的に女を口説き、たくさん抱いてきた。
己の欲望に従って動いただけ。
でも、それってやっぱりいけない事だと思った。
歌舞伎町の住人は、いい女と知り合った事や、いい女を抱いた話題になると妙に興味を示す。
彼らは人間の本質など何も理解などしていない。
まあ偉そうにこんな事を考えている俺だって理解していない。
だから今、こうなってんだろ……。
大きな溜息をつきたかった。
でも、そんな事したら、また隣にいる人が「どうしたの?」と色々聞いてくるだろう。
だから溜息一つさえ俺は自由にできない。
そういえば本当に道を普通に歩いている人がいないなあ。
人口が少ないのかな?
流れていく景色をボーっと眺めている内に一つの看板に目がとまる。
『ドライブスルー 温泉シャワー 百円』
どこがだ?
関越の高速道路に乗った時のサービスエリアを思い出すが、まったくそれとは違うものだ。
ドライブスルーなんて書いてあるけど、普通の民家じゃねえか。
下に何か書いてあるな。
「ん、温泉シャワー? 何だ、そりゃ?」
「こっちは温泉がいっぱいあるんだよ」
「へえ」
「何よ、あんな看板をジッと見て。珍しいの?」
「あ、ああ……」
「じゃあ、ちょっと寄っていく?」
「そうだね」
昨日の夜から何も食べていないのでお腹が減っていた。
ドライブスルーにはうどんや焼きそばなどが売られている。
何故か客は俺たち以外誰もいない。
温泉シャワーも浴びてみたかったが、体を清めると何だかまたヤバい方向に行きそうなので、我慢する事にした。
うどんを注文してテーブルに座る。
何故か友香は目の前の席に座り、両肘をテーブルについて頬に手を当てていた。
おいおい、そりゃないぜ、セニョリータ。
頬の肉が圧力ですごい持ち上がっているぜ?
でも俺はダンディズムだからそんな野暮な事なんていちいち指摘しないさ。
そう、すべて心の中でしか呟けない……。
そもそもセニョリータって何だっけ?
確かスペイン語だか、フランス語だか忘れたけど、結婚していない女性を指す言葉じゃなかったっけなあ。
まあそんなもん、どうだっていいか。
馬鹿な事を考えている内に、うどんが運ばれてくる。
見てビックリした。つゆがほとんど透明なのだ。
思い切り手抜きして作ったんじゃねえの、この店。
「どうしたの、龍一?」
「うどんの汁が黒くない」
「はあ? こっちのうどんてそういうもんだよ。食べてみたら? おいしいよ」
「昨日君に食べられたけど、すごい僕は後味が悪いよ」と、言い返したかったがやめておく。
いつだって言いたい事をストレートに言え、常に堂々としていると思っていた。
何でこんなに自分の思っている事が口に出せないのだろう。
こんな声に出せないなんて、大和プロレスのプロテストに受かり、チョモランマ社長の前に連れて行かれたぐらいじゃないのか。
じゃあ、これって緊張?
絶対に違うよ。
緊張なんかじゃない。
だってあの時は頭の中が本当に真っ白になったもん。
じゃあ何だよ? 知るか、そんなもん……。
再び鹿児島空港へ向かうべく無言のドライブが始まる。
俺は窓を全開に開けて、小気味いい風邪を顔中に浴びるよう、ちょっとだけ顔を外へ出す。
「危ないよ、龍一」
横で何か言っているが、耳にたくさんの風が注ぎよく聞こえない。
空気も澄んでいる。
食事も素材はおいしいのかもしれない。
でも、ここは旅行に来る場所であり、俺の居場所ではない。
今日はこのまま帰って仕事か……。
どうせ航空券なんてまだ取っていないんだ。
一刻も早く空港に着いて、少しでも早く居場所へ帰ろう。
仕事直前まで風俗行って、ちょっと寝ていても一興かもしれない。
そういえばこの女、何時間運転しているんだ?
もう二時間以上も俺は車の中にいるぞ。
確か鹿児島空港から城山観光ホテルまで、約三十分ちょいで到着したよな?
いくら何でもこんな時間掛かる訳がねえ……。
「おい、空港にまだ着かないのか?」
「うーん、あとここからだと一時間ぐらい掛かっちゃうかな?」
「何でだよ? 昨日俺がタクシーで来た時は夜だったかもしれないけどさ、それでも三十分ちょいで行けたぞ?」
「だって……」
「何だよ?」
「好きな人とこうしてね。ずっとドライブするのって、私の夢だったんだあ」
こいつ…、その平和ボケした横っ面に、渾身の一撃をお見舞いしてやろうか?
何で俺がそんな夢の為に、こうしてつき合わせられないといけないのだ。
「あのさ…、俺はこれからあっちに戻ったら次の日とかじゃなくて、すぐ仕事な訳ね? その辺とか考えている?」
「だって龍一、夕方ぐらいにこっち出ればいいやって昨日言っていたじゃない」
口は災いの元。
昔の人って本当に心理をついたことわざを考えたものだ。
「そうだけどさ…。でも、やっぱ客商売だし、ちょっと早く戻って軽く睡眠とっておいたほうがいいなあって思ったんだ」
「寂しいなあ……」
口を尖らせる友香。
まるで可愛くない。
「バーテンダーって、人に見られる商売でもあるだろ? それに俺はその店の頭だ。やつれた顔なんかで仕事などできないだろう」
うん、我ながら話していて素晴らしいいい訳だと感じる。
ゲーム屋をラウンジに置き換えているだけの事だが、頭な事は事実だ。
嘘にリアルさを追求すれば、すべてが真実に映る。
「龍一って責任感あるんだね」
テメーも少しは持てよ。
夜中に酔って二十回も電話なぞしやがって……。
「それよりあとどのぐらい空港まで掛かりそうなんだ?」
「だから一時間ぐらいだって」
「……」
イライラするなよ?
変に焦らせて事故にでも遭ったらどうする。
ポジティブに……。
いい方向に考えようじゃないか。
あと一時間で俺は解放されるのだ。
ようやく鹿児島空港へ到着する。
永かった……。
確か『北斗の拳』の主人公ケンシロウも、宿敵であり義兄でもあるラオウに、こんな漢字を使って言ったよな。
俺は今、彼の心境がとっても分かる。
長いじゃなく、永い。
誰もこんな心理など分からぬだろう。
きっとこれは、俺とケンシロウだけの言葉なのだ。
「もう…、帰っちゃうんだね……」
「あ、ああ……」
「寂しいよ……」
「仕方ない。あの街が俺を必要としている」
何か俺、すごい格好いい台詞を言っていないか?
必要以上に気取るな。
「おみやげとかは買わなくていいの?」
「いい。今回お忍びで来たし、誰にも言ってないから」
島根の野郎。
みんなに言いふらしてないだろうか?
もし言いふらしていたら、どうしてくれようか。
いつもマクドナルドのポテトばっか食いやがってよう……。
いや、彼はまるで無関係だろ?
俺が図に乗って勝手に電話をしただけじゃねえか。
人のせいにするな。
これは自分で撒いた種なのだ。
「へー、そうなんだ」
「だからおみやげなど必要ないだろ」
俺はチケットを取りに行く。
「……」
運が悪いとはこういう事を言うのだろう。
次の羽田空港行きは、あと一時間半も待つようだった。
「すみません。もうちょっと早い便ないでしょうか? 私、これから仕事で戻るようなんですよ。結構急ぎの用でして……」
「申し訳ございませんが、どうしても次の便が一番早いものになります。ご了承下さいませんか?」
「分かりました…。じゃあ、それを下さい……」
俺の背後には友香がいる。
あやつもこのやり取りを耳にしているのだ。
きっと彼女は一時間半、俺と一緒に待つ事を選択するに違いない。
『ワールド』にたまに来る客むつきを思い出した。
彼女の体は少し太目かと思っていたが、今思えばあれは肉付きがとてもいいのだ。
ああいう女を抱けば良かった。
あの時彼女は本気にしてもいいかと聞いた。
答えられなかった俺。
そして友香と文江の着信だかメールだか忘れたけど、こいつらに邪魔をされた。
もし、俺が「本気にしろ」と言ったらどうなっていたのか?
むつきと俺は結ばれ、裕美にふられる事もなかった。
そしてここにいる事なんて絶対になかった……。
「良かったあー。あと一時間半も、龍一とこうやって一緒にいられるんだね」
「あ、そうだね……」
「どうしたの? 元気ないみたいだけど?」
「考えてみなよ? 昨日からこっちに来てさ、あまり睡眠も取ってないし、ずっと毎日のように仕事だったろ。疲れが出てきたのかもな」
「もう一泊してこっちにいようよ」
「あのさ、俺は店の店長な訳ね? そんな事が簡単に許される立場だと思う?」
「うーん、そうだね……」
「あと一時間半で俺は歌舞伎町へ戻る為、飛行機に乗る。仕方ないだろう」
「寂しいなあ…。でもね私、龍一とこうやって直に逢えて本当に幸せだよ」
「……」
おまえはそうだろうな。
だって俺は自分を一切偽っていなかったもん。
ありのままで俺は接したつもりだ。
でも、おまえは違う。
性格とか声とかそういったもんは、確かにその通りだったよ。
でもさ、あの写真と実物がどれぐらい違うのか、それぐらい本当は気付いているんだろう?
「ねえねえ、あそこのレストランで食事しようよ。龍一、さっきうどんしか食べていないでしょ。お腹減ったんじゃない?」
おまえこそ、さっきうどんと焼きそばを二人前食べといて、まだ食うのかよ?
もう何でもいいや。
どうせあと一時間半は身柄を拘束されているんだ。
「そうだね。じゃあ、行こうか」
レストランへ向かうまでの短い距離の中、友香は歩きながら俺の手を握ってくる。
まあいいか。ここには俺を知っている知り合いなど、一人もいないんだから……。
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