岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 153(進化するストーカー女10編)

2024年12月11日 21時58分51秒 | 闇シリーズ

2024/12/11 wed

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店内はやかましいだけのうるさい音楽が、ガンガンに掛かっている。

「いらっしゃいませ」

従業員の黒服が笑顔で近付いてくる。

「今日は誰をご指名で?」

開店して間もない時間なので、まだ客はまばらだ。

「いや、しばらく来てなかったから分からない。フリーでいいよ」

「かしこまりました。では、お席へ案内いたします」

俺は、鼻の下を伸ばしながらキャバ錠に話し掛けている男の客を見ながら、自分の席に座る。

まったくどいつもこいつも……。

そんなに若い女と一緒にいるのがいいのか?

まあ、そういう俺もここに来ているんじゃそうか……。

人の事など言える立場じゃない。

「いらっしゃいませー」

今風の化粧をした若い黒い肌の女が横に座る。

香水の匂いがキツい。

まだ十八歳ぐらいだろう。

「はじめましてかな? 風香で~す、よろしくね」

「はい、よろしく」

「お客さん、何を飲みますか? あ、私、ビール頼んでもいいですか? あと今日、ここに来るまで何も食べてなくてペコペコなの。何か食べる物も、頼んでもいいですか?」

「どうぞ、ご勝手に……」

何だ、このレベルの低過ぎる女は?

キャバクラとはいえ接客業なのに、プロ意識がなさ過ぎる。

会ってすぐここまで呆れる女など、そうはいないだろう。

「わ~い、ラッキ~…。何を食べようかな~」

俺は一万円札を二枚取り出し、テーブルの上に投げ捨てて席を立つ。

「あれ、お客さん。どうしたの?」

「これだけあれば、好きなもの食べれるだろ? 俺は気分悪いから帰る」

「何それ~、感じ悪い~」

感じ悪いのはどっちだって……。

相手にしても疲れるだけだ。俺は構わず出口に向かって歩いた。

慌てて黒服が声を掛けてくる。

「お客さん、どうしたんです。勝手な事をされちゃ困りますよ」

店側の勝手な言い分。

こんな対応でよくサービス業といえるものだ。

呆れてしまう。

客である俺の酒も作らずに、まず自分の飲み物を頼む馬鹿な女。

お腹がペコペコ?

知るかって……。

確かにドリンクや料理は別料金で、注文した女の懐にバックが入る。

だがそんな客に金を使わせてまで、自分の小遣いが欲しいのだろうか。

よく恥ずかしげもなく、あんな台詞を言えたものだ。

それを容認している店の対応。

くだらない……。

俺は無視して出口へ向かった。

「ちょっとお客さん」

黒服は面倒臭そうに言い、俺の肩をつかんだ。

「おい、小僧…。おまえ、何を偉そうにしてんだ?」

「やだな~、そんなに怒らなくても……」

「金は払ったろうが。これ以上何の文句があるんだ?」

「い、いえ……」

乱暴に手を振り払い、黙って店の外へ出た。

いつもなら烈火の如くもっと怒っていただろう。

しかし今の心境では余計な面倒事など起こしたくなかった。

素直に真っ直ぐ仕事へ向かえばよかったのだ。

こんな日は大抵ロクな事がない。

本川越駅へ早歩きで向かう。

「……」

ウグイスの鳴き声が聞こえた。

俺の携帯電話から……。

あの文江からのメール着信音。

おいおい、嫌なタイミングで送りやがるなあ。

もちろん差出人は文江からだった。

震える手で恐る恐るメールを見てみた。

 

《龍一は、私を裏切った…… 文江》

 

何だ何だ?

俺は慌てて辺りを振り返って見た。

誰もいない……。

何だ、このタイミングの良過ぎるメールは……。

俺がキャバクラから出た瞬間、このメールは届いた。

カチカチと小刻みな音が聞こえる。

俺は歯を鳴らしながら震えていた。

今は真夏なんだぞ?

何故ここまで震えるんだ。

体の芯まで凍るような身震いする文江の異常さ……。

この辺に潜んで、俺をずっと監視しているとでもいうのだろうか。


俺は『ワールド』の従業員の島根に電話をしていた。

「ん~、神威さん? 何すか~? まだこの時間じゃ寝ていますよ……」

「本当にごめん、島根君。ちょっとさ話があって……」

自分がしている事が迷惑なのを重々承知で非礼を詫びながらも、状況を話した。

「今度のはさすがに笑っていられないですね。いいっすよ。俺たちで店は何とか頑張りますから、今日はそこまで精神的に疲れているんじゃ、ゆっくり休んで下さいよ」

「で、でも……」

「いつも神威さんには色々お世話になってんじゃないですか。たまには任せて下さい」

「あ、ありがとう……」

涙が出そうなぐらい嬉しかった。

もう出会い系サイトなんて絶対にやらない。

無駄に女を弄ぶと本当に怖い。

今回の一連の騒動で身に沁みて分かった。

友香を傷つけたのは罪悪感がある。

多分俺がわざわざ九州まで行ってしまったという負い目があるからだ。

しかし文江の場合は違う。

ルール違反をしたのは向こうだし、俺は相手にしなくなっただけだ。

友香を切る際、確かに利用はしたが、あんなに大量のメールを送ってくるんじゃ、誰だって薄気味悪く思うはず。

しかも勝手に関東の地までやってきたのだ。

ホテルに寝泊りしているようだが、いつまでも金が続く訳ない。

いや、先ほどの『私を裏切った』というメール。

あれはどこかで俺を監視していないとできないようなタイミングだった。

今は川越のどこかにいる可能性が高い。

考え過ぎか?

そんな事はない。

用心には用心を重ねたほうがいい。

せっかく島根が気を利かせてくれ、休みにしてくれたのだ。

今すべき事。それは残りの見ていないメールを確認する事だろう。

《おはよ、龍一。こっちのほうの夏って、人がいっぱいいるせいか、変にじめじめしているよね。二人で九州へ行って一緒に暮らしちゃう? 文江》

 

《まだ、連絡くれないんだね……。 文江》

 

《ボーっとテレビを見てます。つまらないな。 文江》

 

《一つ、龍一に聞きたい事があるんだけど、いいかな? 文江》

 

《言おうか言わないか、本当に迷ったんだけどさ。ごめんなさい。もう少し考えてからメールします。 文江》

 

《質問、昨日の夜一緒に腕を組んで歩いていた女の人が、龍一の大事な人なの? 文江》

 

「……」

昨日の食事休憩の時間、むつきと一緒にいた時をこいつは見ていたのか?

 

《龍一は、若い子がタイプなの? 文江》

 

《ねえ、私じゃ何で駄目なの? 文江》

 

《あんな子に負けないぐらい、私は龍一を愛しているよ? 文江》

 

《何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で……。 文江》

 

「うぐっ……」

この女、精神的に俺をここまで追い詰めて、何が面白いんだ……。

このあとのメールは、すべて文江の錯乱ぶりを表す内容ばかりだった。

先ほどの『私を裏切った』というメールが届くまで……。

間違いない。

奴は今、俺の地元である川越のどこかに絶対に潜んでいる。

 

先ほど見たたくさんのメール。

どこか夢のように感じた。

いや、本当に夢の中の出来事であってほしかった。

それにしても文江のやつ、一体どういうつもりのだろう。

頭の狂った女の思考回路など、いくら考えても俺に分かるはずがなかった。

あんなストーカー行為を繰り返して、俺をどうするつもりなんだ?

あそこまで行くと、思い込みもはなはだしい。

仕事から帰って寝た時、夢で見たリアルな映像。

夢の中の出来事だとは思えないぐらいリアルだった。

片手に光った包丁。

あいつはあれで、俺を刺そうとしていたのだろうか?

いや考えるのはやめておこう。

あれは夢の中の話なのだ……。

一人で部屋にいたくなかった。

廊下を出て階段の手すりに手を置く。

一階の居間からは、弟の龍也や龍彦、そしておじいちゃんやおばさんのユーちゃんの楽しそうな会話が聞こえてくる。

今、俺があそこへ行ったところで何になる。

火元の原因はすべて俺なのだ。

軽蔑されるだけだろう……。

他にやる事がなく、風呂場へ行く。

風呂に入れば、いい気分転換になるさ。

「……」

文江のおぞましい顔が脳裏に浮かぶ。

温かい湯船に浸かっているのに、鳥肌が立った。

あの異様に長い舌……。

細い目がカッと見開いた瞬間……。

すべてがおぞましい……。

俺は両手で湯船の湯をすくい、顔を洗う。

熱いシャワーを出して頭に浴びせた。

それでも、体の芯が凍っているような感覚はまるで拭えなかった。

湯船をさらに熱くする。

あまりの熱さで意識が朦朧としてきた。

風呂場の椅子に腰掛け熱だけを帯びた体をクールダウンさせる。

熱いので窓を開けた。

今日は本当にいい月だ。

意識がしっかりしてくると、また湯船に浸かった。

何度この行為を繰り返しただろう。

それでも未だ体の芯が凍りついた感覚は拭えない。

時計を見る。

もう夜中の一時。

俺はここにどれだけいるんだ?

指先は完全にふやけ、皺ができていた。

駄目だ、出よう……。

風呂から出て、バスタオルで大雑把に体を拭く。

俺はドライヤーを使わない主義である。

乱暴にバスタオルで髪の毛を拭き、自然乾燥で渇くまで放っておくのだ。

風呂上りだと言うのに、そして夏という季節なのに、俺は寒く感じる。

 

部屋に戻ると携帯電話に着信があったようだ。

新しくメールも受信されている。

受信メールは二件。

ひょっとして文江からか……。

震える手で開く。

「よかった……」

着信履歴にはむつきの名前が表示されている。

メールだって彼女からかも知れない。

もう一人でただ時間を過ごすのが嫌だった。

あいつと話していれば、少しは俺だって元気になれる。

メールを見てみる事にした。

 

《龍ちんの嘘つき! あれほど次の休みはって私、聞いたのに、今日お店行ったら休みじゃないの。何でシフト表が決まっていないとか嘘をつくの? そんなに私をからかって面白いの? 馬鹿……。 むつき》

 

こいつ、思い切り勘違いしてやがる。

すぐ誤解を解かないと……。

いや、その前にもう一つメールあったろ。

それを見ないと駄目だ。

 

《ねえ龍一。あんまりお風呂に入っていると、体に良くないよ? 文江》

 

「……!」

何だ、こいつ……。

どこから俺を見ている?

気がおかしくなりそうだった。

あの女、家の住所は知っている。

とっくに俺のいる場所なんて知っていたんだ……。

でも、何故風呂場の位置まで?

そうか……。

俺は何度も湯船に浸かって外に出る繰り返しをする時、風呂場の窓を開けていた。

あいつ、その時外から見上げていたのだ……。

家の外の状態は、川越日高線の道路沿いにあり、店がある。

道路から見て店の右側にアイロンやプレス機を使う仕上げ場。

別の建物になるが、同じ敷地内には従業員住み込み用の建物がある。

店の左側は、うちの家を境に細い道のT字路もあり、その道を歩いていくと裏側に玄関がある造りだ。

その玄関側には右手にクリーニングの品物を洗う洗い場の工場があり、目の前は車が三台ほど停められる駐車場になっている。

風呂場の位置は二階なので、その駐車場から見ると、すぐ左上に見える造りになっていた。

体が大きくガクガク震えた。

のん気に風呂を繰り返し入っていた時、文江は、下の駐車場からずっと風呂場を眺めていたのだ……。

怖い。

本当にどうしたらいいのか分からない。

「うわっ!」

突然携帯電話が鳴り出す。

俺は電話を放り投げ、飛び跳ねていた。

しっかりしろよ……。

落ち着いて画面を見る。

むつきからか……。

ゆっくり深呼吸をしてから電話に出る。

「もしもし、むつきか?」

「酷いよー、龍ちん……」

「ごめん…、体調が本当に悪くて……」

「え、そうなの?」

「ああ……」

そんな会話をしながらも、俺はドアの方向を何度も振り返っていた。

あの女の事だ。

気付けば家の中に入り込んでいたなんて事だって充分に考えられる。

「大丈夫?」

「いや、あまり大丈夫じゃないから『ワールド』を休んだんだ」

また振り返り、異常がないのを確認した。

「そっかあ、ごめんね」

「いいんだ。おまえに言っていなかった俺も悪い」

「馬鹿なんてメールに書いちゃってごめんね」

「いや、いいんだ。気にしないで。それより何か用でもあったのか?」

携帯電話を持ちながら、部屋のドアをそっと開ける。

うん、いない……。

当たり前か。

言葉と俺の神経は正反対だった。

むつきを気に掛けるような事を言いながら、まるでうわの空だ。

「うん…。ちょっとさ、今日お店で嫌な事あってね……。それ龍ちんの顔を見たくて『ワールド』に行ったの。食事する時でも話を聞いてもらおうかなと思って」

「……」

むつきには悪いが、今の精神状態ではとてもじゃないが、相談に乗れるような状況じゃない。

「あれ、龍ちん? どうしたの? 私の声、聞こえている?」

「あ、うん……」

「あのね、今日お店に行ったらね……」

「ご、ごめん…、むつき……」

ドアの方向を見ながら口を開いていた。

「え?」

「今さ、とてもじゃないけど、おまえに優しく相談乗れる状況じゃないんだ……」

またドアを開けて、廊下を確認する。

「……」

「また今度…、落ち着いたら電話するからさ……」

「龍ちんなんか、嫌いっ! 大っ嫌いっ!」

「お、おい、むつきっ!」

いくら声を掛けても、もう遅かった。

むつきは電話を切っていたのだから……。

また俺は女を一人傷つけた。

あいつはまだ二十歳なんだぞ?

俺は、本当に馬鹿だなあ……。

何があいつを少しでも癒してあげたかっただ。

自分のした事は無駄に喜ばせ、無駄に傷つけただけなんだ。

ずっと色々な女に手を出し、責任も何もとらずに逃げた親父を呪い、そして恨んでいた。

高校生の時、人妻が三人家に押し掛けてきた。

醜い女の本性を垣間見た気がする。

師匠が亡くなったあと望んだ総合格闘技。

試合前日に親父が昔から付き合っていた三村が家に怒鳴り込んできた。

親父は試合前日だと言うのに、俺と同じ年の病院で働く看護婦を家に連れ込み、修羅場になった。

それだけじゃない。

近所の人たちから様々な噂も聞いた。

だからずっと親父を軽蔑し、嫌いだった。

でも、そんな資格、俺にあるのかよ?

俺も変わらない。

どれだけたくさんの女を傷つけてきたんだよ?

それを笑いながら知り合いに、自慢げに語っていたじゃねえか……。

たくさん女にモテるのが偉いから、そんな事をしていたのか?

そんなもん全然偉くも何ともない。

ただ業が深くなるだけなんだ。

親父と同じ血が流れているからか?

違うって!

もう誰かのせいにするのはやめろよ!

今からでも遅くない。

俺は違う。

変えないといけない。

変わらないと駄目なんだ。

 

携帯電話を手に取る。

やるべき事は一つだけ……。

発信ボタンを押す。

コール音が鳴り響く。

「はい……」

文江がようやく電話に出る。

「もしもし、龍一だ」

「うん……」

「今、どこにいる?」

「……」

「どこにいるっ!」

「言いたくない……」

「ハッキリ言うぞ?」

「うん……」

「俺の体は全身凶器だ。だから女はおろか、素人にだって手をあげるのはやめている。でもな…、おまえだったら、俺は渾身の力で殴れるだろう……」

「……」

「いい加減に馬鹿な真似はやめろ」

「だって……」

文江のすすり泣く声が聞こえた。

こうやって俺は、ここまで一人の女をおかしくしてしまった。

ならば元に戻させるのも、俺の責任だ。

「九州へ帰れ」

「嫌だ……」

「帰れ」

「いや……」

「おまえとは絶対に無理だ」

「何で? あれだけ楽しく毎日のように…、あんなに楽しくやり取りだって……」

「ああ、それは認める。でも、もう過去の話だ」

「ひ、酷いよ……」

「ああ、酷い。俺はこういう男だ。やめておけ」

「何で?」

ヒステリックに叫ぶ文江。

「最初にお互い同時に写真を送り合う。約束をおまえは破った。あの時点で、もうすべて終わっていたんだ」

「じゃあ、今から送る。送るから……」

「いらない。もし来ても、俺は封も開けずにゴミ箱へ捨てる。もう終わったんだ」

「う……」

「……」

電話口の向こうで、文江は一時間ぐらいずっと泣いていた。

俺は黙ってその様子を見守った。

「ね、ねえ…、龍一……」

「何だ?」

「お願いだから、一度でいいから『ずっと私の事を好きだった』と…、そう言って……」

「悪いが言えない」

「お願いだから…。言ってくれれば、素直に九州に帰ります……」

「ごめん。君とは最初から何も始まっていない。それに好きでも何でもない女性に、無責任な言葉は言えない……」

「お願いだから……」

「本当にすみませんでした。俺はあなたの希望も望みも何一つ叶える事ができません。俺ができるのは、誠心誠意謝る事だけです。分かって下さい……」

「……」

答える代わりに、ずっと文江は泣いていた。

そして三十分ほどそうして、向こうから電話を静かに切った。

 

ただ女を抱きたいと思って気軽に登録した出会い系サイト。

あのサイトだけで知り合った女はたくさんいる。

ブランド女、酢女、そして九州に住む友香と文江……。

その間に知り合った風俗嬢の裕美とむつき……。

すべて俺自身がだらしなかったせいで、傷つけてしまった。

俺は男だから、これからも女を抱くだろう。

でも、無駄に相手の心を弄ぶような卑怯で卑劣なやり方だけはやるまい。

出会い系サイトに登録しているような女は、タイプこそ違いはあるが、すべてに置いて共通するのが『寂しい』のだ。

そんな感情を利用して、責任も取らずにただ抱こうとする行為。

大きな間違いだと俺は知った。

男として恥なのだ。

せっかく男に生まれたのだから、女は守ってやれよ。

そうすると必然的に日頃の行動が、大切になってくるのだ。

あれからは誰からも連絡はなくなった。

でも、みんなの心には根深い傷が残っている。

いくら懺悔しても、もうそれは消せないのだ。

今の自分は本当に嫌いだ。

誇りを持てる自分を一日でも早く取り戻す為、俺は日々一生懸命生きよう。

それしか方法はない。

今回の件では『ワールド』の従業員たちに迷惑を掛けてしまった。

落ち込んでいる暇はない。俺はあの店の店長なのだから……。

時計を見ると、深夜の四時になっていた。

もう甘えるのはよそう。

俺は着替えを済ませ、タクシーを捕まえる。

今からだって遅くない。新宿歌舞伎町へ行こう。

そしてみんなに謝らなくちゃ。

「遅刻してごめんよ」って……。

まだあの街に俺は当分いそうだ。

なら、男らしく生きて過ごそう。

タクシーに乗りながら、俺は彼女たちの悲しそうな顔をずっと思い浮かべていた。

この世に生まれてきて、ごめんなさい。

知り合ってしまって、ごめんなさい。

いっぱい傷つけちゃって、ごめんなさい。

神威龍一、これからは心を入れ替えて頑張ります。


―了―


 

原稿用紙四百六十五枚。

執筆期間六日。

ようやく『鬼畜道 ~天使の羽を持つ子~』の『真・進化するストーカー女編』の執筆が完成した。

二十九歳から三十歳になったばかりの頃だから、本当にこの当時の俺は傍若無人でただの馬鹿だ。

以前書いた初期の進化するストーカー女とは、まったくの別物に書けた。

俺の女絡みで甘酸っぱい体験と、女の恐ろしさを一つに詰め込んでみた。

昼間はKDDIで苦情処理。

帰ったら執筆。

中々快適な時間を過ごせている。

次はやはりホラー作品、初のリミッターを外して書いた『忌み嫌われし子』の推敲及び加筆修正をしたい。

百合子と別れるきっかけになった作品。

これをより完成度の高いものに。

二千六年のクリスマスイブに、俺は彼女と別れた。

あれからもう二年半になる。

特定の彼女はその間できていない。

いや、あえて近過ぎる関係を俺が求めていなかった。

これだけ時間が経ったのに、未だトラウマのような嫌な思い出。

百合子は本当に俺へよく尽くしてくれた。

反面、比例するように束縛も酷かった。

ベッタリ甘える反面、怒りに火がつくと止まらない性格。

俺がどれだけ懇願して止めてくれと言っても意味が無かった。

小説を罵倒され、岩上整体へ来て患者が居ても構わず錯乱され……。

彼女との子供をおろしてしまった過去。

そういった反省も踏まえつつ足並みを揃えてきたつもりが、あの作品を小馬鹿にされた時点で波長がズレてしまったのだ。

百合子には百合子なりの言い分があるとは思う。

しかし俺には俺の言い分もある。

彼女からしてみたら、別れて半年ちょっとで俺の小説はグランプリを取り、全国の書店へと販売された。

そのあとの総合格闘技への復帰。

一時的とはいえ、一気にスターダムに乗った俺を陰から見て、何を思ったのだろう。

私と一緒に居る時は鳴かず飛ばずだったのが、何故急にと、俺が失脚するのを願ったのではないだろうか?

いや、俺の勝手な想定はやめよう。

彼女とはとっくに別れ、以前群馬の先生に言われたようにステージを降りてしまったのだから。

今はただ作品を書こう。

過去作ったものへ新しい息吹を与え、よりいいものに……。

そして『忌み嫌われし子』の推敲が終わったら、次は『新宿クレッシェンド』第六弾を書きたい。

 

KDDIの同僚の水原隆史が、俳優の演技中足を挫いたようで業務中も引き摺って歩いていた。

休憩中食事をしながら状況を聞くと、無理な体勢から足首に負担を掛けるような形で倒れてしまい、それから足の調子が良くないらしい。

「水原さん、仕事終わったら地下のソファーあるところ行きましょう」

「え、何でですか?」

「ほら、俺以前岩上整体を開業していたって話したじゃないですか。俺で良ければ水原さんの足の痛みをちょっと診てみたいなと思いまして」

彼には俺が送別会の時酒の飲み過ぎで急性アルコール中毒になり、救急車で病院へ搬送された際、ずっと朝方まで付き添ってくれた恩がある。

日常生活にも異常をきたしている足の痛み。

俺が診る事で少しでも軽減できるなら、何とかしてやりたかった。

「岩上さんの貴重な時間をそんな……」

「水臭い事言わないで下さいよ」

業務終了後、ベンチに座らせ彼の足を診てみる。

「ここは痛いですか?」

踵の内側の窪みを押す。

「う……」

次は踵の外側に指を当て、徐々に強く押していく。

「うぅっ!」

「水原さん、内側と外側…、どっちがズーンとした痛みでした? もう一つはキリッとした痛みだと思うんですけど」

「内側押した時は鋭い痛みって言うんですか…、岩上さんの言うキリッとした感じの痛みで、外を押された時はズーンと鈍い痛みが……」

「踵の位置が恐らくズレているんです。ちょっと痛いですけど我慢して下さいね」

外側に親指の付け根を当てた状態で踵を曲げる。

「うぎゃっ!」

また同じように内と外を指で押す。

「まだ痛いですか?」

「あ、あれ? 痛くないです……」

以前TBB総合整体の島田先生が、俺に教えてくれた技の一つ。

「ちょっと歩いてみて下さい」

水原は恐る恐るゆっくり歩き始めるが、痛みが無いのを確認すると普通にスキップしている。

「痛くないですよ! 何でですか、岩上さん?」

「多分足首と言うよりも、踵が変な倒れ方してズレていたんですよ。先ほど指で触診してみて、それでここが原因かなと思ったんです。これで普通に歩けるなら良かった」

翌日水原は、昼休みの時間を狙って俺のところへ来た。

「岩上さん…、岩上さんは整体をやったほうがいいと思いますよ。こんなところで働いているより。それで自分は岩上さんのサポートと言うか、マネージャーをやって手助けしたいです」

一晩考えて真面目に言っているのだろうが、俺は前に整体を自分で潰した男なのだ。

こんな俺を評価してくれるのは嬉しい。

だが十歳も若い彼が、こんな落ち目の俺と人生を共に行動するなど大きな間違いだ。

俺は彼に俳優業をより邁進するよう伝える。

いまいち納得していないようだが、俺一人でも駄目だったのに、水原まで整体の世界へ引きずり込んで食っていけるとは、到底思えなかった。

無責任な格好のつけ方だけはしたくない。

「ま、お互いそれぞれの分野でまだ食っていけないから、ここで働いている訳で。それぞれまだまだ頑張りましょうよ」

川越祭りの日にちが近付いてきていた。

俺は彼を誘ってみると、一発返事で川越まで来ると言う。

今年の祭りは、まだ売れていないとはいえ正式な俳優を連れて祭りに参加できる。

例年よりも楽しめそうな気がした。

 


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