岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 75(ゴリと川出のキャバクラ編)

2024年10月17日 09時16分42秒 | 闇シリーズ

2024/10/15 tue

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1 ゴリ伝説 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

ゴリ伝説中学時代からの同級生であるゴッホこと岡崎勉は、今年で三十七歳を迎えようとしていた。とにかく女にもてない人生……。何故そこまでもてないのかとい...

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ゴリの後輩である川出の相手をするのが面倒だったので、俺は自然と距離を開けるようになり、半年が経とうとしていた。

彼からたまに食事の誘いがあったが、何だかんだ理由をつけて俺は断っている。

ゴリとは普通に会っていたが、会話が尽きてよく川出の話になると、決まってからかわれた。

「たまには川出の相手してやれよ」

「嫌だよ。仕事も忙しくて疲れてるのによ」

「冷てーなー」

「もともとはおまえの後輩だろ」

「奴は岩上に懐いてんだよ。可哀想じゃねーか」

「会っても愚痴が凄いじゃん。逆にこっちが愚痴りたいぐらいだよ」

「奴は岩上に愚痴を聞いてもらいたいんだよ。そのぐらい聞いてやれよ」

「ふざけんな」

ゴリはニヤニヤしながら楽しんでいる。

俺が困っているのが面白くて仕方がないのだろう。

「半年前に三人でキャバクラ行ったじゃん」

「ああ、それがどうしたんだ?」

「あの時、俺は岩上に甘えちゃったけど、川出はしつこく金返すって何度も繰り返してたじゃん。あの金は返ってきたの?」

「いや、まだだけど」

「あれだけ自分で言ってんだから、ちゃんと返してもらったほうがいいよ」

「まーね……」

よくよく考えてみたら、彼と半年間は会ってないので金が自分に戻ってくる訳がない。

別にキャバクラの延長代の金額ぐらいどうって事ないのだが、俺があれだけいいと言っていたのにしつこく返すと自分で言ってきたのだ。

しかしあれから電話は掛かってきても、その件に彼が触れる様子はまったく無かった。

それに川出の事をそこまで言うゴリも、とんでもない奴だ。

自分だって俺に奢られた身分で同じなのだ。

この時俺とゴリはレストランで食事をしている最中だったが、そこへゴリの携帯に、川出から連絡が入った。

非常に嫌なタイミングである。

「あ、もしもし、どうしたの? うん、あ、そうだよ。うん、別に構わないけど」

手短に電話を終えたゴリに「何だって?」と聞いてみる。

「これから川出、ここに来るよ」

「何でだよ?」

「あ、ほら、入口見てみ。キョロキョロして俺たちを探してるよ」

ゴリの指差す方向を見ると、川出の姿が入口付近に見えた。

「何であの電話から、こんな短時間でここにいるんだよ?」

「俺の車がこの店の駐車場にあるの見て、いるかなと思って電話したんだって。『岩上さんと一緒ですか?』って聞くからそうだよって答えると、『自分も行っていいですか?』って言うから、別に構わないよって言っただけだよ」

半年ぶりに会う川出。

懐かしさなど微塵も感じない。

「おう、川出君、こっちこっち」

ゴリが彼を招き入れる。

「お久しぶりです。岩上さんに岩崎さん」

ゴリの奴、余計な事しやがって……。

平和だった空間に、魔のトライアングルが出来つつあった。

 

「前に三人でキャバクラに行ったじゃないですか?」

川出がキャバクラの話題を出してくる。

ひょっとして、あの時のお金を返すつもりなのだろうか?

「うん、それがどうかしたの?」

「あの時に知り合った、自分の横に座ったミントって子、覚えてます?」

「はいはい、川出君の横に座っていた子でしょ?」

「ええ、実は彼女と結構いい仲なんです」

正直、驚いてしまった。

彼女の顔を思い出してみる。

ミントという子は俺のタイプではなが、誰が見ても綺麗だと思うぐらいの美貌は持っていた。

そんな子が川出といい仲になっている……。

これも平成の生んだ歪みの一つなのだろうか。

「へーじゃあ、そのミントちゃんだっけ? 彼女、抱くとどんな感じだった?」

いやらしそうな笑みを浮かべながら、ゴリは嫌な質問をしてくる。

「おいおい、ゴリ。あんまり失礼な事聞くなよ。そういうのは二人の問題であって、うちらは関係ないんだからさー」

「何だよ、つまんねー事言うなよ。男なら興味があって当然だろ?」

「男なら興味がじゃなくて、おまえがだろ。勝手に周りを巻き込んだような言い方すんなよ。川出君がそっち系の話、自分から言い出したのならまだ分かるけど」

「…で、川出。彼女のは正直どうだったの?」

こいつの頭の中は本当にそれしか考えてないのか。

一度、ゴリの頭を割って中身を見てみたいものだ。

「おい、ゴリ」

「あ、あのー……」

俺が声を出したのと同時に、川出も何か言い掛けた。

「な、何か二人ともちょっと勘違いしてませんか?」

「は?」

「確かに自分、ミントとはいい仲とは言いましたけど、彼女を抱いただなんてひと言も自分は言ってませんよ」

川出の話している意味が何を言いたいのか、まったく俺には分からなかった。

「じゃあ、いい仲ってどういう事?」

「あれから今まで彼女とはメールのやり取りをしてるんですよ。心と心の繋がりを大事にしたいなって感じで…。だからまだプラトニックなんですよ。結構、彼女ってマメで一日一回は必ず自分にメールくれるんですよね」

自慢げに話す川出の横顔を見ている内に、何故か無性にイライラしている自分がいた。

それ、タダのキャバ嬢の営業メールじゃね?

ゴリも多分、俺と同じ心境だろう。

「抱いてないって言ってたけど、彼女とはどの辺までいってるの?」

「うーん、たまに寂しいから店にも顔出してって言うから、週一ぐらいであの店に行ってるって感じですね。自分が顔を見せると、ミントもすごい喜んでくれるし」

イライラが少し収まってきた。

ひょっとして俺は何か川出の事を勘違いしていたんじゃないだろうか。

ゴリはまくし立てるように質問を川出に浴びせていた。

「別に店に行った事はいいよ。そんな事を聞いている訳じゃないしね。俺が聞きたいのは、その子とプライベートの時間、どのくらいのペースで会ってるのかって事だよ」

「それが彼女、夢というか目標があるみたいで、なかなかプライベートの時間を作れないんですよね。いつも忙しそうで…。でもちゃんと毎日メールくれるし、向こうが自分の顔を見たいと甘えてくる時は、出来る限り店に顔出すようにしてますし……」

「それって完全に都合いいように利用されてるだけじゃないの」と、口を挟みそうになる。

ようするにミントという子にとって、川出は麻雀でいう安全牌なのだ。

そんな事にすら気づかない哀れな川出……。

「川出君さ…。悪い事言わないから、彼女を相手にするのはもうやめたほうがいいよ」

哀戦士川手……。

「何でそんな事言うんですか? 自分が彼女とうまくいってるのが、そんなに面白くないんですか?」

ムキになる川出を見て「駄目だ、こりゃ…」と、ドリターズのチョーさんを思い出した。

 

しばらくして新宿歌舞伎町で、四十四名を超える大火事があった。

当時は歌舞伎町全域がバリケードで封鎖され、異様な状況が続く。

昼間から大人数の警官が職務質問を無差別に行うようになり、この街へ金を持って遊びに来ていた太い客が次第に来なくなっている。

同じ一番街通りで商売をしていた俺はその煽りをまともに受け、店を閉めざるおえなかった。

裏稼業に身を落とした俺は、一からスタートするつもりで懸命に毎日を生きた。

その頑張りをオーナーが認めてくれ、そこそこいい地位を与えてくれる。

気付けば、組織の経営する店を統括する立場になっていた。

仕事に没頭する毎日。

俺は、いつの間にか三十三歳を迎えていた。

翌日警察へパクられたが……。

別に組織の歯車となって動かしている自分が嫌だという訳ではない。

しかし異常な日常を過ごす中、どこかでホッとしたい自分もいる。

中学時代からの友人ゴリは、印刷会社を転々と渡り歩き、現在もその方面で頑張っていた。

もちろん他社からの引き抜きで行った訳ではないので給料や働く条件など、会社を渡り歩く度に悪くなっているようだ。

食事に行くと、最近はストレスが溜まっているのか非常に愚痴をこぼす事が多くなり、川出化している部分もある。

そのゴリの後輩である川出は、相変わらず深夜の郵便局であるバイトを続けていた。

愚痴りが凄いので会うとしても、月に一度会えばいいぐらいだ。

そんな川出ももうじき三十二歳を迎えようとしていた。

ある日の事だった。

川出が自分に重大な報告があるというので、一緒に食事へ行く。

また改めて報告だなんて、一体何があったのだろう。

食事を終えてから俺は聞いてみた。

「川出君、何かあったの?」

「いえ、郵便局を辞めようと思いましてね」

「え、辞めちゃうの?」

十年以上深夜のアルバイトを続けたのだから、確かにいい辞め時かもしれない。

それなのに何故、俺は川出の発言に対し驚いてしまうのだろう。

多分それは彼が深夜の郵便局というものに馴染み過ぎていたからだろう。

「一体、何があったの?」

「別に何もないですよ。ただ、いつまでもこうしていられないじゃないですか?」

「まあ確かに…。それで辞めたら何をするの?」

川出から郵便局をとったら、何が残るのだろうか。

「個人事業です」

「え?」

俺は自分の耳を疑った。

「個人事業をしようと思ってるんです」

「こ…、こ、個人事業?」

彼は一体どうなってしまったのだ……。

深夜の郵便局から、いきなり個人事業をするという川出。

何がどうなってるのかまったく分からない。

ひと言で個人事業と言っても様々な仕事がある。

彼は何をやらかそうというのだろうか……。

「そんなに驚かないで下さいよ、岩上さん」

「だっていきなり過ぎるじゃん。第一、個人事業なんて一体何をするつもりなの?」

「運送業です」

「免許は…、あ、持ってるか」

「ええ、だから問題ないですよ」

「全然あるって。そんな事言ったら免許持ってる奴、みんな運送業をできるって事じゃん。それは違うだろ?」

「いえ、やる気さえあればできますよ」

「ま、まあ確かにそうかもしれないけど……」

とうとう川出の頭の中は狂ってしまったのか……。

話をしていてこっちがおかしくなりそうだった。

「宅急便の青帽って知ってますか?」

「うーんと…、あー、あの青帽でしょ?よく軽のバンで宅配してるじゃん」

そこまで言って初めて気づく。

まさか個人事業と言っていたのは……。

「それをやろうと思ったんですよ。どうです?」

青帽のシステムを考えると確かに個人事業だ。

それにしても、よく恥ずかしげもなく『個人事業』と抜け抜けと言えたものである。

普通に「青帽をやります」と言えば済む話なのに……。

「ま、まあ…、俺はよく知らないけど、いいんじゃないか」

「実はもう車も買ってしまったんですよ」

「えー、いくらしたの?」

そういえば最初に川出は相談があるとは言ってない。

報告があると言っていたのだ。

それでも俺は驚きを隠せなかった。

「ざっと百九十万ですかね」

「百九十万?」

「ちょっと高いなとは思ったけど、これで自分も一国一城の主ですからね」

本当に彼の将来が心配になってきた。

でも仕方がない。

彼が自ら選んだ道なのだ。

「そうか、これから頑張らないとね」

「ええ、踏ん張りどころですよ」

三十を過ぎた一人の男の決断。

川出が一歩足を踏み出そうとしているのだ。

ここは笑顔で祝福してあげよう。

 

こうして川出の青帽生活が始まる事になった。

俺も一応先輩なので、祝ってやらないといけないだろう。

「せっかくの船出だ。どこか飲みに行こうよ。奢るからさー」

「そんなー、悪いですよ」

「川出君の行きつけのキャバクラでもいいよ」

「じゃあお言葉に甘えて、前に岩崎さんと三人で行ったあの店へ行きましょう」

俺はミサキがいなくなってから、まったくあの店には行かなくなっていた。

「あ、まだあの店に行っていたんだ。誰か指名してるのいる?」

「いますよ。岩上さんも知ってる子ですよ」

「え、誰?」

「ミントですよ。ミント」

「えー、だって三年前の事だよ?」

「だから彼女とはあれからも続いてるんですよ」

ビックリした。

驚いた。

たまげた……。

まだ続いてるとは微塵も思わなかった。

あの時はうまく利用されているだけだと思ったが、一途に三年も通われたら、あの子も少しはグッときたのかもしれない。

その辺を彼は分かって行動していたのか?

だとしたら恐るべしである。

もう自分の女だと言えるぐらいになったのだろうか。

「へー、たいしたもんだね。じゃあ、そこのキャバクラ行くかい?」

「はい、そうしましょう」

川出の指名するミントの働くキャバクラへ着くと、この日彼女は休みだった。

俺はこの時、三年間指名しているのに今日休みなのを知らない川出を哀れに思った。

「じゃあ、エリちゃんいる?」

「ええ、出勤してます」

「その子、指名で……」

妙に気取りながら店内を歩く川出。

一緒の席に着くのが正直嫌だった。

「ひょっとして他の子にも唾つけているの?」

「いえ…、エリって、ミントの友達なんですよ。この店で一番仲のいい」

席まで歩きながら余裕の笑みで川出は答えた。

「……」

それが指名するのと何の関係があるのだ?

そうつっこみを入れたがったが、今日は川出の祝いでここに来たのだ。

野暮な事を言うのはよそう。

それにしても彼女の友達を指名しただけで、妙に気取った川出は思い切り変だ。

席に川出指名したエリが来ると、彼はとても饒舌になった。

こいつ、こんなに女にだらしなかったのかと思うぐらい、川出は鼻の下を伸ばしている。

キャバクラは恐ろしいところだ。

あの川出をこうまで変えてしまう。

ミサキのいない店は面白みを感じなかった。

時間が来たので、俺は川出に声を掛けた。

「川出君、今日はもう帰らないか?」

「え、まだワンタイムしかいないじゃないですか? 延長しましょうよ」

「だって今日はいつも指名してるミントって子、休みなんでしょ? だったら今度また来ればいいじゃん」

「今日は自分のお祝いだったんじゃないんですか?」

そこを言われると弱い。

確かに自分から言い出した事なのだ。

「え、今日何のお祝いなの?」

「ん、青ぼ……」

「ぼ、僕が個人事業を始めるから、それのお祝いだよ」

俺が言い掛けると、川出が横から大きな声で割り込んできた。

「え、個人事業? へー、川出さんって何か凄いんだねー」

「そうでもないよ、へへ」

そんなに自分のしようとする職業が堂々と言えないなら、個人事業だなんてハナッから言わなければいいものを……。

 

店内が混み出し、川出の指名しているエリと俺についていたフリーの女二人が呼ばれる。

男二人で残された状態の俺たちは、静かに酒を飲んでいた。

キャバクラのワンタイムは一時間。

最初の十分のみ女がつき、途中でいなくなり、ラスト五分前になって二人とも戻ってきた。

要は四分の一の時間しか女がつかず、あとは放置状態である。

女が戻ると、すぐに従業員が来て「お客さま、延長はどうしますか?」と聞いてくる。

「女が全然つかないで、何が延長だよ」と嫌味を言うと、従業員はひたすら謝るばかりだった。

帰ろうとした俺に、川出が「もっと延長しましょう」と懇願してくる。

まあ今日は彼が主役だ。

仕方なく延長料金を二人分払い、席に戻る。

延長した途端、店側はまた女二人を呼び、他のテーブルへつけた。

待機席で座って暇をしている女が向こうにいるのに、誰一人こちらへつけようともしない。

延長して三十分ほど経ち、俺は従業員を呼んだ。

「はい、何でしょう?」

「何でしょうじゃねえよ、おい。おまえら、俺に喧嘩売ってんだな?」

「いえ、そんなつもりは……」

「じゃあ、どういうつもりなんだよ? 最初に数分女をつけ、延長したら引っぺがし、ヘルプの女もつけないで、また時間が来たら最後にちょっとだけつけるその繰り返し…。最近ここには来てねえけどよ。ここでおまえ、いくら使ったと思ってんだよ? 喧嘩売ってるとしか思えねえんだけどな」

この店の対応を見ていると、苛立ちを隠せなかった。

「い、いえ……」

従業員は怯え、小さくなりながらひたすら謝るばかりだ。

「おまえじゃ、話にならねえ。責任者呼んで来いよ」

「は、はい……」

すぐ割腹のいい店長がやってくる。

「おまえがこの店の頭かよ?」

「はい、店長です」

「さっきも言ったけどよ。おまえら俺らを舐めてんだろ?」

「い、いえ、そんなつもりはありません」

「じゃあ、どういうつもりだよ?」

「あ、あのですね。お客さまだから、うちの状況を言いますが、最近新規のお客が減ってしまいまして、先ほどエリさんたちをつけたお客も新規なんです。少しでもいい子をつけないとと思いまして……」

「オメーは馬鹿か? そっちの店の事情なんて知らねえよ。しっかり金だけは取ってるじゃねえか。おまえ、客の立場で飲みに行ってよ。同じ事されても一切文句ないんだな?」

「い、いえ……」

「あんま舐めた真似してっと、本当にこの店苛めに来るからな?」

「す、すみません……」

店長が引っ込み、すぐエリたちが戻ってくる。

川出は、キラキラした目で俺を見ていた。

「岩上さん、素晴らしいです。すごい格好良かったですよ」

こんな男に褒められても、何一つ嬉しくない自分がいた。

 

昨日は散々な目に合った。

結局川出の要望を俺が聞く形になり、まったく楽しくないのに延長を三回もつき合わされた。

しかも俺の支払いで……。

おかげで寝不足だわ、金はないわ、二日酔いで気分悪いと最悪だった。

「おい、岩上」

オーナーが機嫌悪そうに声を掛けてくる。

「はい、何でしょう?」

「何を貴様、仕事中に欠伸してんだ。たるんでいるぞ」

「すみません……」

チキショー……。

これも全部川出のせいにしたかった。

家に帰ったら文句の一つでも言いたかったが、今日はあいつの初仕事の日でもある。

青帽のシステムをよく理解している訳じゃないが、確か荷物を一つ運んで何百円の世界だという事は聞いていた。

ようは荷物をたくさん配達して数をこなさないと金にならないのである。

家に帰りうたた寝していると、夜の十一時ぐらいに川出から電話があった。

今まで郵便局の深夜のアルバイトで、彼からこの時間に電話が掛かってくる事はなかったので違和感を覚える。

「もしもし、どうしたの?」

「あ、岩上さん。ちょっと聞いて下さいよ」

川出は暗い声でボソッと話しているので少し心配になった。

「何かあったの?」

「まいっちゃいますよー」

「仕事で?」

「ええ」

「一体どうしたの?」

「今日、自分は青帽初仕事じゃないですか?」

「はいはい」

「朝の十時から夜の十一時ぐらいまで十三時間も働くようなんですよ」

「へー、そりゃー大変だね。でもその分、金稼げるから問題ないじゃん」

「それが大有りなんです」

「何故?」

「荷物の量が少なくて夕方ぐらいには仕事がなくなってしまうんです」

「え、じゃあ夕方から十一時頃まで何してんの?」

「荷物が緊急であるかもしれないからって待機です。だいたい荷物一つ運んで百二十円ですよ? 今日は五十個配達したから六千円。十三時間も拘束されて六千円ですよ。ただの六千円じゃないんです。個人経営でやってる訳ですから、車に掛かる経費、例えばガソリン代やオイル交換など、全部その六千円の中からやり繰りしてやっていくようなんですよ」

「六千円じゃ、キャバクラ行ってもワンタイムいておしまいじゃん」

「そうなんですよ。酷くないですか?」

知るか、そんなのボケ……。

心の中で呟いてみる。

川出は仕事初日だと言うのに、早くもお得意の愚痴りが始まった。

「岩上さん、ちゃんと聞いてます?」

「ん、ああ。ちゃんと聞いてるよ。確かにそれじゃ割に合わないよな」

自分で勝手に決めて好きで始めた仕事だろ、ボケナス。

実際に口に出して言う言葉と、心の中で考えている言葉は人間違う時もある。

「こんなんじゃまいっちゃいますよね、ほんと……」

「ま、まあ仕事始まったばっかりなんだから頑張んなよ」

「はあ……」

川出はまだ愚痴を言いたそうな感じだったが、それに付き合わされるこちらは溜まったもんじゃない。

そうでなくても昨日のキャバクラで飲み過ぎて、寝不足&体調不良なんだ。

「でもですね、荷物一つ運んで百二十円って安過ぎると思いません? 十個運んで千二百円にしかならないんですよ。一人の客がまとめて五、六個頼んでくれたらいいですけど基本的に一件ずつ違うじゃないですか」

そんな話はどうでもいいよ、このカスが……。

川出の愚痴りでこっちがどんどんストレスが溜まってきそうだ。

「なら、荷物をもっと増やして下さいって、ちゃんと言えばいいじゃん」

「でもまだ道も不慣れで仕事にも慣れてないのに、今以上の数をいきなり増やされてもこなせないですよ」

こいつは俺に一体何を言いたいのだろうか?

訳が分からない。

「じゃあ今、ここで文句言ってもしょうがないじゃん」

「まあ、そうなんですけどね」

「俺、明日も仕事早いからそろそろ寝るよ」

「あ、すいませんでした。また連絡しますね」

「はいはい、おやすみ」

携帯を切って深く息を吐き出す。

明日辺り、また川出からこの調子で電話がありそうだ。

延々と続く愚痴り……。

想像しただけで俺は鳥肌が立ってしまった。

ゴリがあの時、川出を俺に紹介しなければ……。

最近そんな昔の事を思い出し、同時にゴリを恨んでみた。

 

俺の予想通り川出は仕事が終わると連日電話を掛けてきて、延々と愚痴をこぼした。

たまに会っての愚痴なら分かるが、毎日こう聞かされてはこっちも精神がやられてしまう。

「今日も夕方以降、ずっと待機で仕事が終わりましたよ」

「一つ一つの荷物の距離が遠過ぎるんですよ」

「こんな条件じゃ、郵便局で働いているほうが断然良かったですよ」

「今日も無駄な待機時間を過ごしました」

「十三時間働いて六千円にしかならないですよ」

「配達する荷物が少な過ぎるんですよね」

「これじゃ生活できないですよ」

「一件の配達で何個かまとめて荷物が欲しいですよ」

「低収入だから、キャバクラも満足に行けないですよ」

こういったような内容が連日繰り返し聞かされるのである。

一週間もこんな電話をもらうと、さすがに俺もイライラしてきた。

そして今日も川出からの着信があった。

「もしもし、川出ですけど。岩上さんですか?」

「仕事終わったの?」

「ええ、今日もまいっちゃいましたよ」

会話に初めに出る川出のまいっちゃった……。

何度この台詞を聞いた事か……。

「六時で配達終えて、また待機だけで仕事が終わりました。今日も六千円ぐらいいしか、稼げてないですよ」

「大変だなー」

「まったくですよ。ほんと、こっちの身にもなってほしいですよね」

いや、おまえが俺の身になれと思う。

さすがにもう限界だ。

毎日毎日愚痴を聞くなんて、もう俺は嫌だ。

今、彼にハッキリと言ってやらないと、川出は何も変わらない。

俺は心を鬼にした。

「あの川出君さー……」

「はい?」

「自分で勝手に決めて、自分でやりだした仕事でしょ?」

「え、まぁ……」

「俺に毎日同じ事言ったって、何も始まらないよ?」

「でも、聞いて下さいよ。今日だって……」

「だーかーらー…、愚痴はもうやめなって」

「……」

この時点で俺の心はだいぶスッキリした。

溜まっていた鬱憤を川出にやっとぶつける事ができたのだ。

川出は無言になっているが仕方ない。

すべて自業自得なのだ。

「あのね、いつも仕事の嫌なところばかり言ってるけど、自分で選んだんでしょ? 嫌だろうが、ムカつこうがやるしかないじゃん。その上で、その荷物を川出君に渡してくる業者にはちゃんと言えばいいじゃない。例えばいつも荷物ないので、配達し終わったら帰りますって言ってみるとか、もっと最初の配達する荷物を増やして下さいとか、色々方法はあると思うよ。俺に色々言ったって、何も今の状況は変わらないんだからさ」

「はぁ……」

「明日、言ってみなよ。それで駄目なら辞めたっていいじゃん」

「でもー…、百九十万もかけてるんですよ?」

「だーかーらー……」

「ええ」

「どっちみち今の会社に言わなきゃ、しょうがないじゃないかよ」

「まぁ、そうなんですけどね」

「俺に話す時間あったら、明日言ってみなよ」

「そうですね。明日、話してみますよ」

「うん、頑張って。自分の事なんだから…。じゃあ、おやすみ」

こうしてようやく川出の愚痴り地獄から、俺は脱出ができた。

次にまだ愚痴るようなら、ゴリに話を振るようにしよう。

 

次の日仕事を終えて家に帰ると、川出から電話があった。

少しは状況が良くなったのだろうか?

愚痴だけは勘弁してくれよと、俺は心の中で祈る。

「もしもし、ちゃんと会社に言ったの?」

「ええ」

「少しは良くなったの? 条件は……」

「明日から検討してみるって…、言ってました」

「それなら今よりはマシになるでしょ?」

「そうだといいんですけどね……」

「俺さー…、昼間忙しかったから、今日はもう早めに寝るよ」

「あ、そうですか。ではおやすみなさい」

「おやすみ」

携帯を切ってベッドに寝転がる。

天井を見ながらふと呟いてみた。

「何が個人事業だよ……」

川出の条件が良くなろうが、悪くなろうが正直俺の知った事じゃない。

個人的にただ愚痴だけはやめてくれといったところである。

天井を見ながら大の字になっていると、いつの間にか俺は眠りに落ちてしまった。

その晩、珍しく俺は夢を見た。

中学時代からの同級生ゴリと食事に行く夢だった。ゴリは競馬が当たったとはしゃいで、俺に食事をご馳走するからとレストランに来ていた。

何故か横のテーブルには川出が一人で食事をしていて、俺とゴリの姿に気付くと近付いてくる。

夢だと分かっていたが、嫌な予感がした。

「聞いてくださいよ、岩上さん」

「何?」

「今日、まいっちゃいましたよ」

またかと思って川出から顔を背けると、いつの間に移動したのか反対側に立って必死に愚痴っていた。

ウンザリして席を立とうとすると、肩を背後から押さえられ立てない。

横に川出がいて、正面にゴリ。

じゃあ、誰が俺の背後で肩を押さえているのだろう。

振り向くと、川出が俺の肩を押さえていた。

何故……。

辺りを見回すと川出が何人も回りに立って、俺を取り囲んでいた。

川出はどんどん増殖して次第にレストラン中に広がっていく。

今、このレストラン内に川出は無限に増え続け、すべての川出の目線が俺を見つめていた。

「聞いて下さいよ、岩上さん」

「うわー……」

目を覚ますと、俺は自分の部屋のベッドにいた。

嫌な汗をたくさん掻いている。

「ゆ、夢だったんだよな……」

ワザと声に出して今、現実にいるのを確認する。

それにしても本当に嫌な夢だった。

 

昨夜見た夢は俺に何を訴えようとしていたのだろう。

仕事がもまったく手につかず、川出の愚痴だけが頭の中で繰り返しこだましていた。

何故、俺はこんな状態になってしまったのだ。

川出の先輩であるゴリに相談してみれば、何かしらの光明が見えるような気がした。

昼休みにゴリの携帯に電話を掛けてみる。

「おう、こんな時間にどうしたの?」

「最近さー、連日のように川出君の仕事の愚痴聞かされちゃってさー……」

「ああ、あいつは愚痴るのが大好き人間だからな」

「それは分かるけど、こっちにしてみたら精神が崩壊しそうだよ」

「うーん、気持ちは分かるけどさ、岩上しか川出を分かってやれないんだから、愚痴ぐらい聞いてやればいいじゃん」

「ふざけんな、無責任な事言うなよ。元はといえば、おまえの後輩だろ?」

「すぐに怒んなよ。奴はおまえを頼りにしてんだ。分かってやれよ」

「分からねえって、そんな愚痴なんて…。仕事中も散々聞かされた愚痴が、頭の中で未だに残っている感じがするんだぞ?」

「それは困ったな」

「だからゴリから川出君に電話たまには掛けてやれよ。な?」

「えー、嫌だよ。何故この俺が……」

「頼むよ、な? 今度お礼もするし、女もいい子いたら紹介するからさ」

「ん…、ああ…。でも、やっぱ俺はいいよ」

「冷てーぞ、あいつの先輩だろ?」

「確かに俺は先輩かもしれないけど、おまえの件とは関係ないじゃんかよ」

「分かったよ、もう頼まねーよ」

俺はイライラして携帯を切った。

ゴリの奴、クソ野郎が……。

今まで俺が散々面倒見てやったのも忘れやがって……。

結局その日は仕事がまるでうまくいかず、オーナーに怒られてばかりだった。

最悪の一日だ。

家に帰っても何もする気が起きず、ベッドに横になってただ時間をつぶしていた。

「プルルル……」

俺の携帯が鳴っている。

慌ててベッドから飛び起き着信を見ると、川出からの電話だった。

無視してもしつこく掛かってくるだろう。

ここで逃げては何も始まらない。

ゆっくり深呼吸をしてから携帯を手に持った。

「はい、もしもし……」

「あ、岩上さん。こんばんは」

「こんばんは」

「聞いて下さいよ。ちゃんと荷物を増やせって言ったのはいいんですけど、いきなり増やされ過ぎで大変だったんですよ」

また愚痴か……。

全身を激しい疲労感が襲う。

「あんなに増やされちゃ、回りきりませんよ。もっと考えてほしいもんですね」

「……」

もはや何も言い返す気力はなかった。

結局どう転んでも川出は愚痴りたいのだ。

荷物が少なかったら金が少ない。

今度は増えたら増えたで無理だと文句を言うだけ……。

俺は彼の愚痴に対し、どう受け答えしたらいいのか分からなくなってしまった。

「いっぺんにそんな荷物を増やす事ないと思いませんか?」

「……」

「あれ、どうかしました?」

「……」

「岩上さーん」

「あのさ川出君……」

「はい?」

「俺は別に青帽の仕事してる訳じゃないから、大変さ辛さなんていくら言われても何も分からないよ。毎度毎度いい加減にしてくれ」

「す、すいません……」

少し強く言い過ぎたか……。

多少の罪悪感を覚えたが、ここで優しい言葉を掛けたらまた前と変わらず川出は愚痴りまくるだけ。

こっちがノイローゼになってしまう。

「自分で個人事業するって言い出してやってんだから、俺にいちいち愚痴を言わなくてもいいよ。こっちだって昼間はちゃんと仕事してんだ」

「はぁ……」

「頼むから自分の事は自分で何とかしてくれよ」

「は、はい……」

力の無い返事をして暗くなる川出。

これじゃ俺が悪い事をしているみたいだ。

「悪いけど、もう俺は寝るから……」

最後にそう言って電話を切るのがやっとだった。

 

あれから半年……。

正月に川出から年賀状が届いたが、俺の携帯が鳴る事はなかった。

少し寂しいような…、いや、違う。

そう思ったら俺の負けだ。

結局、俺は年賀状の返事すら返さなかった。

ゴリと食事に行くと、新しい飲み屋でひと回り以上年下の女と出会い、うまく行きそうなんだと訳の分からない事を言っていた。

川出の事を話題にしようとすると、「あんな愚痴り屋の話なんていいよ」と素っ気ない。

「おまえが紹介してきたんじゃないか」と嫌味を言うと、「もうそんなもん時効だよ」と責任を逃れた。

先輩であるゴリからも見限られた川出。

思えば郵便局という当時国が運営するデカい歯車の中、彼はアルバイトの一人として一生懸命歯車の一部となり、十年ぐらい頑張っていた。

そんな自分に嫌気を差し、個人事業と言いながら青帽という運送業をやりだした。

でも話を聞いてみると、実際はうまく利用される都合のいい下請け業者というオチだった。

そう思うと何だかとても川出が哀れに感じる。

少しぐらいの愚痴など、うまく聞き流してやればよかったと後悔した。

今からでも遅くはない。

元気かと声を掛けるぐらいしてやっても、いいんじゃないのか……。

俺は携帯を手に取り、川出の携帯に電話を掛けてみた。

「もしもし、お久しぶりですー」

「元気でやってた?」

「うーん、そうでもないですねー」

「そうか…。そうそう、ミントちゃんだっけ?彼女とは仲良くやってる?」

「ああ、あいつですか。もうあの店辞めましたよ」

「そうなんだ。じゃあ、違う子指名してるの?」

「ええ、前に岩上さんと言った時、エリって子を指名してたじゃないですか」

「ああ、してたね」

「あの子を今、指名してますよ」

それはそうだよな。

三年通って貢いでも、出勤する日すら教えてくれない女を相手にしていても意味がない。

自分ではミントといい仲だと言っていた時期もあるが、ようやく間違いに気付いたのだろう。

彼なりに一歩先へ前進した訳だ。

「じゃあ、今度はその子とうまく行くといいね」

「はあ? 何でです?」

「何でって、その子を指名にしてるんでしょ?」

「ええ、それは『許可』が出ているからですよ」

「許可? 何それ?」

「つき合っているんですよ、僕たち」

「つき合っているって、誰と?」

「ですから、ミントとですよ」

彼の言っている事がいまいち理解できない。

三年間入れ込んだミントが店を辞め、付き合っていると言う。

だけど店に行き、別の子を指名しているという支離滅裂ぶり。

「ちょっと待って。今、川出君はミントって子とつき合っている訳でしょ?」

「ええ」

「で、何でキャバクラへ行って、エリって子を指名しなきゃいけないの? それっておかしくない?」

「ですから『許可』が出ていますんで」

「だから何、その許可って?」

「もちろんミントからの許可ですよ」

「あのさ、意味が全然分からないんだけど……」

頭が混乱しそうだった。

「彼女、少し精神的に弱いところありましてね。今、入院しているんですよ。それで寂しいだろうから、キャバクラ行っていいよと言う許可をもらっているんです」

「ちょっと待って。あのさ、二人の問題だから口を挟むつもりなかったけど、それってどう考えてもおかしいでしょ? キャバクラ行くぐらいなら、お見舞いに行ってあげなよ」

「彼女、自分の弱っている姿を僕に見られたくないみたいなんですよ。なので、入院先を教えてくれないんです」

「そ、そうなんだ……」

…という事は、初めてキャバクラに行って知り合ってから今まで、ずっと川出は騙され続けているのか……。

そんな彼に、俺は何て言葉を掛ければいいのだ?

そうだ。

話題を変えよう。

これ以上、この問題に俺は関わらないほうがいい。

「そういえば仕事は? あの青帽はどうなった?」

「ああ、それですか。まったくまいっちゃいますよ」

「何で?」

「荷物一個の運び賃を値切られそうで、一個運んで百二十円だったのが、九十円にするとか抜かしてんですよ。嫌になると思いません?」

「ま、まーね……」

「だいたいあそこは汚いんですよ。昨日だって……」

ヤバい。

また彼の愚痴りに火をつけてしまった。

俺は疲労感を覚え、いつタイミングを見計らって電話を切ろうか…、それしか頭になかった。

 


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