岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 202(七年ぶりにできた友編)

2025年01月13日 13時59分47秒 | 闇シリーズ

2025/01/13 mon

前回の章

 

インターネットカジノの新規顧客方法として、基本は利用規約にサインした会員からの紹介が基本となるが、過去の酷い例でいうと乞食ホスト大塚太一がそうである。

但しこれは俺が番頭の根間と話し合い、最低でも初回のINが五千円以上ないと、二千円分の紹介料は出せないと決められたから、無駄な経費の放出は避けられた。

それ以外にキャッチからの新規顧客紹介というものがある。

これも酷いケースでいえばアマツカソラが一番駄目な例だ。

これも初回の最低INは五千円からでないと、紹介料の三千円はキャッチへ払えない事になった。

当然の如くこれまでの入客数からすれば、一日辺りの数は減る。

しかし千円しか使わない客を大量に集めても、まるで意味が無いので、ようやくまともな店としてのスタートが切れた形だ。

だいたい千円しか持っていない奴が、こんな裏稼業である博打場へ来る事自体間違っている。

店長の猪狩ことガリンだけが、現状に対し不服そうだった。

コイツは半年間引き籠もりをしていたただのアイドルオタクが、たまたま根間の知り合いというアドバンテージだけで店長になった男。

『餓狼GARO』では本当に飾りでしかない。

店では俺を中心にどんどんいい方向へ変えていきたいという、みんなの意向が一つになる。

方向性が違うのが店長の猪狩と、早番責任者の山本だけという皮肉。

様々な試行錯誤を重ねて店は徐々に変化していく。

暇な時は店頭でティッシュ配りと、地道な営業もする。

その甲斐もあり、加藤明という胡散臭そうだがまずまず金を使ってくれる客を捕まえた事もあった。

キャッチから新規客を紹介したいと連絡が入り、松本次郎という俺よりも少し年上っぽい男を新規顧客で入れる。

松本次郎は俺の顔を見ると驚いた表情で「あれ? ワンオン系の店で働いていましたよね? 一番街のほうで」と声を掛けてきた。

おそらくゲーム屋『ワールドワン』時代の事を言っているのだろう。

もう十年近く前の話だ。

あの頃は不特定多数の客がわんさか入っていたので、俺も全部の顔を覚えている訳ではない。

松本次郎の顔はピンと来なかったが、話を合わせるようにして「お久しぶりです」と返しておく。

村上というスキンヘッドの太った男も、俺を見て松本次郎同様の態度をした。

彼は裏スロットの番頭を現在しているようで、常に財布の中には百万円単位の金を持ち歩いている。

ただ次郎にしても村上にしても、俺が覚えていないという事は『ワールドワン』時代はそう太い客ではなかったはずだ。

時間が経ち、それぞれの立ち位置を築き上げ、現在では俺が驚くほどの勝負をインターネットカジノでできるようになったのである。

それに引き換え俺は時間が経って、現在時間給千円ちょいで雇われ、日々を働いているだけ。

そう捉えると本当に落ちぶれたものだ。

 

オープン当初俺がティッシュ配りで引き入れた援助交際系女性客の双子のりさ、ゆか。

彼女らはみなみやかなみに比べると、まだ一万円前後の勝負をしてくれるので、若干マシだが今となっては別に来なくてもいい客。

ただゆかのほうには妙に懐かれており「ねえ、パパのところ泊まりに行きたい」と意味不明な事を言ってくる。

川越の実家から通っている俺にとって、こんな援助交際をしている女など一緒に連れて行ける訳がない。

道端に立ち、通行人と交渉してホテルへ。

身体を提供する代わりに金を得て、日々の生活をしている彼女たちはある意味逞しいが、やっぱり頭はスカスカのただの馬鹿だ。

利点は若い娘という点のみ。

「ねえ、私、パパが作ったオムライスが食べたい!」

「分かったから、いい加減俺をパパと呼ぶのはやめろ。周りから変な誤解受けるだろ」

「だってパパみたいなんだもん」

ゆかの過去などまったく知らないが、おそらく親への愛情というものに飢えている事だけは確かだろう。

こんな自分の身体を売ってまで、新宿歌舞伎町へいるのだ。

家では幼少期かなり辛い過去があるのかもしれない。

俺もこの街へ初めて来た時、何て泳ぎやすく居心地のいい水なんだろうと思った。

性別年代は違えども、彼女たちにとって歌舞伎町はとても居心地のいい街なのだ。

「岩上さん、ちょっといいですか」

キャッシャーにいる猪狩が俺を呼ぶ。

「何ですか?」

「あそこの七卓、八卓見てどう思います?」

ガリンが指したのは双子のりさ、ゆか。

二人揃うと隣同士でお喋りが凄く、確かに少し耳障りな部分はある。

「ちょっとうるさくはありますね」

「男性客だと強面でも岩上さんはちゃんと注意できて問題ありませんが、女性客に対して注意を…、今から彼女らに注意をしてきてもらえますか? ちゃんとできるかどうかのテストを兼ねて」

何がテストだ?

何様のつもりでいやがるんだ?

「んだテメー、この野郎!」

猪狩の言い方に対し、一瞬で怒りに火が付いた。

自分じゃ何もできないくせに、俺が女性客に対し厳しく注意できるかのテストだ?

「馬鹿にするのもいい加減にしろよ、おい!」

谷田川や渡辺が慌てて止めに入る。

「岩上さん、どうしたんですか?」

彼らのおかげで少しだけ冷静さを取り戻す。

猪狩は突然怒った俺を呆気にとられながら黙っているだけ。

どれだけ失礼な言い方をしたのか、自分でも分かっていないのだろう。

この発言でよく分かった。

俺は猪狩みたいな馬鹿が大嫌いなのだ。

業務上は店長で俺より立場は上かもしれない。

ただ尊敬できる事がまるで無いのだ。

面倒な事はすべて俺に押し付け、自分では何もやらない。

「裏稼業を舐めてんじゃねえぞ、おい」

俺はそれだけ言うと、厨房のほうへ行きタバコへ火をつけた。

ゆかがその様子を心配そうに眺めていたが、俺の方へ近付き「パパ、どうしたの?」と言ってくる。

「いやいや、何でもないよ。驚かせちゃってごめんね」

「パパが怒るところなんて初めて見たからビックリしたよー」

「もう大丈夫だって。今だって普通にゆかと話しているだろ?」

「うーん、そうだけど、あんまり怒っちゃ駄目だよ」

「分かってるよ、ごめんな」

店を良くしたいと思っているのに、俺自身が空気を悪くしてどうするんだ。

双子のゆかに救われた気分だ。

仕事終わり間際、猪狩もこのままではマズいと思ったのだろう。

俺のところへ来て「自分の言い方が少し悪かったのかもしれませんが、お互い店を良くしようと思っての事だと思うんですね。岩上さんには正直頼ってしまっている部分が多少なりともありますので、気を悪くさせてしまったなら謝ります。なのでこれからも共に頑張っていきましょう」と彼なりには頑張ってまともな事を言ってきた。

「俺もいきなり怒鳴ってしまい、すみませんでした。これからも店を良くする為に頑張りましょう」

そう返しておく。

帰り道、渡辺に誘われたので食事へ行き、猪狩と揉めた経緯を知りたがっていたので話す。

「猪狩さんって本当に少し足りないと言うか…、何て言ったらいいんですかね……」

渡辺は呆れた様子でタバコに火をつけた。

 

インターネットカジノ『餓狼GARO』の近隣では、他に二軒のインカジがあった。

このビルの向かいホストの『愛本店』の左角のビルにインカジの『エイト』。

通り沿いの逆側の角にインカジの『ポン』の二軒。

キャッチの紹介で、『ポン』の番頭をしている桜田という男が客で来た。

彼は初回のINで五十万円を入れる。

いい給料をさぞかしもらっているんだなと正直羨ましい。

何故か俺によく話し掛けてくるので、差し障りない程度の会話をする。

五十万が七十万くらいまで上がるとOUTをして帰った。

勝つ時は十万、二十万単位。

負ける時は五十万なので、中々いい客を拾ったと思う。

本人曰くギャンブルですぐ熱くなるから、少しでも上がったらそこで止めるようにしていると言っていた。

賭博はその人間の性格が見ているとよく出る。

なので桜田の打ち方に対し、何の不満も持たなかった。

猪狩だけは別で、桜田が三日続けて十数万勝ちで帰ろうとすると、キャッシャーにいながら「高額ガジリめ」と呟く。

帰ろうとしていた桜田の足が止まる。

ひょっとして猪狩の呟きが耳に聞こえたのかもしれない。

俺は慌てて駆け寄り「桜田さん、うち以外に他の店も打ちに行ったりしているんですか?」と違う話題を振り、出口まで付き添う。

本当に猪狩の馬鹿、洒落にならない事をするなよと内心冷や冷やしながら桜田を見送った。

ある日の夜中、酒が入った状態で桜田が店へ来る。

普段よりも酔っているせいか饒舌で、常に俺へ話し掛けながらバカラをプレイしていた。

「桜田さん、もっとゲームに集中しないとクレジット減っちゃいますよ」

「いいのいいの、俺はね…。岩上さんの顔を見に来てんだからさ」

気分良く話す桜田。

すると猪狩がキャッシャーから出てきて、突然桜田へ「他の客もいるのでもう少し静かに打ってもらえますか」と注意し出す。

目つきの鋭くなる桜田。

咄嗟に俺は関係ない話題を振り、慌てて場を誤魔化した。

そんな俺を気遣ってくれたのか、また彼はバカラを始めながら話を振ってくる。

すると十分ほどしてまた猪狩が桜田を「他の客がいるんで…」と注意しに来た。

突然立ち上がった彼は「テメーは俺を馬鹿にしているのか!」といきなり猪狩の顔面をビンタした。

この時店内には二名の客がいる。

あー、殴っちゃったよ……。

慌てて桜田を羽交い絞めにして止める。

「桜田さん、洒落にならないですよ。殴っちゃ駄目でしょ!」

「離せ! この野郎…、いつも人を馬鹿にしたような感じで見やがってよー」

また猪狩の顔面をビンタする桜田。

「桜田さん!」

俺は掴み掛ろうとした彼を強引に引き離す。

「渡辺はキャッシャーへ入って。谷田川、水持って来て! 早く!」

俺は従業員へ指示を飛ばす。

猪狩は顔を手で押さえ、黙ったまま泣きそうな顔で立ち尽くしている。

谷田川から水を受け取った。

「ほら、桜田さん。とりあえず水飲んで落ち着いて!」

一連の騒ぎに残っていた二人の客は、迷惑そうな表情をしながら「うるさいなあ」と呟く。

まだ怒りが収まらない様子の桜田。

俺は非礼を詫び、二人の客には丁重に話して帰ってもらう事にした。

入口まで見送り、何度も「大変申し訳ございません」と頭を下げる。

その時、桜田の怒声が響く。

「テメーは本当によー! 舐めてんのかって聞いてんだよ!」

飲んでいた水を猪狩の顔面に投げたのを見て「渡辺! お客さんの見送り頼む」と言い、すぐ桜田のところへ駆けつけた。

びしょ濡れの猪狩の顔面を交互にビンタする桜田を背後から組み付き、強引に離す。

猪狩は殴られながら、厨房のほうまで無抵抗のまま後退しているだけ。

「谷田川!」

「はい!」

「根間さんに電話しろ」

「え……」

俺は暴れる桜田を押さえつけているので、この場から動けない。

「早く電話掛けろ、根間さんに!」

「わ、分かりました!」

こんな非常時な時、伊達が休みなのが痛かった。

渡辺が客を見送り、ホームへ戻ってくる。

「渡辺は猪狩の様子見てやって」

「分かりました!」

「おい、離せよ! 岩上さん、離せ! まだあいつ殴り足りねえんだよ!」

「桜田さん! 落ち着けって!」

彼がどれだけ藻掻こうと、俺との力の差は歴然としていた。

まったく動けないようにするぐらいの事はまだできる。

店が滅茶苦茶な状態のまま時間だけが過ぎた。

十五分ほどして番頭の根間が血相を変えて店に飛び込んでくる。

「ちょっとあなたねー…、店の従業員に暴力を振るって……」

「はあ、俺は暴力なんて振ってねえぞ?」

惚ける桜田。

「なあ、岩上さん。俺はコイツに暴力なんて振るっていないよな?」

「桜田さん…、申し訳ないけど、さすがにそれは通りませんよ……」

「お客さん…、店出て外で話をしましょう」

根間は桜田を促し、店から出て行く。

まだ収まりつかないのか「おい、うちとやるつもりか? ケツモチ呼んで、全面戦争かよ」と何度も怒鳴っている。

ここは根間に任せたほうがいいだろう。

猪狩は椅子に座り込み、黙ったままずっと下を俯いている。

本当に情けない奴だったんだなと少し哀れに思う。

これまでの人生で喧嘩も何もして来なかったのだろう。

暴力に対して抵抗する術が何も無さ過ぎる。

ここまで従業員の前で、こんな無様な体たらくを晒したのだ。

「猪狩さん…、大丈夫すか?」

俺が声を掛けるも、猪狩は黙ったままずっと下を向いたまま。

合わせる顔が無いのだろう。

時刻は朝の七時半になる。

もうじき早番が出勤してくる時間だ。

俺は猪狩を放っておき、キャッシャーへ行って本日の〆作業を開始した。

 

漫画『あしたのジョー』の最終回。

ホセメンドーサに判定で敗れた矢吹丈は、真っ白な灰になったと最後リングコーナーで椅子に座ったまま終了する。

猪狩の様子はそんな『あしたのジョー』を彷彿させるような感じの座り方だった。

しかし決定的に違う点は一つ。

猪狩は燃え尽きるも何も、何もせずただ黙って無抵抗のまま殴られ続けただけなのだ。

「燃え尽きたよ…」でなく「やられちまったよ…」と、そんな事を思っているのだろうか。

まあ何でもいい。

コイツが何もできないボンクラだという事だけは、本当に理解できた。

七時四十二分。

入口のインターホンが鳴る。

江尻と川上の出勤。

下にいる根間から状況を聞いたのだろう。

猪狩の元へ駆け付け「猪狩さん! 大丈夫ですか?」と声を掛ける。

無駄だよ。

俺たちがいくら話し掛けても無反応なんだから。

そう思った瞬間だった。

猪狩は何事もなかったように、スクッと立ち上がる。

「まあ、蹴りは全部防いだから」

そう言ってキャッシャーのほうへ歩いていく。

「……」

俺も谷田川も渡辺も、開いた口が塞がらなかった。

何、今の「蹴りは全部防いだ」とかは?

桜田は何度もビンタをして、水を顔に掛けただけ。

蹴りなんて一度もしていないし、俺が身体を張って引き離してからは何一つ触れさせていない。

猪狩はボンクラどころか、ヤバい奴だという事も分かった。

あとで聞いた話によると、酔って勢いに乗る桜田は『ポン』のケツモチから電話が掛かってきた瞬間青褪め、道端でその場で土下座して謝罪したようだ。

ムカついたからといって一方的に手を出したのだ。

全面戦争だとか粋がってはいたが、ヤクザに脅されたら平謝りするしかなかったらしい。

桜田は当然の事ながら出入禁止処分。

翌日猪狩は何も言わず、無断欠勤した。

この仕事が嫌になって辞めるなら、それはそれでいいと思った。

出勤した伊達は谷田川から話を聞き、何故そんな面白い日に休んでしまったのだろうかとしきりに後悔したようだ。

前の店『ボヤッキー』の店長である吉田から店に電話が入る。

「あ、岩上君、久しぶり。話聞いたけどさ、ちょっと酷くない?」

「え、何の話ですか?」

「ほら、『ポン』の番頭が暴れたんでしょ?」

「ああ、昨日の件ですね」

「根間に、あそこは岩上いるから大丈夫でしょと言ったらさ」

「ええ」

「猪狩が殴られ続けていたのに、岩上君はキャッシャーで座って見ていただけって話を聞いたからさ」

「はあ? 何ですか、それ?」

俺はあれだけ身体を張って、猪狩を暴力から守ってやった。

一連の騒動の証人は谷田川にしても渡辺にしても一部始終を見ている。

何で俺が何もしないで、キャッシャーに座っていた事になるのだ?

猪狩が湾曲して自分自身を格好つける為、根間にそう説明したとしか思えない。

「まあ、蹴りは全部防いだから」

あの時、何事も無いように立ち上がった猪狩。

俺に一度も「すみません」や「ありがとうございます」も無かった。

俺はキャッシャーの裏に行き、猪狩の好きな『AKB48』のポスターを手当たり次第ビリビリに破いて捨てた。

人が大人しくしてりゃあ、ふざけやがって……。

 

無断欠勤の翌日、俺は西武新宿線特急小江戸号で新宿に来るので、出勤時間は基本業務開始三十分前には出勤する形になる。

店に入ると満席で、鐘ヶ江は必死にフライパンを振り、江尻と川上はホール内を一生懸命動き回る。

責任者の山本がキャッシャーから指示を出す。

「おはようございます」

俺はすぐ着替えを済ませ、一番大変そうな厨房へ入り、鐘ヶ江のヘルプに回る。

「鐘ヶ江さん、あと何かする事は?」

「フランクフルト三本、ホットサンド四つ、あとホットコーヒーブラック一つ、有り有り一つ」

カウンターテーブルの上にたくさんの注文を書いた紙が並んでいる。

「了解。手分けしてやりましょう」

給料も出ない時間なのに、俺は仕事を手伝う。

「川上、これ四卓さんへ」

「江尻、これとこれは十三卓さんへ」

出来上がったものを彼らに渡しながら、どんどん作り指示を飛ばす。

それでも次から次へと食事やドリンクの注文は並んでくる。

食い放題なんて、本当やめればいいものを……。

「岩上さん、あと炒飯二つ。それとホットサンド」

キャッシャーにいる山本が、俺を当たり前のように使う。

一言くらい「時間前なのにすみません」くらい言えないのかよ、コイツ。

「岩上さん、コーラ、リアルゴールド、バナナジュース」

バンバン入る注文。

山本は注文だけ言うと、若い女の客席へ向かい、楽しそうに鼻の下を伸ばして話をしている。

「山本さん! 十二卓様、マイクロ五十ドル。山本さん! IN!」

川上の怒鳴り声が聞こえた。

キャッシャーを離れて何をしてんだ、あの馬鹿。

夜の八時十五分前になり、渡辺、谷田川と出勤。

伊達はいつもギリギリの二分前に出勤。

時間になっても猪狩は来なかった。

あいつ、ビビッて辞めたのか?

「山本さん、キャッシャー代わります。猪狩さん、来ないけど何か聞いてます?」

「二時間くらい遅れてくるらしいですよ」

辞めたんじゃなく無断欠勤の次は遅刻かよ……。

「……。引継ぎは?」

「特に無いです。じゃあ代わりますね」

山本はそう言ってすぐ五卓と六卓にいるみなみとかなみの席へ行き、またダラダラくっちゃべっている。

本当にコイツもどうしょうもない奴だ。

「江尻、川上、鐘ヶ江さん、お疲れ様です。あとは遅番で引継ぎますよ」

「お疲れ様です」

「谷田川は厨房、伊達さんと渡辺はホールをお願い」

こうして『餓狼GARO』は今日も無駄に忙しい。

 

夜十二時近くになって猪狩がやっと出勤してきた。

遅番は俺も含め、あまりの忙しさにヘトヘト状態。

「岩上さん、キャッシャー代わりますよ」

無断欠勤の事も、遅刻の事も一切謝らず、普通にしれっとキャッシャーの椅子へ腰掛けるガリン。

疲れているので文句を言う気にもならない。

キャッチの真野から連絡が入り、三名の新規を連れて来るようだ。

そういえば『ポン』の桜田の一件でも文句があった。

隙を見て猪狩に話し掛けようとするも、ホール内が忙し過ぎて話す暇さえ無い。

ルパン三世のような長い揉み上げをした真野は女性客三名を連れて来る。

ゆのゆの、池田由香、佐藤あみと利用規約書にサインをさせ、ゲームをプレイさせる。

援助交際の女共とは違う雰囲気の三人組。

気さくなゆのゆのはキャバクラで働いているらしい。

池田由香と佐藤あみは現役の看護婦。

ビルの目の前のホストクラブ『愛本店』の湊が来店する。

以前大量にティッシュをあげたのが功を奏したのだろう。

「岩上さん、うちの店には来た事内緒っすよ」

「大丈夫ですよ、湊さん。安心して下さい」

「じゃあ、マイクロ十万で」

「はい、一卓様マイクロ千ドル。一卓様マイクロ千ドルお願いします」

キャッチの真野は、紹介料九千円を渡したのに帰らず、ゆのゆのたちの傍で折り畳み椅子を出して座って話している。

用件が終わってんだから、とっとと帰れよな……。

「あ、岩上さん。自分のコーラもらっていいですか。あとキャッチの真野さんがオムライス食べたいって。彼女たち三人はホットサンドとフランクフルトをお願いします」

そこへ早番の山本がまたゆのゆのたちに話し掛け、忙しさは倍増する。

邪魔だから、早く本当に帰れ。

何度心の中で叫んだか分からない。

正に混沌。

谷田川と伊達は、厨房で料理を次々作る。

俺と渡辺は、ホールで客の対応に追われる。

地獄のような忙しさ。

加藤明が入店。

「これ入れてくれ。俺は冷たいお茶と焼きそばくれ」

「はい、十卓様マイクロ七百ドル。十卓様マイクロ七百ドルお願いします」

メモ用紙に『十卓加藤、焼きそば、冷茶』と書き、カウンターテーブルへ置く。

一人帰ると間髪入れず、また誰かしら入ってくる。

湊が帰ると今度はパンチが入ってきた。

「はい、一卓様ブルーフラミンゴ十ドル。一卓様ブルーフラミンゴ十ドル」

「それと…、バナナジュースとオレンジジュース。あとね…、焼きそばと炒飯もらうわ」

「はい…、畏まりました」

俺は紙に『一卓パンチ、パンチセットとバナナ、オレンジ』と書く。

チラッと見ると、谷田川が紙を見て吹き出していた。

このような忙しさが、客が引くまで延々と続く。

夜中の三時を過ぎて、山本がやっと帰る。

どうせ、また遅刻してくるんだろうな。

徐々に客が帰っていく。

朝方になり、ようやくゼロになった。

「岩上さん、キャッシャー代わって下さい」

コイツ、落ち着いても今日の遅刻や昨日の無断欠勤、そして桜田の事について何も言う事がないのか……。

こんな奴、あの時殴られているのを止めなければよかった。

「あ、猪狩さん」

「何でしょう?」

「早番の山本さん…、遅番と交代の時間のあと、いつも店に残ってみなみやかなみとかとダラダラ話して帰ろうとしないじゃないですか」

「自分で言えばいいじゃないですか」

「だから…、一応山本さん責任者だし、俺の立ち位置で言うと難しい部分あるじゃないですか。店長の猪狩さんが言うなら受け取り方も違ってくるだろうし」

「まあ本人がいたいなら、別にそう目くじら立てなくてもいいんじゃないですか」

「早番で遅刻が多いから言ってんですよ」

「まあ、それはそうですね」

「あと俺っていつも出勤時間早く来るじゃないですか。忙しけりゃ善意で手伝いますけど、それを当たり前のように山本さんは俺を使うんで、その辺うまく猪狩さんから言っといてもらえないですかね」

「それなら手伝わなきゃいいじゃないですか」

「……」

予想外の返答。

「早く来て手伝うのが善意というなら、文句は出ないはずですよね? 文句を言うくらいなら、始めから手伝わなければいいだけだと思うんで」

「……」

本当にコイツはイライラする。

店の為に良かれと思って行動している事をこのようにしか受け取れないのか。

「あーっ!」

猪狩はキャッシャー裏に行くと、突然大声を出した。

「俺のあっちゃん、どこ行ったんだよー!」

大方俺が破いた『AKB48』のポスターにようやく気付いたのか。

しかしアイドルのポスターで、こうまで錯乱するとは……。

「誰がこれやったの? 伊達さん?」

「俺ですよ」

もういいか、この店は……。

「何で岩上さんがこんな事を……」

「あんたさ…、ほんといい加減にしなよ」

「な、何がですか……」

「桜田の一件にしてもそう…。猪狩さん、俺あんたが殴られている時、キャッシャーに座って何もしなかったの?」

「……」

「昨日の無断欠勤にしても、今日の遅刻にしてもそう。店長でしょ?」

「た、高島には許可を取ってあるから……」

「だから! そういう事言ってんじゃなくてね? 何で根間さんに許可取ったから無断欠勤なんですか? 現場は誰が動かしているんですか? 休むなら一言あったっていいでしょ?」

「……」

「今日はもう帰ります」

「岩上さん!」

「本当に色々疲れた」

二千十一年十月三十一日、今日いっぱいで今の仕事を辞める事に決めた。

理由挙げたらキリがないけれど、強いて言うなら自分らしくいる為に。

さて…、俺がいなくなったらどうするんだろね、お店。

まあ、いなくなるんだから気にしてもしょうがないか。

 

「岩上さんに辞められたら……」

渡辺が心配そうな顔で聞いてくる。

猪狩は店の外へ出た。

おそらく根間に連絡をしているのだろう。

猪狩がいなくなったので、伊達や谷田川たちと本音トークをする。

「もう本当に限界。猪狩の下で、これ以上仕事をしたくない」

「あれは無いですよねー。ボンクラ過ぎますよ、猪狩さんは」

「岩上さんいなくなったら、この店ヤバいですって」

「だって俺が何をしても、手柄だけは猪狩でしょ? もうこれ以上は嫌だ」

「まあ、気持ちは本当分かりますけど……」

「まあとりあえず別の店でも探すよ。それじゃ……」

帰ろうとすると番頭の根間から電話が掛かってくる。

喫茶店『クール』に呼び出され、話し合いを行う事になった。

新たな気分で、次どうしようかって思っていたんだけどなあ……。

何故俺が辞めると決めたのか、その原因を聞きたがる根間。

どうせ終わりだし、すべて状況を話す事に決めた。

「猪狩の無断欠勤は、無断ではなく私があんな事あったから、休んでいいって伝えたんですね」

「それについては分かりました。ただあれだけ忙しい店なのに、こっちに一言もなく休むって、常識的に見て考えられないんですよ。今日だって遅刻してきてまったく悪びれず澄ましていましたし」

「遅刻についてもすみません。ほんと私が遅れて出勤していいと言っていたんですね。岩上さんたちに報告が無かったのは、自分の配慮の仕方が足りなかったんです」

猪狩を庇う根間。

「前にも根間さんへ店の方針で相談した事ありますけど、猪狩に山本…、あの二人があの店のトップである限り、ちょっと無理だなと思いました」

根間は俺に対し非礼を詫び、できれば残ってほしいと説得される。

「確かに猪狩は頼りないんですが、インカジのように金が飛び交う世界で金を預けられる信用だけはあるんですよ。まあ元々知り合いというのもあるんですが、岩上さん…、今一度思い直してもらえないですか? それとこれ…、少ないですけど取っといて下さい」

根間はそう言って五万円を出してきた。

「いやいや、根間さん。やめて下さいよ。そんなつもりで話をしてるんじゃないですから」

「とりあえず今すぐ辞めるでなく、猪狩には私からもちゃんと指導します。一か月間仕事して、それでその時にまた気持ちを聞かせてもらえないでしょうか?」

「確かに今すぐ辞めるって、自分も大人気なかったでした…。とりあえず一ヶ月間働かせて頂きます。ただ、人間ってそう変わらないと思うんですけどね……」

「とりあえず一ヶ月は残ってもらえるんですね。また話す機会設けますので、その時に岩上さんの気持ちを聞かせて下さい」

こんな形で話し合いは終わる。

伊達や渡辺とも楽しく仕事はできていたので、いきなり辞めて後味悪いよりは、このほうがいい。

今回の騒動で『餓狼GARO』が、少しでもいい方向へ行くといいが……。

さて、残り一ヶ月……、頑張るとしますか。

 

休みを週に二回は取るようにした。

金銭的に余裕がある訳ではないが、あの店に必要以上一生懸命やるから苛立ちを覚えるのだ。

息抜きは誰にでも必要。

川越の街を歩く。

歌舞伎町へ復帰してから仕事仕事で来たから、こんな風にゆっくり時間を過ごすのも悪くない。

クレアモールを歩いていると、先輩の神田さんが店長をするゲームセンターのモナコがある。

「神田さん、お久しぶりです」

「やあ智ちゃん、久しぶり。しばらく顔見なかったけど」

俺はまた裏稼業へ復帰した事を伝える。

俺の良き理解者でもある神田さんは「今度食事しながらゆっくり話を聞くよ」と言ってくれた。

せっかく寄ったのでUFOキャッチャーをやる。

がま口の景品を選ぶ。

神田さんに映像を撮ってもらうようお願いして、デジタルカメラを渡す。

上手い具合に一つ取れる。

もう一度やろう。

次は二つ当時に取れた。

他の客が神田さんを呼びに来たので、ゲームセンターをあとにする。

新宿だけに拘るから、俺は息が詰まるのだろう。

もっとこのように地元でも仲のいい人間と触れ合い、心にゆとりを持たせないと。

そういえば岡部さんはどうしただろうか。

居酒屋の『とよき』は立ち退きにあい、別の仕事をすると言っていたが。

今度休みの時にでも連絡を取ってみよう。

坊主さんともしばらく会っていない。

俺が仕事に集中し過ぎているのだ。

坊主さんにも裕子さんにも連絡をしてみるか。

現在の俺は『餓狼GARO』で責任者でもなければ店長でもない。

もっと力を抜いて流しながらやればいい。

帰り道、オーナー田辺の天下鶏へ入る。

「あ、智さん、いらっしゃい! また整体やって下さいよー。腰がガクガクですよー」

ほんと岩上整体をまだやっていたらなあ……。

俺はウイスキーを注文し、タバコに火をつけた。

 

キャッチ真野紹介で、新規客のなーゆ来店。

ブルーフラミンゴのポーカーを好む、珍しい女性客だ。

フィーバーパックのやり方を教えると、彼女はたちまちハマり、一日二十万円は使うようになる。

みなみ、かなみ、双子のりさ、ゆかは、相変わらず定期的にやってきた。

遅番と交代しても、相変わらず山本は彼女たちの席へ行き、ダラダラ話している。

「猪狩さん……」

俺が顎で山本の方向を促すと、猪狩は仕方なく歩いていく。

山本へ注意をしたようで、外聞悪そうに帰っていった。

少しずつ店の改善。

駄目なところはどんどん直していかないといけない。

番頭の根間にかなり怒られたのか、猪狩は暗い表情で仕事をしている。

キャッチ紹介で新規の田村恵理子と大場めぐみ、そして林愛の女性客三名が来店。

三人共胸が大きい。

ついつい視線が向く。

それにしても本当に女性客の比率が大きな店である。

「ドリンクのほうはどう致しますか?」

「うーん、烏龍茶」

「私はコーラ」

「うー…、うー、梅…、梅昆布……」

何だこの林愛って女。

梅昆布茶をちゃんと発音できないぞ。

林と書いているが、絶対『りん』という中国人だろう。

田村恵理子は初回IN一万円。

あとの二人は五千円ずつ。

これでキャッチの真野は、九千円の紹介料をもらえる。

「椅子をもらえますか?」

また真野は女性客の傍へ腰掛け「すみません、コーラとオムライスもらえますか」と言ってきた。

図々しいというか、何を考えてんだ、コイツ。

俺はキャッシャーにいる猪狩のところへ行き「真野、何とか考えたほうがいいですね」と小声で囁く。

「うーん、でも彼は新規客を結構連れてきてくれますし……」

確かにルパン三世のような揉み上げをしながら真野は、ゆのゆのやパンチ、今回の田村恵理子などを連れては来ている。

「それは分かりますけど、店に居座って飯まで食べてくって、ちょっと違くないですか? ちゃんと紹介料払ってんですから」

「まあ、そうですね……」

「言い辛かったら俺が、それとなくソフトに注意してきますよ」

「まあ次やったらでいいと思いますよ」

必要以上に店の事を考えなくてもいいか……。

ここは猪狩が店長の店なのだ。

猪狩以外の面子とは相性がいい。

楽しく働き、金を稼げばいいよな。

自分で納得できるラインを引く。

なるべく温和に過ごすようにしないと。

 

猪狩が休み、名義社長の青柳が現場へ出る。

彼に貸した五万円は、まだ二万円しか返ってきていない。

「青柳さん、今日でいくら返せるんですか?」

「あ、ちょっと今日は別の用途があって、次の出勤で五千円を返しますから」

「はあ? 何を言ってんですか? 俺、今月いっぱいでここ辞める予定なんですよ? 全然話が違うじゃないですか、毎度毎度」

こんな奴を川越祭りで接待したのが本当に阿呆らしい。

月に入る三十万の名義料を何に使っているんだか。

「いや、まあそうなんですけど……」

「根間さんに報告して、金の件何とかしてもらいます」

「ちょっと待って下さいよ!」

「じゃあ今日の日払いから、五千円でもいいから金をちゃんと返して下さい」

「分かりました。分かりましたから、根間さんには言わないで下さいよ」

「金をちゃんと返してくれれば、いちいち言わないですよ」

その時八卓に座っていた客のマイケルが海老が後ろへ飛ぶような感じで、椅子ごと下がってきた。

「あー、駄目だ、駄目だー! バンカー! バンカー! あーっ!」

頭を両手で抱えながら、マイケルはテーブルにガンガン打ち付ける。

周りの客も驚いてマイケルを見ていた。

「俺が二十万も張ったから、絶対サイト側がプレイヤーになるよう操作したんだー!」

「マイケルさん! 他にもお客さんいるので、もう少し静かにやってもらえませんか」

「だって六十万負けですよ、これで!」

「気持ちは分かりますよ。でも、マイケルさんだけじゃないですね、店の中は」

感情の起伏の激しいマイケルは、基本負けていくのでいい客ではあるが、とてもウザい。

タバコを吸いに厨房のほうへ向かう。

「あのー、岩上さん……」

アイスコーヒーを入れ、飲んでいると伊達が話し掛けてきた。

「ん、どうしたんですか?」

「ちょっとですねー、知り合いから頼まれちゃって……」

「頼まれる? 何をです?」

「裏スロの店なんですけど、恩義ある人からなんで、この店を辞めなきゃいけなくなってしまって」

「え、伊達さん、辞めちゃうの?」

「岩上さんとはいい感じでやってこれたから、残念なんですけど……」

「いつぐらいに?」

「できればすぐが理想なんですけど、さすがにそれはアレなんで、早ければ早いほど助かるんですが……」

「うーん、分かりました。俺から猪狩へ伝えておきますよ。なるべく早めに辞めたいという事情も」

「すみません、岩上さん」

彼とは仲良くやってこれたので、俺も残念ではあった。

皮肉な事に辞めようとした俺が残り、伊達が去る。

あと何日一緒に働けるかは分からないが、それまで気持ちよく行こう。

 

二千十一年十一月十五日。

従業員の伊達が辞める事が決定した。

新宿へ復帰してからを振り返る。

俺は歌舞伎町へまた戻った。

その空白の時間は七年にもなっていた。

久しぶりに見た新宿の眠らない街は、以前とかなり変わって見えた。

空気が…、人が…、様々なものが違って見えた。

時代の流れというものを感じる。

だが俺は自身の居場所をまたこの街に決めたのだ。

歌舞伎町に復帰して一ヶ月ほど経ち、新しい店を立ち上げるから行ってほしいと番頭の根間に頼まれた。

俺は喜んで引き受ける。

新しい流れは、無限のチャンスを生むからだ。

試行錯誤しながらオープンまでの準備をし、自身のスキルで使えるものは惜しみなく発揮した。

開店まで漕ぎ着けた時、周りには新しい従業員が三名いた。

内、その二人はもうとっくいない。

飯浜は辞めて、鐘ヶ江は早番へ行った。

最後に残った一人、伊達とは、性格や趣味などまるで違うが、何故か相性が合うのを感じた。

仕事をしていて楽しい…、そう感じるのは彼と共に和気藹々と仕事をしているからだろう。

そんな伊達も、他のところから声を掛けられ、昨日でうちの店は最後になった。

俺は伊達を仕事後、飲みに誘い、お互いの思った事や感じた事、何でも話し合った。

「自分があの店で、こうやって付き合おうって思えるのって、岩上さんぐらいですよ」

最後に伊達はそんな台詞を俺に言った。

素直に嬉しかったし、またそんな彼ともう一緒に仕事ができないのかと思うと一抹の寂しさもあった。

俺にしては珍しく、新しい友ができたのだなと実感する。

また違う形ではあろうけど、伊達とは何かしらの繋がりを持ち、俺をそれは大事にしていきたいと思う。

三ヶ月間、本当にお疲れ様でした。

 

 


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