出雲市議会保守系自民党会派では議員定数削減をどう考えるかの検討が始まりました
「行財政改革検討会議」でのテーマとして議論が始まりました.全国的に見て行財政改革の一環として、議員定数削減が議論されている事に対しは、議員として少し疑問を持っています。
以前、国において政治改革が議論された結果、政治改革=選挙制度改革となってしまいました。
「選挙制度を語らざる国会議員は知性と教養のない議員」だと言わんばかりに小選挙区制を導入、この制度の導入によって本当に政治改革が進んだのでしょうか疑問です。むしろ多くの民意が取り残される結果となったのではないかと感じています。どうしてこのように自分の首を絞める結果を生む結論しか導けないのでしょうか。
極論ですが当時、お金のかからない選挙を目指すのなら議員定数を倍にすればいいと言う新聞記事を見かけた気がします。それは端的に言えば、有権者に対する議員のサービス合戦がなくなるからとの理由なのです。疑問は残りますが、それほど適正な議員定数をどう考え定めるかには決定的な根拠は存在しないのです。
現在、議員定数に対し削減を求められている裏には、議員が与えられた職責を十分に果していないのではないか、など多くの議会に対する不信感が存在するからに他ならないからであります。「そのような議員は一人でも多く削減」となるのは当然かもしれません、事実現在の議会のままではその信頼は十分に得られないとも言えるかも知れません。
しかし今議会がそのままの論拠から議員定数削減を論ずれば、その議論自体、論ずる議員自身の存在意義のなさを認める事になるのです。むしろ議員の役割を今こそ議論し、議会の透明性や議員として持たなくてはならない必要不可欠な理念など基礎的諸条件を高めていく事こそ大事な議論であるはずなのです。
さらに多様化する民意を受け止めて行くのに必要な議員定数をどう考えていくのかを、単に財政事情だけで結論を導くことはかなり危険であり、議会制民主主義を根底から否定する事にもなるのです。期待をされる議員であれば、一人でも多く議員を増やしてほしいと求められる事にあるいはなるかも知れませんね。
「行財政改革検討会議」でのテーマとして議論が始まりました.全国的に見て行財政改革の一環として、議員定数削減が議論されている事に対しは、議員として少し疑問を持っています。
以前、国において政治改革が議論された結果、政治改革=選挙制度改革となってしまいました。
「選挙制度を語らざる国会議員は知性と教養のない議員」だと言わんばかりに小選挙区制を導入、この制度の導入によって本当に政治改革が進んだのでしょうか疑問です。むしろ多くの民意が取り残される結果となったのではないかと感じています。どうしてこのように自分の首を絞める結果を生む結論しか導けないのでしょうか。
極論ですが当時、お金のかからない選挙を目指すのなら議員定数を倍にすればいいと言う新聞記事を見かけた気がします。それは端的に言えば、有権者に対する議員のサービス合戦がなくなるからとの理由なのです。疑問は残りますが、それほど適正な議員定数をどう考え定めるかには決定的な根拠は存在しないのです。
現在、議員定数に対し削減を求められている裏には、議員が与えられた職責を十分に果していないのではないか、など多くの議会に対する不信感が存在するからに他ならないからであります。「そのような議員は一人でも多く削減」となるのは当然かもしれません、事実現在の議会のままではその信頼は十分に得られないとも言えるかも知れません。
しかし今議会がそのままの論拠から議員定数削減を論ずれば、その議論自体、論ずる議員自身の存在意義のなさを認める事になるのです。むしろ議員の役割を今こそ議論し、議会の透明性や議員として持たなくてはならない必要不可欠な理念など基礎的諸条件を高めていく事こそ大事な議論であるはずなのです。
さらに多様化する民意を受け止めて行くのに必要な議員定数をどう考えていくのかを、単に財政事情だけで結論を導くことはかなり危険であり、議会制民主主義を根底から否定する事にもなるのです。期待をされる議員であれば、一人でも多く議員を増やしてほしいと求められる事にあるいはなるかも知れませんね。