かつて、日曜日の夜はいつも悲しかった。
小学生の頃は、6時頃、そう「いなかっぺ大将」や「ハクション大魔王」をやっていた時間くらいから、だんだん悲しくなっていった。その後の時間帯にあった、「サザエさん」や「柔道一直線」や「サインはV」「アテンションプリーズ」「恋のイニシャルSH」などを見る頃にはもう泣き出しそうになっていた。
中学の頃は、「笑点」のある時間帯から悲しくなっていった。「おれは男だ!」や「飛び出せ青春」の時間帯には落ち込んでいた。
高校の頃は、「ヤングおー!おー!」の時間帯にすでに落ち込んでいた。
何でそんなに悲しんだかといえば、翌日学校に行かなければならないからだ。そこには、「まだ宿題をやってない!」という非常に大きな問題が含まれていた。
ぼくは別に学校に行くことは嫌いではなかった。勉強が大嫌いだったのだ。その大嫌いな勉強を、「何も家にまで持って帰らせなくてもいいじゃないか」と、ぼくはいつも思っていた。さらに土曜日には、「先生は意地悪だ。わざわざ土曜日に、こんなにたくさんの宿題を出しやがって」と思っていた。
小学校の宿題で一番嫌いだったのは、漢字の書き取りだった。
「何で、一つの文字を20回も30回も書かなければならんのか。必要な文字なら自然に覚えるやないか。くだらんことさせやがって」
ブツブツとこんなグチを言いながらやったものである。後年この主張は、姓名判断で自然に漢字を覚えたことで証明された。
算数の小数点の計算(特に筆算)も嫌いだった。
「生きていく上で、小数点というのが何の役に立つというんか。九九だけで十分やないか」
と思ったものである。しかし、この主張は、消費税によってはかなくも砕け散ることになる。
夕方になると母が仕事から帰ってくる。
「お帰り」「ただいま」の後、必ず口から出る言葉は「宿題は終わった?」だった。
小学校低学年の頃は真面目に、「終わった」と答えた。しかし高学年になるとだんだんずるくなり、「あと半分」と答えていた。実は何もやってなかった。それがばれて、いつもテレビを見せてもらえなかった。
中学になると諦めたのか、何も訊いてこなくなった。その頃から、気にはかけながらも、ぼくはあまり宿題をしなくなった。当然のことながら、予習や復習はいっさいやらなかった。
高校に入ると、さほど宿題は出なかった。しかし、英語のリーダーや国語の古典のある日は要注意だった。先生が「今日は17日だから、出席番号17番訳してみ」とやる。これはある意味、宿題よりひどかった。当たる日がわかっているのだから、予習を何もやってないと始末が悪い。
しかし、ぼくは予習はやらなかった。リーダーなどの時間の前に、教科書ガイドを丸写しにしていたのである。これでよく難を逃れたが、抜き打ちで指されると、もうどうしようもなかった。こうなったら開き直るしかない。原文を読むだけ読んで、あとは「わかりません」と言って座っていた。そのことで先生から文句を言われたり、叩かれたりしたが、いつも知らん顔を決め込んでいた。
「宿題がなかったら、学生時代はどれだけ楽しかっただろう」
と、今でも時々思うことがある。
だけど、
「もし宿題がなかったら、消費税の計算が出来なかっただろう」
それを考えると、宿題に感謝しないとね。
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