ここは江戸時代に作られた上久保の一里塚である。
<近くには次の様に記された説明文がある。>
一里塚は、慶長9年(1604)から17年(1612)にかけて、一里(約4km)ごとに築造されたものである。一里塚の基準は、五間四方(約9m)、高さ一丈(約3m)で、塚上に榎や松を植えた。街道の両側に対に築造され、旅人に安息と利便を与えた。
南木曾町内には、十二兼・金知屋・上久保・下り谷の4ヶ所に一里塚があったが、現在原型をとどめているのはここだけである。江戸から数えて七十八里目の塚である。
近くの猫さんが管理しているらしく、にゃんと撮影しなさいと言ってる様でした。