お盆の蛍
2005年08月19日 | 雑

蛍に関する思い出を人はそれぞれ持っていると思います。
愛媛の松山で居たときに、南伊予をドライブして松山市内へ帰る途中、
ふと目にしたのが「中山町ホタル祭り」という様な看板でした。
この中山町は今は合併して伊予市となっているようですが、
町おこしのために地元の人達がご苦労を重ねて蛍を飼育し、
自然環境の保護にも努めながら蛍の数を増やして、この様な祭りが出来る事になったと言うことです。
まだ、夕方で陽も明るく蛍のイメージもあまり湧かなかったですが、
少し待って蛍を見てみようと漠然と思い、
学校の運動場に屋台の店が出てたので、ウロウロと買い食いしながら待っていました。
蛍を見るには、その運動場から田んぼの横を通り少し行った川の周辺だということでした。
まだ少し明るかったですが、ぼちぼちと歩きながら橋のところまで来ました。
橋の上から川の岸辺を見ていますと、ポツリポツリとかすかに光が点滅しているようでした。
あれが蛍かと思いましたが、それにしても数が少ないなと感じました。
冗談で、
町の役場の人が蛍の被り物を着て、お尻を懐中電灯で光らして出てくるぞと言いながら待っていました。
さらに待つ事しばし、もう辺りも真っ暗になってきました。
橋のところよりさらに川沿いに行って、
両側が竹薮と草で覆われた処で良く見えますよと言われ、そちらへ移動しました。
なんとまあ、その光様と言ったら、半端じゃなかったですね。
対岸の草叢のところで、左側の方から右側の方向へとふわぁ~と一斉に光を放っては消えていくのです。
なんか光と同時にぼわぁっと音がしそうな位の迫力で思わず息を飲み込んでしまいました。
幾度と無くそれを繰り返して終りを知りません。
こちらは目を奪われて、口をうわぁ~っと開きっ放しでした。
蛍を見るということは暗闇でその光を見ることだったんですね。
さて、
まだまだ寝苦しく蒸し暑い夜が続きますが、
2階の寝室で今日も開けっ放しの窓際に頭を向け寝付こうとしました。
電気を消しますと網戸の下の処で何か光が見えます。
それは間違いなく蛍でした。
里山といえども、今までこの近くでは蛍を見たことがありませんでした。
昔は田んぼの横の用水周辺でいっぱい居たと言う事ですが、今はその面影もありません。
蛍は網戸の同じ場所でゆっくりと点滅を繰り返し、
その少し黄色みがかった光をじっくりと見せてくれました。
しばらくして、その場をふわっと離れ、その幽かな光で下のベランダを照らしながら、
ふらふらと曲線を描き屋根の上に飛んで行きました。
そしてその儚い光もあっという間に闇の空へと吸い込まれて行ったのでした。
奇しくもお盆の夜に、蛍が一匹我が家に舞い降りて、
淡い光をお土産に帰って行ったとは、
ご先祖さんも粋な出方をしてくれるもんですね。
ああ、ありがたや、何時までも感謝してまっせ。
蛍の光、
暗闇で集団の光のパワーを見るのも、
また儚い一つの光を見るのもええもんですね。
愛媛の松山で居たときに、南伊予をドライブして松山市内へ帰る途中、
ふと目にしたのが「中山町ホタル祭り」という様な看板でした。
この中山町は今は合併して伊予市となっているようですが、
町おこしのために地元の人達がご苦労を重ねて蛍を飼育し、
自然環境の保護にも努めながら蛍の数を増やして、この様な祭りが出来る事になったと言うことです。
まだ、夕方で陽も明るく蛍のイメージもあまり湧かなかったですが、
少し待って蛍を見てみようと漠然と思い、
学校の運動場に屋台の店が出てたので、ウロウロと買い食いしながら待っていました。
蛍を見るには、その運動場から田んぼの横を通り少し行った川の周辺だということでした。
まだ少し明るかったですが、ぼちぼちと歩きながら橋のところまで来ました。
橋の上から川の岸辺を見ていますと、ポツリポツリとかすかに光が点滅しているようでした。
あれが蛍かと思いましたが、それにしても数が少ないなと感じました。
冗談で、
町の役場の人が蛍の被り物を着て、お尻を懐中電灯で光らして出てくるぞと言いながら待っていました。
さらに待つ事しばし、もう辺りも真っ暗になってきました。
橋のところよりさらに川沿いに行って、
両側が竹薮と草で覆われた処で良く見えますよと言われ、そちらへ移動しました。
なんとまあ、その光様と言ったら、半端じゃなかったですね。
対岸の草叢のところで、左側の方から右側の方向へとふわぁ~と一斉に光を放っては消えていくのです。
なんか光と同時にぼわぁっと音がしそうな位の迫力で思わず息を飲み込んでしまいました。
幾度と無くそれを繰り返して終りを知りません。
こちらは目を奪われて、口をうわぁ~っと開きっ放しでした。
蛍を見るということは暗闇でその光を見ることだったんですね。
さて、
まだまだ寝苦しく蒸し暑い夜が続きますが、
2階の寝室で今日も開けっ放しの窓際に頭を向け寝付こうとしました。
電気を消しますと網戸の下の処で何か光が見えます。
それは間違いなく蛍でした。
里山といえども、今までこの近くでは蛍を見たことがありませんでした。
昔は田んぼの横の用水周辺でいっぱい居たと言う事ですが、今はその面影もありません。
蛍は網戸の同じ場所でゆっくりと点滅を繰り返し、
その少し黄色みがかった光をじっくりと見せてくれました。
しばらくして、その場をふわっと離れ、その幽かな光で下のベランダを照らしながら、
ふらふらと曲線を描き屋根の上に飛んで行きました。
そしてその儚い光もあっという間に闇の空へと吸い込まれて行ったのでした。
奇しくもお盆の夜に、蛍が一匹我が家に舞い降りて、
淡い光をお土産に帰って行ったとは、
ご先祖さんも粋な出方をしてくれるもんですね。
ああ、ありがたや、何時までも感謝してまっせ。
蛍の光、
暗闇で集団の光のパワーを見るのも、
また儚い一つの光を見るのもええもんですね。
といっても、ひと夏に2,3匹見るのが関の山でしたけど。
今は夜道を歩くことも無いので、彼らがいまだ健在かどうかわかりません。
清流にしか住まないイメージだったので、身近にいたことにちょっと驚いたのをおぼえています。
ほぼ毎年3回ほどキャンプに出かけていました。
キャンプ場はマイナスイオンたっぷりで
みんなで飲んで踊って夜が更けた頃
蛍を見かけたことがあります。
でも燦さんの見た「ふわぁ~と一斉に光を放っては消えていく」様子はお目にかかったことないので見てみたい。
それでもあちらこちらで蛍を増やそうという活動も盛んですね。
北海道は源氏蛍かな平家蛍かな、
それとも両方が源平合戦でまだ戦ってますかね。
北の国からの蛍ちゃんが居ましたね。
緑の庭園に小川を作って、そこで蛍の鑑賞会するのもいいかも知れませんよ。
昔は、里山の周辺では何処でも見られたんですね。
また、程好い暗闇と言うのもあったからでしょうね。
そう言えば、最近お月さんが綺麗ですね。
年三回のキャンプとは、色んな自然との触れ合いが有ったことでしょうね。
蛍の光というとやはり儚いとか淡いとかのイメージですが、この団体の演舞はそのイメージを履がえましたね。
息を呑むとはこの事だと思いましたよ。
そちらには、当然源氏も平家も居ませんよね。
機会がありましたらぜひ見て下さいね。
これは 怪談の続きに違いありません。
お盆にひかりモンに姿を変えた魑魅魍魎が跋扈している証ではないでしょうか?
昔はこの時期、「ひとだま」が一般的でしたが、最近は人気のホタルに姿を変えて現れますか。
う~ん、御記述を繰り返して読むと、むかしの「ひとだま」の表れ方から、光かた、移動の仕方、消滅の仕方までピッタンコです。
お蔭様で背筋を涼しくしていただきました。
今晩は涼しく眠れそうです。
田んぼに行くと、たくさんの蛍が飛んでいるのを見て、とても感動したことを覚えています。
後にも先にも蛍を見たのはそれだけです。
私の住まいの近所でも蛍は見られるらしいですけど、まだ見たことはありません。
蛍は水がきれないところでないと育たないらしいので、それだけ、里山近辺も水がきれいだということでしょうね。
蛍はきれいですけど、何か不思議な気持ちにさせてくれるものがありますね。
私は幸いこの年まで、ヒトダマというものも見たことがありません。
UFOも見たことないなー。
蛍を見たので、それで満足です。
イメージではフラフラ、揺ら揺らと飛んでいる姿が浮かびます。是非見てみたいですね~。
娘の手のひらの上に蛍が光った時のことを思い出しました。 蛍は、人工的な光とは違うなんとも言えない輝きに、心惹かれますね!
こちら方面でも、蛍の飼育に力を注いでいるようで、開放日には 見学させてくれるようです。