……いないか。
前回のあらすじ:
息抜きしよう→8月末に169系と長電2000系に乗るツアーがある→そうだ、長野に行こう
[種別:団体 しなの鉄道 169系貸切列車 軽井沢13:13→屋代14:24]
《軽井沢 13:13発》
ツアー専用の貸切り列車です。
かつての僚友・EF63に別れを告げ、軽井沢を出発します。
車内は案外空いていました。最大120人とのことだったので、もっといると思ったのですが……
この空席の意味を、私は上田に着いてから知ることになります。
さて、屋代までの道のりですが、ただ169系に乗れるだけではありません。道中では撮影タイムが用意されていました。
《信濃追分 13:21着》
列車は軽井沢から2つ目の信濃追分で停車しました。
浅間山のふもとに位置する信濃追分は海抜955メートル。信越本線の最高所にあたります。かつては一部の特急「あさま」も停車していました。
千鳥式に配置されたホームからは、169系の姿をフル編成でとらえることができます。
跨線橋から望む169系。
電動車をアップで。国鉄型らしい、ものものしい足回りです。
10分の停車で、169系は再び西に向かって走り出します。
《信濃追分 13:30頃発》
かつては幹線だったこともあり、しなの鉄道の線路は全線にわたってJRと遜色ない高規格仕様になっています。一時期は高規格路線という理由で資産額が上がり、その固定資産税が経営を圧迫していた時期もありました。現在は減価償却により黒字となり、『第3セクターの優等生』の中にいます。
段丘を左手に、169系は徐々に高度を落としていきます。
国鉄時代は急行として走っていた169系から望む車窓。座席はボックスシートからリクライニングシートに代わっていますが、現代とは思えない風景がそこにありました。
車両性能に物を言わせ、169系は信濃路を快走します。
時間が時間なのでお昼タイム。やはり峠の釜めしです。かつて急行「志賀」「信州」などで碓氷峠を越えていた169系での昼食は、これしかないでしょう。
《上田14:15着》
およそ1時間で上田に到着。新幹線と接続します。しなの鉄道の本社がある駅だけあって他よりも規模は大きめです。
主要駅の一つですが、数分の停車で169系は上田を発ちました。
《屋代14:35着》
終着駅の屋代に着いたのは14時半過ぎのことでした。
この先もしなの鉄道の線路はJRと交わる篠ノ井まで伸びています。169系は現役時代は急行として、そしてこのツアーの約1年前・2011年6月までは快速や普通として長野駅まで乗り入れていました。しなの鉄道でのメインは座席定員制の快速「しなのサンライズ」「しなのサンセット」。このために2ドア・リクライニングシートの169系を導入したといっても過言ではありません。
しかし、2005年の福知山線脱線事故を機に鉄道側の安全規制が厳しくなり、100㎞/h以上で走行する列車に対し運行状況記録装置の設置義務が生まれたため、搭載していない169系は乗り入れられなくなりました。篠ノ井に折り返し設備がなく、結果的に2011年7月1日以降は折り返し線を持つ屋代が169系の北限となりました。
屋代には留置線があります。しなの鉄道は小諸―軽井沢間の区間列車を除いてほぼすべての列車が長野まで乗り入れるため、169系の仕事は激減してしまいました。この時点ではS51からS53の3本がいましたが、運用に着くのは1日1本だけで、残りはこうして留置される日々です。
明日のメインとなる屋代線のホームに向かうと、なんと長電2000系がおでまし。このツアーとは別に特別運行していたようです。4月のA編成引退以来引っ張りだこです。
木造の屋根が残る屋代線のホーム。この時点で余命はあと8か月でした。
屋代駅駅舎全景。
ここからツアー客は観光バスに分乗……の予定だったのですが、実際には分乗ではありませんでした。なぜかって? 1台しかいないのに分乗も何もないでしょう?
ツアーの催行最少人数は80人なので明らかに足りません。他の客はどこに行ったのか……?
その理由はバスが屋代を出発してすぐ、添乗員さんからの説明で判明しました。
なんと、予約していた80人近い団体が出発前に突然のキャンセル。最終的に残ったのが約30人。道理で人が少ないはずです。ツアーが中止にならなかったことを見ると、本当にドタキャンだったのでしょう。
30人のうち、私と同じ一人旅の人はわずかに5人。残りは老夫婦に若い女性二人組に親子連れと様々。ほとんどが関東の人で、西から参加したのは私の他、はるばる京都からやって来た人もいました。
バスが最初に向かったのは、上田市内のとあるペンション。もう宿? と思われるかもしれませんが、今日の宿は姫木平(長和町:上田市から約1時間強)です。
なぜ立ち寄ったか、それは……
ドン!
そう、このペンション・「夢ハウス・あずさ号」には、かつて「あずさ」で使われていた183系が丸々保存されているのです。
中に入ってみると、20メートル近い巨体が鎮座しています。
この宿にあずさ色のクハ183-1002がやってきたのは平成9年(1997年)。以来、このペンションの顔として機能し続けています。
車両の中に入ることができるというので、さっそく見学。
現役時代と変わらない札類。
中の座席は一部を残して畳敷きになっています。なんとこの車両、泊まれるんです! 1泊2食付きで10000円からと、車両の価値を考えればリーズナブルになっています。(詳しくはこちらのホームページで)
もちろん、運転台も見学可能。ブレーキハンドルもばっちりあります。タイフォンまで鳴るというリアル仕様です。鳴らすために長野工場からタイフォン用に空気だめをもってきたというのですから恐れ入ります。なんという贅沢。
運行表まで完備。
さらには扉の開け閉めもできます。もはやすごいとしか言いようがありません。
恐るべきは、このペンションにいる車両はこれだけではないということ。
ペンションの外には国鉄色のクハ183-21がいます。房総特急用だった0番台は正面に貫通扉があるのが特徴です。地下5階にある総武快速線の東京駅に乗り入れるため、緊急避難用の貫通扉が必要でした。もっとも、寒い中を走る「あずさ」に転属した際はここから隙間風が入り不評だったようですが。
この他、千葉で活躍していたクハ113-1072(スカ色・元マリ218編成)とクハ113-2152(湘南色・元マリS117編成)のカットモデルが置かれています。いったいいくつまで増えるのか……
ペンションを後にし、バスはさらに南下します。
つぎにやってきたのは同じく上田市にある長野計器上田営業所。ここにいるのは、かつて上田の地を走っていた上田電鉄モハ5250形です。
扉部分の窓が楕円形であることから「丸窓電車」の名で親しまれていました。その愛着度といえば、後任の元東急7200形の扉までも5250形と同じ丸窓にしてしまったほどです。「新・丸窓電車」は現在でも上田電鉄別所線で活躍しています。
下から撮影。
営業所の外から。当初は車窓からの予定でしたが、近くまで見に行けたのは人が少なかったからにほかなりません。
10分ほどで長野計器を出発。いよいよ本日の宿に向かいます。
午後5時半ごろ、姫木平ペンション村に到着しました。
しかしここで終わらないのがこのツアーの憎いところ。
ペンション村の頂上、姫木平の上に広がるエコーバレースキー場のレストハウスに東された一行が目にしたのは、ホール全体に敷かれた大形の鉄道模型レイアウトでした。
中央のレイアウトでは169系、189系、長電2000系など、長野の車両が集結していました。
本当は鉄道模型販売会が予定されていましたが、売る方が都合がつかず中止に。それでも、鉄道模型を走らせているのを見れただけでも満足でした。
103系(オレンジ)「へへっ、俺様にスピードで勝てると思うなよ」
ペンションに戻った後は豪華なフルコースの夕食。美味しいハンバーグに舌鼓を打ち、バスで一緒になった方と話し込んでいるうちに、1日目の夜は過ぎていきました。
続く!
前回のあらすじ:
息抜きしよう→8月末に169系と長電2000系に乗るツアーがある→そうだ、長野に行こう
[種別:団体 しなの鉄道 169系貸切列車 軽井沢13:13→屋代14:24]
《軽井沢 13:13発》
ツアー専用の貸切り列車です。
かつての僚友・EF63に別れを告げ、軽井沢を出発します。
車内は案外空いていました。最大120人とのことだったので、もっといると思ったのですが……
この空席の意味を、私は上田に着いてから知ることになります。
さて、屋代までの道のりですが、ただ169系に乗れるだけではありません。道中では撮影タイムが用意されていました。
《信濃追分 13:21着》
列車は軽井沢から2つ目の信濃追分で停車しました。
浅間山のふもとに位置する信濃追分は海抜955メートル。信越本線の最高所にあたります。かつては一部の特急「あさま」も停車していました。
千鳥式に配置されたホームからは、169系の姿をフル編成でとらえることができます。
跨線橋から望む169系。
電動車をアップで。国鉄型らしい、ものものしい足回りです。
10分の停車で、169系は再び西に向かって走り出します。
《信濃追分 13:30頃発》
かつては幹線だったこともあり、しなの鉄道の線路は全線にわたってJRと遜色ない高規格仕様になっています。一時期は高規格路線という理由で資産額が上がり、その固定資産税が経営を圧迫していた時期もありました。現在は減価償却により黒字となり、『第3セクターの優等生』の中にいます。
段丘を左手に、169系は徐々に高度を落としていきます。
国鉄時代は急行として走っていた169系から望む車窓。座席はボックスシートからリクライニングシートに代わっていますが、現代とは思えない風景がそこにありました。
車両性能に物を言わせ、169系は信濃路を快走します。
時間が時間なのでお昼タイム。やはり峠の釜めしです。かつて急行「志賀」「信州」などで碓氷峠を越えていた169系での昼食は、これしかないでしょう。
《上田14:15着》
およそ1時間で上田に到着。新幹線と接続します。しなの鉄道の本社がある駅だけあって他よりも規模は大きめです。
主要駅の一つですが、数分の停車で169系は上田を発ちました。
《屋代14:35着》
終着駅の屋代に着いたのは14時半過ぎのことでした。
この先もしなの鉄道の線路はJRと交わる篠ノ井まで伸びています。169系は現役時代は急行として、そしてこのツアーの約1年前・2011年6月までは快速や普通として長野駅まで乗り入れていました。しなの鉄道でのメインは座席定員制の快速「しなのサンライズ」「しなのサンセット」。このために2ドア・リクライニングシートの169系を導入したといっても過言ではありません。
しかし、2005年の福知山線脱線事故を機に鉄道側の安全規制が厳しくなり、100㎞/h以上で走行する列車に対し運行状況記録装置の設置義務が生まれたため、搭載していない169系は乗り入れられなくなりました。篠ノ井に折り返し設備がなく、結果的に2011年7月1日以降は折り返し線を持つ屋代が169系の北限となりました。
屋代には留置線があります。しなの鉄道は小諸―軽井沢間の区間列車を除いてほぼすべての列車が長野まで乗り入れるため、169系の仕事は激減してしまいました。この時点ではS51からS53の3本がいましたが、運用に着くのは1日1本だけで、残りはこうして留置される日々です。
明日のメインとなる屋代線のホームに向かうと、なんと長電2000系がおでまし。このツアーとは別に特別運行していたようです。4月のA編成引退以来引っ張りだこです。
木造の屋根が残る屋代線のホーム。この時点で余命はあと8か月でした。
屋代駅駅舎全景。
ここからツアー客は観光バスに分乗……の予定だったのですが、実際には分乗ではありませんでした。なぜかって? 1台しかいないのに分乗も何もないでしょう?
ツアーの催行最少人数は80人なので明らかに足りません。他の客はどこに行ったのか……?
その理由はバスが屋代を出発してすぐ、添乗員さんからの説明で判明しました。
なんと、予約していた80人近い団体が出発前に突然のキャンセル。最終的に残ったのが約30人。道理で人が少ないはずです。ツアーが中止にならなかったことを見ると、本当にドタキャンだったのでしょう。
30人のうち、私と同じ一人旅の人はわずかに5人。残りは老夫婦に若い女性二人組に親子連れと様々。ほとんどが関東の人で、西から参加したのは私の他、はるばる京都からやって来た人もいました。
バスが最初に向かったのは、上田市内のとあるペンション。もう宿? と思われるかもしれませんが、今日の宿は姫木平(長和町:上田市から約1時間強)です。
なぜ立ち寄ったか、それは……
ドン!
そう、このペンション・「夢ハウス・あずさ号」には、かつて「あずさ」で使われていた183系が丸々保存されているのです。
中に入ってみると、20メートル近い巨体が鎮座しています。
この宿にあずさ色のクハ183-1002がやってきたのは平成9年(1997年)。以来、このペンションの顔として機能し続けています。
車両の中に入ることができるというので、さっそく見学。
現役時代と変わらない札類。
中の座席は一部を残して畳敷きになっています。なんとこの車両、泊まれるんです! 1泊2食付きで10000円からと、車両の価値を考えればリーズナブルになっています。(詳しくはこちらのホームページで)
もちろん、運転台も見学可能。ブレーキハンドルもばっちりあります。タイフォンまで鳴るというリアル仕様です。鳴らすために長野工場からタイフォン用に空気だめをもってきたというのですから恐れ入ります。なんという贅沢。
運行表まで完備。
さらには扉の開け閉めもできます。もはやすごいとしか言いようがありません。
恐るべきは、このペンションにいる車両はこれだけではないということ。
ペンションの外には国鉄色のクハ183-21がいます。房総特急用だった0番台は正面に貫通扉があるのが特徴です。地下5階にある総武快速線の東京駅に乗り入れるため、緊急避難用の貫通扉が必要でした。もっとも、寒い中を走る「あずさ」に転属した際はここから隙間風が入り不評だったようですが。
この他、千葉で活躍していたクハ113-1072(スカ色・元マリ218編成)とクハ113-2152(湘南色・元マリS117編成)のカットモデルが置かれています。いったいいくつまで増えるのか……
ペンションを後にし、バスはさらに南下します。
つぎにやってきたのは同じく上田市にある長野計器上田営業所。ここにいるのは、かつて上田の地を走っていた上田電鉄モハ5250形です。
扉部分の窓が楕円形であることから「丸窓電車」の名で親しまれていました。その愛着度といえば、後任の元東急7200形の扉までも5250形と同じ丸窓にしてしまったほどです。「新・丸窓電車」は現在でも上田電鉄別所線で活躍しています。
下から撮影。
営業所の外から。当初は車窓からの予定でしたが、近くまで見に行けたのは人が少なかったからにほかなりません。
10分ほどで長野計器を出発。いよいよ本日の宿に向かいます。
午後5時半ごろ、姫木平ペンション村に到着しました。
しかしここで終わらないのがこのツアーの憎いところ。
ペンション村の頂上、姫木平の上に広がるエコーバレースキー場のレストハウスに東された一行が目にしたのは、ホール全体に敷かれた大形の鉄道模型レイアウトでした。
中央のレイアウトでは169系、189系、長電2000系など、長野の車両が集結していました。
本当は鉄道模型販売会が予定されていましたが、売る方が都合がつかず中止に。それでも、鉄道模型を走らせているのを見れただけでも満足でした。
103系(オレンジ)「へへっ、俺様にスピードで勝てると思うなよ」
ペンションに戻った後は豪華なフルコースの夕食。美味しいハンバーグに舌鼓を打ち、バスで一緒になった方と話し込んでいるうちに、1日目の夜は過ぎていきました。
続く!
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