『市民K』はソ連邦解体後のオルガルヒ(新興財閥)の一人である石油産業のミハイル・ホドルコフスキーがプーチン政権と対決していく様を描いたドキュメンタリーである。
2003年10月25日、ボドルコフスキーがロシア当局によって詐欺、横領の罪で逮捕された。
オルガルヒとなったボドルコフスキーの前身はソ連共産党の青年組織であるコムソモール(共産主義青年同盟)に所属していた。1991年ソ連崩壊後、ロシア政府は国際通貨基金(IMF)の勧告に従い「大規模な民営化」に踏み切ることを決断する。ロシア国内改革派が資本主義経済を志向しようとするが、法律は社会主義の下での私有財産制度や株式や資本主義経済についての法的規定も存在しない。一気に社会は金のある者が優遇されるようんになる一方で企業を立ち上げ儲けようとする会社を襲撃するといった事件も相ついだ。
このような中、ボドルコフスキーは、改革派で名をはせたエリツィンを支持した。ソ連邦崩壊後、年金や医療費などの多額の国家債務をオルガルヒたちは帳消ししたと言われている。また、当時の7人の代表的オルガルヒたちは、ロシア全土の資産50%を所有していたという。
これら7名のオルガルヒによってソ連邦崩壊による自由主義経済の移行期に社会や政治を一気に資本主義経済に「順応」するように形作られていった。
政府は、全国民に一定額の「バウチャー(株交換証券)」を無料配布し、これを民営化された企業の株と交換できるようにした。しかし、株式の意味さえ分からない圧倒的多数の人々にとって意味不明の代物だった。ボドルコフスキーは、そこに目をつけ、市民から安値でバウチャーを買取り、会社を私企業化していった。
まず買い取ったのは92年に創刊された『モスクワタイムス』だった。創業者ダーク・ザウワーは、「バウチャー」制度を導入して「怪しい人間ばかりが買い取りたいと言ってきたが、信頼できるルオガルヒのボドルコフスキーに買い取ってもらった」と述べている。『モスクワタイムス』を皮切りに、メラテップ銀行を3億1000万ドルを買い取っている。
そして1995年、第二の民営化加速がおこる。GDP(国内総生産)の減少とハイパーインフレにより、メナテップ銀行は、石油大手ユコスを約300億円で取得。その後、ミハイル・ホドルコフスキーが経営を立て直し、2003年夏までに時価総額は3兆円に跳ね上がっている。このようにして、ソ連崩壊後の混乱期に私企業が、バウチャー制度と株式担保型貸付によって民営化と私有財産を蓄積していく。
しかし、石油生産は急減し、半年の遅配が続くなど合理化としてホドルコフスキーは解雇を行おうとするが、工場はおろか町は二分される。おまけに石油労働部門代表600人との協議も賃金30%のカットを妥結するも何万人も解雇されてしまう。
その時の心境を彼は、経済はゲームだと思っていたが、彼らに対して責任があると感じたと述べている。その後、彼らの人生に報いたいと子供たちの教育施設などを立ち上げたとあった。
ロシア経済の昏迷状態を石油産業によって体現したホドルコフスキーだったが、プーチンの台頭により、オルガルヒたちは次々と追放され、彼も例外ではなく企業が乗っ取られていく。
まず手始めに、メディアが狙われた。
プーチン政権に批判的な報道をしていたテレビ局NTVのオーナーでオリガルヒのウラジーミル・グシンスキーを、過去の民営化をめぐる横領・詐欺容疑で逮捕し、NTVは政権寄りのガスプロムに買収された。その彼は、イギリスに国外退去するが自殺(他殺との説もあり)している。
プーチンは、マスメディアでの情報操作をその後急速にすすめる。
次は国内最大の利益を上げる石油大手ユコスを仕切るホドルコフスキーだ。2003年国内向けテレビ番組にプーチンとともにオルガルヒのひとりとして出演したホドルコフスキーは、プーチン批判を展開する。しかし、テレビ局はその部分をカット。その後から急速にロシア当局による捜査網がホドルコフスキーに向けられていく。そして2013年10月25日、空港を降り立とうとするホドルコフスキーは逮捕され、2014年1月20日まで収監された。
その中で、2008年以降プーチン政権は権威主義的になっていく。2013年、ソチ五輪では、西側に人権侵害緩和などで認められる一環として女性バンド「プッシー・ライオット」のメンバー2名をはじめ2万数千人の恩赦を発表した。
とまぁ、『市民K』の視聴を元にオルガルヒとホドルコフスキーについてまとめたのだが、何点か疑問というか着想を得ていたことがあったので紹介したい。
1つは、ウクライナでのロシアの侵略侵攻は、これらオルガルヒもかなりな数で戦争を良くないと思いやあるいはウクライナを支持しているのではないか?事実、ホドルコフスキーも釈放後、ウクライナに行き「ロシア当局の指示のもとでウクライナ政府が民衆を弾圧している」とし、ヤヌコヴィッチ元親露派大統領の退陣を求めている。
2つめに、これら「西側の一員」としてのオルガルヒたちを含めてプーチン支配のロシア経済と一方での西側諸国の経済安保とNATOへの加盟がウクライナ戦争を引き起こしたものではなかったか。独裁政権プーチンと代理戦争としての西側のウクライナ「支援」。
3つめに、ソ連邦崩壊後、急速な資本主義経済を加速化させる役割を果たしたオルガルヒたちの光と影には、資本の蓄積と富が集中するなかで莫大な労動者、市民が犠牲になってきた。むしろ、プーチンの独裁政権の国内での圧倒的支持には、これらの犠牲となった労働者たちもいることを忘れてはならないだろう。(「強いロシア」)韓国朴正煕による開発独裁の戦争する国家としてのプーチン政権。
4つめは、1945年以降、局地戦として代理戦争の被害を受けた朝鮮、ベトナムをはじめ、アフガン、イラク、シリアでの戦闘そのものがアメリカ主導で徐々に平定後秩序を保てなくなってきた。そして、ロシアの急激な変化と周辺国のNATO化によりウクライナを通じた戦争が激化している。ロシアの市場化によるアメリカ主導の経済、軍事包囲網の矛盾。
5つめは、ホドルコフスキーの肯定的な面を上げるとすれば「民主化」や「独裁政権打倒」なのだろうが、イギリスに亡命してしまった彼にとっての政治的影響力はロシア国内ではメディア含め抹殺されてしまった。それにしても、ロシア人が国内だけでなく国外でも毒殺、不審な事故死、自殺が後をたたないのは、どう見てもプーチニズムは許されない。
6つめは、ソ連邦崩壊→オルガルヒの勃興→プーチン政権によるオルガルの追放と企業の再国有化というコースについて。1917年のロシア革命が起こり新興企業家を温存復活させるとした経済政策で現れたネップマンとの対比。ロシア革命により急激な内戦、内政干渉によりにとった国家資本主義の一形態としてのネップ政策と消滅をどう考えるか?
他にもありそうだが、これらを元にウクライナ情勢を考えるヒントとしてばかりではなく『市民K』はより資本主義社会の矛盾とロシアについて知る上での意義深いドキュメンタリーだった。(了)
NTVベレゾフスキー時代の政治風刺人形劇。ベレゾフスキーは、主要テレビネットワークORT(チャンネル1)を支配下に置き、1996年の大統領選で再選が危ぶまれたエリツィンが踊る姿をテレビ放映して健康不安説を払拭させた。さらには、対立候補を「赤色(スターリニズム)と褐色(ファシズム)」に仕立て上げ、「迫り来るポグロムについての恐ろしい物語」をTV番組にし、「でっちあげ(フェイク)の極右政党」までつくり出してみせた。
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