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暴力と戦争で潤ったアメリカ 2022/05/26

2022-05-26 05:57:56 | 日記
ショック・ドクトリン=アメリカ企業とロビイスト

いまウクライナが戦場となっているが、一貫して戦争を押し進めてきたアメリカは、戦争支配という意味ではプロ中のプロ。

これまでに民族的な差別や憎悪を元に火種がありそうな危険な場所に導火線を設け、巧妙に経済的暴利を貪ってきたのだと思う。
このように戦争や自然災害に便乗して金儲けをすることを惨事便乗型資本主義社会だと指摘したのはカナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインだった。

ロシアがウクライナに軍事侵攻したのも、もともとはウクライナのNATO化、アメリカ化がそこにつけ込んで一儲けしようとしたことが遠因となっていると思う。

事実、バイデン大統領の息子ハンター氏がウクライナ企業との癒着を新聞は報じていた。
「幹部を務めていたウクライナのガス企業ブリスマからの資金や、中国やカザフスタンの企業から受け取った贈答品を巡る税務処理に加え、ウクライナ企業のロビー活動への関与」(日本経済新聞3/31)

バイデン氏息子の捜査、進展か 米報道(写真=ロイター)

【ワシントン=芦塚智子】複数の米メディアは30日までに、バイデン米大統領の息子ハンター氏に対する司法当局の捜査が加速していると相次いで報じた。ウクライナや中国の企業...

日本経済新聞

更にロシア軍のキリロフ放射線化学生物学防護部隊長が「ウクライナ国内での生物兵器開発にバイデン米大統領の息子ハンター氏が関わっていたことを示す書簡が見つかった」と指摘している。(産経新聞4/1)
しかしこれは氷山の一角だろう。

バイデン氏息子の関与主張 露、生物兵器開発で

ロシア軍のキリロフ放射線化学生物学防護部隊長は31日、モスクワで記者会見し、ウクライナ国内での生物兵器開発にバイデン米大統領の息子ハンター氏が関わっていたこと…

産経ニュース


アメリカの間接統治支配

アメリカの歴史をひも解くなら、他国の戦争による支配介入を完了した後に破壊した経済やインフラをアメリカ主導で間接統治している。

戦後日本を支配下に置くためにGHQ主導の民主化から逆コースとなる下山、三鷹、松川という鉄道謀略事件が相次いで起こりレッドパージ朝鮮戦争。キューバ危機を経てベトナム戦争。アフガニスタン、イラクの戦争を直接介入しただけではなく、中南米をはじめとして軍隊によりクーデターを国内で暴力的に起こさせ、背後で操る数限りない軍事作戦を展開してきた。

中南米のアメリカ支配と介入は凄まじい。
軍事政権が親米の傀儡(かいらい)となり、アメリカ経済の自由主義顧問をポストにつけてアメリカ企業傘下に中南米の経済を支配していった。
アルゼンチンでは、76年から軍事独裁政権が、アメリカの自由主義経済を批判していた3万人の左翼活動家が何者かに殺害されたり「行方不明」となっている。これを汚い戦争と告発されているが、ここでもアメリカ政府はアルゼンチンの軍事政権に対して軍事物資と資金の援助をおこなっていた。

汚い戦争 - Wikipedia

とにかく中南米はそんなことばかり。

中南米の反米政権のひろがりとアメリカ新自由主義者たち

中南米の人々にとってアメリカは、差別と暴力に基づく植民地支配の象徴としてあった。だからこそ親米バチスタ政権を打倒したキューバで革命(1959年)が起きたとき、またたく間に中南米全域に拡がった。
ボリビア革命(1952年)、チリでの民主連合政府の樹立(1970年)、ニカラグアでのサンディニスタ革命(1978年)など中南米全域で革命が勃発し、各国で大地主制度の解体や米企業、財閥の国有化などが前進し、社会主義社会を目指す機運が国境を越えて横に繋がりながら中南米の影響力を拡大していた。

アメリカにとってみれば中南米は「裏庭」であり、これらは脅威そのものだった。

(チリ アジェンデ大統領は1973年9月11日、銃をとり大統領府に残りクーデター部隊と最後まで交戦した)

中南米の鉱山は、そのほとんどをアメリカ資本が買い取り、アメリカの価格で鉱石の値段を決定し支配していた。

チリでは完全にアメリカの傀儡(かいらい)政権となり、アメリカ自由主義経済(シカゴ学派)顧問をチリに招き入れ、労働者の賃金上昇を抑え、公共予算の大幅は削減され日用品や生活インフラは長い間公共の窓口では扱わなくなった。チリを長期的な不況に陥らせて国内産業をアメリカが買い取り、先進国に低廉な原材料を提供させる低賃金労働力と暴力支配を押し付けた。
このような中でチリの人々は、アジェンデ大統領を選挙によって選択し、民主連合政権が誕生した。
企業を国営とし、農地改革を断行した。当時の国民の栄養状態は極端に悪く、子どもたちには牛乳を支給し、電気、水道など公共部門を半額にした。政府は、労働者の地位を上げ、富を公共部門に投資した。

1973年9月11日、アメリカCIAに援助されたピノチェト将軍が軍隊を引きつれ大統領府を攻撃してアジェンデ大統領らを銃撃・殺害し、クーデターによる軍事政権を樹立した。
その後、軍事政権スタッフたちには、アメリカ新自由主義派(シカゴ学派)の経済学者たちが居座り、チリ人民の財産ともいうべきインフラ設備をアメリカ資本に売り渡してしまった。
クーデター直後、サンチャゴ市内のスタジアムに軍によって集められた人々は、飲み物さえも与えられず拷問を受けるなどして数千もの命が失われたという。

チリ年表(人民連合政権の誕生からクーデターまで)

つまりシカゴ学派なる新自由主義経済学説が素晴らしく、中南米の支持を受けて普及したのではなく、軍事力を背景に、人々を弾圧することとセットで、その国の財産をアメリカの巨大資本と独裁政権が力によって収奪したのだった。

周辺国の暴力的収奪によって成り立つ経済的豊かさ

アメリカ経済の豊かさがアメリカ国内のみで成り立つ訳ではなく、周辺社会の露骨なまでの暴力により新自由主義経済を進めることで成り立ってきた。むしろ、この点にこそ注視していく必要がある。

かつてのソ連をはじめとする社会主義政権とその周辺の解体は、新たな弱肉強食の社会を加速化させ、同時に暴力的な収奪と戦争を呼び寄せる。

改めて世界の新自由主義経済のむき出しなまでの経済的収奪を戦争と暴力で介入の後破壊し、その後のインフラなど主要な施設などをアメリカ政府と企業が支配していく。

このような統治の仕組みが、何も今回のロシアによる戦争にはじまった訳ではなく、ネイティブアメリカン以降からのやり方をより巧妙に先鋭化させたということだろう。