今年は、沖縄がアメリカ政府から日本政府の統治下として復帰してから5月15日で50年を迎えました。この「本土復帰」とはいかなるものか、沖縄から見ると欺瞞に満ちたものでしかない、そう思う理由の一端を前回ブログに書かせてもらいました。
今回はその復帰とは何だったのか?50年式典がどのようなものだったか?沖縄在住の下地さんからメールが届きました。その後電話で話したので内容含めて転送させていただきます。
RBC(琉球放送、TBS系)の報道特集で、1971年の沖縄青年同盟の国会決起(「国会爆竹事件」)が特集されたと動画を紹介しています。
その中で、番組終わりのまとめをテレビキャスターの金平茂紀さんが発言されている箇所(2分ほど)がこの動画では切れているとの話でした。
一つは、今回の本土復帰50年を政府は、ゴチャゴチャ言わずに素直に喜べ、祝え!という態度だったのではないかということです。事実、沖縄は政府の祝賀ムードを受け入れていましたが、ここ最近の調査では復帰式典に違和感を覚えるとした県民が8割に上ったとのことです。
下地さんも抗議のために宜野湾コンベンションセンターで行われた復帰式典に行ったところ、岸田首相は正面玄関から入らず"裏口"から入ったという。沖縄県民は、このことに大変にあきれ返り、岸田総理は民意への後ろめたさを「裏口入学」で表現したと話しているそうです。
もう一つはウクライナでもそうですが「軍隊は住民を守らない」ということです。沖縄戦や辺野古や先島に自衛隊と基地が配備されだしている昨今の関連に触れ「ウクライナと沖縄は地続きだ」とコメントしたそうです。
以下は下地さんのメールです。
下地厚です。
メールアドレスが分かっている友人の皆さまに送ります。BCCでの送信をお許しください。
毎日の諸活動、お疲れ様です。
命どぅ宝!琉球の自己決定権の会主催の「5/14シンポ&コンサート」が開催されている同時間に、RBC(琉球放送、TBS系)の報道特集で、1971年の沖縄青年同盟の国会決起(「国会爆竹事件」)が特集されました。
いったい「復帰」とは何だったのか?51年前の決起を当事者が語ります。
もし、未だご覧になっていない方は、下記URLからご覧下さい。TVerでの視聴は無料です。
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放送された時の最後部分、金平さんの2分ぐらいのコメントは入っていないのが、残念ですが…。
下地厚(命どぅ宝!琉球の自己決定権の会)