これは、人間様の話ではなく、電車の話。
103系1000番台の顔をした2両編成。
コレの大元は確かに103-1000系だが、後の105系(4扉車)である。
1971年に103系として製造され、1984年に105系化改造。
103系としての使用はわずか約13年だが、105系としては約35年も使っていた。
103-1000系顔そのままの
105系化時に運転台を増設された和歌山・(桜井線)奈良方クモハ。105系新造3扉車と同じパンダ顔。
103系時代ほぼそのままの車内。
103-1000系は1970年に常磐線~営団(現・東京メトロ)千代田線直通用に造られたが、1983年から後継の203系に代替された。
余剰となった103-1000系は、首都圏に残った組と、105系に改造され西日本(広島、奈良)にリストラされた組に、真っ二つに別れてしまった。
首都圏居残り組は常磐快速(一部営団東西線直通用)に転用、105系化リストラ組は可部線(広島)、桜井・和歌山線(奈良)で使用されるが、居残り組は2004年頃全滅してしまう。
一方のリストラ組は、何と平成から令和に変わった2019年まで奈良・和歌山地区で生き延びた。まさに、「リストラ転じて福となす。」なのだ。
なお、103-1000系を追い出した203系も、後継のE233-2000系に代替され、10年ほど前に103-1000系改造105系よりも先に全滅している。
今も4両2編成が現役という奈良線の103系。
この中にはクハを含め元山手線所属車がいるという。首都圏に残った103系は2006年頃までに全滅しているので、関西に飛ばされて奈良線で現役の103系は、まさに「リストラ転じて福となす。」である。