昭和人俊やんの鐵活日誌回顧録帳

【THE国鉄名車】キハ10系一般型気動車@茨城交通湊線他

連結総括制御運転を可能とする気動車としては、初の本格的量産車なのがキハ10系(キハ10・11・12・16・17他)である。後に電気式気動車の試作車キハ44000形、液体式気動車の試作車キハ44500形を改造の上10系グループに編入している。

車体、座席、台車などに軽量化とコストダウンが見られるが、総括制御可能な気動車の本格的量産車であることと、後継のキハ20系とともに私の鉄道趣味の原点の1つであることから、私的には国鉄の名車の1つに挙げたい。

それを言うんだったら、特に若手の鉄道趣味者やJR東の関係者から、JR東の209・E217・E231系あたりを名車扱いにしろって言われそうだが、あんなモンは名車どころか駄作である。

国鉄では1980年頃には全廃していたが、茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)湊線に移籍したキハ11形(両運転台・トイレ付仕様)3両は1990~2000年代まで生き延びていた。

撮影は、湊線開通70周年記念列車を除き、1996~97年頃。


那珂湊駅にて。

後方には、当時の茨交カラーのキハ20・22・2000形が休んでいる。


阿字ヶ浦駅に展示されていたキハ11形。

紺色の方は国鉄旧一般型気動車色のキハ111、朱色の方は国鉄新一般型気動車色のキハ112。


那珂湊駅に停車中のキハ112+111。

乗務員室扉と乗降扉の間のスペースは、水タンク(運転席側)とトイレ(助手席側)があった箇所。


中根~金上間にて。

ここは湊線の好撮影地で、中根駅から近い。


同じ場所で、キハ11ついでに撮ったキハ2000形2004。国鉄キハ22形類似の車で、留萌鉄道からの移籍車。

当時の茨交湊線はこのような奇抜な色だったが、国鉄風の車体には似合わなかった。キハ11形も一時は同様の塗装になっていた。

キハ2004は後に国鉄気動車準急色(一時期の京王電車に似たクリーム地赤細帯)となり、湊線廃車後は福岡に移り、平成筑豊鉄道金田駅の構内動態保存車となっている。(無車籍)


湊線全線開通70周年記念列車として運転されたキハ205+キハ112で、元国鉄車どうし。

この写真のみ1998年撮影。

手前のキハ205は、唯一現役の国鉄キハ20形として今も湊線に在籍する。

国鉄キハ20系としては、これにいすみ鉄道のキハ52 125が加わる。国鉄キハ20系ベースの私鉄車まで広げると、小湊鉄道キハ200形がさらに加わる。



キハ11形車内。国鉄時代に蛍光灯化と扇風機取付がなされていた。

(111・112のみ。113は白熱灯で、扇風機なしの原型。)


一足先に廃車の湊線キハ113は、JR東海に保存車として譲渡された。旧佐久間レールパークにて。


【おまけ】

1996年頃の常磐線勝田駅。

今はE501・E531系といったど~でもいいクソみたいなJREブランドの駄作車の天下だが、当時は交直流近郊型の勝田所属403系(北九州向け南福岡・大分所属の423系の姉妹系列)(上)や、交直流急行型の仙台所属455系(下)といったすばらしい国鉄車が主力だった。

特に455系仙台車は9両編成(当時は喫煙車あり)で仙台から水戸まで遠征してくるスジがあり、一度は乗ってみたいと思っていたが、東日本大震災や455系自体の廃車などで、いつの間にかなくなり、結局乗れずじまいだった。

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