国鉄初の固定編成客車で、当初より冷暖房完備、登場時は「走るホテル」と言われた。また、「ブルートレイン」の名も、この車から始まる。
特急運用からはかなり早い時期に運用離脱したが、急行運用(季節臨時含む)としては分割民営化後の1990年代半ばまで使用された。
20系客車の顔とも言える、展望室付き丸妻を持つナハネフ22。特急時代はオデコにも白帯が引かれていた。
写真は1995年8月12日の新大阪発西鹿児島(現・鹿児島中央)行季節臨時寝台急行列車(列車名失念)で、この頃は関西~九州、または関西~東北の季節臨時寝台急行列車によく充当されていた。(JR西日本所属車)
日(車両運用)によってナハネフ22でなく、展望室なし切妻貫通形のナハネフ23になることもあった。
20系客車は、側面の行先・列車名(中央の白幕部)・号車表示に、他にはない特徴があった。
乗降口は自動施錠機能付きの手動扉(12・14系混結対応改造車は自動扉)。扉の右側は展望室。
九州内某駅(恐らく鳥栖駅)にて。
特急時代のオデコの白帯がないと、オデコのデカさが目立つか?
天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅に静態保存されている中間車ナハネ20 347。この写真のみ2017年5月3日撮影。