のんびり専業主婦日記 

旦那の転勤で関西に来ました。日々の思いを綴っていきます。

英語学習の成果と自分の性格

2021-04-03 02:44:00 | 英語
成果を出せなかったワケ、それは努力と学習時間の不足。そして圧倒的な語学のセンスのなさだったと思う。

海外ドラマや映画を流しておく事で勉強したような気になっていた。教材を一冊きちんと終える前に次々と他のものに手を出した。受験じゃないんだからと単語学習を怠った。

これが他人の事だったら「その反省点を生かしてこれからまた頑張ればいいじゃない」位の事は言うはず。でも自分の事となると難しい。そもそも本当に英語が好きなのか、本気で習得する気があるのかも分からなくなってきた。

とりあえず教材を絞るために数冊残して処分したい。今から80歳位まで必死で取り組んだとしても絶対に終わらない程の量がある。

努力が苦手な癖に諦めもわるい。実は成果が出なかった一番の理由は自分の性格によるのかも。

そして、映像でも文章でも英語の世界に入ると現実生活から逃げられる気がしていた。嫌な事があっても我慢できなければ海外へ行けばいいや、みたいな。それが今は難しくなって現実と向き合わなければならなくなっている。

逃げてきた事、避けてきた事、そろそろきちんとやるしかないか。

英語学習を続けるべきか

2021-04-02 00:36:00 | 英語
中学から英語の勉強を初めて約40年。英語学習に終わりはないというけれど、最近はこのまま続けるべきかどうか迷いがでてきている。

やめようかと思っている理由。
•旦那の定年退職後は仕事でよく行っていたマレーシアや他国への移住を検討していた→コロナ禍で日本の良さを再認識、有事には海外にいたくないと実感。
•ずっとアメリカが好きで自分にとっては常にNo.1の国だった→ここ数年の政治、人種差別などのニュースでアメリカが一番とは思えなくなった。
•家族の認知症問題→親が家族さえ認識できなくなるのを目の当たりにし、自分の年齢も考慮すると人生の優先順位が変わってきた。

結局のところモチベーションがなくなりつつある。それでも細々と続けているのはこれまでの英語にかけてきた費用や時間を考えて「勿体ない」と思ってしまうからだ。

長い期間「英語と海外」は自分にとって大きなテーマだった。映画やドラマ、書籍、留学、旅行、友人など海外に興味があったからこそ出会えたものも沢山あった。仕事上、多少の語学の知識があったために得した事もある。

でも…もう十分、という気持ちになりつつある。他に特にやりたいことがある訳ではないのだが。

更年期の疲れ?気の迷い?ミッドライフクライシス?コロナ鬱!?

納得のいく成果を出していれば考えも違ったのかもしれない。やめる前に成果を出せなかった理由を考えてみたい。

英語学習歴③

2021-04-01 19:37:00 | 英語
30代最後の歳から関西での生活が始まった。引っ越しを終えると永遠に続きそうな自由な時間だけが残った。

この頃にDlifeの放映も開始され海外ドラマ漬けの生活になった。前から観たかったDVDも何シーズン分もまとめて購入し日本語字幕→英語字幕→字幕無しの順に消化していった。

夕方はNHK BSでワールドニュースアメリカやABC news showerなどを観るのが日課となった。

机に向かってひたすら単語を覚える…というような事はやらなかった。それは受験やカナダでやってきたし、話せるようにはならなかった。

特に力を入れたのは音読。何年経っても自分の言いたい事を表現するのが難しい。口を慣らすしかないと中学英語で音読用の教材を入手し何度も口に出した。

洋書も様々なものに手を出した。児童文学やハーレクイン、自己啓発、女優の自叙伝など読みやすいと言われる物はジャンルを問わず注文した。(読み始めると難し過ぎて途中になってしまっている本も多い)

そして今、英語力は?
正直言って分からない。TOEICも英検も受けていない。昔よりはニュースもドラマも聞き取れるようにはなったとは思う。映画などのお陰でネイティブしか使わないような表現も分かるようになった。
ただ、英語に接するほど自分のできなさを実感する。分からない単語にも遭遇する。仕事で使えるような実力にも全然達していないだろう。

英語以外の事に時間を使う方が有意義に過ごせるかもしれない。棚の大半を占めているDVDや教材も処分すればかなり片付くのは分かっている。あと◯年、と期限を決めるのもいいかもしれない。

気持ちが決まらないまま今日もワールドニュースアメリカを観ている。



英語学習歴②

2021-03-30 10:01:00 | 英語
30歳で休職しトロントの語学学校に通う事になった。

ダウンタウンの中心部にあるその学校は母国語禁止などのルールがあり講師も真剣に向き合ってくれる。バスと地下鉄を乗り継ぎお店に寄る機会も多かったので校外でのコミュニケーションをとることができた。

ホームステイ先にも恵まれて家族も積極的に会話をしてくれた。おかげで英語の聞き取りや会話する事に関してはだいぶ慣れる事ができたように思う。

しかし…学校やホームステイ先はスラングなど使わず正しい英語でスピードにも考慮して話してくれる。講師や家族とは話せてもネイティブ同士の会話やCNN等の聞き取りなどは全然ついていけなかった。

約半年の語学留学は成果はどうだったか?ネイティブ並みには当然なれなかったが英語を使うという事に抵抗がなくなった、という程度で帰国した。

会社に戻るとすぐに異動になり退職する8年後まではほぼ毎晩深夜まで残業の日々となった。新しい部署では海外とのやり取りがあったが殆どメールのため問題はない。そこでビジネス英語をかなり学ぶ事ができた。

海外との交渉、などと言うと英語上級者と思われがちだがそんな事はない。型番、数量、価格、納期さえ英語で言えればなんとかなる。

朝から晩まで品物の確保とメーカーの対応に追われ時は過ぎていった。休日に発音教室に通ったり独学もしていたが、なかなか満足できるレベルには達しなかった。

家ではSATCやデスパレートな妻たちなどのDVDを利用した。英語字幕や字幕無しでひたすら繰り返す。

学生時代よりは勉強していたが、まだまだ学習時間は足りない。最終目標は日本語並みに英語を使いこなせること。毎回頭の中で翻訳したりせず自然に話せること。そして外資に就職すること。

その目標には全然届いていなかった。そんな中、旦那の異動の辞令が出る。30代後半になっていた。

つづく

英語学習歴①

2021-03-29 09:02:00 | 英語
大学の専攻は外国語学部英語学科、というと英語できるんでしょ?と思われがち。

そんなことはない。海外ドラマは字幕がいるしアメリカのニュース番組も聞き取れない。日本語のニュースで読んだ知識や画像でなんとなく内容が分かる程度だ。

幼い頃にセサミストリートを観て以来、いつかアメリカに行きたいと思っていた。高校の交換留学にも挑戦したかったが家の事情で断念した。その代わりに世間では外国語教育に定評のある大学を選んだ。

授業は購読、英作文など高校の授業の延長のようなものの他にアメリカ文学概論、音声学など専門的なものを選択できた。LL設備も整っており語学を学びたい者にとっては最高の環境が整っていた。

が、一か月程で挫折した。
英語学科の3分の1以上は帰国子女だったように思う。英会話の授業はバイリンガルとその他の学生に分けて行われた。親の駐在で10年NYにいました、というような同級生には絶対かなわないと思い込んでしまった。

時代は1990年代初頭、バブルが崩壊したとはいえ大学はコンパ、サークル、バイトと楽しい事で溢れていた。留年しない程度に授業と試験を最低限こなし勉強以外の事に時間を費やした。

夏休みには提携しているアメリカの大学に語学研修に参加したりしたが、半分遠足に行っていたようなものだ。初めての海外で何もかもが新鮮で楽しかったが英語に関しては自分のできなさを再認識させられただけだった。

就職してからは仕事で忙しく毎年頑張って海外旅行をする程度だった。何もできないくせに、普通の事務職ではなく特別な事をしたいと思っていた。職場の人間関係にも疲れていた時期で自分に特別な能力があればこんな世界から抜け出せるのにとも思っていた。

資格を取る?でも自分のやりたい事って何?悩んで考えて途中で簿記の学校に通ったり寄り道をして、ようやく分かった。やっぱり英語をやりたい。ビジネスで問題なく交渉ができるようになりたい。大学入学当初から数年、ようやく英語に向き合った。

丁度その頃商社に面接に行き、英検2級というだけで採用された。そこの部署は英語に多少興味さえあれば歓迎されるという感じだった。読み書きだけはなんとかできたので輸入関係の仕事を任された。

家に帰ると全て英語モードにし、Ally McBealなどの海外ドラマを流すようにした。洋書、音読、NHK語学講座等、良いと言われるものは全て試してみた。そして英語学習者なら誰でも頭に浮かぶ「海外に住んだら」という考えに至った。(←浅はかww)

会社に休職したいと相談すると当然No。しかしこちらは行きたい学校まで絞っている状態だったので、もう退職するつもりでいた。次のボーナスをもらったら辞めようと計画していた時、突然人事から半年程度ならとOKが出た。後で知ったのだが新しいプロジェクトの立ち上げがありそこに英語のできる人間が必要だったようだ。

予算や治安の面を考えてカナダに決めた。帰国したらいわゆる「ペラペラ」に話せる事を妄想して2001年9月、トロントへ出発した。

つづく