大学の専攻は外国語学部英語学科、というと英語できるんでしょ?と思われがち。
そんなことはない。海外ドラマは字幕がいるしアメリカのニュース番組も聞き取れない。日本語のニュースで読んだ知識や画像でなんとなく内容が分かる程度だ。
幼い頃にセサミストリートを観て以来、いつかアメリカに行きたいと思っていた。高校の交換留学にも挑戦したかったが家の事情で断念した。その代わりに世間では外国語教育に定評のある大学を選んだ。
授業は購読、英作文など高校の授業の延長のようなものの他にアメリカ文学概論、音声学など専門的なものを選択できた。LL設備も整っており語学を学びたい者にとっては最高の環境が整っていた。
が、一か月程で挫折した。
英語学科の3分の1以上は帰国子女だったように思う。英会話の授業はバイリンガルとその他の学生に分けて行われた。親の駐在で10年NYにいました、というような同級生には絶対かなわないと思い込んでしまった。
時代は1990年代初頭、バブルが崩壊したとはいえ大学はコンパ、サークル、バイトと楽しい事で溢れていた。留年しない程度に授業と試験を最低限こなし勉強以外の事に時間を費やした。
夏休みには提携しているアメリカの大学に語学研修に参加したりしたが、半分遠足に行っていたようなものだ。初めての海外で何もかもが新鮮で楽しかったが英語に関しては自分のできなさを再認識させられただけだった。
就職してからは仕事で忙しく毎年頑張って海外旅行をする程度だった。何もできないくせに、普通の事務職ではなく特別な事をしたいと思っていた。職場の人間関係にも疲れていた時期で自分に特別な能力があればこんな世界から抜け出せるのにとも思っていた。
資格を取る?でも自分のやりたい事って何?悩んで考えて途中で簿記の学校に通ったり寄り道をして、ようやく分かった。やっぱり英語をやりたい。ビジネスで問題なく交渉ができるようになりたい。大学入学当初から数年、ようやく英語に向き合った。
丁度その頃商社に面接に行き、英検2級というだけで採用された。そこの部署は英語に多少興味さえあれば歓迎されるという感じだった。読み書きだけはなんとかできたので輸入関係の仕事を任された。
家に帰ると全て英語モードにし、Ally McBealなどの海外ドラマを流すようにした。洋書、音読、NHK語学講座等、良いと言われるものは全て試してみた。そして英語学習者なら誰でも頭に浮かぶ「海外に住んだら」という考えに至った。(←浅はかww)
会社に休職したいと相談すると当然No。しかしこちらは行きたい学校まで絞っている状態だったので、もう退職するつもりでいた。次のボーナスをもらったら辞めようと計画していた時、突然人事から半年程度ならとOKが出た。後で知ったのだが新しいプロジェクトの立ち上げがありそこに英語のできる人間が必要だったようだ。
予算や治安の面を考えてカナダに決めた。帰国したらいわゆる「ペラペラ」に話せる事を妄想して2001年9月、トロントへ出発した。
つづく