再度、関西から車で実家へ。
既に後飾りが葬儀社で設置されていた。
翌日は9時に葬儀場へ家族が集合し逆さ水→湯灌→納棺の流れで進んでいった。母は綺麗にお化粧をしてもらい顔は穏やかだった。
11時前になると親族やご近所の方々、親の仕事関係者などが到着し挨拶に追われた。旦那や兄弟の職場には家族葬である旨を伝えてあり弔問、弔電等は辞退してある。家族は親族以外誰にも伝えていないはずなのだが地方紙か何かを見て来られた方もいたらしい。御高齢なのに足を運んでくださってありがたかった。
家族葬というとかなりこじんまりとした地味なものだと思っていたが弔問客が少ないだけで普通の葬儀とあまり変わらなかった。
遺影写真も大きく供花もかなりの数が飾られていたので華やかな会場となった。花が好きだった母も喜んでいたはず。主賓の兄の挨拶で最期は苦しむことなく逝ったと話していたのでそれだけはホッとした。(最期の立ち会いはできなかったので病院側からの話らしいが)
葬儀後は家族のみが火葬場に移動して、帰られる方々にはお弁当を持ち帰って頂いた。母は亡くなった後も病院から自宅へは戻れなかったので霊柩車には家の前を通ってもらう事にした。
火葬場で精進落としをし2時間程待つ。葬儀の意味をまだ理解していない姪達のおしゃべりであまり暗くならずに済んだ。
お骨拾い後は自宅へ戻り四十九日の予定の話などをして関西へ戻ってきた。
葬儀を終えて数日経つが、まだ実感がわいてこない。離れて暮らしていたせいもあるかもしれないが母がこの世にいないという感覚がない。遠い親戚が亡くなったような不思議な気持ち。
生活はコロナの影響もあり更に引きこもりがちにはなった。誰かと会話をするのがしんどい。
こういう時に専業主婦よりは働いている方が精神的にはいいのかもしれない。決して仲のいい親子とは言えなかったが、良い事悪い事、様々な思い出が心に浮かぶ。若くして親を亡くした方はこんな体験をずっと前にしていたんだ…と思うと自分の幼さと未熟さを実感する。
当分心の整理がつきそうにない。