文鮮明先生御言葉選集 5 - 5. 勝利の国を復帰しよう(1959年1月4日)
1959年1月4日(日)、全本部教会。
創世記 1:27-28、創世記 2:15-17、使徒行伝 1:1-9
<祈祷>
愛するお父様、新しい年にこの日を私たちにお許しくださったことを感謝します。この初めの時間にお父様の前に出て、恥じることのない真の崇拝の時を持つことができるように許してください。そして、お父様が喜ばれるこの時間となりますように。
私たちがお父様の前に非常に不忠であったことをお許しください。そして、摂理の目的の前に私たちのすべてを捨て、お父様が望まれる祭壇のために忠誠を尽くすことができるように許してくださいと切に願います。
この時間、お父様が親しく導いてくださいますように。今、私たちの体と心をお父様に捧げたいと願いますので、受け取ってくださり、親しく運行して、お父様が命じられる言葉と内容をお与えくださいと切に願います。
おお父様、今まで私たちが摂理のために戦い続けてきたすべてのことが、この一年においては勝利に結びつかなければなりませんので、全身全霊を捧げ、お父様が喜ばれる実績を示すことができるように許してください。
今、お父様が許されたあなたの息子娘たちが喜ぶことができる恵みをお与えください。選ばれたあなたの息子娘たちに親しく勝利の証をお残しくださるように切に願います。
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この時間も孤独な家族が地方に広がって、お父様の前に崇拝する場所に、愛と恵みの手を差し伸べ、慈悲の恵みをお与えください。
お父様の全体の目的の前に忠誠を尽くすことができるあなたの息子娘たちとなるように許してくださいと切に願います。この地上であなたの名を使う場所に、愛の手を差し伸べ、慈悲の恵みをお与えくださいと切に願いながら、この一日をすべて任せて導いてください。主の名によってお祈りします。アーメン。
<御言葉>
今日、皆さんにお話ししたい内容は「勝利の国を回復しよう」、イスラエルの国を回復しようということです。イスラエルという言葉の意味は「勝利」を意味しますので、「勝利の国を回復しよう」という意味のタイトルで、しばらくの間お話しします。
創世記の言葉の中で、神が人を創り、祝福されたという内容があります。しかし、その祝福は成就した祝福ではなく、約束の祝福でした。ですから、アダムとエバは大きな希望を抱き、万物を支配することができる日を心に憧れながら生きていました。
そのような状況の中で、神はアダムとエバに善悪を知る木の実を食べてはならないと命じました。「その木から取って食べると、必ず死ぬ」(創世記 2:17)と言われました。従って、アダムとエバは神が祝福された希望を心に抱き、命令を守る必要がありました。命令に従うことで、アダムとエバは神の目的を果たし、真の家庭を築くことができる一男一女としての出発ができました。これが原則です。
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そのため、人間は必ず希望を持つ者でなければなりません。そして、私たちが希望を持ち、永遠の関係を築くためには、信仰の過程を経なければなりません。この希望が実現し、信仰が成就する日に、私たちは神の愛を受けることができます。これが原則です。従って、パウロもコリント第一の手紙13章で、「信仰、希望、愛、この三つは常に存在するが、その中で最も重要なのは愛である」と述べています。
しかし、人間は堕落によって希望を失い、信仰を失いました。希望と信仰を失うことで、神を中心とした愛を失いました。これを回復するためのものが、今までの6千年の回復摂理の歴史であることを、私たちは知っておかなければなりません。
アダムやエバに代わって、神が被造物の前に与えられた祝福を希望として受け、その希望を自分のものにするために、神が命じたことを守り、実行しなければなりません。それをしなければならない立場にあるのです。
神を中心とした希望と信仰を持ち、実践生活において勝利を収めるとき、初めて私たちは神の愛を受けることができる個人回復の基準を立てることができます。どのような個人や家庭、教会、そしてすべての被造物までも、このような権利の中にあるということを、私たちは理解しなければなりません。
神はこのような理念を持って被造世界を創造されましたが、堕落によってこれらを失ったため、今まで人間は希望を求め、信仰を求め、愛を求めてきました。
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従って、私たちが歴史を振り返るとき、旧約時代は希望を求めて実践してきた時代であり、新約時代は信仰を求めて実践してきた時代です。従って、これからの聖約時代は、愛を求めて実践していく時であることを、皆さんは理解しなければなりません。
希望を求める摂理の時代であった旧約時代には、割礼を通じて選民としての条件を立ててきました。新約時代には、水の洗礼と火(聖霊)の洗礼を通じて、神の前で信仰を立ててきました。そして聖約時代においては、神の愛の印を受けることで、神との愛の縁を結ぶことができるということを、皆さんは知っておかなければなりません。
それでは、今までの6千年の歴史は何をするための歴史だったのか?それは、人間が堕落によって失った希望と信仰と愛を回復するための歴史でした。今まで神はそれを回復するために努力してこられたのです。ところが、今日の私たちは、まだ信仰の時期にとどまっているのです。
それでは、希望は何を象徴していたのでしょうか?それは、神の新しい言葉を象徴していました。そして、信仰は何を象徴していたのでしょうか?それは、神の真の息子娘になるためのものでした。真の息子娘を見つけるために、信仰が象徴されてきたのです。そして、これからは神の愛を中心に、自分の存在が完成した後に家庭を見つけることで、初めて神の愛が成立することを、皆さんは知っておかなければなりません。
神は今までの6千年間、回復摂理の歴史を進めてこられましたが、人間の前に希望の神、信仰の神となることはできても、まだ愛の神になることはできていませんでした。それでは、私たちが今するべきことは何でしょうか?希望の神、信仰の神を土台にして、愛の神を迎えることができる生活環境を築かなければなりません。このような環境を打破しなければならない重要な時が、まさにこの時です。
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今までの信仰生活は、自分一人を見つけるためのものでした。失われたアダムとエバと同じ立場で、原罪のない本来の存在を見つけるためのものでした。では、神が最後に望むものは何でしょうか?まず、神の愛を中心に、個々の存在が結ばれた一つの家庭を見つけることです。さらに、神が愛することができるその家庭を中心に、その家族が増え、民族と世界を見つけることを望んでおられます。これが神の全体的な意図です。
それゆえに、今日の私たちは、私たち自身の希望の時、または信仰の時が過ぎる前に、希望と信仰を見つけて立てなければなりません。私たち一人一人が、6千年間神が摂理された全体を結実した姿、つまり完全なアダムとエバの一つの姿を持つべきです。そして、神の愛を中心に新しい家庭を形成しなければならないということを、皆さんは理解しなければなりません。
イエス様も天国を約束してこの地上に来られましたが、その目的を全て果たすことができませんでした。過去に来た多くの預言者たちも、天を証ししましたが、その目的を果たすことができませんでした。従って、全ての歴史的な希望と信仰を持って天国、つまり勝利の楽園を見つけなければならない今日の私たちです。それでは、今日、皆さんがすべきことは何でしょうか?天が喜ぶ個々の存在を見つけ、天が喜ぶ家庭を築くことです。しかし、その家庭を見つけるには、真の父母を見つけなければなりません。そして、真の夫婦、真の兄弟を見つけなければなりません。
これを見つけるためのものが、神の摂理の歴史です。従って、希望を象徴した時代は旧約時代であり、信仰を象徴した時代は新約時代です。そして、これから愛を象徴する時代が来ますが、その時代を聖約時代と言います。こうして、そのような縁が天から地上世界まで広がっています。
従って、イエスが来る前の旧約時代に生きた多くの人々は、神の前で希望の存在でした。そして、イエスの時代の新約時代の人々は、神の前で信仰を立てることができる対象でした。しかし、これからの聖約時代においては、希望の存在を代わりにでき、信仰の存在を代わりにできる段階を超えて、愛することができる存在を見つけようとしています。これが神が6千年間摂理してきた全体の意図であることを、皆さんは知っておくべきです。
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それでは、今日の私たちは神の愛を受ける必要がありますが、過去の希望の時代に受けたそのような愛は私たちに必要ありません。また、信仰の時代に受けた神の愛も必要ありません。
私たちは、今すべての恨みの歴史を超えて、あなたを愛するという神の直接的な祝福を受けなければなりません。こうして皆さんが天と地に結ばれた恨みを晴らして差し上げることで、イエスと皆さんが新郎新婦の縁を結ぶことができ、愛の条件を通じて神の愛を受けることができます。これが今までの回復摂理の全体的な意図です。
このようにして、神の愛を受けることができる一つの存在になれば、その人は旧約時代を代わりにし、新約時代を代わりにし、聖約時代を代わりにすることになります。従って、皆さんは今まで霊界にいる楽園の霊人たちや、現在地上に生きているキリスト教徒たち、または再臨時代に再臨主を迎え、直接的な神の愛の権内で生きることができる人々と一つの目的を達成しなければなりません。
皆さんは過去の信仰指向的であり、希望指向的な信仰圏内にいた人々、つまり旧約時代から新約時代までを通過した多くの霊人たちは、終末に聖約時代の人を通じてでなければ、神の前に立つこともできず、神の愛を受けることもできないことをよく知っています。
従って、私たち自身は、今や天と地のすべてに対して戦って勝利できる勝利者の姿を持っていなければなりません。この天の全体摂理を見たとき、今まで天上の楽園にいる霊人たちは、希望のイスラエルであり、現在地上にいるキリスト教徒たちは、信仰のイスラエルです。これからはまた新しいイスラエルの世界が来なければなりませんが、そのイスラエルは何かといえば、それは愛のイスラエルです。
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従って、今日の皆さんは神の愛を受けるイスラエルとなるべきです。そして、愛を受けた証を持つイスラエルとなるべきです。そうすれば、過去の希望時代と信仰時代を経たという一つの条件を完結させ、お父様の前に堂々と立つことができるようになります。これを皆さんは理解しなければなりません。
これを指して、私たちはイエス以前の時代の聖徒たちを第一イスラエルと呼び、イエスが来てから現在までイエスを信じている聖徒たちを第二イスラエルと呼び、これから再臨時代に再臨主を迎えて直接的な神の愛の権内で生きることができる人々を第三イスラエルと呼んでいます。
そのため、終末においてこの第三イスラエルの立場に入る人々は、歴史の中で初めて現れる者たちです。また、神の心情を代わりにして、愛という名を掲げて直接関わることができる、創世以来初めて現れた者たちです。従って、このような者が現れなければ、天の希望の摂理も信仰の摂理も全て崩れるということです。従って、終末に置かれている今日の私たちの使命がどれほど重要であるかを再び感じなければなりません。
この地を見れば、この地には第二イスラエルが生きています。そして、霊界には第一イスラエルが生きています。しかし、まだ神が統率できる第三イスラエルが形成されていないのです。さらに、部族の編成から教会の編成、あるいは家庭の編成もされていないのです。
それでは、神がこの地上でしようとしていることは何か?神はヤコブ、モーセ、イエスの時代から12兄弟、12長老、12使徒のような天的な数を探してこられました。このように、天の全ての原則の数を見つけ、それによって天上や地上にいる全ての人々を一つの階級に結び付け、一つに統合することです。これが天の摂理の目的です。このようになると、天国の門が開かれます。しかし、天国の門は天国だけで開かれるのではありません。地上でも開いて広げなければならないのです。
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これまで一つの地域的な限界内にあったその天国の門が、イエスを信じて進んでいく聖徒たちが増えることによって、次第に広がっていったことを私たちは知っておくべきです。これが神の望みです。そのため、皆さんは終末において、サタンとの戦いで勝利し、復帰の目的を立てて、天国の門を通じた存在でなければなりません。
今日の皆さん自身がどの部族に属しているかが問題です。今日、全世界にキリスト教の教派がいくら多くても、その教派は12使徒を代表する何か一つの部族に属さなければなりません。しかし、天が地上を統率し、動かし、命令することができるこのような部族編成はまだできていません。このような地を天は今も心配しています。モーセ時代の12部族はヤコブ時代の12兄弟に代わるものでした。
アブラハムからモーセの時代まで選ばれた民として立てられたこの群れは、ヤコブの家庭を中心とした回復時代の部族に代わる民族回復型の群れでした。従って、その12部族を中心にして、400年間繁殖した子孫は、すべての部族権内に入らなければなりません。そして、モーセの部族権内に入った民は、世界を代表して回復の使命を担ったイエスの12弟子を中心とした部族権内に入らなければならなかったのです。モーセを通じてイエスの時代まで形成されたイスラエル民族は、イエスの12弟子を中心とした部族に編成されなければならなかったのです。このような回復的使命が残されていたことを私たちは知っています。
それでは、当時イエスが来て死なずに目的を果たしていたならば、旧約時代の霊人たちが第二イスラエルとなり、イエスを信じて天の真の愛を受けることができる群れが現れることで、彼らが第三イスラエルとなるべきでした。しかし、この目的が果たされなかったために、第二イスラエルに対する目的はそのまま残りました。また、第二イスラエルに対する目的が果たされなかったために、これが延長されて、2000年が過ぎた今までキリスト教信者がイエスの時代に生きていた選ばれた民が担うべき使命を補完してきたということです。このように、イエスが12使徒を中心にこの地上でイスラエルを統率できる部族編成を行わなかったことが、神の悲しみ、イエスの悲しみ、聖霊の悲しみであったことを私たちは知っておかなければなりません。
それでは、今日の私たちはイエスの目的を成就させ、神の目的を成就させるためには、まず何をすべきでしょうか?それは、天がこの地上に全世界を代表して立てることができる一つの部族を編成しなければならないということです。
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部族を編成するには、ヤコブの12人の息子、モーセの12長老、イエスの12使徒が出てきます。しかし、ヤコブと12人の息子の関係は親子の関係でした。従って、モーセと12長老の関係も親子の関係でなければならなかったが、親子の関係を築くことができませんでした。イエスと使徒たちも親子の関係であるべきでしたが、それができませんでした。これが今日まで回復摂理の過程において一つの悲しみの条件が残された理由であったことを、私たちは知っておかなければなりません。
ヤコブと12人の息子たちは親子の関係にありましたが、モーセと12長老、イエスと12弟子たちは親子関係を結ぶことができませんでした。もし、イスラエル民族がモーセを自分たちの民族の父として迎え、自分たちの民族を天の勝利した民族として立てることができる存在として、天が立てた民族的な父として知り、親子関係を結んでカナンの地へ出発していたならば、イスラエル民族がモーセを裏切ることはなかったはずです。
しかし、モーセと12部族が親子関係を結ぶことができなかったために、モーセが悲しんでも、その民族は悲しむことを知りませんでした。このように互いに関係が途切れ、ここで神が愛を通じて回復しようとした全体の目的にひびが入り、選ばれたイスラエル60万人の民は荒野で倒れることになりました。
その後、イスラエル民族はヨシュアとカレブを中心にカナンの地に入りました。そして彼らがイエスが来るまで持っていた願いは、一人の主を迎えることでした。それでは、なぜイエスを立てなければならなかったのか?それは、モーセを民族的な父として迎えることができなかったために、イスラエル民族はこれから来る世界的な父を迎えなければならない一つの時期を迎えたのです。すなわち、真の父として来られるメシアを待ちながら、イスラエル民族は準備を進めてきたのです。ですから、この地上にメシアが誕生した後、イスラエル民族が天の目的を受けて12使徒と共にイエスと親子の関係を結んでいれば、イエスと別れることはできず、使徒たちも互いに別れることはなかったはずです。イスラエル民族がイエスと神の愛を受ける親子の関係を結ぶことができなかったことが、今日の歴史的な悲しみとなったことを私たちは知っておかなければなりません。
従って、この時期において私たちは天が望み、探している12部族の部族長のような代表者を再び立て、主の愛を中心に親子の縁を結ばなければなりません。そうでなければ、歴史の過程で神の摂理の目的を完結することはできません。これを皆さんが知っておかなければなりません。
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しかし、今日まで回復の過程を歩んできた私たち人間がヤコブ、モーセ、イエスの時代までの4000年間、神の意志を裏切ったために、すべてを失った立場に立ってしまいました。アダムからイエスまでの4000年間、神の意志を全て崩したのと同じ立場に立っているのです。ですから、私たちは民族が倒した罪を再び責任を持ち、イエスが来てから2000年間、努力してきたすべてのことまで責任を持たなければなりません。このような責任を負い、新しい部族を編成してイエスと親子の関係に縁を結ぶことを望んでいるのが、今日の私たちキリスト教徒の立場です。ですから、皆さんは先祖たちが成し遂げられなかったことをすべて遺業として、部族を逆に編成して進んでいくことを目指しながら進んでいかなければならない立場に置かれています。
それでは、部族を編成するにはどうすればよいでしょうか?イスラエル民族になるためには、アブラハムの時代には割礼を受けなければならず、イエス様の時代には洗礼を受けなければなりませんでした。しかし、これからはイエス様の印と父の印を受けなければならないことを、皆さんは知っておかなければなりません。これが私たちが新しい部族を編成して進む際に重要な問題です。イエス様の印を受け、父の印を受けなければなりません。これを成すために神は今までの6000年間、摂理してこられました。希望の旧約時代と信仰の新約時代を経て、愛の聖約時代に進むには、神が私たちを抱きしめ、愛することができる立場を築かなければなりません。
今日の皆さんはこのような過程にあります。従って、皆さんが個人的に完成された聖別された存在となった後には、天が成し遂げようとされた本来のアダム家庭を探しに行かなければなりません。そして、アダムの兄弟となるべきです。
こうして、父母を失った人間たちは兄弟同士で合わさって父母を回復する歴史的過程を経てきました。アダム家庭からノア家庭、ヤコブ家庭を経て見つけてこなければならなかったのです。従って、そのような個人が父の認めを受けた後には、兄弟を探すべき時が来ます。兄弟とは、私の兄弟だけではありません。その兄弟はアダムからヤコブに至るまで、すなわち2000年間、神の摂理を完了させる基準を作り、天の家庭を代表する父母が出た後に初めて12人の兄弟を持ちます。これと同様に、今日の私たちも回復摂理の過程において、自分自身が父の前に認められた後に、アダム家庭の3数を経てノア家庭の3数を経てヤコブ家庭の3数を経て、次にヤコブ家庭の12数を経て進んでいかなければなりません。そして、これを経た後には70数を経て進んでいかなければならず、その次には門徒型の120数を経て進んでいかなければならない立場にあることを皆さんは知っておくべきです。
真の兄弟を見つけた後に真の父母を見つけることができます。父母を見つけた後に兄弟を見つけるのではなく、兄弟を見つけた後に父母を見つけることができるのです。今日この基準を考えると、多くの人が逆の生活をしています。従って、真の父母を見つけようとする人がいるならば、その人は兄弟を通じてでなければ父母を迎えることができないことを知っておくべきです。
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今、神が最も心配しているのは、天を代表する真の父母がいないことではなく、真の兄弟がいないことです。これを皆さんは知っておくべきです。このような摂理的な意図を担うべきだったイエス様は、弟子たちを真の兄弟の立場に立たせるために、3人の弟子を選び、12人の弟子を選びました。しかし、3人の弟子が一つになれず、12人の弟子が一つになれなかったために、真の父母を回復できる道が閉ざされたこの悲しい事実を私たちは知っておくべきです。
そして今、私たちは真の子女の立場を経て、真の父母の門を経た後に初めて、6000年間摂理の希望として残された天の愛を受けることができることを知っておくべきです。この時が必ず来ます。従って、皆さんは自分自身において兄弟との争いに勝利しなければなりません。そうして、天の前で私は新婦であり、イエス様は新郎、すなわち新郎であるイエス様はアベルであり、私たちはカインとして、アベルであるイエス様と一つになるべきです。
それでは、イエスと一つになるにはどうすればよいでしょうか?新婦一人で行っても、新郎であるイエス様を迎えることはできないことを知っておかなければなりません。新婦自身だけが行っても、新郎であるイエス様に会うことはできません。兄弟と一つになって進んでこそ会うことができるのです。さらにイエス様は新郎の名を持って来られますが、新郎の門を通った後には何を探すべきでしょうか?天の失われた家庭を探すべきです。それを見つけなければならない立場にあります。
今日、私たちが勝利の道を切り開き、神の真の愛を受けるために、まず何をすべきでしょうか?私の心と体において、私の心の罪を克服し、心が動くままに生活圏内で体を自由自在に完全に支配することができなければなりません。新郎であるイエスをアベルとして、私の体が新婦の立場で、あるいはカイン的な立場で彼と完全に一つになるべきです。しかし、それだけで事が終わるわけではありません。新郎であるイエス様と私が完全に一つになった後に、新郎であるイエス様が探すために努力していた3人の弟子たちを代わりにする存在を見つけるべきです。また、12人の弟子たちを代わりにする存在を見つけるべきです。
なぜイエス様は3人の弟子を探したのか?アダム家庭の3人の息子を代わりにする弟子を見つけ、真のアダムの立場に立たなければならなかったからです。イスラエル民族はどこから形成されたのか?ヤコブから形成されました。アダム家庭の3人の息子を代わりにする者を見つけた後に、ヤコブの時代に来て初めて勝利の条件を立てました。さらに、その3人の息子を基盤として、12人の弟子が一つになり、この地上で勝利の足場を築く必要がありました。しかし、3人の弟子と12人の弟子がすべて裏切り、イエス様は死なざるを得ませんでした。イエス様はこの地上で真の家庭を築くことを望んでいましたが、その目的を果たせずに去りました。従って、今日の私たちがイエス様の新婦の立場に立つには、イエス様がこの地上に残したいくつかの条件を見つけて進むことができるべきです。そうしなければ、新郎である主に会うことはできません。アダム家庭の3数を見つける過程が、今日の私たちの教会においては三位基台の編成です。従って、三位基台を中心にして一つにならない限り、天の前に立つことはできません。
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三位基台が一つになることによって、アダム家庭で失われたものを再び回復しようとする神の目的を果たすことができます。それで、これが2000年過ぎたヤコブの時代に来て、12人の兄弟を探し、摂理の目的を果たしてきたのです。これと同様に、3数を基盤として12人の弟子を探し、一つになった後に初めて、皆さんは父母を迎えることができ、さらに一つの部族を代わりにする種族権内に入ることができるのです。これを皆さんが知っておくべきです。
これがアダム家庭からヤコブの時代までの2000年の歴史を蕩減するための絶対的基準でした。従って、モーセもこの道を通らなければならず、イエス様もこの道を通らなければならなかったのです。
しかし、モーセは12部族が摂理の目的において何を意味する数であり、70長老が何を意味するのかを知りませんでした。しかし、イエス様はこの地上に来て、3人の弟子を選び、さらに12人の弟子を選び、この70人の門徒を立てて、歴史的な縁を結ぶことを知っていました。それで、このような摂理を行いました。イエス様はこの基盤を整えて、必ず民族の足場の上に立たなければなりませんでした。
しかし、この民族的な足場を築く責任は、イエス様が担うべきものではなく、洗礼者ヨハネが担うべきものでした。しかし、洗礼者ヨハネが崩壊したことで、民族的な足場が崩れ、4000年間摂理されたすべてが崩れた結果を招きました。そこで、イエス様は再びアダム家庭に戻り、回復の使命を果たすために、3人の弟子から12人の弟子、70人の長老、120人の門徒を探し、再び第二の道を歩んだということを私たちは知っています。しかし、選民イスラエルの立場に立つべきユダヤの民が、天の前で全て捨てられ、信じていなかった漁師たちや異邦人がこの祝福を継承してきたことを、私たちは知っておくべきです。
イエス様が去ってから3人の弟子たちの部族はどこへ行ったのでしょうか?ありません。イエス様が去ってから12人の弟子たちの部族はどこへ行ったのでしょうか?ありません。70人の長老や120人の門徒も、言葉に対する条件は立てましたが、実体に対する条件は立てていませんでした。これを今日の私たちが回復しなければ、神の目的を果たすことはできません。
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これから世界的な使命を担うべき再臨理想時代において、再臨主がこの地上に来て目的を果たそうとするには、イエス様が立てようとしたその足場を立てなければなりません。そうでなければ、回復の使命を完結することはできません。
従って、天はまず3人の弟子を見つけたという基準を合わせて立てるでしょう。見つかったその3人の弟子たちは、死んでも一緒に死に、生きても一緒に生きるべきであり、3人が天を代わりにできる立場に立たなければなりません。次に、12数を見つけなければなりません。これが最低限度の天の足場です。
次に私たちがすべきことは、まず天国の国民を見つけることではなく、天国の家庭を見つけることです。国民がいるためには、まず家庭が必要だからです。従って、この家庭を見つけた後に初めて父母を迎えることができるのです。このように逆さまです。
旧約時代は国民を見つける時であり、新約時代は子女を見つける時であり、聖約時代は父母を見つける時です。従って、新約時代からは家庭を見つける時代でしたので、イエス様は愛を紹介され、愛の道理を立てました。
それでは、今日の私たちは、この回復の時代を経て新しい理想時代に進むために、どのような立場に置かれているのでしょうか?イエス様はこの地上で長子の使命を担い、天の前に立つべき責任を担って来られましたが、この責任を完遂することができなかったため、2000年間延長されました。従って、今日の私たちにはこれを代わりに蕩減回復しなければならない使命があるのです。終末の聖徒である私たちは、このような重大な立場に置かれていることを知っておくべきです。
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それでは、皆さん自身が天国の一つの家族になるにはどうすればよいでしょうか?天が最低限度で探しているもの、すなわちノア家庭で失われたその数を補充しなければなりません。しかし、この3数を補充したからといって、天の前に立つことができるのでしょうか?それも違います。アダム家庭の3人の息子を代わりにできる数がヤコブの時代に来て初めて完結したため、今の時代にはその3兄弟の条件を立てるだけでは不十分であり、必ず12数の条件を立てなければなりません。そうして初めて天国の家庭に復帰した基準を地上に立てて、父の前に進むことができることを皆さんが知っておくべきです。男性も女性も、それぞれこの責任を担っています。元々は、自分を中心にして3兄弟を作らなければ、これからの新しい時代に父母の立場に進むことはできません。
それでは、終末はどのような時代でしょうか?父母が出てくる時代です。しかし、父母が出てくるとき、宇宙的な父母が出てき、民族的な父母が出てき、家庭的な父母が出てくるのです。皆さんは宇宙的な父母を手本にし、あるいは教団的な父母を手本にした後に初めて、家庭的な父母を探しに進むことができます。
6千年の回復摂理の歴史を振り返ると、神は今まで人類に対して真の父母の立場、宇宙的な父母の立場から摂理を進めてこられました。イエスと聖霊は今まで選ばれた第二イスラエルに対して民族的な父母の立場から摂理を進めてこられました。
従って、イエス様は民族的な使命を代表し、教団的な使命を代表しておられましたので、大祭司の立場から出てこられました。従って、皆さんはこのようなイエスを中心にして天の前に立つことができる家庭的な大祭司となり、家庭の真の父母となるべきです。これが神が終末にこの地上に探して立てるべき摂理の中点であることを、皆さんが知っておくべきです。
従って、教団的な父母の立場におられたイエス様は、世界的な父母の立場に進むために再臨という名を残して去られました。それでは、世界的な大祭司の責任を持って来られる方は誰でしょうか?その方は世界的な父母です。このようになります。しかし、今日、この地上を見れば、宇宙的な真の父母がいなく、教団的な真の父母がいなく、家庭的な真の父母もいません。
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それでは、真の父母となるにはどうすればよいのでしょうか?それぞれが教団的な大祭司の立場にある教団的な父母を迎えた者でなければなりません。そうでなければ、家庭的な父母になることはできません。また、その教団的な父母は、天宙的な父母を迎えなければ、完全に教団的な父母としての役割を果たすことはできません。
従って、このような摂理の歴史が完結せずに残っていることを見れば、神の意志はまだ成し遂げられていないということです。それでは、全体回復の使命を完結させるべき私たちは、今何をすべきでしょうか?まず、宇宙的な父母を探して迎え、教団的な父母を探して迎えるべきです。この仕事をして初めて、家庭的な父母の資格者になることができます。
国家を見ても、そこには代表者があり、種族には種族の代表者があり、家庭には家庭の代表者がいます。人間はこのような全体の世界と関係を持っているため、宇宙的な父母、教団的な父母、家庭的な父母を迎えて進まなければ、天の民になることはできません。
今日、この地上に生きている全世界の人類が探しているものは何でしょうか?それは宇宙的な父母を探しています。特にキリスト教信者たちは、教団的な父母が現れることを望んでいます。その宇宙的な父母が現れる日が再臨の日です。しかし、まだ教団的な父母を迎える摂理は成し遂げられていません。
天は6000年間摂理の目的を立ててこられましたが、教団を中心に大祭司の責任を持って来られるべき再臨主の使命が残っていることを見ると、天は新郎新婦という約束の範囲内の摂理を果たしましたが、新郎新婦が教団を中心に生活できる真の父母の位置にはまだ進んでいないことがわかります。真の父母の位置が決まる前には、真の子女たちで構成される真の家庭は成立しません。もう一歩進んで、宇宙的な父母の位置が決まる前には、教団的な父母の位置が決まることはできません。今日、堕落した人間にとって、父母はいるけれども、その父母は真の父母ではありません。その父母は神の前に認められた父母ではありません。
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それでは、終末の私たちがすべきことは何か?それは、私たちが生きているこの時期に宇宙的な父母を迎え、教団的な父母を迎え、その後には家庭的な父母まで迎えなければならないということです。つまり、3代の父母を迎えなければなりません。家庭は民を代表する形であり、教団は子女を代表する形であり、宇宙的な父母は真の父母を代表する形です。
今日、この地上に人間が生きているけれども、天が許した真の父母の愛の権から外れています。父母と血と肉が通じ合うこのような縁が、生まれてから永遠の世界に至るまで結ばれていないことが悲しい事実です。従って、家庭的な父母から教団的な父母、宇宙的な父母と神の愛が結びついてこそ、初めて6000年間の全体の愛の権内に入り、神の前で顔を上げて立つことができることを、皆さんが知っておくべきです。これが私たち人間が必ず歩むべき道なのです。
それでは、私たちは今どこに立っているのか?私たちはまだ家庭的な真の父母の位置に入っていない立場にあります。従って、家庭的な真の父母の位置を見つけなければならないのですが、その父母を見つけるには簡単ではありません。なぜなら、落ちてしまったので、再び見つけるためには、兄弟の橋を築かなければなりません。私たちのすべてを犠牲にすることがあったとしても、真の父母を見つけるために、あるいは私自身が真の父母になるためには、このような歴史的な恨みを晴らす条件を立てて、蕩減した基準を作らなければなりません。そうでなければ、天は皆さんを許すことができません。
それでは、皆さんがすべきことは何でしょうか?父母を迎える立場にあるので、父母を迎えることができる兄弟の基盤を築かなければなりません。これが三位基台の意義です。編成された三位基台の兄弟たちが、天の父母を迎えることができる中心を持って、3人の兄弟が一つになり、12人の兄弟が一つになった時、初めて天国の家庭としての資格を与えられることができます。そして、その家庭は父母を拡大し、教団や民族、国家を代表する形を持って、その上に父母を迎える基準を準備しなければなりません。
その後に、教団的な形を整えて、世界的な父母を迎える準備を進めなければなりません。ヤコブの時代でも家庭的な基準を作りましたが、その後の子孫が信じなかったため、その基準が全て崩れました。モーセの時代でも民族的な家庭の基準、民族的な父母の基準を整えてきましたが、信じなかったために全て崩れました。イエス様もこの地上に来られて、世界的な家庭の基準を整えようとされましたが、人々が信じなかったため、その目的が全て崩れました。
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従って、今日の人間は希望を持っていますが、信仰を持っていますが、愛を持っていません。堕落によって私たちは希望を失い、信仰を失い、愛を失いました。従って、それを再び見つけなければならない運命にある私たちは、新しい希望を持たなければなりませんし、新しい信仰を持たなければなりません。さらに、新しい希望と新しい信仰が結びついて一つになる兄弟を持たなければなりません。そうしてヤコブ以後、希望で探し、イエス様以後、信仰で探した、その全体の目的を代わりにする基準を皆さんの実体を通じて立てなければなりません。このような実体的な条件を全て整えた時、初めて神がそのような私たちの存在を見て、希望の存在であり信仰の存在であると言うことができるのです。
これまで人間は神を希望として見てきましたし、神を信仰として見てきました。しかし、神がこの地上に希望と信仰の結実を備えた実体が現れる時、その人を見て希望を持つことができるのです。すなわち、神が私たちに対して希望を持つことができ、私たち自身が信じることができる実体となった時、神の愛が世界と縁を結ぶことができるのです。
それを実現するためには、蕩減回復の原則に従って、皆さんの心に父母の愛が成立しなければ、夫婦の愛が成立します。さらに、父母の愛と夫婦の愛が成立してこそ、兄弟の愛が成立します。このようになっています。
父母の愛は一つです。夫婦の愛は父母を中心に繁殖するためのものですし、兄弟の愛はこの夫婦を代表して繁殖することができます。一つから出発して、徐々に拡大していくことが父母の愛です。堕落した私たち人間がこれを探しに行くには、最小単位である兄弟から出発します。兄弟から出発しなければ、理想世界を建設することはできません。
それでは、真の父母を迎えるにはどうすればよいでしょうか?真の夫婦となり、真の家庭を築く必要があります。そうしてその上に真の父母を迎えることができます。皆さんが先生を信じて従うことは良いことです。しかし、先生を信じて従うその心の大きさだけ、他の人が皆さんを信じて従うことができる存在でなければなりません。このようにして、イエスが探そうとした家庭の形を持つべきです。そうすることで、万人は兄弟となります。このことを実現するために、三位基台を編成しました。従って、皆さんはこれから何かをするとき、一人ではいけません。伝道するときも一人ではいけません。
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このような三位基台を築いて、兄弟の立場に立ったとしても、兄弟同士で行うことはできません。それを共にする必要があります。父母と兄弟が一つになってこそ、家庭が成立するのです。そして、これが一つの民族形を持つには、このような家庭が12家庭になるべきです。10数以上を超えた場合に、民族的な条件を代わりに担うことができるのです。
イエス様はなぜ120人の門徒を立てたのでしょうか?アダムからノアまでの10代目であり、ノアからヤコブまでの12代目です。この2000年間を代わりにした縦の結実体がヤコブの12人の息子たちですから、イエス様は縦の12数を中心にしました。ノアからヤコブまでの12代とノアからアダムまでの10代を代表する数を持つために、12数に10を足して120が出るのです。これが何かというと、回復するための全体数を代表する数でした。
従って、これまで皆さんに対して伝道するように言ったのです。人間は地上に生きている間に120人を伝道しなければなりません。それができないなら、12人だけでも伝道しなければなりません。12人を伝道するには、その12人だけでは不十分です。120人を伝道することはできないが、横的に120人を作ることができるようにしなければなりません。すなわち、120人が横的に和することができるようにしてこそ、回復の使命を果たすことができます。
今日、皆さんには勝利の国を建設する責任があります。勝利した国には、勝利した天と地を代わりにすることができる真の父母がいなければなりません。次に、教団をはじめとする世界のすべての宗教を代表する使命を担う真の父母もいなければなりません。また、家庭を代表することができる真の父母もいなければなりません。これを横的に見ると、教会は社会性を帯びており、国家は世界性を象徴して進んでいきます。従って、皆さんが縦的にも横的にも縁を結ばなければ、一つの国の民として、一つの家庭を持つ人にはなれません。
皆さんが進むこの道が天国に行く道ですから、皆さんは必ず進むべきです。従って、家庭を持つ人は家庭的な責任を果たさなければなりません。また、教会を担当する人は教会的な責任を全うしなければならず、より大きな使命を持つ人はより大きな使命の責任を全うしなければなりません。そうすれば、その形と動きが同じになります。すなわち、使命の分野が異なるだけで、生活形態も生活様式も同じです。範囲が大きいか小さいかに違いがあるだけです。従って、これから皆さんは家庭の立場から世界を代わりにすることができる蕩減の条件を立てなければなりません。民族を代わりにし、教会、教団を代わりにしてこれを立てて進めていかなければ、初めて宇宙的な真の父母の理念を成し遂げることができることを、皆さんは知っておくべきです。また、今日、回復の理念を成し遂げる上で、地上に生きる私たちの責任がどれほど貴重であるかを知っておくべきです。
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モーセの道はイエス様の道であり、イエス様の道は私たちの道です。モーセが12部族と70人の長老を中心に60万人の民を率いて進んだように、イエス様も12人の使徒と70人の長老、120人の門徒を中心に歴史を進めましたが、イスラエルの民が共に進んできたならば、イエス様は世界的な足場をつかみ、出発することができたでしょう。しかし、これを民族が受け入れなかったため、イエス様は目的を果たせずに十字架にかけられました。
それでは、今日の再蕩減時代において私たちはどのような使命を果たすべきでしょうか?それは、互いに団結し、3人が12人を作り、12人が120人を作り、120人が60万人、さらにそれ以上に動かせる時を作らなければなりません。それを作り上げなければ、神の全体的な摂理を中心にして、天が全権的な活動を行うことはできません。これを皆さんは知っておくべきです。そうして初めて民族を越えて国家的な段階に進むことができます。従って、皆さんはこれから希望の一日を目指して進んでいかなければなりません。言い換えれば、希望の一日を迎えるために準備を進めていかなければなりません。
この時代において私たちは家庭的な使命も果たさなければならず、民族的な使命も果たさなければならず、世界的な使命も果たさなければなりません。私たちが多くの迫害を受けている原因はここにあることを知っておくべきです。迫害を受けながらも、家庭的にも教団的にも国家的な使命を果たしたという条件を立てることで、6000年間神が摂理してこられたその基盤に私たちを立てようとしているのです。このような神の意図があることを知っておくべきです。この目的の前に立つ日には、イエス以降、今日まで霊界にいる数多くの霊人たちは第一イスラエルの立場に立ち、イエス様が地上に来て去った後に信じた聖徒たちは第二イスラエルの立場に立ち、今日、完成的な条件の上に立つ人々は第三イスラエルの立場に立つということです。第三イスラエルの立場に立つことが、新郎が進むべき道の目的地であるため、私たちは反対の経路をたどって進まなければなりません。
愛を代わりにすることができるのが第三イスラエルであるため、愛の目的を通さなければ神と縁を結ぶことはできません。従って、霊界にいる第一イスラエルは地上にいる第二イスラエルであるキリスト教徒を通じなければならず、第二イスラエルであるキリスト教徒は第三イスラエルを通じなければなりません。また、第三イスラエルを目指している私たちは、仲介的な基準を探し立てなければなりません。自分自身においても、家庭的な分野や教団的な分野においても、世界的な分野においても、皆さんはこのような立場を探し立てなければなりません。
このような全体の目的を前にして、自分がどの段階にあるかを今日の皆さんがよく知っておくべきです。皆さんが先生、先生と言うのはありがたいことです。先生、先生と言うのはありがたいことですが、回復の条件を探し出さない限り、先生もどうすることもできません。
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それでは、今日、真の父母を探して進む過程において、真の兄弟同士はどのようなことを探し立てるべきでしょうか?これまでの6000年間、堕落の血統を経て進んできましたが、どの時代の誰も兄弟を愛したこと以上の愛を、この地上に築かなければなりません。これを立てなければ、天が「おお、お前たちは私が認める兄弟だ」と言うことはできません。このように真の兄弟の道を経た後に、皆さんは家庭的な父母になることができる恩恵の権内に入ることができます。そして、自分のためにそれを行うのではありません。皆さんは民族的な父母、宇宙的な父母のために、家庭的な父母の立場に立たなければなりません。皆さんはこのようなことを行わなければなりません。いかに優れた者であっても、このような蕩減の道を条件として進まなければなりません。
これを成し遂げなければ、勝利したイスラエルの父母にはなれず、勝利したイスラエルの兄弟にもなれず、勝利したイスラエルの民にもなれません。従って、兄弟を編成して天の前に認められた後、家庭を編成し、その後、家庭が合わさって民族を編成し、反列を編成していくべきです。
天がこの地上で探している12部族を代わりにしてきた世界の全てのキリスト教がイスラエルの名を持っているけれども、イスラエル的な反列がないために、神が摂理できる足場がないということです。従って、神が摂理できる足場を作るために、今日散らばったイスラエルの反列を再び編成し、回復できる世界的な足場を作らなければなりません。このような責任が今日の私たちにあります。
<祈祷>
今日、私たちは伝道しています。伝道は兄弟を探すことです。ですから、兄弟が増えれば種族になり、種族が増えれば民族になり、民族が増えれば国家になり、国家が増えれば世界になります。しかし、真の兄弟を見つけようという切実な心があっても、一人ではできないので、あなたと私は一緒にならなければなりません。そうして初めて父の前に立つことができるのです。個人は兄弟と一つになって家庭的な父母を迎えることができ、教団は教団同士で兄弟のように一つになってこそ、教団的な父母を迎えることができます。また、世界は世界、国家は国家で、兄弟のように愛して一つになってこそ、宇宙的な父母を迎えることができるのです。
さて、私たちはこのような歴史的な使命を担うべき時代に置かれています。従って、失われた反列を私たちの手で探し立てなければなりません。しかし、こうして私たちが天の前に立とうとするには、家庭を通過しなければなりません。イエスも家庭を通過できなかったため、楽園に行かれました。
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今まで6000年間の摂理の目的は、家庭を通過するための目的です。しかし、これまで誰も家庭の門を通過できなかったため、この世には神の愛という言葉を見つけることはできません。家庭の門を通過できなかったため、イエスも再臨しなければならないという命題を残し、霊界でも楽園という中間段階にとどまっています。従って、私たちは家庭を通過した後に民族を通過しなければなりません。そうでなければなりません。民族権内に家庭が入り、国家権内に民族が入るからです。
従って、私たちは家庭を合わせて民族を編成し、民族を編成して国家を形成し、国家を編成して世界を形成しなければならない重大な責任があることを知っておくべきです。従って、今日、皆さんが自分が生きる目的が自分の家庭のために生きるという観念を持つならば、天との関係が断たれることになります。私が家庭を中心に生きても、民族のために生きるという心を持ち、民族のために責任を持つ家庭があれば、その家庭は民族のために生きるだけでなく、天と地のために生きるという心を持たなければなりません。このような心を持って生きることができる者たちが、父の大きな恨みを解き放つことができるという事実を知ったので、お父様、私たちが今日からあなたの意志を実践することができるように許してください。
兄弟同士で一つになり、父の栄光の目的を広げていくことができるようにしてくださいと、主の御名によってお祈り致します。アーメン。
1959年1月4日(日)、全本部教会。
創世記 1:27-28、創世記 2:15-17、使徒行伝 1:1-9
<祈祷>
愛するお父様、新しい年にこの日を私たちにお許しくださったことを感謝します。この初めの時間にお父様の前に出て、恥じることのない真の崇拝の時を持つことができるように許してください。そして、お父様が喜ばれるこの時間となりますように。
私たちがお父様の前に非常に不忠であったことをお許しください。そして、摂理の目的の前に私たちのすべてを捨て、お父様が望まれる祭壇のために忠誠を尽くすことができるように許してくださいと切に願います。
この時間、お父様が親しく導いてくださいますように。今、私たちの体と心をお父様に捧げたいと願いますので、受け取ってくださり、親しく運行して、お父様が命じられる言葉と内容をお与えくださいと切に願います。
おお父様、今まで私たちが摂理のために戦い続けてきたすべてのことが、この一年においては勝利に結びつかなければなりませんので、全身全霊を捧げ、お父様が喜ばれる実績を示すことができるように許してください。
今、お父様が許されたあなたの息子娘たちが喜ぶことができる恵みをお与えください。選ばれたあなたの息子娘たちに親しく勝利の証をお残しくださるように切に願います。
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この時間も孤独な家族が地方に広がって、お父様の前に崇拝する場所に、愛と恵みの手を差し伸べ、慈悲の恵みをお与えください。
お父様の全体の目的の前に忠誠を尽くすことができるあなたの息子娘たちとなるように許してくださいと切に願います。この地上であなたの名を使う場所に、愛の手を差し伸べ、慈悲の恵みをお与えくださいと切に願いながら、この一日をすべて任せて導いてください。主の名によってお祈りします。アーメン。
<御言葉>
今日、皆さんにお話ししたい内容は「勝利の国を回復しよう」、イスラエルの国を回復しようということです。イスラエルという言葉の意味は「勝利」を意味しますので、「勝利の国を回復しよう」という意味のタイトルで、しばらくの間お話しします。
創世記の言葉の中で、神が人を創り、祝福されたという内容があります。しかし、その祝福は成就した祝福ではなく、約束の祝福でした。ですから、アダムとエバは大きな希望を抱き、万物を支配することができる日を心に憧れながら生きていました。
そのような状況の中で、神はアダムとエバに善悪を知る木の実を食べてはならないと命じました。「その木から取って食べると、必ず死ぬ」(創世記 2:17)と言われました。従って、アダムとエバは神が祝福された希望を心に抱き、命令を守る必要がありました。命令に従うことで、アダムとエバは神の目的を果たし、真の家庭を築くことができる一男一女としての出発ができました。これが原則です。
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そのため、人間は必ず希望を持つ者でなければなりません。そして、私たちが希望を持ち、永遠の関係を築くためには、信仰の過程を経なければなりません。この希望が実現し、信仰が成就する日に、私たちは神の愛を受けることができます。これが原則です。従って、パウロもコリント第一の手紙13章で、「信仰、希望、愛、この三つは常に存在するが、その中で最も重要なのは愛である」と述べています。
しかし、人間は堕落によって希望を失い、信仰を失いました。希望と信仰を失うことで、神を中心とした愛を失いました。これを回復するためのものが、今までの6千年の回復摂理の歴史であることを、私たちは知っておかなければなりません。
アダムやエバに代わって、神が被造物の前に与えられた祝福を希望として受け、その希望を自分のものにするために、神が命じたことを守り、実行しなければなりません。それをしなければならない立場にあるのです。
神を中心とした希望と信仰を持ち、実践生活において勝利を収めるとき、初めて私たちは神の愛を受けることができる個人回復の基準を立てることができます。どのような個人や家庭、教会、そしてすべての被造物までも、このような権利の中にあるということを、私たちは理解しなければなりません。
神はこのような理念を持って被造世界を創造されましたが、堕落によってこれらを失ったため、今まで人間は希望を求め、信仰を求め、愛を求めてきました。
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従って、私たちが歴史を振り返るとき、旧約時代は希望を求めて実践してきた時代であり、新約時代は信仰を求めて実践してきた時代です。従って、これからの聖約時代は、愛を求めて実践していく時であることを、皆さんは理解しなければなりません。
希望を求める摂理の時代であった旧約時代には、割礼を通じて選民としての条件を立ててきました。新約時代には、水の洗礼と火(聖霊)の洗礼を通じて、神の前で信仰を立ててきました。そして聖約時代においては、神の愛の印を受けることで、神との愛の縁を結ぶことができるということを、皆さんは知っておかなければなりません。
それでは、今までの6千年の歴史は何をするための歴史だったのか?それは、人間が堕落によって失った希望と信仰と愛を回復するための歴史でした。今まで神はそれを回復するために努力してこられたのです。ところが、今日の私たちは、まだ信仰の時期にとどまっているのです。
それでは、希望は何を象徴していたのでしょうか?それは、神の新しい言葉を象徴していました。そして、信仰は何を象徴していたのでしょうか?それは、神の真の息子娘になるためのものでした。真の息子娘を見つけるために、信仰が象徴されてきたのです。そして、これからは神の愛を中心に、自分の存在が完成した後に家庭を見つけることで、初めて神の愛が成立することを、皆さんは知っておかなければなりません。
神は今までの6千年間、回復摂理の歴史を進めてこられましたが、人間の前に希望の神、信仰の神となることはできても、まだ愛の神になることはできていませんでした。それでは、私たちが今するべきことは何でしょうか?希望の神、信仰の神を土台にして、愛の神を迎えることができる生活環境を築かなければなりません。このような環境を打破しなければならない重要な時が、まさにこの時です。
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今までの信仰生活は、自分一人を見つけるためのものでした。失われたアダムとエバと同じ立場で、原罪のない本来の存在を見つけるためのものでした。では、神が最後に望むものは何でしょうか?まず、神の愛を中心に、個々の存在が結ばれた一つの家庭を見つけることです。さらに、神が愛することができるその家庭を中心に、その家族が増え、民族と世界を見つけることを望んでおられます。これが神の全体的な意図です。
それゆえに、今日の私たちは、私たち自身の希望の時、または信仰の時が過ぎる前に、希望と信仰を見つけて立てなければなりません。私たち一人一人が、6千年間神が摂理された全体を結実した姿、つまり完全なアダムとエバの一つの姿を持つべきです。そして、神の愛を中心に新しい家庭を形成しなければならないということを、皆さんは理解しなければなりません。
イエス様も天国を約束してこの地上に来られましたが、その目的を全て果たすことができませんでした。過去に来た多くの預言者たちも、天を証ししましたが、その目的を果たすことができませんでした。従って、全ての歴史的な希望と信仰を持って天国、つまり勝利の楽園を見つけなければならない今日の私たちです。それでは、今日、皆さんがすべきことは何でしょうか?天が喜ぶ個々の存在を見つけ、天が喜ぶ家庭を築くことです。しかし、その家庭を見つけるには、真の父母を見つけなければなりません。そして、真の夫婦、真の兄弟を見つけなければなりません。
これを見つけるためのものが、神の摂理の歴史です。従って、希望を象徴した時代は旧約時代であり、信仰を象徴した時代は新約時代です。そして、これから愛を象徴する時代が来ますが、その時代を聖約時代と言います。こうして、そのような縁が天から地上世界まで広がっています。
従って、イエスが来る前の旧約時代に生きた多くの人々は、神の前で希望の存在でした。そして、イエスの時代の新約時代の人々は、神の前で信仰を立てることができる対象でした。しかし、これからの聖約時代においては、希望の存在を代わりにでき、信仰の存在を代わりにできる段階を超えて、愛することができる存在を見つけようとしています。これが神が6千年間摂理してきた全体の意図であることを、皆さんは知っておくべきです。
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それでは、今日の私たちは神の愛を受ける必要がありますが、過去の希望の時代に受けたそのような愛は私たちに必要ありません。また、信仰の時代に受けた神の愛も必要ありません。
私たちは、今すべての恨みの歴史を超えて、あなたを愛するという神の直接的な祝福を受けなければなりません。こうして皆さんが天と地に結ばれた恨みを晴らして差し上げることで、イエスと皆さんが新郎新婦の縁を結ぶことができ、愛の条件を通じて神の愛を受けることができます。これが今までの回復摂理の全体的な意図です。
このようにして、神の愛を受けることができる一つの存在になれば、その人は旧約時代を代わりにし、新約時代を代わりにし、聖約時代を代わりにすることになります。従って、皆さんは今まで霊界にいる楽園の霊人たちや、現在地上に生きているキリスト教徒たち、または再臨時代に再臨主を迎え、直接的な神の愛の権内で生きることができる人々と一つの目的を達成しなければなりません。
皆さんは過去の信仰指向的であり、希望指向的な信仰圏内にいた人々、つまり旧約時代から新約時代までを通過した多くの霊人たちは、終末に聖約時代の人を通じてでなければ、神の前に立つこともできず、神の愛を受けることもできないことをよく知っています。
従って、私たち自身は、今や天と地のすべてに対して戦って勝利できる勝利者の姿を持っていなければなりません。この天の全体摂理を見たとき、今まで天上の楽園にいる霊人たちは、希望のイスラエルであり、現在地上にいるキリスト教徒たちは、信仰のイスラエルです。これからはまた新しいイスラエルの世界が来なければなりませんが、そのイスラエルは何かといえば、それは愛のイスラエルです。
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従って、今日の皆さんは神の愛を受けるイスラエルとなるべきです。そして、愛を受けた証を持つイスラエルとなるべきです。そうすれば、過去の希望時代と信仰時代を経たという一つの条件を完結させ、お父様の前に堂々と立つことができるようになります。これを皆さんは理解しなければなりません。
これを指して、私たちはイエス以前の時代の聖徒たちを第一イスラエルと呼び、イエスが来てから現在までイエスを信じている聖徒たちを第二イスラエルと呼び、これから再臨時代に再臨主を迎えて直接的な神の愛の権内で生きることができる人々を第三イスラエルと呼んでいます。
そのため、終末においてこの第三イスラエルの立場に入る人々は、歴史の中で初めて現れる者たちです。また、神の心情を代わりにして、愛という名を掲げて直接関わることができる、創世以来初めて現れた者たちです。従って、このような者が現れなければ、天の希望の摂理も信仰の摂理も全て崩れるということです。従って、終末に置かれている今日の私たちの使命がどれほど重要であるかを再び感じなければなりません。
この地を見れば、この地には第二イスラエルが生きています。そして、霊界には第一イスラエルが生きています。しかし、まだ神が統率できる第三イスラエルが形成されていないのです。さらに、部族の編成から教会の編成、あるいは家庭の編成もされていないのです。
それでは、神がこの地上でしようとしていることは何か?神はヤコブ、モーセ、イエスの時代から12兄弟、12長老、12使徒のような天的な数を探してこられました。このように、天の全ての原則の数を見つけ、それによって天上や地上にいる全ての人々を一つの階級に結び付け、一つに統合することです。これが天の摂理の目的です。このようになると、天国の門が開かれます。しかし、天国の門は天国だけで開かれるのではありません。地上でも開いて広げなければならないのです。
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これまで一つの地域的な限界内にあったその天国の門が、イエスを信じて進んでいく聖徒たちが増えることによって、次第に広がっていったことを私たちは知っておくべきです。これが神の望みです。そのため、皆さんは終末において、サタンとの戦いで勝利し、復帰の目的を立てて、天国の門を通じた存在でなければなりません。
今日の皆さん自身がどの部族に属しているかが問題です。今日、全世界にキリスト教の教派がいくら多くても、その教派は12使徒を代表する何か一つの部族に属さなければなりません。しかし、天が地上を統率し、動かし、命令することができるこのような部族編成はまだできていません。このような地を天は今も心配しています。モーセ時代の12部族はヤコブ時代の12兄弟に代わるものでした。
アブラハムからモーセの時代まで選ばれた民として立てられたこの群れは、ヤコブの家庭を中心とした回復時代の部族に代わる民族回復型の群れでした。従って、その12部族を中心にして、400年間繁殖した子孫は、すべての部族権内に入らなければなりません。そして、モーセの部族権内に入った民は、世界を代表して回復の使命を担ったイエスの12弟子を中心とした部族権内に入らなければならなかったのです。モーセを通じてイエスの時代まで形成されたイスラエル民族は、イエスの12弟子を中心とした部族に編成されなければならなかったのです。このような回復的使命が残されていたことを私たちは知っています。
それでは、当時イエスが来て死なずに目的を果たしていたならば、旧約時代の霊人たちが第二イスラエルとなり、イエスを信じて天の真の愛を受けることができる群れが現れることで、彼らが第三イスラエルとなるべきでした。しかし、この目的が果たされなかったために、第二イスラエルに対する目的はそのまま残りました。また、第二イスラエルに対する目的が果たされなかったために、これが延長されて、2000年が過ぎた今までキリスト教信者がイエスの時代に生きていた選ばれた民が担うべき使命を補完してきたということです。このように、イエスが12使徒を中心にこの地上でイスラエルを統率できる部族編成を行わなかったことが、神の悲しみ、イエスの悲しみ、聖霊の悲しみであったことを私たちは知っておかなければなりません。
それでは、今日の私たちはイエスの目的を成就させ、神の目的を成就させるためには、まず何をすべきでしょうか?それは、天がこの地上に全世界を代表して立てることができる一つの部族を編成しなければならないということです。
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部族を編成するには、ヤコブの12人の息子、モーセの12長老、イエスの12使徒が出てきます。しかし、ヤコブと12人の息子の関係は親子の関係でした。従って、モーセと12長老の関係も親子の関係でなければならなかったが、親子の関係を築くことができませんでした。イエスと使徒たちも親子の関係であるべきでしたが、それができませんでした。これが今日まで回復摂理の過程において一つの悲しみの条件が残された理由であったことを、私たちは知っておかなければなりません。
ヤコブと12人の息子たちは親子の関係にありましたが、モーセと12長老、イエスと12弟子たちは親子関係を結ぶことができませんでした。もし、イスラエル民族がモーセを自分たちの民族の父として迎え、自分たちの民族を天の勝利した民族として立てることができる存在として、天が立てた民族的な父として知り、親子関係を結んでカナンの地へ出発していたならば、イスラエル民族がモーセを裏切ることはなかったはずです。
しかし、モーセと12部族が親子関係を結ぶことができなかったために、モーセが悲しんでも、その民族は悲しむことを知りませんでした。このように互いに関係が途切れ、ここで神が愛を通じて回復しようとした全体の目的にひびが入り、選ばれたイスラエル60万人の民は荒野で倒れることになりました。
その後、イスラエル民族はヨシュアとカレブを中心にカナンの地に入りました。そして彼らがイエスが来るまで持っていた願いは、一人の主を迎えることでした。それでは、なぜイエスを立てなければならなかったのか?それは、モーセを民族的な父として迎えることができなかったために、イスラエル民族はこれから来る世界的な父を迎えなければならない一つの時期を迎えたのです。すなわち、真の父として来られるメシアを待ちながら、イスラエル民族は準備を進めてきたのです。ですから、この地上にメシアが誕生した後、イスラエル民族が天の目的を受けて12使徒と共にイエスと親子の関係を結んでいれば、イエスと別れることはできず、使徒たちも互いに別れることはなかったはずです。イスラエル民族がイエスと神の愛を受ける親子の関係を結ぶことができなかったことが、今日の歴史的な悲しみとなったことを私たちは知っておかなければなりません。
従って、この時期において私たちは天が望み、探している12部族の部族長のような代表者を再び立て、主の愛を中心に親子の縁を結ばなければなりません。そうでなければ、歴史の過程で神の摂理の目的を完結することはできません。これを皆さんが知っておかなければなりません。
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しかし、今日まで回復の過程を歩んできた私たち人間がヤコブ、モーセ、イエスの時代までの4000年間、神の意志を裏切ったために、すべてを失った立場に立ってしまいました。アダムからイエスまでの4000年間、神の意志を全て崩したのと同じ立場に立っているのです。ですから、私たちは民族が倒した罪を再び責任を持ち、イエスが来てから2000年間、努力してきたすべてのことまで責任を持たなければなりません。このような責任を負い、新しい部族を編成してイエスと親子の関係に縁を結ぶことを望んでいるのが、今日の私たちキリスト教徒の立場です。ですから、皆さんは先祖たちが成し遂げられなかったことをすべて遺業として、部族を逆に編成して進んでいくことを目指しながら進んでいかなければならない立場に置かれています。
それでは、部族を編成するにはどうすればよいでしょうか?イスラエル民族になるためには、アブラハムの時代には割礼を受けなければならず、イエス様の時代には洗礼を受けなければなりませんでした。しかし、これからはイエス様の印と父の印を受けなければならないことを、皆さんは知っておかなければなりません。これが私たちが新しい部族を編成して進む際に重要な問題です。イエス様の印を受け、父の印を受けなければなりません。これを成すために神は今までの6000年間、摂理してこられました。希望の旧約時代と信仰の新約時代を経て、愛の聖約時代に進むには、神が私たちを抱きしめ、愛することができる立場を築かなければなりません。
今日の皆さんはこのような過程にあります。従って、皆さんが個人的に完成された聖別された存在となった後には、天が成し遂げようとされた本来のアダム家庭を探しに行かなければなりません。そして、アダムの兄弟となるべきです。
こうして、父母を失った人間たちは兄弟同士で合わさって父母を回復する歴史的過程を経てきました。アダム家庭からノア家庭、ヤコブ家庭を経て見つけてこなければならなかったのです。従って、そのような個人が父の認めを受けた後には、兄弟を探すべき時が来ます。兄弟とは、私の兄弟だけではありません。その兄弟はアダムからヤコブに至るまで、すなわち2000年間、神の摂理を完了させる基準を作り、天の家庭を代表する父母が出た後に初めて12人の兄弟を持ちます。これと同様に、今日の私たちも回復摂理の過程において、自分自身が父の前に認められた後に、アダム家庭の3数を経てノア家庭の3数を経てヤコブ家庭の3数を経て、次にヤコブ家庭の12数を経て進んでいかなければなりません。そして、これを経た後には70数を経て進んでいかなければならず、その次には門徒型の120数を経て進んでいかなければならない立場にあることを皆さんは知っておくべきです。
真の兄弟を見つけた後に真の父母を見つけることができます。父母を見つけた後に兄弟を見つけるのではなく、兄弟を見つけた後に父母を見つけることができるのです。今日この基準を考えると、多くの人が逆の生活をしています。従って、真の父母を見つけようとする人がいるならば、その人は兄弟を通じてでなければ父母を迎えることができないことを知っておくべきです。
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今、神が最も心配しているのは、天を代表する真の父母がいないことではなく、真の兄弟がいないことです。これを皆さんは知っておくべきです。このような摂理的な意図を担うべきだったイエス様は、弟子たちを真の兄弟の立場に立たせるために、3人の弟子を選び、12人の弟子を選びました。しかし、3人の弟子が一つになれず、12人の弟子が一つになれなかったために、真の父母を回復できる道が閉ざされたこの悲しい事実を私たちは知っておくべきです。
そして今、私たちは真の子女の立場を経て、真の父母の門を経た後に初めて、6000年間摂理の希望として残された天の愛を受けることができることを知っておくべきです。この時が必ず来ます。従って、皆さんは自分自身において兄弟との争いに勝利しなければなりません。そうして、天の前で私は新婦であり、イエス様は新郎、すなわち新郎であるイエス様はアベルであり、私たちはカインとして、アベルであるイエス様と一つになるべきです。
それでは、イエスと一つになるにはどうすればよいでしょうか?新婦一人で行っても、新郎であるイエス様を迎えることはできないことを知っておかなければなりません。新婦自身だけが行っても、新郎であるイエス様に会うことはできません。兄弟と一つになって進んでこそ会うことができるのです。さらにイエス様は新郎の名を持って来られますが、新郎の門を通った後には何を探すべきでしょうか?天の失われた家庭を探すべきです。それを見つけなければならない立場にあります。
今日、私たちが勝利の道を切り開き、神の真の愛を受けるために、まず何をすべきでしょうか?私の心と体において、私の心の罪を克服し、心が動くままに生活圏内で体を自由自在に完全に支配することができなければなりません。新郎であるイエスをアベルとして、私の体が新婦の立場で、あるいはカイン的な立場で彼と完全に一つになるべきです。しかし、それだけで事が終わるわけではありません。新郎であるイエス様と私が完全に一つになった後に、新郎であるイエス様が探すために努力していた3人の弟子たちを代わりにする存在を見つけるべきです。また、12人の弟子たちを代わりにする存在を見つけるべきです。
なぜイエス様は3人の弟子を探したのか?アダム家庭の3人の息子を代わりにする弟子を見つけ、真のアダムの立場に立たなければならなかったからです。イスラエル民族はどこから形成されたのか?ヤコブから形成されました。アダム家庭の3人の息子を代わりにする者を見つけた後に、ヤコブの時代に来て初めて勝利の条件を立てました。さらに、その3人の息子を基盤として、12人の弟子が一つになり、この地上で勝利の足場を築く必要がありました。しかし、3人の弟子と12人の弟子がすべて裏切り、イエス様は死なざるを得ませんでした。イエス様はこの地上で真の家庭を築くことを望んでいましたが、その目的を果たせずに去りました。従って、今日の私たちがイエス様の新婦の立場に立つには、イエス様がこの地上に残したいくつかの条件を見つけて進むことができるべきです。そうしなければ、新郎である主に会うことはできません。アダム家庭の3数を見つける過程が、今日の私たちの教会においては三位基台の編成です。従って、三位基台を中心にして一つにならない限り、天の前に立つことはできません。
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三位基台が一つになることによって、アダム家庭で失われたものを再び回復しようとする神の目的を果たすことができます。それで、これが2000年過ぎたヤコブの時代に来て、12人の兄弟を探し、摂理の目的を果たしてきたのです。これと同様に、3数を基盤として12人の弟子を探し、一つになった後に初めて、皆さんは父母を迎えることができ、さらに一つの部族を代わりにする種族権内に入ることができるのです。これを皆さんが知っておくべきです。
これがアダム家庭からヤコブの時代までの2000年の歴史を蕩減するための絶対的基準でした。従って、モーセもこの道を通らなければならず、イエス様もこの道を通らなければならなかったのです。
しかし、モーセは12部族が摂理の目的において何を意味する数であり、70長老が何を意味するのかを知りませんでした。しかし、イエス様はこの地上に来て、3人の弟子を選び、さらに12人の弟子を選び、この70人の門徒を立てて、歴史的な縁を結ぶことを知っていました。それで、このような摂理を行いました。イエス様はこの基盤を整えて、必ず民族の足場の上に立たなければなりませんでした。
しかし、この民族的な足場を築く責任は、イエス様が担うべきものではなく、洗礼者ヨハネが担うべきものでした。しかし、洗礼者ヨハネが崩壊したことで、民族的な足場が崩れ、4000年間摂理されたすべてが崩れた結果を招きました。そこで、イエス様は再びアダム家庭に戻り、回復の使命を果たすために、3人の弟子から12人の弟子、70人の長老、120人の門徒を探し、再び第二の道を歩んだということを私たちは知っています。しかし、選民イスラエルの立場に立つべきユダヤの民が、天の前で全て捨てられ、信じていなかった漁師たちや異邦人がこの祝福を継承してきたことを、私たちは知っておくべきです。
イエス様が去ってから3人の弟子たちの部族はどこへ行ったのでしょうか?ありません。イエス様が去ってから12人の弟子たちの部族はどこへ行ったのでしょうか?ありません。70人の長老や120人の門徒も、言葉に対する条件は立てましたが、実体に対する条件は立てていませんでした。これを今日の私たちが回復しなければ、神の目的を果たすことはできません。
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これから世界的な使命を担うべき再臨理想時代において、再臨主がこの地上に来て目的を果たそうとするには、イエス様が立てようとしたその足場を立てなければなりません。そうでなければ、回復の使命を完結することはできません。
従って、天はまず3人の弟子を見つけたという基準を合わせて立てるでしょう。見つかったその3人の弟子たちは、死んでも一緒に死に、生きても一緒に生きるべきであり、3人が天を代わりにできる立場に立たなければなりません。次に、12数を見つけなければなりません。これが最低限度の天の足場です。
次に私たちがすべきことは、まず天国の国民を見つけることではなく、天国の家庭を見つけることです。国民がいるためには、まず家庭が必要だからです。従って、この家庭を見つけた後に初めて父母を迎えることができるのです。このように逆さまです。
旧約時代は国民を見つける時であり、新約時代は子女を見つける時であり、聖約時代は父母を見つける時です。従って、新約時代からは家庭を見つける時代でしたので、イエス様は愛を紹介され、愛の道理を立てました。
それでは、今日の私たちは、この回復の時代を経て新しい理想時代に進むために、どのような立場に置かれているのでしょうか?イエス様はこの地上で長子の使命を担い、天の前に立つべき責任を担って来られましたが、この責任を完遂することができなかったため、2000年間延長されました。従って、今日の私たちにはこれを代わりに蕩減回復しなければならない使命があるのです。終末の聖徒である私たちは、このような重大な立場に置かれていることを知っておくべきです。
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それでは、皆さん自身が天国の一つの家族になるにはどうすればよいでしょうか?天が最低限度で探しているもの、すなわちノア家庭で失われたその数を補充しなければなりません。しかし、この3数を補充したからといって、天の前に立つことができるのでしょうか?それも違います。アダム家庭の3人の息子を代わりにできる数がヤコブの時代に来て初めて完結したため、今の時代にはその3兄弟の条件を立てるだけでは不十分であり、必ず12数の条件を立てなければなりません。そうして初めて天国の家庭に復帰した基準を地上に立てて、父の前に進むことができることを皆さんが知っておくべきです。男性も女性も、それぞれこの責任を担っています。元々は、自分を中心にして3兄弟を作らなければ、これからの新しい時代に父母の立場に進むことはできません。
それでは、終末はどのような時代でしょうか?父母が出てくる時代です。しかし、父母が出てくるとき、宇宙的な父母が出てき、民族的な父母が出てき、家庭的な父母が出てくるのです。皆さんは宇宙的な父母を手本にし、あるいは教団的な父母を手本にした後に初めて、家庭的な父母を探しに進むことができます。
6千年の回復摂理の歴史を振り返ると、神は今まで人類に対して真の父母の立場、宇宙的な父母の立場から摂理を進めてこられました。イエスと聖霊は今まで選ばれた第二イスラエルに対して民族的な父母の立場から摂理を進めてこられました。
従って、イエス様は民族的な使命を代表し、教団的な使命を代表しておられましたので、大祭司の立場から出てこられました。従って、皆さんはこのようなイエスを中心にして天の前に立つことができる家庭的な大祭司となり、家庭の真の父母となるべきです。これが神が終末にこの地上に探して立てるべき摂理の中点であることを、皆さんが知っておくべきです。
従って、教団的な父母の立場におられたイエス様は、世界的な父母の立場に進むために再臨という名を残して去られました。それでは、世界的な大祭司の責任を持って来られる方は誰でしょうか?その方は世界的な父母です。このようになります。しかし、今日、この地上を見れば、宇宙的な真の父母がいなく、教団的な真の父母がいなく、家庭的な真の父母もいません。
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それでは、真の父母となるにはどうすればよいのでしょうか?それぞれが教団的な大祭司の立場にある教団的な父母を迎えた者でなければなりません。そうでなければ、家庭的な父母になることはできません。また、その教団的な父母は、天宙的な父母を迎えなければ、完全に教団的な父母としての役割を果たすことはできません。
従って、このような摂理の歴史が完結せずに残っていることを見れば、神の意志はまだ成し遂げられていないということです。それでは、全体回復の使命を完結させるべき私たちは、今何をすべきでしょうか?まず、宇宙的な父母を探して迎え、教団的な父母を探して迎えるべきです。この仕事をして初めて、家庭的な父母の資格者になることができます。
国家を見ても、そこには代表者があり、種族には種族の代表者があり、家庭には家庭の代表者がいます。人間はこのような全体の世界と関係を持っているため、宇宙的な父母、教団的な父母、家庭的な父母を迎えて進まなければ、天の民になることはできません。
今日、この地上に生きている全世界の人類が探しているものは何でしょうか?それは宇宙的な父母を探しています。特にキリスト教信者たちは、教団的な父母が現れることを望んでいます。その宇宙的な父母が現れる日が再臨の日です。しかし、まだ教団的な父母を迎える摂理は成し遂げられていません。
天は6000年間摂理の目的を立ててこられましたが、教団を中心に大祭司の責任を持って来られるべき再臨主の使命が残っていることを見ると、天は新郎新婦という約束の範囲内の摂理を果たしましたが、新郎新婦が教団を中心に生活できる真の父母の位置にはまだ進んでいないことがわかります。真の父母の位置が決まる前には、真の子女たちで構成される真の家庭は成立しません。もう一歩進んで、宇宙的な父母の位置が決まる前には、教団的な父母の位置が決まることはできません。今日、堕落した人間にとって、父母はいるけれども、その父母は真の父母ではありません。その父母は神の前に認められた父母ではありません。
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それでは、終末の私たちがすべきことは何か?それは、私たちが生きているこの時期に宇宙的な父母を迎え、教団的な父母を迎え、その後には家庭的な父母まで迎えなければならないということです。つまり、3代の父母を迎えなければなりません。家庭は民を代表する形であり、教団は子女を代表する形であり、宇宙的な父母は真の父母を代表する形です。
今日、この地上に人間が生きているけれども、天が許した真の父母の愛の権から外れています。父母と血と肉が通じ合うこのような縁が、生まれてから永遠の世界に至るまで結ばれていないことが悲しい事実です。従って、家庭的な父母から教団的な父母、宇宙的な父母と神の愛が結びついてこそ、初めて6000年間の全体の愛の権内に入り、神の前で顔を上げて立つことができることを、皆さんが知っておくべきです。これが私たち人間が必ず歩むべき道なのです。
それでは、私たちは今どこに立っているのか?私たちはまだ家庭的な真の父母の位置に入っていない立場にあります。従って、家庭的な真の父母の位置を見つけなければならないのですが、その父母を見つけるには簡単ではありません。なぜなら、落ちてしまったので、再び見つけるためには、兄弟の橋を築かなければなりません。私たちのすべてを犠牲にすることがあったとしても、真の父母を見つけるために、あるいは私自身が真の父母になるためには、このような歴史的な恨みを晴らす条件を立てて、蕩減した基準を作らなければなりません。そうでなければ、天は皆さんを許すことができません。
それでは、皆さんがすべきことは何でしょうか?父母を迎える立場にあるので、父母を迎えることができる兄弟の基盤を築かなければなりません。これが三位基台の意義です。編成された三位基台の兄弟たちが、天の父母を迎えることができる中心を持って、3人の兄弟が一つになり、12人の兄弟が一つになった時、初めて天国の家庭としての資格を与えられることができます。そして、その家庭は父母を拡大し、教団や民族、国家を代表する形を持って、その上に父母を迎える基準を準備しなければなりません。
その後に、教団的な形を整えて、世界的な父母を迎える準備を進めなければなりません。ヤコブの時代でも家庭的な基準を作りましたが、その後の子孫が信じなかったため、その基準が全て崩れました。モーセの時代でも民族的な家庭の基準、民族的な父母の基準を整えてきましたが、信じなかったために全て崩れました。イエス様もこの地上に来られて、世界的な家庭の基準を整えようとされましたが、人々が信じなかったため、その目的が全て崩れました。
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従って、今日の人間は希望を持っていますが、信仰を持っていますが、愛を持っていません。堕落によって私たちは希望を失い、信仰を失い、愛を失いました。従って、それを再び見つけなければならない運命にある私たちは、新しい希望を持たなければなりませんし、新しい信仰を持たなければなりません。さらに、新しい希望と新しい信仰が結びついて一つになる兄弟を持たなければなりません。そうしてヤコブ以後、希望で探し、イエス様以後、信仰で探した、その全体の目的を代わりにする基準を皆さんの実体を通じて立てなければなりません。このような実体的な条件を全て整えた時、初めて神がそのような私たちの存在を見て、希望の存在であり信仰の存在であると言うことができるのです。
これまで人間は神を希望として見てきましたし、神を信仰として見てきました。しかし、神がこの地上に希望と信仰の結実を備えた実体が現れる時、その人を見て希望を持つことができるのです。すなわち、神が私たちに対して希望を持つことができ、私たち自身が信じることができる実体となった時、神の愛が世界と縁を結ぶことができるのです。
それを実現するためには、蕩減回復の原則に従って、皆さんの心に父母の愛が成立しなければ、夫婦の愛が成立します。さらに、父母の愛と夫婦の愛が成立してこそ、兄弟の愛が成立します。このようになっています。
父母の愛は一つです。夫婦の愛は父母を中心に繁殖するためのものですし、兄弟の愛はこの夫婦を代表して繁殖することができます。一つから出発して、徐々に拡大していくことが父母の愛です。堕落した私たち人間がこれを探しに行くには、最小単位である兄弟から出発します。兄弟から出発しなければ、理想世界を建設することはできません。
それでは、真の父母を迎えるにはどうすればよいでしょうか?真の夫婦となり、真の家庭を築く必要があります。そうしてその上に真の父母を迎えることができます。皆さんが先生を信じて従うことは良いことです。しかし、先生を信じて従うその心の大きさだけ、他の人が皆さんを信じて従うことができる存在でなければなりません。このようにして、イエスが探そうとした家庭の形を持つべきです。そうすることで、万人は兄弟となります。このことを実現するために、三位基台を編成しました。従って、皆さんはこれから何かをするとき、一人ではいけません。伝道するときも一人ではいけません。
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このような三位基台を築いて、兄弟の立場に立ったとしても、兄弟同士で行うことはできません。それを共にする必要があります。父母と兄弟が一つになってこそ、家庭が成立するのです。そして、これが一つの民族形を持つには、このような家庭が12家庭になるべきです。10数以上を超えた場合に、民族的な条件を代わりに担うことができるのです。
イエス様はなぜ120人の門徒を立てたのでしょうか?アダムからノアまでの10代目であり、ノアからヤコブまでの12代目です。この2000年間を代わりにした縦の結実体がヤコブの12人の息子たちですから、イエス様は縦の12数を中心にしました。ノアからヤコブまでの12代とノアからアダムまでの10代を代表する数を持つために、12数に10を足して120が出るのです。これが何かというと、回復するための全体数を代表する数でした。
従って、これまで皆さんに対して伝道するように言ったのです。人間は地上に生きている間に120人を伝道しなければなりません。それができないなら、12人だけでも伝道しなければなりません。12人を伝道するには、その12人だけでは不十分です。120人を伝道することはできないが、横的に120人を作ることができるようにしなければなりません。すなわち、120人が横的に和することができるようにしてこそ、回復の使命を果たすことができます。
今日、皆さんには勝利の国を建設する責任があります。勝利した国には、勝利した天と地を代わりにすることができる真の父母がいなければなりません。次に、教団をはじめとする世界のすべての宗教を代表する使命を担う真の父母もいなければなりません。また、家庭を代表することができる真の父母もいなければなりません。これを横的に見ると、教会は社会性を帯びており、国家は世界性を象徴して進んでいきます。従って、皆さんが縦的にも横的にも縁を結ばなければ、一つの国の民として、一つの家庭を持つ人にはなれません。
皆さんが進むこの道が天国に行く道ですから、皆さんは必ず進むべきです。従って、家庭を持つ人は家庭的な責任を果たさなければなりません。また、教会を担当する人は教会的な責任を全うしなければならず、より大きな使命を持つ人はより大きな使命の責任を全うしなければなりません。そうすれば、その形と動きが同じになります。すなわち、使命の分野が異なるだけで、生活形態も生活様式も同じです。範囲が大きいか小さいかに違いがあるだけです。従って、これから皆さんは家庭の立場から世界を代わりにすることができる蕩減の条件を立てなければなりません。民族を代わりにし、教会、教団を代わりにしてこれを立てて進めていかなければ、初めて宇宙的な真の父母の理念を成し遂げることができることを、皆さんは知っておくべきです。また、今日、回復の理念を成し遂げる上で、地上に生きる私たちの責任がどれほど貴重であるかを知っておくべきです。
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モーセの道はイエス様の道であり、イエス様の道は私たちの道です。モーセが12部族と70人の長老を中心に60万人の民を率いて進んだように、イエス様も12人の使徒と70人の長老、120人の門徒を中心に歴史を進めましたが、イスラエルの民が共に進んできたならば、イエス様は世界的な足場をつかみ、出発することができたでしょう。しかし、これを民族が受け入れなかったため、イエス様は目的を果たせずに十字架にかけられました。
それでは、今日の再蕩減時代において私たちはどのような使命を果たすべきでしょうか?それは、互いに団結し、3人が12人を作り、12人が120人を作り、120人が60万人、さらにそれ以上に動かせる時を作らなければなりません。それを作り上げなければ、神の全体的な摂理を中心にして、天が全権的な活動を行うことはできません。これを皆さんは知っておくべきです。そうして初めて民族を越えて国家的な段階に進むことができます。従って、皆さんはこれから希望の一日を目指して進んでいかなければなりません。言い換えれば、希望の一日を迎えるために準備を進めていかなければなりません。
この時代において私たちは家庭的な使命も果たさなければならず、民族的な使命も果たさなければならず、世界的な使命も果たさなければなりません。私たちが多くの迫害を受けている原因はここにあることを知っておくべきです。迫害を受けながらも、家庭的にも教団的にも国家的な使命を果たしたという条件を立てることで、6000年間神が摂理してこられたその基盤に私たちを立てようとしているのです。このような神の意図があることを知っておくべきです。この目的の前に立つ日には、イエス以降、今日まで霊界にいる数多くの霊人たちは第一イスラエルの立場に立ち、イエス様が地上に来て去った後に信じた聖徒たちは第二イスラエルの立場に立ち、今日、完成的な条件の上に立つ人々は第三イスラエルの立場に立つということです。第三イスラエルの立場に立つことが、新郎が進むべき道の目的地であるため、私たちは反対の経路をたどって進まなければなりません。
愛を代わりにすることができるのが第三イスラエルであるため、愛の目的を通さなければ神と縁を結ぶことはできません。従って、霊界にいる第一イスラエルは地上にいる第二イスラエルであるキリスト教徒を通じなければならず、第二イスラエルであるキリスト教徒は第三イスラエルを通じなければなりません。また、第三イスラエルを目指している私たちは、仲介的な基準を探し立てなければなりません。自分自身においても、家庭的な分野や教団的な分野においても、世界的な分野においても、皆さんはこのような立場を探し立てなければなりません。
このような全体の目的を前にして、自分がどの段階にあるかを今日の皆さんがよく知っておくべきです。皆さんが先生、先生と言うのはありがたいことです。先生、先生と言うのはありがたいことですが、回復の条件を探し出さない限り、先生もどうすることもできません。
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それでは、今日、真の父母を探して進む過程において、真の兄弟同士はどのようなことを探し立てるべきでしょうか?これまでの6000年間、堕落の血統を経て進んできましたが、どの時代の誰も兄弟を愛したこと以上の愛を、この地上に築かなければなりません。これを立てなければ、天が「おお、お前たちは私が認める兄弟だ」と言うことはできません。このように真の兄弟の道を経た後に、皆さんは家庭的な父母になることができる恩恵の権内に入ることができます。そして、自分のためにそれを行うのではありません。皆さんは民族的な父母、宇宙的な父母のために、家庭的な父母の立場に立たなければなりません。皆さんはこのようなことを行わなければなりません。いかに優れた者であっても、このような蕩減の道を条件として進まなければなりません。
これを成し遂げなければ、勝利したイスラエルの父母にはなれず、勝利したイスラエルの兄弟にもなれず、勝利したイスラエルの民にもなれません。従って、兄弟を編成して天の前に認められた後、家庭を編成し、その後、家庭が合わさって民族を編成し、反列を編成していくべきです。
天がこの地上で探している12部族を代わりにしてきた世界の全てのキリスト教がイスラエルの名を持っているけれども、イスラエル的な反列がないために、神が摂理できる足場がないということです。従って、神が摂理できる足場を作るために、今日散らばったイスラエルの反列を再び編成し、回復できる世界的な足場を作らなければなりません。このような責任が今日の私たちにあります。
<祈祷>
今日、私たちは伝道しています。伝道は兄弟を探すことです。ですから、兄弟が増えれば種族になり、種族が増えれば民族になり、民族が増えれば国家になり、国家が増えれば世界になります。しかし、真の兄弟を見つけようという切実な心があっても、一人ではできないので、あなたと私は一緒にならなければなりません。そうして初めて父の前に立つことができるのです。個人は兄弟と一つになって家庭的な父母を迎えることができ、教団は教団同士で兄弟のように一つになってこそ、教団的な父母を迎えることができます。また、世界は世界、国家は国家で、兄弟のように愛して一つになってこそ、宇宙的な父母を迎えることができるのです。
さて、私たちはこのような歴史的な使命を担うべき時代に置かれています。従って、失われた反列を私たちの手で探し立てなければなりません。しかし、こうして私たちが天の前に立とうとするには、家庭を通過しなければなりません。イエスも家庭を通過できなかったため、楽園に行かれました。
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今まで6000年間の摂理の目的は、家庭を通過するための目的です。しかし、これまで誰も家庭の門を通過できなかったため、この世には神の愛という言葉を見つけることはできません。家庭の門を通過できなかったため、イエスも再臨しなければならないという命題を残し、霊界でも楽園という中間段階にとどまっています。従って、私たちは家庭を通過した後に民族を通過しなければなりません。そうでなければなりません。民族権内に家庭が入り、国家権内に民族が入るからです。
従って、私たちは家庭を合わせて民族を編成し、民族を編成して国家を形成し、国家を編成して世界を形成しなければならない重大な責任があることを知っておくべきです。従って、今日、皆さんが自分が生きる目的が自分の家庭のために生きるという観念を持つならば、天との関係が断たれることになります。私が家庭を中心に生きても、民族のために生きるという心を持ち、民族のために責任を持つ家庭があれば、その家庭は民族のために生きるだけでなく、天と地のために生きるという心を持たなければなりません。このような心を持って生きることができる者たちが、父の大きな恨みを解き放つことができるという事実を知ったので、お父様、私たちが今日からあなたの意志を実践することができるように許してください。
兄弟同士で一つになり、父の栄光の目的を広げていくことができるようにしてくださいと、主の御名によってお祈り致します。アーメン。
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