矢筈山(1848) 北東面
ここ何回か 矢筈山(1848) 北東面を歩いてみた。
登山道は無く、獣道などを繋いで歩くコースばかりであったが、北側は暖冬の今冬でも 比較的雪が残っていて、素晴らしい光景に出くわすことが出来て、感動の連続であった。これまで通ったルートとはまた 違うルートから色々とこの山域をたどると、また新たな山域の魅力の発見することができた。
普段 足繁く通っていても 全然気が付かなかったことがなんと多いことか。暖冬のおかげで、雪を求めて出くわした偶然のことであったが、改めて この山域の奥深さを再認識した。
「指導標の完備した道をたどる登山は、いいかえれば他人の拓いた道をたどる行為である。登山者が望むかぎり、それはそれで何の問題もない。山小屋があり、指定されたキャンプ地がある。混雑の有無と天候の運不運はあったとしても、ともあれ おおかたの登山者が、自然を満喫して目的の山頂を踏むことができるだろう。
問題は「道とはなにか」と登山者が疑った瞬間からはじまるのである。遭難を回避するために設けられた指導標や山小屋。そこ以外には求めようもなく定められたキャンプ地と、標準コースタイムの記されたガイドブック。-----
そうした 管理された既成の登山のなかに、私自身の創造がどれほどあったのかと考えたとき、私は道から外れることに思いを馳せたのである。」
『道なき渓への招待』高桑信一著 1998年 東京新聞出版局