先日、私は65年生きてきた中で、一番悲しい思いをしました。
3月に妻に先立たれたのです。がんでした。
初めて病気が分かったのは、2年前(2017)の3月です。その時に余命6ヵ月と言われました。
その頃ちょうど桜がきれいで、ふたりで奥須磨公園に行きました。あんなにきれいで、
むなしい桜は生まれて初めてでした。
私たち夫婦には子供がいない分、ふたりの距離はとても近いものだったと思います。
大きな喧嘩もしたことも無く、お互いの趣味を尊重しながら仲良く過ごしていました。
二人共通のお休みには必ずどこかにお出かけしていました。
しかしそれももう叶いません。
結婚して37年、ほとんど二人で生きてきたような感じがします。
この2年間、妻は恐怖と苦痛に耐え、よく頑張ったと思います。
もっと!もっと!もっと! 褒めてやればよかったと思います。
最後の入院は、神戸低侵襲がん医療センターでお世話になっていたのですが、
緩和ケアをしながらも、意識は最後までしっかりしていました。
だから亡くなる前の日まで、二人で話も出来たし、
みかんも、ガリガリ君も食べさせることが出来ました。
主治医のK先生もスタッフの皆様も、大変親切にしてくださいました。
この場で、あらためてお礼を言いたいと思います。
がん治療の難しさと残酷さ
妻のがんが発見されたときには、すでにステージ4でした。
他臓器にも転移をしている状態で、難しい状態でした。
年明けにおかしな咳をしだしたので、病院へ(西市民病院)行かすと、
CT検査でがんに間違いないと言われ、気管支ファイバーもしました。
先端医療でPET検査を受けて決定的な診断が出てしまいました。
そこの勧めもあって、先端医療センターでの治験をすることにしました。
その時先端医療の主治医がH先生でした。
妻と私はこの先生なら任せられると思い、
結局、最後までお世話になることになったのです
。しかし、がん治療と言うのは非常に難しいことが多いのです。
それはあらゆる局面で選択をしていかなければならない事です。
まさに命がけの選択です。もちろん先生からのアドバイスはもらえますが、
最後に決めるのは私たちなのです。
つづく ・・・
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