EKKEN♂

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怒りの冷やし中華

2004-04-18 | たべもの
Click with nobbirBLOG:冷やし中華
ここを読んで、昔書いた冷やし中華関連の読み物を思い出し、再掲。

冷やし中華というものの存在がありながら、「冷たい醤油ラーメン」なるものを商品化してしまったラーメン業界よ、おまえらはもっと冷やし中華の立場を考えてやれよ、と思うのは僕だけでしょうか。
そもそも、冷やし中華、その存在からして軽んじられてはいないか?
そろそろ暑くなってきたなぁ、とラーメン屋の親父が思ったら、店の入り口に「冷やし中華、始めました」の告知ポスターとともに始まり、「もう夏も終わったし、これからは熱いラーメンONRYね」なんて適当な頃合を見計らって、今度は何の予告もなしにメニューからはずされる。
9月ころに冷やし中華頼んで「お客さん、冷やしはもう終わったんですよ」なんていわれたら、僕、もぅ怒っちゃうよ。ぷんすか!
せめて終わる何日か前に「冷やし中華終わります」の告知出しやがれ!!
そしてただでさえ影の薄い冷やし中華なのに、冷たい醤油ラーメンなんてモロに競争関係に当たる新商品出すんじゃねえ!!
ここはひとつ、冷やし中華の麺権(人権ならぬ麺の権利だ、このやろう!)復興のためにも、対抗して「温かい冷やし中華」の開発を強く望むものであります!!

こんなところ、ドゾ。
冷やし中華おわりました。

2004-07-10
おいたまさんに虎発信!!


食べ方、いろいろ

2004-04-18 | たべもの
むだづかいにっき:牛乳丼を知っておるか?に寄せられたmookeiさんのコメントより (ここ
昔バイトしてた本屋さんが全員北海道出身だったのですが、そこの食事時にビックリだったことがあるのですが。
トマトに砂糖、納豆に砂糖、魚はホッケのみ。
北海道の人がみんなそう…なんて事はないですよね?


北海道民として回答いたします。
まずトマト。
確かに小さい頃はトマトに砂糖をかけて食べていました。トマトがあまり好きな子供でなかったので、砂糖のかかっていないトマトを食べるのは拷問に等しかったです。
砂糖をかけたトマトを、しばらくの間放っておくと、トマトの水分がじわっと出てきて砂糖を溶かし、トマトを食した後にその汁を飲むのが美味しかったものです。
トマトに砂糖をかけて食べるのは一般的ではないのかなぁ、と思い、Google先生に聞いてみました。ポチっとな。
その中から
真名井 文彦氏のエッセイアンチ・グルメ・エッセイ 週刊マナイタを発見。この人も北海道出身のようですが、自分の周りでも稀有な食べ方であった、と告白しております。
あとここの真ん中よりちょっとしたの方でも砂糖をつけて食べていた人発見。
僕は今現在は「なにもつけない」で食べることが多いのですが、ポテトサラダなどの飾りつけとしてトマトが出る場合のように、トマトにマヨネーズがついた状態で出てくるのだけは許せません
次、納豆。
納豆に砂糖はご覧のとおり物凄い数がGoogleでヒットします。リンク先をいくつかたどっても、北海道とは限らないようです。
実を言うと、僕も小さい頃は納豆に砂糖をかけていました、確かに。
それは納豆のシャアザクとも言うべきもので、通常の3倍はネバネバするのです。
しかし僕がそのようにして食べていた納豆は、実はそんなに好きなものではなく、小学校高学年のときに、砂糖ではなく練り芥子を入れる食べ方を知ってからのほうがアイ・ラブ・ナットーとなっています。
余談ですが、納豆に醤油もしくはタレを入れてかき混ぜる際、いつもよりも醤油(タレ)を少なめにして、マヨネーズを少量加えると、トレビヤーンです。イヤ、これホント。
最後、魚はホッケ。
これは内地(道産子は本州のことをこう呼ぶ)の人が「アジの開きばかり食っている」と思っているのと大差ないと思います。僕はホッケの開きが大好きでありますが、スーパーで売っている我々ビンボー人が買うホッケは、そのほとんどがロシア産であり、脂ののった美味しい羅臼産のものにはなかなか手が出ません。ちなみに今時期だと鰊の開きが抜群に美味いです。
僕は五年間ほど埼玉県に住んでいた時期があるのですが、関東の大衆居酒屋でホッケまたは鰊の開きを注文すると、そのあまりの小ささにがっくりしたものです。

blogをやっていること

2004-04-18 | WEBにまつわる話
ikaさんのblogより。
ブログでヒマつぶし:ブログしてること周りに言ってる?
そんなに多くの人に見てもらいたけりゃ、友だちに「ブログ始めたの~」って言ったりメールの署名欄にここのURL入れたりすればいいんですけど、それはやっていません。
blogに限らずリアルの友人・知人に、自分がWEBサイトを開設していることを伝えるのは諸刃の剣である、と思う。
親しい友人であれば、熱心に見に来てくれるかもしれない。そして、常連を増やしてくれる可能性もある。さらに、その中から新たにblogを始める人が出てきたら、新たな交流にもなるし、コメントやトラックバックも増えて盛り上がること間違いなし! ・・・・・・と、いうふうには決して行くとは限らないのだ。
日記的なことを書いていると、自分では気付かずに、傍から見たら結構イタイということが、ままあるものなのだ。いくら仲の良い友人であろうと、他人に知られたくない(しかしblogのネタとして充分に成立する)言動はあると思うのですね。ネット上で仲の良い友人が出来たりすると「オフ会やろうぜ」という流れになるのは良くあることではありますが、僕の場合は素の自分を知られるのがこの上なく恥ずかしいことなので、お誘いがあっても鄭重にお断りしています。
あと、僕の場合はどちらかというと誰かの発言に対して、否定的な物事のとらえ方をして記事にしていることが多いので、下手にリアルで親しくなったりするとその人該当することについて、記事が書きにくくなる、ということもあります。
たとえば今回のイラクでの邦人拘束問題ですが、個人的には「あいつらバカでぇい」と思って記事にしようと思っても、あの三人のうちの誰かと親しい間柄で、自分がここでblogをやっていることを当人に知られているときは、なかなか「バカでぇい」とは書けないものではないでしょうか?
実はblog以前に、こういうことがありました。
僕は「こういうサイトはウザい」と称して、読むに堪えない読みにくいデザインの例(個人批判が目的ではないので、URLを記していたわけではない)とか、TOPページから強制的にMIDIが鳴り響くサイトがダッサーとか言っていたのですが、実は僕の定期巡回先にもそういうサイトはたくさんあったわけでして、彼らは一様に「これはオレのことか」とか「クリリンのことかーッ!」と憤慨していたのであります。
別に対個人への文句というわけでなくても、どうやらネットという場所は傷つきやすい人がたくさんいるようで、それ以来ネットを介して(たとえオンライン上のみの付き合いでも)下手な馴れ合いは自己の発言の内容を束縛するものだ、ということを認識するようになりました。
そんな訳で、仲良きことは美しきことではあるのですが、せっかく自分の意見を堂々と主張できるblogというシステムを使っているのだから、僕はこれまで通り、思ったことを思ったまま書き連ねていこうと考えています。

追記:
この記事に関連して、◆書く/読む/喋る/考える◆:言葉はナイフのように を応援いたします。

追記2:
脱へたれ:友人はこのブログのことを知ってますか?へトラックバック