私は僧侶では無く単なる仏教ファンなので、私の意見が正しいとかのつもりでは書いてません。
仏教が好き過ぎる由縁の書き込みとなりますのでご理解下さい。
さて今回は真言について書かせて頂きますが、私は宗派に拘らずに仏教を学ばせて頂いてますが、特に真言宗は1番好きな宗派なので、宗派の名の通り真言にも興味が有ります。
そもそも真言っていったいなんなんだ?って思う方も居るのではないでしょうか?
まぁ簡単に言えばお経のような物なのですが、お経とは違う点がいくつか有ります。
お経の代表的なのと言えば、妙法蓮華経や般若心経が有ります。
さほど仏教に熱心で無い方も名称位は知ってると思います。
それらのお経は元々は仏教の発祥の地で有るインドで作られた経典です。
まぁ解りやすく言えばキリスト教で言えば聖書のような物ですね。
仏教とは読んで字の如し仏様の教えです。お経(経典)には事細かく仏様の教えが書かれています。
そのインドで作られた経典を三蔵法師が中国に持ち帰り、サンスクリット語で書かれた経典を漢文に訳されたのが
お経となります。
そして空海様や最澄様などの日本のお坊さんが中国から日本へ持って来た経典がお経や真言です。
そして真言とはサンスクリット語を訳さずにサンスクリット語のまま唱える物になります。
このようにお経と真言は似ているようで全く違う要素を持っています。
特に1番の違いは文章の意味なのです。お経だと漢文に訳して文章の意味を重要視して書かれた物です。
それに比べて真言とは呪文のような物です。なので文章の内容よりも音声による発音を重要視してるのです。
音を発する、音を聴く
この2つに重点を置いてます。
ただ、勘違いしてはならないのは重要視していないだけで、真言には勿論
文章の意味が有る訳です。
でも、真言は呪文のような物なので
この世の言語で訳す事が出来ない部分が有るのです。
例えば、人間のある感情をある人に伝えたいけど言葉だけでは全てが伝わらない事って有ると思います。
例をあげれば、日本語で
私は貴方を愛してます。って言葉
英語だとIlove you
中国語だと我愛尓
ですかね?
この文章だけで本当に愛情が相手に伝わるのでしょうか?
多分伝わりません。
この文章に色々な補足文章を付け加えても中々相手には気持ちが伝わりにくく相手に自分の思いを中々理解して頂く事は難しいです。
つまり文字や言葉だけでは真の感情を相手に伝えにくいものです。
こんな感じですので
真言とは言葉や文字だけで理解できるような簡単な物では無いのです。
なので真言は、訳す事にはあまり意味の無いものでして、ある程度の大まかな意味さえ解かれば、それで良いのです。その為にサンスクリット語のまま呪文のような真言を唱えると言う事が1番重要視されている訳なのです。
ご祈祷などでも真言は繰り返し唱えると言う事が理解できますよね。
聞き心地の良い音声で数多く唱える事が何よりも重要って事です。
これは文章の内容に意味が無いと言う事では無く、勿論真言の内容には我々衆生の者には理解出来ない程の偉大なる重要な意味が有る事が前提の話です。
勿論全く意味も解らずに只々唱えても
それこそ意味は有りませんので、大まかな意味さえ解かれば良いです。
光明真言
オンアボキャベイ
ロシャノウマカボダラマニ
ハンドマジンバラ
ハラバリタヤウン
宗派により☝の片仮名文章と異なる
場合が有ります。
また同じ宗派でもお坊さんによってはお師匠様から伝えられた文章と多少異なる場合もあります。
そして、これらの真言は唱える異なるで功徳を得られるのは勿論、聴くだけでも功徳が得られると言われています。
功徳とはポイントのような物と考えれば良いと思います。ペイペイポイントとかTポイントのように功徳を貯める事が出来ます。但しポイントが使えるのは自分が死んだ時です。
死んだ時にこの功徳をたっぷり持っていれば早めに極楽浄土へと逝く事ができます。
生前に悪事ばかり成して功徳を積まなかった方は残念ながら極楽浄土へは行けず地獄のような世界をさ迷う事になる確率は高いですね。
もし、私はあまり功徳を積んで生きて来なかったなぁ〜!
って思った方、安心して下さい。
死後に極楽浄土へ逝く望みが全く無い訳では有りませんよ。
但し今までして来た悪事に対して後悔する念と今後は仏教を頼りたいと望む事が前提となりますけど!
先程、死ななきゃ使え無いと書きましたが生きているうちに使う事も出来ます。自分の為では無く先に亡くなられた故人に対して自分の得た功徳を使い、中々極楽浄土へ向かう事が出来ない故人をサポート出来るのです。
話を真言に戻します。
聴くだけで功徳が得られると言う事は亡くなられた方は真言を唱える事ができませんが聴く事くらいは出来るでしょう。
故人の事を思いながら光明真言を唱えて得た功徳を故人にプレゼントできますので故人は功徳を得られるってわけですね。
良い行いをしたり真言を唱える事で功徳を積む事が出来ますから
生きてる時になるべく良い行いを心がけて、真言を唱えて功徳を積んでおけば死んだ時に辛い思いをしなくて済みますので、世のため人のためにと普段からその思いを忘れずに生活して行きたいものです。
この記事を読んで真言に興味出た方は以前にも真言について、このブログに書き込みしてますので今回の記事とはまた別に楽しく仏教を学べると思いますから以前の記事を読んでみて下さいね。
最後までお読み頂きましてありがとうございました。
記事の新ネタが思いつかない時は以前に書いた記事と重なる事が有るかもしれませんが全く同じ内容にはならないと思いますので以前書いた記事の付属記事として読んで頂けたら嬉しく思いますので宜しくお願いします。
🙏😌南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
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