今回は仏教と宗教の関係について書き込みしてみます。
書き込みについては私視点の考えですので私の意見が正しいとかでは無いのでご理解願います。
なので読んでる方にとっては間違ってる考えだと思う事は有るかもしれません。
例の安倍総理の事件以降は世間の話題で最近、新興宗教の問題が絶えませんね。特に名前出さなくても今となっては日本国民なら誰もが知ってる宗教です。親が信者で子供達が犠牲になってると言う問題とかですね。
なので仏教も一応、宗教ですから私自身も知り合いから白い目で見られたり敬遠される事もしばしば有ります。
宗教と一言に言っても様々なものが有ります。仏教以外にもキリスト教、イスラム教、天理教、創価学会、霊波の光、エホバの証人、光の輪 など瞬時に思いつくだけでもこれだけ有ります。しかしこれはほんの一部であり日本の宗教の数では今挙げた数の数十倍の数の宗教団体が有るのです。
日本はそもそも、神の国として紀元前660年に神武天皇から国が誕生しました。それ以来神国として現在に至ってます。月日が流れるにつれ仏教やキリスト教などが日本に入り、何度か日本政府により神国以外の宗教を排除する動きも有る中でキリスト教や仏教もなんとか、そんな時代を乗り越えて今に至ってる訳です。
この部分を詳しく書くと長い書き込みとなり日が暮れてしまいますので辞めときます。(笑)
大東亜戦争では神国として団結して神風特攻隊などにより米国を恐怖へと導いた事から戦後GHQにより、日本国民は義務教育で宗教を教える事を禁じてるので、現在は宗教について無頓着な方々が多いのです。
実は私も数年前までその無頓着なうちの1人だった訳です。
そんな中で私は宗教の中の一部では有りますが仏教への興味にたどり着いたのです。このブログの私にとっての仏教はシリーズ化してますから以前のブログも読んで頂けたら、なぜ私が仏教徒となったのか解ると思います。
では今回の本題となります宗教と仏教の関係について書いてみます。
まぁ、簡単です。
先に書いたように様々な宗教団体が存在する中の一つに仏教が有るって事です。前置きが長くて関係についての結果はこれだけですわ。(笑)
実は一応、私は結婚を期に30年間、神の信仰をしてました。
初詣には欠かさずに鹿島神宮に行きましたし、夏が終わり秋になり涼しくなった頃には香取神宮にも行きました。
まぁ30代の頃に数年間、古武道の修行をした事が有ったので武道の神様とされるのが鹿島神宮ってのも有りましたしね。しかしお参りしてた割にはあまりご利益は無かったような気が•••
(たぶん、チャランポランな気持ちでお参りしてただけだからご利益なんて有る訳無い)
この30年は欠かさず参拝してたからかは解りませんけど確かに大きな病気など無く暮らせたし、いくつかの楽しい経験は出来たけどその反面ここには書けないような屈辱や苦しみがもの凄く多かったです。
正直言うと人生諦めた方が良いのではと思い詰めた時期もありました。
(当時は運よく友人や知人により救われました。)
しかし、これは前回のブログで書いた通り、自らが行動を起こした結果に過ぎず、自業自得なのです。
例え、自分に苦しみを与えた者がいたとしても、相手に怨みを持つ等と考えるのでは無く自分自身に焦点を当てて
そうなった事を考えて理解する事が大事で有ると仏教を学ぶ上で知りました。
そして今は私に苦しみを与えた人達への怨み嫉みは仏教を学んだお陰で、すっかり消えました。
で、話を戻します。
様々な宗教団体が有りますが中にはカルト的要素が強い宗教も有ります。
代表的なのはオウム真理教です。
問題はカルト、つまり熱狂的に教祖様等を信じ洗脳されてしまう事により教団への多額な寄付をしたり、最終的には自分自身の為では無く教団や教祖の為に祈りをしたりしてしまう事で有ります。そして組織が拡大していくとオウム真理教のように詐欺や殺人等の悪行へと宗教とは別の犯罪集団となってしまい、行き着く所は教団の解散となる訳です。
しかしながら、カルト的要素が強くてもキリスト教のように世界的に発展して行く宗教も有ります。
なのでカルトそのものが悪いとは一概には言えない部分も有ります。
キリスト教で言えば、普段の生活で悪事をなしてしまったとしてもイエス・キリストの神様を信じて懺悔して祈りをすれば必ず死後の世界は地獄では無く天国に行ける。との事!
まぁ罪を犯したことでの行政的な処罰は有るとは思いますが、犯罪を犯した本人の気持ち的にはしっかりと罪を償う事で少しは気がらくになるのではないでしょうか?
そう言った事からすると個人的には
世界一の信者数を持つキリスト教は偉大な宗教だと思います。
キリスト教を信じて、祈りを捧げながら亡くなられた方は自分は死んでも天国に行けるのだ!と安心した気持ちで
亡くなる事が出来たに違い有りません。宗教を信じてたからこそ安らかな境地で人生を終える事が出来たのではないでしょうか?
って事で、今回は長くなりそうなので
前編として一度終了したいと思いますが、なるべく早く後編を書きたいと思います。そして前回の書き込みで記念すべき初のコメントが来まして、仏教における自力本願や他力本願について書き込みしたらどうか?
とアドバイスを頂きました。
次回の後編の書き込みではその辺を中心に書きたいと思います。
コメントが来たのを確認した時は
本当に嬉しかったです。アドバイスも頂きありがとうございました。
(実はもう、書き終わっています。
ただ、だいぶ先にはなると思います。)
私は基本、宗教へのこだわりはありません。
信仰という意味では、共通の意識があると思っています。
自立は比較的わかりやすいと思います。
どちらに優劣をつけるという意識はありませんが、他力は、実際の信仰生活のうえでは、理解が難しいものだと思います。
ただ、私は深く仏教がわかっているわけではありませんので、次も
読ませていただきたいです。