真実史観で子孫に遺す日本適者生存99年史

歴史には真実と捏造が有るのみ。東大やマスコミ等、虚業が造語の、自虐も保守も革新も右も左も無い!真実の歴史を子孫に遺そう。

資源が無い小さな島国日本は、資源封鎖され兵糧攻めされれば風前の灯だ

2007-03-26 11:14:34 | Weblog
 原点を忘れた人々よ、原点に回帰しよう。まず回帰し、世界全図で日本を見よう。日本は、10~20倍以上の超大国に囲まれた、資源が無い小さな島国なのだ。日本は資源が無いので資源を輸入して加工して輸出、物づくり以外の選択不可の、小さな島国なのだ。資源が無い小さな島国日本は、資源封鎖され兵糧攻めされれば風前の灯なのは、誰の目にも一目瞭然である。なんと時代は、弱肉強食(生命体の自己保存の本能の戦いの為正邪は無い。強いものが勝ち、敗者は従うか、あるいは消滅する)が常識の時代だ。満州や朝鮮半島が敵に占領され、海上封鎖され、兵糧攻めされれば、瞬時に亡国となる弱点克服に、皆苦慮し、封鎖防御のため大陸に進出し、頼ってきた朝鮮を併合し、対清、対露、対中、対ソに備え、弱肉強食の時代を乗り切るため、日本丸に乗船し天皇を中心に護国という「公」のため、一丸となった。いわば開国以来の日本の歴史は、生命体の自己保存の本能に従った、護国のための苦慮史と言える。護国のため皆「公」に殉じた、「公」の時代であると言える。台湾朝鮮も搾取ではなく、資金を投入し開発育成統治し、富国強兵に励み、一丸となった。(注・詳細は後述するが、戦後「私」が蔓延し、現在も蔓延し続け、諸悪の根源となっている。戦後日本国基幹の物づくり社会だけに「公」は残り日本の礎となり、日本は繁栄し、現在も日本繁栄の根幹となっている。)

 弱肉強食の時代に対応した護国の戦いを、攻めなければ攻めて来た時代なので、お互いに、とやかく言うことは出来ない。攻めなければ攻められた(日清、日露戦争)時代なのだ。敵に先手をうたれ、生命線の満州や朝鮮半島が占領され、海上封鎖され、兵糧攻めされれば、資源が無い日本は必滅。後手にまわれば、日本は必滅しかない。小国日本必勝の選択肢は、先手しかなかった。先手(大陸進出)は、資源が無い小国日本の、弱肉強食の時代への唯一の対応策なのだ。読者の皆さんも護国責任者の立場で考えれば、このことは簡単に分かることなのだ。

 弱肉強食が常識の時代の大東亜戦争では、宗主国は、「ABCD包囲網」と呼ばれる経済封鎖網によって対日資源封鎖(対日戦必勝パターンで宣戦布告し、降伏せよとせまった)した。資源封鎖する宗主国からアジアを皆解放し独立(貿易の自由化)させ、資源確保することが、護国への唯一の道であった。仮に日本台湾朝鮮が、ハルノート(最後通牒)に屈服、生命線の満州や朝鮮半島から撤退し、戦争を回避したとしても、列強にアジアが皆植民地にされ、再度対日資源封鎖されれば、日本台湾朝鮮は瞬時に無条件降伏となり亡国。日本の消滅または植民地化は避けられない。戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であった。まさに独立国日本の存亡をかけた資源封鎖防御、護国のための、回避絶対不可の自衛戦争なのだ。マッカーサーは、満州や朝鮮半島が資源の無い島国日本の生命線であることを朝鮮戦争で学習し、聴聞会において、聖書に誓い、「・・・戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障(security)の必要に迫られてのことだったのです」と証言した。読者の皆さんも護国責任者の立場で考えれば、このことも簡単に分かることなのだ。

 大東亜戦争の日本台湾朝鮮の真意はアジアの貿易の自由化なのだ。アジアの貿易の自由化のため、アジアの同胞を宗主国から解放する戦い、それが大東亜戦争なのだ。台湾も朝鮮も日本もアジアの同胞も、まさに一丸となって戦った、それが大東亜戦争の真意であり誇りなのだ。アジアの解放を先導した誇りを失った日本への叱咤激励を、戦後続けてくれる台湾やアジアの方々のこの心根を、理解できる日本人は、もういないのか。歴史に学ばず愚かな人々が安易に繰り返す、愚かな国への愚かな謝罪は、先人や、心ある人や国への、最大の冒涜なのだ。

 日本台湾朝鮮や、アジアの同胞のこの努力のおかげで、アジアの総植民地化を防御し、今の日本、独立したアジア(大東亜共栄圏・貿易の自由化圏)が存在している。アジアやアフリカは南北アメリカのようにはならなかったのだ。無策であれば日本は消滅し、アジアはすべて南北アメリカのように征服されていた。つまみ食い史観を撒き散らす人々よ、物事にはすべて禍福がある、つまみ食いはできない。時代の通過に、つまみ食い不可。歴史のつまみ食い解釈は不可なのだ。

 物づくりはあまたの失敗が無ければ、完成しない。卑近な例で述べると、バンダ温室無し皿栽培方法完成のために、私は15年間買っては枯らす失敗を繰り返し、バンダを枯らし続けた。失敗の無い物づくりなど絶無だ。失敗と完成は、表裏一体、禍福一体なのだ。あまたの失敗(敗戦。殉難者)をし、苦労したが、最後に完成(アジアの独立。人種差別の撤廃。貿易の自由化での日本の繁栄)し、子孫はあふれるほどの恩恵を今も受け続けている。あまたの失敗(先人の超大国への挑戦。)が無ければ今の日本、否、日本と言う呼称すら消えていただろう。最後に完成し、先人のあふれるほどの恩恵(貿易の自由化での日本の)を受け続けていながら、過程における先人の失敗を、犬死、無駄死に、敗戦必須の無駄な戦争とあらん限りの罵倒する、NHK(日本国民から料金を徴収し日本の公共放送を放送する局)や子孫と称する輩がいる。失敗(過程)無くしての完成(繁栄)など皆無なのだ。先人に護られた真の子孫や、真の日本公共放送局ならば表裏、禍福を見てものを言え。それが、護られた子孫としての、先人への最低限の礼節だ。真の子孫ならば、「感謝」以外の言葉は存在しないはずだ。歴史は森を見て語れ、木だけ見て語ることなかれ。

『もし日本なかりせば』暗に大東亜戦争の本質を喝破したマレーシア・マハティール首相の演説

2007-03-26 11:06:55 | Weblog
『もし日本なかりせば』暗に大東亜戦争の本質を喝破したマレーシア・マハティール首相の演説(1992年10月14日香港で開かれた欧州・ 東アジア経済フォーラムにて ) 

 ・・・ 日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。
 ・・・日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押しつけられていただろう。

 ・・・ 貧しい南側諸国から輸出される原材料の価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定される。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。

  ・・・ 南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるをえなかったからにほかならない。日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。

 ・・・ また日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロ ッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けていただろう。

 ・・・東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功をとげた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。

 ・・・ もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨー ロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。(植民地のままか、たとえ独立したとしても、植民地と同様であった。筆者注)

 マハティール首相の本心は「もし日本戦わざれば」なのだ、あまりに刺激的なので「もし日本なかりせば」にしたのだ。日本が戦い、有色人種独立の扉を開いたことにより、アジアが覚醒し共に戦い独立し、貿易の自由化を勝ち取り、日本へのよどみない原材料供給の結果、日本は繁栄した。日本を見習い東アジア諸国はあえて挑戦し、世界各国も驚くような成功をとげ、今の東アジア(大東亜共栄圏)があると言っているのだ。日本国がたとえ在っても、戦っていなければ、今の東アジアの存在はない。日本国が在り、日本国が戦った結果、今の東アジアが存在していると言っているのだ。親日などではなく、実事求是に基づいての演説なのだが、大東亜戦争のすべての殉難者に対して、これ以上の頌詞は無い。

 先人冒涜をつづける人々よ、「もし日本戦わざれば」に置き換えて再読してほしい。物事にはすべて禍福がある。禍、判断は半人前史観、つまみ食い史観で、禍福判断は一人前史観、真実史観だ。戦後の日本やアジアの繁栄は、先人と、共に戦った覚醒したアジアの先人のお陰なのだ。歴史には、逃げ場が無く、背水の陣で死に物狂いとなって戦わなければ通過出来ない時代が、必然的に存在する。織田信長の桶狭間がそうだ。日清、日露、大東亜、10~20倍以上の超大国が相手だ、いずれの戦いも、日本においては背水の陣、桶狭間の戦いだったのだ。護国指導者の苦悩が髣髴する。

 弱肉強食が常識の時代に、列強との戦いに日本は敗れたが、覚醒したアジアは皆独立し、貿易は自由化された。アジアの潤沢な原材料供給で、我が国は自由主義国として戦後強大な経済力を持つに至り、アジアも共に繁栄している。アジアやアフリカは南北アメリカのようにはならなかったのだ。この繁栄がアジアの自由主義圏を拡大させ、アジアの狂惨化を防いだ。この事実もけして見逃してはならない事なのだ。歴史は森を見て語れ、木だけ見て語ることなかれ。