真実史観で子孫に遺す日本適者生存99年史

歴史には真実と捏造が有るのみ。東大やマスコミ等、虚業が造語の、自虐も保守も革新も右も左も無い!真実の歴史を子孫に遺そう。

戦陣訓虜囚の辱虜囚の意味敵を生きながら捕らえ来ること大正6年初版昭和15年改訂の講談社大字典

2008-03-31 09:29:45 | Weblog
戦陣訓虜囚の辱虜囚の意味敵を生きながら捕らえ来ること大正6年初版昭和15年改訂の講談社大字典

戦後辞書まで捏造された虜囚仮説から真実へ終戦までの虜囚の真意は

 「虜」は、生け捕りにした人、奴隷、敵、野蛮人。捕まえるという能動的な意味が強い。<解字>力ずくで捕らえ、じゅずつなぎにしたとりこのこと。

 「囚」は、とらえて拘束する。枠の中に人を閉じ込めるのように能動的意味が強い。(囚人)。<解字>枠の中に人を閉じ込めること。

 「俘」は、とらえて枠の中へ入れる。能動的意味が強い。<解字>囲んで逃げないようにする。

虜囚の類語(終戦までの意味)。

○「囚人・囚徒・獄囚・囚人(めしうど)」は明らかに罪過を犯し捕まった囚人だ。

○「虜囚・囚虜・俘囚(ふしゅう)・虜(とりこ)」は、日本国が捕まえ枠の中に閉じ込めた者「(とらえた人・囚人・めしうど)。日本国が捕まえた者「とりこ(生け捕りにした人・敵)」。終戦までの「虜囚」には、捕虜「戦争で敵国に捕まえられた者」のような受動的意味が全く無かった。

○ 「捕虜・俘虜(ふりょ)」は、「戦争で敵に捕まえられた者(捕まった者)」。主語が敵の、受動的意味だ。

 「囚人・囚徒・獄囚・囚人(めしうど)」「虜囚・囚虜・俘囚(ふしゅう)」のように「囚」を含む文字の本来の意味は、枠の中に人を閉じ込める能動的意味が強いので、日本国が捕らえて閉じ込めた者、自国の兵、敵兵、主語が日本国の能動的意味だけだった。が、下記のように変化した。

 終戦までの「虜囚・囚虜・俘囚(ふしゅう)」と囚を含む言葉は、「囚人」の婉曲表現となった。

 終戦前の「虜囚」は、皇軍の兵が罪過を犯し日本国に捕まること、兵の囚人を意味し、皇軍の兵なので婉曲表現で呼称した。

 整理しよう。終戦前の「虜囚」の類語の意味は、下記のように使い分けされていた。

○「囚人・囚徒・獄囚・囚人(めしうど)」は罪科を犯し日本国に捕まった囚人。

○「虜囚・囚虜・俘囚(ふしゅう)・虜(とりこ)」は、日本国が捕まえた者(囚人)の婉曲表現か、皇軍の兵(囚人)の呼称。または、日本国が捕まえた敵兵。

○「捕虜・俘虜(ふりょ)」は、「戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」。主語が敵国。

 大正6年初版昭和15年改訂の講談社大字典には「虜囚」・とりこ(イケドリ、シモベ、イケドル、生擒ス、化外ノ民えびす)字源・形聲。虍と母と力の合字。敵を生きながら捕らえ来ること。母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん。力は腕力にて引率する義虍は音符。と記載されている。捕虜「戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」の記載皆無。

 昭和27年初版昭和49年新装発行、三省堂「辞海」「虜囚」・とらわれ人。めしうど。とりこ。まだこの時代では、日本国に捕まった人(囚人や敵)の意味だけである。捕虜「戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」の記載皆無。練馬区立図書館蔵書。

 結果、1/2行つまみ食い解釈でも戦前の解釈は「生きてる時も、皇軍の兵が日本国に捕まって囚人となるような辱めをするな」となる。

 戦後マスコミや鵜人や便乗した反日に、「虜囚の辱」が喧伝されたため、能動的な意味しかなかった虜囚に、全く無かった受動としての意味がだんだんと濃くなり、61年間歪曲喧伝され、捕虜「戦争で敵国に捕まえられた者」が入り込んだ。結果「日本が捕まえた者」が「戦争で敵国に捕まえられた者」となり、全く逆の意味となったというのが真相ではないのか。前述の講談社大字典1963年復刻、1993年第一刷、新大字典には「虜囚・とりこ。捕虜。」と、捕虜「戦争で敵に捕まえられた人」が追加されている。仮説が適中した。言葉は時代に迎合するのだ。

 戦前は、「軍人勅諭」に記載無く、実行不可能な訓(教え)虜囚には、捕虜「戦争で敵に捕まえられた人」の意味は、全くなかった。なぜなら、言葉に、はるかに鋭敏な方々が、起案責任者は人格者として誉れ高い今村均が、目を通し、なにも問題にしていない。戦前、「虜囚」は、いけどりにした敵、または囚人の婉曲表現、もしくは、囚人となった皇軍の兵を、意味する言葉だった。捕虜「戦争で敵に捕まえられた人」ではなかった。だから誰も問題にしなかった。と推測しないと、辻褄が合わないのだ。いかに戦時下とはいえ言葉にはるかに鋭敏な方々が、史上類の無い、実行不可能な訓(教え)「捕虜となるよりは自殺せよ」を採択する訳が無い。大義(公)(軍人勅諭)に生きる皇軍の兵に、規範の軍人勅諭に記載の無い捕虜は恥辱なので(私心)死ねと、臣(けらい)東條英機が教える(訓)ことなど、不可。よって虜囚の辱=捕虜「戦争で敵に捕まえられた人」は捏造となる。

 がしかし、戦後、戦犯として処罰されることを極度に恐れていたマスコミに、「捕虜となるよりは自殺せよ」と、嘘の繰り返し喧伝報道を、反日も便乗して、61年間撒き散らされ、嘘が真実になってしまったのだ。まさに、ナチス・ドイツの宣伝大臣ゲッペルスの有名な言葉「嘘でも充分に繰り返し続ければ、真実になる」なのだ。戦前の虜囚の意味は「とりこ」。戦後の虜囚の意味は「とりこ。捕虜」と、マスコミの捏造により拡大し、変化した。言葉は時代に迎合し嘘が真実になった実例が、まさしくこれなのだ。

 検証の結果、虜囚の主語は正に日本国だ。「虜囚の辱(はずかしめ)」は(軍人が罪禍を犯し、日本国にとらわれ、軍人として恥ずかしい罪過の汚名をうけること。)のように一つの単語として考えるべきだろう。こうすると「第八 名を惜しむ」に、帰結し文意が合う。『戦陣訓』示達の目的 「(盗むな)(殺すな)(犯すな)を徹底させる」にも、「軍人勅諭」にも、合致する。戦時下一部マスコミのつまみ食いはあったが、「軍人勅諭』に記載無く、実行不可能な訓(教え)、虜囚=戦争で敵に捕まった捕虜と、だれも曲解しなかったので、なんら問題とならなかった。

起案責任者人格者として誉れ高い今村均将軍の言葉 

 「戦陣訓」起案責任者・今村均将軍は、戦時下も戦後も、「戦陣訓」の本意に従い、ひと筋に生きた。まさしく名将である。

 戦陣訓の本意。・・・本来は、中国大陸で戦闘をしている将兵に対して「戦闘の興奮」に紛れて強奪、強姦などをしてはならない、そんな事をすれば帝国軍人として「生きて虜囚の辱めを受けず・・・」と諭したもの。「続今村均回顧録」165ページ芙蓉書房

 戦後、報道されている定説となった「戦陣訓」の内容(捕虜となるよりは自殺せよ)は、「戦陣訓」の本意(真の意味)では無いと発言した。1954年11月 刑期を終え巣鴨拘置所を出所。マスコミにワンカット(つまみ食い)拡大報道され、反日も便乗した似非「戦陣訓」の大激流は、起案担当「責任の人」今村均でも、止めようが無かったのだろう。重要なのは、起案担当者自ら、今、報道されている「戦陣訓」の内容は、本意「ほんい(真の意味)」で無い、「誤解された」と発言していることだ。

 「戦陣訓」起案担当者・今村均陸軍大将・(1886~1968・行年82歳)は戦犯の刑期を終え天寿をまっとうしている。ラバウルでは要塞を築き、兵に自給自足制を確立させ終戦まで持ちこたえている。本土からの補給無しであるにも関わらず、無事に10万の兵を玉砕や自殺などさせず、帰国させた名将である(逃亡もせず日本国戦争指導者は粛々と帰国している。これは世界史上非常に稀有なことなのだ。先人冒涜者はこの事を熟慮すべきだ)。戦犯で戦犯収容所に服役し、出所し、自決などせず天寿をまっとうした。捕虜は恥ずかしいことではなく、虜囚の辱は(捕虜となるよりは自殺せよ)では無いということをみずから証明した。出所後は元部下の就職の世話をしたり、遺族を手助けしたり、まさしく「戦陣訓」ひと筋の生涯だった、「戦陣訓」最終章に殉じている。

 戦陣訓・『第八 名を惜しむ 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱(囚人の汚名)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ。』

○戦陣訓第八の意訳文

『第八  名を惜しむ(名誉の尊重)

 恥を恥として知ることは強い。いつも故郷の人々や家族の名誉を忘れず、ますます奉公にはげんで、生きてる時も、皇軍の兵が法を犯し囚人と成るような辱めを受けず、死んだ時も、罪や過ちの汚名を残さず、恥を知り、名を汚さず、故郷の、戦功の期待に答えるように』 真実史観意訳

 これがマスコミや反日に61年間歪曲され続けた戦陣訓、今村均将軍の本意、真実の戦陣訓だ。61年後にやっと導き出された。このたった1/2行が、61年間先人を冒涜し続け、子孫の誇りをズタズタにしてきたのだ。鵜呑みし、鸚鵡返しに鵜呑知識を撒き散らし続け、61年を経た。なんと静かな鵜呑みの恐怖だったのか。今ではもう全日本人が洗脳されてしまった。

 検証しない鵜呑みの恐怖は現代にもある。ソニーの電池、三菱の自動車、雪印、外務省などのプール金、・・・等々たくさんある。どこかで誰かが検証し、踏ん張って止めておれば、いずれも事件にならなかったのだ。物事は真実が基準だ。捏造は亡国だ。

上記の文は下記サイトの要約です。『戦陣訓』、アメリカの東條英機自殺捏造の詳細は下記。

真実史観日本護国史戦勝国歪曲党売国党狂惨党に仕組まれ捏造された大東亜戦争
http://www.tofu-ryohin.co.jp/siten.htm



虜囚の辱の意味戦陣訓真意囚人を捕虜と捏造ウィキペディア捏造事典思想戦展開ついに馬脚を露す

2008-03-31 08:10:23 | Weblog
虜囚の辱の意味戦陣訓真意囚人を捕虜と捏造ウィキペディア捏造事典思想戦展開ついに馬脚を露す

 囁かれている『ウィキペディア(Wikipedia)』に潜む闇 馬脚をあらわす
捏造宣伝し、つまみ食いし、「思想戦」を展開するウィキペディア、鵜呑み危険。

『ウィキペディア(Wikipedia)』「戦陣訓」2007年3月30日 (金) 16:10

 ・・・同時に出撃した10名の写真から酒巻だけを削除し、「九軍神」として発表した。日本人捕虜第1号となった酒巻和男の家族は、人々によって「非国民」と非難された。そして、以後に捕虜になった者たちは親族が「非国民」とされるのを恐れ、偽名を申告し、ジュネーブ条約に基づいて家族に手紙を送るようなことも控えることが多かった。と、捏造記載。

 捕虜となったことは文頭のように削除され、終戦まで酒巻だけでなく皆、公表されなかったので、家族を「非国民」と非難することなど、出来るわけが無い。戦時下日本兵には一人も捕虜がゐない、と宣傳されていた。捕虜公表一切皆無は、明白な事実だ。これはまさしく侮日のためのウィキペディアの巧妙な(事実の中に嘘を混ぜ込む真相箱の手法)捏造宣伝だ。捕虜になっての偽名や家族への音信不通は、捕虜は公表されていないので、自分たちだけが捕虜になったのだという、うしろめたさがそうさせた。また捕虜同志の面子もあり、おのずとそうなった。

 ・・・そして、戰爭中、敗戰によつて眞相が暴露されるまで、日本兵には一人も捕虜がゐない、といふことがまことしやかに宣傳されたのである。しかし、兵隊として各地を轉戰した私は、多くの戰友が捕虜となつて敵軍中にゐることを知つて居り、戰場では捕虜たるべき状態は不可抗力であることも知つてゐた。火野葦平著「バタアン死の行進」小説朝日社P.24

戦陣訓『ウィキペディア(Wikipedia)』の捏造

 戦陣訓で示された規範に付いては『軍人勅諭』の内容とほぼ同じであるが、『国史大辞典』は『生きて虜囚の辱を受けず』の徳目を例にあげて「(軍人勅諭)を敷衍「ふえん(分かりやすくし広める)」するための説明であるという態度をとっているが」、「新たに強調した徳目も多い」としている。・・・当時は単に「軍人勅諭」の「施行細則」とのみ意識し、「新たに強調した徳目」に気づかぬ者もいたのである。国史大辞典編纂委員会『国史大辞典』第8巻(吉川弘文館、1987年)、441頁。

  (注・戦後42年後の1987年の辞典を引用し、規範の「軍人勅諭」に「降伏禁止」の記載が一切無いため、「新たに強調した徳目も多い」と、「降伏禁止」がさも書かれてあるかのように辻褄あわせのための捏造をしている。語るに落ちて捏造を自ら白状している。臣東條や臣今村に、規範の「軍人勅諭」を無視し、改竄は不可能。ウィキペディアの巧妙な、事実の中に嘘を混ぜ込む真相箱の手法だ)

「戦陣訓」原文

『第八 名を惜しむ 

 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。』

ウィキペディアの解釈=これは解釈ではなく、捏造だ。

 以下、解釈が分かれているので両論並記とする。(ただし、2つ目のものは現時点では論拠が不明な個所が多く、事実性・信頼性は低い。)

 1・「郷党家門の面目を思い、捕虜となって恥を晒したり、捕虜として相手に協力してあとでその罪を問われるようなことが無いように覚悟している者は強い。だから強くあるためにはそのような覚悟をしておけ。」という意味である。

(真実史観検証・捕虜として相手に協力してあとでその罪を問われるようなことが無いように覚悟している者、原文に記載なし。だから強くあるためにはそのような覚悟をしておけ、原文に記載なし。原文に記載の無いものを記載するのは、解釈ではなく、明々白々な捏造だ。)

 2・「軍人として恥ずかしい行いをすれば、捕虜になった時はもちろん、死んでからも罪禍の汚名を着ることになったり、同郷の者や故郷の家族から面目の立たない事になるのであるから、そういった軍人として恥ずべき行いはやってはいけない。」という意味である。

(真実史観検証・恥ずかしい行いをすれば、原文、汚名を残すこと勿れ。捕虜になった時はもちろん、原文に記載なし。罪禍の汚名を着る、原文、汚名を残す。同郷の者や故郷の家族から面目の立たない事になるのであるから、意味不明。原文無視の捏造意訳)

真実史観の解釈

 大正6年初版昭和15年改訂の講談社大字典には「虜囚」・とりこ(イケドリ、シモベ、イケドル、生擒ス、化外ノ民えびす)字源・形聲。虍と母と力の合字。敵を生きながら捕らえ来ること。母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん。力は腕力にて引率する義虍は音符。と記載されている。捕虜「戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」の記載皆無。

 第八 名を惜しむ 恥を知る者は強し。常に郷党 〔きょうとう(同郷の人々)〕家門〔かもん(家柄)〕の面目〔めんもく(名誉)〕を思ひ、愈々〔いよいよ(ますます)〕奮励〔ふんれい(はげむ)〕して其の期待に答ふべし。生きて(生きてる時も)〔虜囚の辱〕(りょしゅうのはずかしめ)〔皇軍の兵が、罪禍(法律)を犯し、日本国の囚人となり、実刑で服役するような軍人としての恥ずかしい汚名。〕を受けず、死して(死んだ時も)罪禍〔ざいか(法律や道徳に背いた行為)〕の汚名を残すこと勿(なか)れ。』

『第八  名を惜しむ(名誉の尊重)

 恥を恥として知ることは強い。いつも故郷の人々や家族の名誉を忘れず、ますます奉公にはげんで、生きてる時も、皇軍の兵が法を犯し囚人と成るような辱めを受けず、死んだ時も、罪や過ちの汚名を残さず、恥を知り、名を汚さず、故郷の、戦功の期待に答えるように。』真実史観意訳

ウィキペディア戦陣訓捏造宣伝工作会議 このサイトがノート戦陣訓で右翼にされてますよとの読者の連絡、そのまま下記に貼り付けました。

 ・・・これは右翼などののブログの、戦陣訓は国民と海軍は全く知らず、陸軍でも一部の者しか知らなかったら、「戦陣訓」で自殺した者は皆無であり、東条英機にはまったく罪がない、という主張を補完する論調でした。例1、例2、例3 。世間にこのような歪曲された情報が流れている以上、きちんと研究の成果によって明確になっている情報を提供するべきだと思います。ですから、「生きて虜囚の辱めを受けず」の項目は縮小よりも、詳説が望ましいと思います。それから、「出典」が出てくるまで待つことには異論はありません。--Kafuka1964 2007年4月2日 (月) 01:17 (UTC)修正--Kafuka1964 2007年4月2日 (月) 01:20 (UTC) 

 ・・・とにかく、現状では「戦陣訓は必ずしも重要視されていなかった」証拠を示せば、「戦陣訓が自決を強いる思想では無かった」ことが正しい、と誤解しかねない表現になっているので、修正したい。(上記の歪曲された情報がこの論理を展開しているので、間違っていることをはっきりさせたい) Kome 2007年4月2日 (月) 15:20 (UTC)

 それが一番きれいなまとめ方に見えそうですね。賛成です。それと、個人的には出典でてこなければ解釈2は削除するのが正しいあり方だと思うのですが、変な話、ぶっちゃけこのままおいといてもいいのかなとも思ってます。というのも、解釈2を消して解釈1のみにすると、上記の右翼ブログを見た人、または関係者が、Wikiの解釈は間違っている、として改変してぐちゃぐちゃになるような気がしまして。いまのように併記でのせておけば、普通の人は解釈1と2でどっちをとるかといえば、1をとる(理論的に自然なほうをとるので)と思いますので、それほど2を載せても心配することはないように思いますが、どうでしょうか。(もちろん、タブをはったままは問題あると思うので、出典がわからない、または一部の人の解釈である旨を文章で補足するような形に直して)まあ、まだ書いた人が出典出してくるのを待つのが先の話ですが。-218.139.18.40 2007年4月2日 (月) 16:28 (UTC)ノート戦陣訓

 例1、はこのサイト。例2、例3は「戦陣訓の検証」を筆者が投稿した掲示板です。このサイトでは一字一句戦陣訓に関して検証し、理由も述べています。検証には検証で答えるのが礼儀でしょう。検証もせず、いきなり「右翼」「歪曲された情報」とは。「歪曲された情報」と非難するのなら、どうしてあのような飛躍した捏造解釈になるのか、ウィキペディア解釈の根拠をまず示すことだ。そしてどこがどう歪曲なのか、事例を挙げ検証し、筆者が挙げた理由に反論するのが道理でしょう。どうやらこの方々は検証姿勢皆無で、既設の固定観念が先にあり、そこに帰結しようと捏造工作しているようだ。

 このような意見もあるので、みんなで検証してみようではなく、「右翼」「歪曲された情報」と決め付けている。語るに落ちている。ウィキペディア基本方針「偏見を避ける 。中立的な観点に基づいて記述されなければならない」が欠如。偏見記述となっている。東条英機が鍵となっているので、今後どのように偏見記述し「思想戦」を展開するのかお手並み拝見し、「思想戦」に備えましょう。

 読者より、2の戦陣訓解釈の間違いや、特異な一人のご指摘等たくさんありましたが、すでに読者の皆さんは、語法の異なる一人に気付かれたことでしょう。囁かれているウィキペディアに潜む闇がついに馬脚をあらわしたようだ。捏造宣伝し、つまみ食いし、「思想戦」を展開するウィキペディア、鵜呑み危険。

戦陣訓とリンクさせるため戦後マスコミに捏造されたバンザイ突撃

 戦時下バンザイ突撃などと言う日本の作戦は無い。日系二世部隊第442連隊が、絶体絶命の苦境に立たされた時、一斉射撃のあと、銃剣を着けて掛け声気合をかけて、勇敢に突撃するので、(banzai attack)、または(Banzai charge)と呼ばれ勇敢な日系二世部隊の代名詞となっていた。弾は尽きても最後の最後まで生きて、生き抜いて弁慶のように戦い、死中に活を求め、戦い抜いて果てた日本軍人の勇敢に戦うさまを、米軍が日系二世部隊になぞらえて、良い意味で呼称した。

 日系二世は皇民化教育、戦陣訓教育一切皆無なのだ。このことはつまり、後付けの皇民化、戦陣訓など一切無関係で、日本民族は死中に活を求めて戦う民族であることを証明している。思想教育などでにわかに後付けされたものではなく、いにしえより流れる日本民族由縁の魂であることを物語っている。 日系二世部隊、ヨーロッパ戦線に参戦←戦い方が日本軍そっくりだ。

 戦後マスコミは戦陣訓とリンクさせるため、自殺のための攻撃と貶めて報じ、「バンザイ突撃」なる作戦があったかのようにを捏造し、報道した。死中に活を求めた戦いを、自殺行為と貶めた。結果下記の、ウィキペディアの巧妙な(事実の中に嘘を混ぜ込む真相箱の手法)捏造記述となった。戦い抜いて果てた先人に、こんな冒涜をする子孫は、世界中で日本人だけだ。何と異常なことだ。先人冒涜者は本当に子孫なのか、疑わざるをえない。捏造宣伝し、つまみ食いし、「思想戦」を展開するウィキペディア(捏造事典)の記述、鵜呑み危険。
 
 ・・・最初から全滅を覚悟して行われる場合が多い。自滅的攻撃と解釈されるのが一般的である。

 ・・・狂信的な兵士達の理解不能な自殺行為として恐れられた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ウィキペディアの創始者のジミー・ウェルズ(40)は「慈善的に人間の知識を集める事業であり、ブリタニカと同様以上の質をめざして努力している。ただ、百科事典(ウィキペディア)の引用は学術研究の文書には適切でないと言い続けてきた」と話す。  『ウィキペディア(Wikipedia)』頼み、誤答続々米大学が試験で引用禁止2007年02月23日

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(捏造事典)は百科事典とは呼べない代物だ、鵜呑みキケン。ウイキペディアは誰でも編集可能。狂惨党、愚民化政策党は徒党を組んで、捏造文章を作成している。 また、その捏造文章を、削除すると、書き込みブロックなどをされて書き込みを出来ない状態にされる。ウイキペディア は捏造の巣窟だ。名称は「捏造事典」がふさわしい。特に、アジアの捏造集団、狂惨党、愚民化政策党、侮日に関するものは、逆が真実だ。

戦陣訓虜囚の辱の意味戦陣訓真意囚人を捕虜と63年間捏造(つまみ食い)報道

2008-03-31 07:35:43 | Weblog
戦陣訓虜囚の辱の意味戦陣訓本意囚人を捕虜と63年間捏造(つまみ食い)報道

 「生きて捕虜の辱」そんな「私心」で玉砕したのではない。生きて生きて生きて生きて生き抜いて護国「公」(義)のため戦ったが、最後に力尽きて、結果が玉砕となったのだ。皆「公」、『軍人勅諭』「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ其「その」操「みさお(定めた意志を固く守ってかえないこと)」を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ」に対しての殉死だ。「義」(公)は死よりもはるかに重い、「公」(義)を果たさない汚名を受くるなかれと『軍人勅諭』は述べている。

 「義」(公)は死よりもはるかに重い『軍人勅諭』の皇軍の兵に、臣(けらい)東條英機は手本の『軍人勅諭』を無視し、「義」(公)の為ではなく、「私心・私利私欲」(捕虜になるのは辱だ)で死ねと教え(訓)たというのだ。規範の『軍人勅諭』を完全否定。ヒトラーはスターリングラード戦で、直々に「降伏禁止令」という、 狂気の極みとも言える命令を出し、凄まじい悲劇となった。東條英機をヒトラーと 同罪にするため、ただの単なる教え(戦陣訓)さえも、「降伏禁止令」であるかのように報道させた。明々白々な捏造だ。

 軍人が敵の捕虜になる場合は、投降(戦時下の降伏と、終戦のための降伏)と負傷(戦時下)により捕虜になる。気を失ったり、動けない負傷者までもが捕虜にならず死ねとは、動けないのに自殺などできない。終戦後も捕虜とならないで自殺せよ。こんな無茶苦茶な実現不可能な命令は、どこにも無いし、在りえないし、誰一人実行しなかった(戦陣訓ごときが原因で、だれも自決していない。東条英機が自決の理由「私心」にしたのは訳があったからだ。アメリカの東條英機自殺捏造の項目参照)。実現不可能な命令は、命令にならないので、出すはずが無い。結果、古今東西の歴史上に、こんな命令は存在しない。訓(教え)を命令にすり替えた、捏造だ。

 戦陣訓を過大評価しすぎです。皆さんは紙切れに書かれた1/2行で死ねますか?。

 命令としては存在し得ない命令を、あたかも在ったかのように61年間マスコミと咀嚼せず鵜呑み知識の鵜人と反日が、撒き散らし続け、終戦後戦陣訓を一人歩きさせた。結果嘘が定説となってしまった。 

 日本のマスコミと鵜呑み知識の鵜人は、戦争をあおったことによって、戦後、戦犯として処罰されることを極度に恐れていた。だから、戦争責任を逃れんがために、責任を軍人に全て押し付け、米軍に迎合し、プロパガンダ(捏造宣伝)に励んだ。後に、反日が侮日目的で便乗した。

 「捕虜となるよりは自殺せよ」は、戦時下一部マスコミがつまみ食いし、戦後に、米軍とマスコミと反日に、大々的に捏造宣伝されたものだ。

 軍人が不可抗力で敵の捕虜になることと、軍人が罪禍「ざいか(法律や道徳に背いた行為)」を犯し日本国にとらわれ処罰される事と、皆さんは、どちらが軍人としての虜囚の辱(はずかしめ)だとおもわれますか。

 「戦陣訓」示達の目的。中国戦線での軍紀の乱れを正すため、陸軍軍人だけに示達された。大東亜戦争の為にではない。内容は、「盗むな・殺すな・犯すな」を、「訓」なので直接表現せず、婉曲表現している。命令ではなく、法律でもなく、単なる「訓(教え)」である。

①戦陣訓・文意からの考察

戦陣訓

『第七 死生観
 死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。
 生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし。身心一切の力を尽くし、従容〔しょうよう(ゆったり)〕として悠久の大義に生くることを悦びとすべし。』

『第八 名を惜しむ 

 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。』

『第八 名を惜しむ

 恥を知る者は強し。常に郷党〔きょうとう(同郷の人々)〕家門〔かもん(家柄)〕の面目〔めんもく(名誉)〕を思ひ、愈々〔いよいよ(ますます)〕奮励〔ふんれい(はげむ)〕して其の期待に答ふべし。生きて(生きてる時も)〔虜囚の辱〕(りょしゅうのはずかしめ)〔皇軍の兵が、罪禍(法律)を犯し、日本国の囚人となり、実刑で服役するような軍人としての恥ずかしい汚名。〕を受けず、死して(死んだ時も)罪禍〔ざいか(法律や道徳に背いた行為)〕の汚名を残すこと勿(なか)れ。』 補筆真実史観

○戦陣訓第八の意訳文

『第八  名を惜しむ(名誉の尊重)

 恥を恥として知ることは強い。いつも故郷の人々や家族の名誉を忘れず、ますます奉公にはげんで、生きてる時も、皇軍の兵が法を犯し囚人と成るような辱めを受けず、死んだ時も、罪や過ちの汚名を残さず、恥を知り、名を汚さず、故郷の、戦功の期待に答えるように』 真実史観意訳

 『第七 死生観・生死を超越し・・・悠久の大義(公)に生くることを悦びとすべし。』と教え『第八名を惜しむ・捕虜は辱(恥辱)(私心)なので捕虜にならず(大義でなく私心で)死ね。』こんな矛盾した解釈は成立しない。明白な捏造だ。

 広辞苑で虜囚を引くと、「とらわれた人(とらわれ人・囚人・めしうど)(主語が日本)。とりこ(生け捕りにした者・敵国に捕まえられた者)(主語が日本と敵国)。捕虜(敵国に捕まえられた者・生け捕りにした者)」(主語が日本と敵国)」と出てくる。虜囚、は、日本国の囚人(罪科を犯し捕まえられた者)と、とりこ、捕虜(生け捕りにした者と敵国に捕まえられた者)、の意味があるということになる(戦後61年後の現代においては)。意味が混濁しているのが判明する。言葉の意味に能動と受動相反する意味が存在することはおかしい。どちらかが後付けされた意味で、本来の意味から変化したものだ。辞書を繰ると「虜囚」の最後尾は「捕虜」、「捕虜」の最後尾は「とりこ」、「とりこ」の最後尾は「捕虜」。仮説とぴたり一致した。辞書は皆、新しい意味を書き足す、書き足された意味を外して整理してみよう。

 虜囚の意味「とらわれた人(とらわれ人・囚人・めしうど)(主語が日本)。とりこ(生け捕りにした者)(主語が日本)」となり明確になる。「捕虜」の意味は(敵国に捕まえられた者)となりこれも明確になる。意味の変遷は時代の証人。捏造の巨魁は報道屋。なんと辞書が暴いたのだ。

 なぜ虜囚を用いたか?。類語には、「囚人・囚徒・獄囚・囚人(めしうど)」、「虜囚・囚虜・俘囚(ふしゅう)」、「捕虜・俘虜(ふりょ)・虜(とりこ)」、がある。

 「囚人・囚徒・獄囚・囚人(めしうど)」は、明らかに囚人だ。

 「捕虜・俘虜(ふりょ)」は、明らかに敵国の捕虜だ。

 「虜囚・囚虜・俘囚(ふしゅう)・とりこ」は、日本国の囚人と敵国の捕虜両方の意味が有るという(戦後61年後の現代においては)。

 誇り有る軍人の訓だ。生きて「囚人・囚徒・獄囚・囚人(めしうど)」の辱、とは余りにあからさまで、使えない。やはり、格調高く、響きも良い(旅愁を連想)、「生きて虜囚(とらわれた人)の辱」、しかない。しかし、この格調の高さが、婉曲表現となり、あいまいさとなって、つけ込まれ、マスコミの歪曲(つまみ食い報道)の起因となった。兵士の中にも、つまみ食い読みをしたものがいた。この項最終章の「カウラの大脱走」も、そうだ。格調の高さが、婉曲表現となり、あいまいさとなって、悲劇を生んでしまった。 「サイパン島守備兵に与える訓示」のように「捕虜の辱め」は「私心」なのに、捕虜とならないで死ぬこと(私心)が、あたかも大義に準じるかのように混同して訓示した者もいた。下記赤字は「大義」で黒字は「私心」だ。なんと中将クラスでさえも、内容を理解していなかったのだ。戦陣訓の内容理解度は、推して知るべしだ。

1944年7月3日 サイパン島守備隊南雲忠一中将、斉藤義次中将連名「サイパン島守備兵に与える訓示」    
 「断乎(だんこ)進んで米鬼(べいき)に一撃を加へ、太平洋の防波堤となりてサイパン島に骨を埋めんとす。戦陣訓に曰く『生きて虜囚の辱を受けず』。勇躍全力を尽して従容(しょうよう)として悠久(ゆうきゅう)の大義に生きるを悦びとすべし。」

 アッツ島玉砕も(1943年5月29日北海守備隊第二地区隊山崎保代大佐発令)は「非戦闘員たる軍属は各自兵器を採り、陸海軍共一隊を編成、攻撃隊の後方を前進せしむ。共に生きて虜囚(ウイキペデアは捕虜と記載)の恥かしめを受けざる様覚悟せしめたり」と、戦陣訓をつまみ食い読みしている。web大本営発表

 1943年5月29日 北海守備隊第二地区隊山崎保代大佐発令非戦闘員たる軍属は各自兵器を採り、陸海軍共一隊を編成、攻撃隊の後方を前進せしむ。共に生きて捕虜の辱めを受けざるよう覚悟せしめたりなお、アッツ島玉砕をつたえる朝日新聞1943年5月31日朝刊には、「一兵も増援求めず。烈々、戦陣訓を実践」との見出しを見ることができる。(谷報道部長の談話)ウイキペデア最終更新 2008年3月28日 (金) 04:04。このような朝日新聞の捏造報道で、虜囚=捕虜と雲忠一中将のように信じてしまった人もいる。後述するが当時の「虜囚」は、敵を生きながら捕らえ来ることで、敵に捕まえられる受動の意味皆無。活字が糧の新聞屋が、知らなかったと言ったら嘘になる。当然知ってて捏造した。朝日新聞は戦前も戦後も、捏造の巨魁だ。ウイキペデアの虜囚=捕虜は、この報道や南雲忠一斉藤義次中将の訓示を、根拠にしている。報道1943年5月、訓示 1944年7月、中将が、この報道を知らなかったはずは無い。新聞屋の捏造報道が、ウイキペデアの根拠なのだ。

 マスコミの部分つまみ食い報道の「生きて虜囚の辱めを受けず」には、「生きて虜囚(A敵国の捕虜となった辱め。B日本国にとらわれ囚人となった辱め)を受けず」とA・B二つの解釈が成り立つのだが(戦後61年後の現代においては)、これまでマスコミは降伏禁止の、Aの部分をだけを戦後拡大偏向つまみ食い報道してきた。

 しかし全文は上記である、文意が合わない。

 生きて・・・死して・・・勿(なか)れ。

 生きている時も・・・○を・・・受けず、死んでも罪禍の汚名を残すこと勿(なか)れ。

 簡略すると、「生きても○ず、死しても罪禍の汚名を残すこと勿(なか)れ。」と呼応し、○を強調した文なので、○=罪禍の汚名となる。「A敵国の捕虜=罪禍(法律や道徳に背いた行為)の汚名」では一致しない。B皇軍の兵が罪過(法律)を犯し、日本国の囚人となり、軍人としての恥ずかしい汚名=罪禍(法律や道徳に背いた行為)の汚名となり、一致する。この場合罪禍=『戦陣訓』示達の目的 「(盗むな)(殺すな)(犯すな)」になる。

 結果、生きている時も・・・「皇軍の兵が、罪禍(法律)を犯し日本国の囚人となり、軍人としての恥ずかしい汚名」を・・・受けず、死んでも・・・罪禍「ざいか(法律や道徳に背いた行為)」の汚名を残すこと勿(なか)れ。となる。

 生きて(法律に背く)の汚名、死して(道徳に背く)の汚名=罪禍「ざいか(法律や道徳に背いた行為)」の汚名を残すこと勿(なか)れ=『第八 名を惜しむ』表題と、呼応した文となる。

 戦陣訓戦後の定説は、虜囚の辱=敵国の捕虜。軍人が敵国の捕虜になる場合は、A戦時下の投降(部隊・個人)、B戦時下の負傷のため投降(個人)、C終戦による投降(国の敗戦)と、戦後の定説(虜囚の辱=敵国の捕虜)では三者三様の捕虜になる。Bは動けず実行不可。Cは終戦なのに自殺せよと矛盾し実行不可。よって、(虜囚の辱=敵国の捕虜)は成立せず。

 規範の明治天皇の「軍人勅諭」に一切明記の無い(降伏禁止)を、陸軍大臣(家来)東條示達の「戦陣訓」に記載は出来ない。それでも(降伏禁止)記載ありと主張するのは、捏造以外の何ものでもない。

 訓より上位の陸軍刑法、海軍刑法、法にも「降伏禁止」は、一切記載無し。無いものを有りとするのは、捏造以外の何ものでもない。

 大正6年初版昭和15(1940)年改訂の講談社大字典には「虜囚」・とりこ(イケドリ、シモベ、イケドル、生擒ス、化外ノ民えびす)字源・形聲。虍と母と力の合字。敵を生きながら捕らえ来ること。母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん。力は腕力にて引率する義虍は音符。と記載されている。捕虜「戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」の記載皆無。

 上記の文は下記サイトの要約です。『戦陣訓』、アメリカの東條英機自殺捏造の詳細は下記。

真実史観日本護国史戦勝国歪曲党売国党狂惨党に仕組まれ捏造された大東亜戦争
http://www.tofu-ryohin.co.jp/siten.htm

 「今こそ戦後の呪縛を断ち切れ」といくら叫んでも侮日プロパガンダ・捏造戦陣訓が有る限り無駄なのです。NHKを初めとする戦陣訓責任転嫁捏造報道は、日本国民の心を傷つけ、相当に罪深いものがあります。今、日本国民は、パール判事の予言のように、歪められた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流されて生きています。このままでは、あまりにも子孫が哀れです。
○インドのパール判事(ラダ・ビノード・パール) 

「意見書の結語」

時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には

また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には

その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら

過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう

 昨年、虚偽の「戦陣訓」の、その仮面を剥ぎとりました。戦後62年の今年は、正義の女神の出番です。正義の女神となり、今年は、過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求しなければなりません。上述のように国民は戦陣訓で病んでいます。多くの正義の女神の助けが必要です。マス・メディアや国民は戦勝国のプロパガンダを62年経ても未だに引きずっています。日本人の心の戦後は、いまだ訪れてはいません。まず真実の戦陣訓の流布。真実の戦陣訓に覚醒すれば、他は自ずと覚醒します。    
 終戦62年後の今年、正論で戦勝国のプロパガンダを絶ち切り、正義の女神となり、真実の戦陣訓を流布し、日本人の心の戦後を迎えましょう。そして、子孫に実事求是の真実の歴史を残しましょう。