風のアルバム

些細な記憶の断片
或いは今日の雑感

握り返さない手

2025-03-08 08:21:16 | 日記

 

〜2016年3月の終わりから4月8日のできごと〜

この時期になるといけません

記憶の波がちょっとした隙に押し寄せ

閉じておいた思いのふたを押し流していきます

ふたを失った箱からは思いが溢れていくばかり

 

ベッドに横たわる母のむくんだ足をしばらく撫で

そして手を握る 

私が母を見舞う時のルーティンでした

「握り返して」と言って私は2回、ギュッギュッと握る

すると母も2回、ギュッギュッと握り返してきます

それが日に日に弱くなり、亡くなる1週間前くらいからは

全く握り返さなくなりました

おかしなもので、

今でも私の手に残る感触は 

握り返さない母の手なのです

 

 

 

 

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横綱

2025-03-07 00:36:53 | 日記

 

〜1980年代初めの頃のできごと〜

国技館が蔵前にあった頃、大相撲観戦に

行ったことがあります

最初は観客席から観ていたのですが、中入り後の

途中から花道入り口の人混みの中に紛れ込みました

今の時代では考えられないくらい「そういうこと」が

ゆるい時代でした

そこでは出番を待つ力士が四股を踏んだり

壁ドンをしたりしていました

大きな体から大量に吹き出す汗の蒸気

濡れタオルで自分の背中を自分でむち打つ音

すり足でエア突進を繰り返す迫力…

間近で見る力士はまるで大きな野生の動物でした

 

しばらくそうしていますと

力士が花道に入る時、出てきた時、出入り口で

たむろす人たちが力士の背中をポンと叩いているのを

私もやってみたくなりました けれど怖くてなかなか

手が出ません 

 

意を決してようやく「ポン」ができたのは結びの一番

に臨む横綱の背中でした 

びっくりしました

見た目からは想像できないモチ肌だったのです 

 

名横綱 北の湖でした

(イラストは全く似ていません、悪しからず)

 

 

 

 

 

 

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お給料の謎

2025-03-06 08:59:34 | 日記

 

〜1960年代から70年代にかけてのできごと〜

父は仕事から帰ると必ず祖母の部屋まで行き

「帰ったよ」と帰宅を告げていました

祖母の部屋に入りびたっていた私には

それは毎日の当たり前の風景でありました

 

給料日はお札の入った封筒を父はそのまま

祖母に渡します

すると祖母はそれを大事に持って仏壇に供えるのでした

その後封筒の中身は丸ごと父の手元にもどるのか、

母の手に渡るのか、私の知るところではありませんが

ただ、封筒が子供の目にもわかる厚みがあり

父は高給取りなのだと鼻高々でした

しかしここで疑問が湧きます

その割にはうちって貧乏くさい……なぜ!?

 

疑問は数十年後、解けました

封筒の厚みの真実を母の口から知ったのです

「お父ちゃんの給料、あれね全部千円札だったのよ」

私は爆笑し、気持ち良く納得しました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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送辞

2025-03-05 07:20:15 | 日記

 

〜1977年3月 中2のできごと〜

卒業式

壇上から在校生代表で送辞を読んだのは

友人のまっすぐ君でした

1クラス45人時代に1学年14クラスもある

マンモス中学でしたから、全校生徒は1800人余り

になります。

それほどの群衆を前にして堂々と送辞を読み上げる

まっすぐ君は本当にすごい友人だと思いました

ところが、すごいなあと感心しながら私はおかしくって

仕方ありません

送辞の冒頭文が笑いのツボにハマってしまったのです

おごそかな空気の中、私は不謹慎なイメージ画像を

頭の中で描いてにやけていました

全く私の不徳の致すところであります

 

……視線を上にあげれば 樹々の枝々からは若芽が

顔をのぞかせています 季節は春になりいよいよ

今日この時を迎えました……

 

私には 木の間からワカメがこっちを見ている絵図が

頭に浮かんできて どうしようもなかったのでした

 

 

 

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謎の中年男

2025-03-03 19:50:52 | 日記

 

〜1977年6月 中3のできごと〜

修学旅行の写真が模造紙に貼られ、教室の後ろ壁に

掲示されました

その中に1枚、知らないおじさんがアップで写っている

写真があり、クラスはざわつきました

雨の松島を巡る遊覧船から物憂げに海を見つめる

茶色フレームの野暮ったいメガネをかけた中年男

………中3の私でした

 

 

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