〜1968年6才頃のできごと〜
商店街の中に1軒、傾きかけた藁葺き屋根の家が
ありました
のり屋さんでした
母と外出した帰りに寄った記憶がうっすらとあります
お婆さんがひとりちょこんと座っていたこと
母が上がりかまちに腰かけ、お婆さんと雑談し
最後にのりを買ったこと
それだけの記憶です
家の外も中も、魔法使いが住んでいる家に
私には見えました
〜1968年6才頃のできごと〜
商店街の中に1軒、傾きかけた藁葺き屋根の家が
ありました
のり屋さんでした
母と外出した帰りに寄った記憶がうっすらとあります
お婆さんがひとりちょこんと座っていたこと
母が上がりかまちに腰かけ、お婆さんと雑談し
最後にのりを買ったこと
それだけの記憶です
家の外も中も、魔法使いが住んでいる家に
私には見えました
〜1963年1才頃のできごと〜
後年母から聞いた話です
父は、脱腸になった私を抱いて電車に乗ったそうです
都心の病院へ連れて行くためでした
多分その当時、都心まで2時間近くかかったのではないか
その間、痛みで泣く私を抱いた父はどんな思いで
電車に揺られていたのだろう
シベリアで3年間、捕虜として抑留生活を送った父は
大変寡黙で自己表現の下手な人でした
最後はアルツハイマーに撹乱されながら旅立っていった父
その父を、母から聞いた逸話で思い出す時
私もその時の父のようになろう、と心に強く思うのです
生きていれば、なりふりなんか構っていられない時が
必ずあります
誰かを助けるためには
周りなんか気にしてはいけない時が絶対ある
その思いを忘れずに…と自分に言い聞かせる
その日暮らしの今日この頃です
〜1974年12才のできごと〜
朝の小テストは「ヨーロッパの国々の首都」でした
答え合わせは班の中でするのですが、
私と同レベルのおっちょこちょいK子ちゃん、
ハンガリーの首都を「ブタペスト」と書いてしまいました
正解は「ブダペスト」
きっと覚える時に「豚(が)ペスト(で死んだ)」みたいに
暗記したのでしょう
おまけで⭕️にしてくれてもいいのに…
惜しかった!
〜1974年12才頃のできごと〜
兄姉の誰かが買ったミュージックテープを
聴いていました
流行歌が次々と流れてきます その何曲目
パンチのきいたイントロと歌声!
朱里エイコの「白い小鳩」です
🎵………うぶ毛さえ消えぬうちに
夜の酒場つとめだして 流れ者に
うーだまされたっ あわれな
そうよ 小鳩〜
いつかはきっと みじめな私も
この羽根広げて 遠く 遠く
旅立つわ〜 あーはー………🎵
それまで洗濯物をたたんでいた母の手が止まりました
「この娘は白い小鳩なんかじゃないわっ!」
どうやら「夜の酒場」で「流れ者にだまされた」ことが
母の抱く白い小鳩のイメージとは違っていたらしいのです
意外や乙女の母が現れて、面白かった一幕でした
〜1975年から1981年にかけて〜
お芋の天ぷらを揚げながら母の弁当を思い出しています
中学と高校の6年間、毎朝作って持たせてくれた弁当には、
しばしば揚げ物が入っていました
こんな大変なこと、よくまあ母は朝からやったものだと
お芋を揚げながら感慨にふけっていると 一旦は止んだ雨が
また降り始めました