その時どこからか
桜の花びらが2つ、飛んできたのです
母の棺を乗せた車を
家の前で見送った時のことでした
祖母が着物を仕立てるのに使う作業台を
我が家では裁ち台と呼んでいました
子供時代、私は毎日のように祖母の部屋に入りびたり
テレビを見ながら、裁ち台の端っこで漫画を
描いたりしていました
スベラーズのはがれた下から2段目を飛ばして
階段の登り降りをすること、をマイルールにしていました
ある時友達にそのわけを聞かれ、私は思いつきで答えました
「スベラーズのはがれたあの段を踏むと
不吉なことが起こるから」
うわさはあっという間に広がって
誰も2段目を踏まなくなりました
母が最期を過ごした病院は
峠の向こうにありました
私は母に会うために毎日
峠を歩いて越えました
昨夜 村のぐるりをジョギングしていると
梅の香りがほのかに鼻をかすめていきました
それで峠の記憶が久しぶりに出てきてくれたのでした
母のいる病院を目指して峠を越え
まもなく行くと、南を向いた山の斜面には
陽射しを浴びてたくさんの梅の花が咲いていました
介護にセンチメンタルは絶対に禁物、と
心に言い聞かせ、泣くなら旅立ちを見届けてから
いくらでも泣けばいい、と感情を固めていた
毎日でしたが、梅の花を観ながら峠道を下る時だけは
固めた感情が少しゆるむのを自身に許したような気がします
いくらでも泣けばいい、は本当にその通りに
なったようで、あれからまる9年が経とうと
してるのに今もまだ、折りに触れてはポロポロと
涙が流れてどうしようもない時があります