職案人

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ダメ四チャンネルの為の法華経VII

2006年12月29日 | 学問

こんにちは
方便品の翻訳も7項目を迎えた所で、ようやく先が見えてきました。ここまで来ると、お釈迦さまの言いたい事が見えて来たような気がします。つまり、人は何も考えず、心が思う(欲)ままに、行動し、縁(同じ欲を持っている人)を導き、それによって苦をもたらし、その事に気づかず、悩んでいる。
では、方便品の偈の続きをどうぞ!

もしくは、子供がいたずらした時の様に、小枝及び筆、あるいは指の爪で仏を描いたとしても、この様な諸の人達は徐々に徳を積み、慈悲の心を持ち、皆、自ら佛道を成就して、諸の菩薩を教化し、数え切れない衆を苦から脱し、涅槃に渡らす。

もし、人が塔廟・寶像及び書像において、花・香・幢幡(どうばん・旗)と天蓋(絹張りの笠)をもって、敬意を持って供養する。

もしくは人を頼んで楽団を作り、鼓を打ち、ほら貝を吹き、笙・笛・琴・くうごう・琵琶・銅鑼(どら)・銅ばつ等を用いて演奏し、巧みな音をもって供養する。

あるいは歓喜の心で、仏の徳を賛美して梵唄(ぼんばい)を歌う、又は一節を唱える。
以上の人達は皆、自ら佛道を成就する。

もし、人に散乱な心あり、その様な心で1輪の花で書像を供養し、ようやく数知れないほどの佛と出会う。あるいは礼拝する者、またあるいは単に合掌する者、ないし、一手で拝む者、または頭を下げる者、以上の様に像を供養する人達も、ようやく数知れないほどの佛と出会い、自ら、最高の道を成就する。

そして、広く無数の衆を得度し、焚き火して火が消えていく様に、無余涅槃に入る。

・無余涅槃
すべての煩悩(ぼんのう)が断ぜられ、よりどころとしての身体も滅した安らぎの境地

もし、人が散乱の心で塔廟の中に入って、一たび南無佛と唱えただけで皆すでに佛道を
成就する。諸の過去の佛が現在、生まれ変わっているとしても、あるいは滅後において、もし、この法を聞く事あったとしたら、皆、佛道を成就する。

未来の諸の世尊(人から尊ばれる人)の数は計り知れない。
この諸の如来達も、また方便して法をときます。すべての諸の如来は計り知れない方便をもって、諸の衆生を何度も何度も迷いから抜け出させて佛の無漏智に入いらせる。

・無漏智
すべての煩悩(ぼんのう)、を離れた聖人の智慧(ちえ)。つまり、欲に誘われないで一つのことに集中する事

もし、法を聞きたいと願う者は一人として佛になれない人はいない。
諸佛の本誓願は我が行った佛道(六波羅蜜)を普く衆生をまた、同じ様にこの道を得させようと願うものです。

未来の諸佛、百千億と言う数えられない諸の法門を説いたとしても、その法則は一乗がある為に、成り立っているのです。諸佛両足尊、法は無性であり、佛種は縁によって起きる事を示しているのです。

・無性
生まれついての性質が定まっていないこと
・佛種
佛と成る原因

ゆえに、一乗(因・縁)を説いたのです
この法は諸法の中でも1位を占め、世間の日常に存在する事を導師は道場において、知らしめ、方便をもってこう説いた。

天・人の供養し崇めている所の現在の十方の佛、その数は恒河沙と同じくらいある。
世間に出現したにも関らず、衆生を安穏ならしめる為、ゆえにこの法を説くのです。
第一の寂滅をしめして、方便力をもって、色々な道を示すが、その意義はすべての衆生の成仏する道を説くためのものです。

まだまだ、続く今日はこの辺で、終り

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