2018.2/15②
お昼すぎにテレビの収録が終わり、
その後、ザールにゴレ島に連れて行って貰う。
ゴレ島はご存じの方も多いかと思うが、
アフリカの奴隷貿易の拠点となった負の世界遺産だ。
アフリカ人を一旦ゴレ島に集めて、そこでオークションにかけられ
アメリカやヨーロッパに売られて行った場所。
ダカールの沖合にあり、そこに行くには
私のような外人はパスポートを提示しなければならない。
船の料金はセネガル人1600セーファーフラン、外人は5200セーファー。
世界遺産ゴレ島はセネガルにとって大事な観光資源だ。
風が強く、船がぐらんぐらん揺れる。
その船に小学生くらいの子供たちが沢山のって大声で騒いでいる。
ゴレの子供たちがダカールまで船で通学しているそうだ。
子供たちの船の料金は無料。
日本も子供の通学料金は無料にすればいいのに。
←ゴレ島
ゴレ島に到着するとザールの知り合いという人が話かけてきた。
ザールが我々を紹介すると
「ゴレ島は初めてか。ついておいで!」ともの凄いなまりのある英語でいう。
ゴレ島にある建物にいろいろ解説が書かれてあるが、
全てフランス語だったのでさっぱり分からず、
ザールの知り合いの良く分からない英語の方がましだったので
彼の話をいろいろと聞いていて気付いた。そうか、この人は島のガイドなのか。
その割には何を言っているか分かりづらい・・・。
島を歩いているとお土産を売りに来る人々が後を絶たない。
「マダム、マダム」といってアクセサリーを持ってしばらくついてきたり、
グイグイと売りに来る。グイグイ、グイグイ。みんな必死だ。
「ちょっと見て!」と手招きする画家さんがいたので行ってみると
アフリカの女性の生活ぶりだよ!といってイラストを描き始める。
君の名前は?と聞かれたので答えるといきなりその絵に私の名前を書いて
「1500セーファーでどう?」と勧めてくる。
凄い!ガッツありすぎで、ここまで来ると尊敬に値する。
また歩いていると遠くから日本語で
「私は最後の侍デース!でもこの刀は売りまセーン!」と叫ぶお土産屋のお兄ちゃん。
そうですか。ええ、買いませんよ。っていうか何処でそんな言葉覚えたんだい?
もっと他にいい日本語あるでしょう。イラッシャイマセー!とか。
そんなグイグイした人々が住むこの島はなんだか実に複雑だ。
同じ島の中に
フランス軍が統治していた頃の大砲があり
そこの地下施設に今ではアーティストが作品を展示している。
少し歩くとのんびりと牛が佇み、
あいかわらずゴレ島でも猫は眼光が鋭く
フランス人居住エリアはお洒落な建物やお花で満たされ
そこから歩くと
アフリカ人がギュウギュウに収容されていた場所や
オークションにかけられていた場所など生々しい負の記録が残り、
その窓から美しい海が見えると
どう感情を処理していいものか分からなくなる。
帰りにガイドのおじさんにお金を渡し、船に乗り込むと
そのおじさんも一緒に乗って来た。ダカールに住んでいるのかしらん?
そして、まっさらなノートに格子状の線を書き
「ここに音を書いてよ」
とザールに頼んでいた。そのおじさんもベースを弾くという。
タブ譜みたいなものを作ろうとしているのかな。とぼんやり見ていて気付いた。
あ、この人、きっと独学で英語を勉強したんだ。
自分なりに情報を整理する習性があるんだな。
だから発音は分かりづらかったけど、
ガイドの際の年号や面積などの数字がばっちり頭に入っていたし、
持っているカバンには資料らしき本やらノートやらが見える。
自分なりに頑張って勉強したんだろう。
次回セネガルに行く時までに私もフランス語勉強しないとな。
ダカールに戻ると夕焼け空に驚くほど大量の鳥が飛んでいた。
そんな光景をよそに、街中でカフェ・トゥーバが売られていた。
これが、なんというか、初めて飲んだ時はどうも子供の風邪薬みたいな味で
戸惑ったのだが、たまーに無性に飲みたくなるコーヒーなのだ。
続く。
お昼すぎにテレビの収録が終わり、
その後、ザールにゴレ島に連れて行って貰う。
ゴレ島はご存じの方も多いかと思うが、
アフリカの奴隷貿易の拠点となった負の世界遺産だ。
アフリカ人を一旦ゴレ島に集めて、そこでオークションにかけられ
アメリカやヨーロッパに売られて行った場所。
ダカールの沖合にあり、そこに行くには
私のような外人はパスポートを提示しなければならない。
船の料金はセネガル人1600セーファーフラン、外人は5200セーファー。
世界遺産ゴレ島はセネガルにとって大事な観光資源だ。
風が強く、船がぐらんぐらん揺れる。
その船に小学生くらいの子供たちが沢山のって大声で騒いでいる。
ゴレの子供たちがダカールまで船で通学しているそうだ。
子供たちの船の料金は無料。
日本も子供の通学料金は無料にすればいいのに。
←ゴレ島
ゴレ島に到着するとザールの知り合いという人が話かけてきた。
ザールが我々を紹介すると
「ゴレ島は初めてか。ついておいで!」ともの凄いなまりのある英語でいう。
ゴレ島にある建物にいろいろ解説が書かれてあるが、
全てフランス語だったのでさっぱり分からず、
ザールの知り合いの良く分からない英語の方がましだったので
彼の話をいろいろと聞いていて気付いた。そうか、この人は島のガイドなのか。
その割には何を言っているか分かりづらい・・・。
島を歩いているとお土産を売りに来る人々が後を絶たない。
「マダム、マダム」といってアクセサリーを持ってしばらくついてきたり、
グイグイと売りに来る。グイグイ、グイグイ。みんな必死だ。
「ちょっと見て!」と手招きする画家さんがいたので行ってみると
アフリカの女性の生活ぶりだよ!といってイラストを描き始める。
君の名前は?と聞かれたので答えるといきなりその絵に私の名前を書いて
「1500セーファーでどう?」と勧めてくる。
凄い!ガッツありすぎで、ここまで来ると尊敬に値する。
また歩いていると遠くから日本語で
「私は最後の侍デース!でもこの刀は売りまセーン!」と叫ぶお土産屋のお兄ちゃん。
そうですか。ええ、買いませんよ。っていうか何処でそんな言葉覚えたんだい?
もっと他にいい日本語あるでしょう。イラッシャイマセー!とか。
そんなグイグイした人々が住むこの島はなんだか実に複雑だ。
同じ島の中に
フランス軍が統治していた頃の大砲があり
そこの地下施設に今ではアーティストが作品を展示している。
少し歩くとのんびりと牛が佇み、
あいかわらずゴレ島でも猫は眼光が鋭く
フランス人居住エリアはお洒落な建物やお花で満たされ
そこから歩くと
アフリカ人がギュウギュウに収容されていた場所や
オークションにかけられていた場所など生々しい負の記録が残り、
その窓から美しい海が見えると
どう感情を処理していいものか分からなくなる。
帰りにガイドのおじさんにお金を渡し、船に乗り込むと
そのおじさんも一緒に乗って来た。ダカールに住んでいるのかしらん?
そして、まっさらなノートに格子状の線を書き
「ここに音を書いてよ」
とザールに頼んでいた。そのおじさんもベースを弾くという。
タブ譜みたいなものを作ろうとしているのかな。とぼんやり見ていて気付いた。
あ、この人、きっと独学で英語を勉強したんだ。
自分なりに情報を整理する習性があるんだな。
だから発音は分かりづらかったけど、
ガイドの際の年号や面積などの数字がばっちり頭に入っていたし、
持っているカバンには資料らしき本やらノートやらが見える。
自分なりに頑張って勉強したんだろう。
次回セネガルに行く時までに私もフランス語勉強しないとな。
ダカールに戻ると夕焼け空に驚くほど大量の鳥が飛んでいた。
そんな光景をよそに、街中でカフェ・トゥーバが売られていた。
これが、なんというか、初めて飲んだ時はどうも子供の風邪薬みたいな味で
戸惑ったのだが、たまーに無性に飲みたくなるコーヒーなのだ。
続く。