
うらぶれて奥千本に葉桜の道
秋海棠一輪咲きし御仏の慈悲
【シュウカイドウ】で検索して、さらに【ベゴニア】で検索すると、どちらもタイトルに他方の花の名を併記することなく、まったく別の花であるかのような記事が頭から続々と出てくる。これには驚く。
いまやベゴニアは園芸種として多彩な姿を見せていて、多くは色彩が派手で西洋的だが、中には穏やかでシュウカイドウと変わりのないものもある。園芸種が在来の花を飲み込んでしまう感が数多くある時代なのに・・・
撮影日: 2008/08/16
シュウカイドウの花は、よく知る日本人に守りたい思いを起こさせる。そんな雰囲気が漂う。シュウカイドウを愛する人々とベゴニアの愛好家は趣味が分かれていて、小さいながらも確かなマーケットと幅広い大きなマーケットが並存している。そして野のシュウカイドウを見る機会は激減していても、まだ確かに存在していて、その貴重さに敬意がはらわれている。そんな感じを抱いてしまう。
ずいぶん前に、 奈良県の吉野山で暗い気持ちで山道を歩いていた時に、脇の草むらにひっそり咲く可愛らしい花に目が留まり、やさしい神々しさを覚え、森林の涼しい空気感が心地よく感じられてきて、心が救われた。
そんな思い入れがあるので、これはきっとシュウカイドウで、園芸ベゴニアの一種が野に出たものではない。そうに違いない。誰がなんと言おうとそうなのだ。人間は、こんなややこしく可愛らしい思いを起こす生き物。自分を笑いながら、あのころを思い出し、写真を眺めている。