水曜は実家に戻りました。
4月20日は親父の命日、、今年で亡くなってから早いもので3年目・・・
まさに「光陰矢の如し」
小平霊園の正門からお墓まではかなりの距離、昔は叔父叔母、父母、親戚と10人以上で賑やかに歩いたものですが、今や母と二人きり
リゲインも友人をバイク事故で亡くしていましたが、つい先日10年も前だった事を知り愕然としました。
あの日、葬儀で泣き崩れる母に抱かれていた子供も、もう小学校に通っている頃でしょう。。。
人は亡くなってしまうと、時の経過とともにやがて忘れ去られていく、、それは仕方のない事でしょう
リゲイン家は神道なので亡くなって3年目が3年祭、そして5年、10年と続くのです
毎回、神主さんを呼んでお祓いをして頂きます、葬儀でも同じスタイルなのでちょっと珍しく見えるかも
普段は立ち食いそばしか食べないリゲインもこの日ばかりは老舗の蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦。。
色々大変でした・・・・父が亡くなったのはまさに外洋レースのスタート1週間前、、、
世の常識では身内が亡くなっているのにヨットレースなどとんでもありません。。
でも、リゲインはオーナーに父の状況はあえて報告していませんでした。何が起きても参加するつもりでいたからです。
結果的に父はレース前に亡くなりました、そして奇異なことに、まさにそのレースに出させる為に亡くなったような遺言を残していたのです。
父の遺言『遺骨の一部を広島の江田島沖(旧海軍兵学校/現海上自衛隊幹部学校)に、、残りを戦後代理教員として教鞭をとった大島の岡田港の沖にそれぞれ散骨して欲しい』
父が亡くなり、嵐のように葬儀を終え、リゲインが向かったのは新西宮ヨットハーバー。。「第一回神戸〜横濱レース」でした(どこに行っちゃったんですかね 汗)
レースの記録ムービーです、34秒目と2分目あたりにリゲインも写っています。 制作:GRAFILM
リゲインの乗った艇は広島の江田島のすぐ近くにある観音マリーナから参加の「PETITE」。レースが終わってからすぐに横浜から広島までの回航も予定していました。
何という偶然。。。
当時のバタバタを記載した投稿 2013年4月投稿「さらば父よ」
横浜から広島まではアップウィンドの強風でした。約450マイルを71時間ノンストップで
そしてもう一つの宿題。。。大島沖。
これは2014年、トーキョーズカップに参加した際に達成・・・・
SAMOAの艇上から献花、、ヨット乗りでなかったら達成できなかった
そういえば春ですね。。静岡のヨット仲間から山の幸が届きました(別に要求はしてません!)
筍にワラビ、、旬の素材、、さてどうしたものか?
やはり筍はシンプルに土佐煮にしてみました
ワラビは人参と揚げで煮物に、、これが驚くほど美味しい。。
まあ、料理好きなのもほどほどが良いですね。。。基本は作ってもらって食べる方が好きですし。。