今の私にはとても大切な存在が居る。
彼女とはひょんな事から出会ったが、今はもう『互いに』なくてはならない存在となっている。
あるトラウマのせいで、男性にはどうしても抵抗がある(医師や教師でも)のに、何故か私だけ大丈夫らしい。
互いに重度の身体障害者だから、様々な二人の間にしか通じない想いもあるのだろう。
ちなみに、10段階でランク分けするならば、健常者が0で私が真ん中の5だとすれば、彼女は9くらいになるだろうか。
この表現で察して欲しい。
そんな彼女が今日、誕生日を迎えた。
そして誕生日と一緒に新成人となった。
私が彼女の母親よりも歳上であること、バツ2であること、そういった事を認識した上で、ラインでの短なやり取りのみで、心と温もりを分け合う日常を送っている。
彼女はうんと歳の離れた私を○○君と、君付けで呼ぶ。
彼女が願った事だから、私は喜んでそれを受け入れた。
私は彼女の下の名前を少し縮めて呼び捨てにしている。
彼女は恋愛がどういうものか良く分からないと言った。
だけども、そういった中でも様々な理由で経験出来なかった淡い想いを、今感じ取っているのかもしれない。
私達の付き合いはとってもシンプルだ。
今は視力を持たない彼女、ライン上で一日数通のメッセージをやり取りするのみ。
彼女は今時の子だから、彼女側で音声変換した私のメッセージに、凄い速さで返信してくる。
互いに写真など画像に関するやり取りは一切ないし、必要としない。
ちなみにちょうど10日前が私の誕生日だったが、おめでとうのメッセージと、彼女が作曲したオリジナル曲を贈ってくれた。
私はおめでとうメッセージ、詩、好きな曲、曲の歌詞等を贈らせていただいた。
そんな可愛くて愛しい彼女だけれど、私と呼び合うように出会ったのは、多分『死生観』なんかが響き合ったのもあるのかもしれない。
あるトラウマや病のせいで『希死念慮』に襲われる彼女と、黄泉の国を旅して来た私。
きっとめぐり逢いは偶然ではなかったのかもしれない。
大変な思いをしながら、苦しみながら、日々を生きる彼女。
そんな辛い中なのに、
「私も○○君を支えたい」
「○○君の痛いところ庇ってあげたい」
などと言う彼女を、大切に思わずにいられようか。
近頃は体調(精神的にも)がかんばしくない時が多々あるようで、音信が止んだりもするけれど、
「近くにいてね」
と言う彼女の願いを守ってあげたいと思う私の日々だ。
最後に、希死念慮は私にも普通に存在する。
後天的に障害を負ったからか、絶望感が支配して止まない時期もあった。
そんな私に新たな『生かされた意味』と『生きる意味』を考える課題を彼女がくれたこと、素直に感謝したい。
来週から夏休みが明けて学校が始まる彼女。
彼女と知り合ったこの夏を、ずっとずっと忘れずにいたい。
K!
本当におめでとう✨