こんにちは。ご無沙汰しています。
6月24日の午後に近江八幡総合医療
センターを退院しまして、26日から
予定通り、仕事に復帰しました。
とは言いましても、入院後しばらくは
絶飲食で、その後、退院日の昼まで
塩分、脂肪控えめの治療食でしたので、
カロリー的にはこれで十分なんで
しょうが、退院してもしばらく
元気が出ず、所長に許可をもらって、
いつもより早く家に帰っていました。
幸い、腹痛の再発もなく
好きな鰻も食べて、ようやく体調も回復。
7月からは、平常運転に戻れそうです。
今日7月1日は【びわ湖の日】ですので、
琵琶湖に浮かぶ沖島編の続きを
書きたいと思います。
その前に・・・
なぜ7月1日が【びわ湖の日】なのか❓
1977年頃から琵琶湖に【赤潮】が発生し、
大量の湖魚が死ぬようになりました。
その原因の一つが、当時 合成洗剤に
含まれていた【りん】と判明し、洗濯に
粉せっけんを使う運動が滋賀県内で急速に
拡がりまして、1980年の7月1日、窒素や
りんの排出規制を定めた条例が滋賀県で
施行されました。
この動きに対して、洗剤メーカーは
当初、かなり反発していたと思います。
その急先鋒だったのがラ◯オ◯
子供心に覚えているのは、当時
大晦日の「ゆく年くる年」は
NHK版と民放版がありまして、
そのスポンサーが◯イ◯ンの
一社提供だったので、全ての民放が
「ゆく年くる年」を放送する中、
びわ湖放送だけが放送を
取り止めたことです。
その事がおそらくキッカケには
なったと思いますが、1980年
「無りん」トップが誕生しました。
【びわ湖の日】は、条例施行の翌年に
制定されまして、この日は琵琶湖岸で
一斉清掃が行われます。
それでは【沖島】の続編です。
前回紹介した【汀の精】のママさんから
いろいろと沖島の情報を聞きまして、
次に来島者がよく訪れるという場所へ
向かいました。
細い路地を西に歩いて
たどり着いたのが
たどり着いたのが
奥津島神社
石段を上って行くと
見晴らしの良い一画に、本殿があります。
712年 中臣鎌足の次男 藤原不比等が
勅命により創立。
祭神は、福岡県 宗像大社に祀られる
三女神のうち、沖ノ島の沖津宮に
祀られる「多紀理毘売命(奥津島比売命)」
どちらも「沖(ノ)島」ですが、福岡県の
沖ノ島は神職以外立ち入り禁止。
宗像三女神は海上交通の守り神であり、
古くから水運が盛んな琵琶湖では、
奥津島神社が創立された沖島も永らく
「神の島」と崇められて、あの紫式部も
越前から京へ戻る途中
「おいつしま 守りの神や いますらん
波もさわがぬ わらわえの浦」
と、船上から詠んでいます。
ここで、【汀の精】のママさんから
聞いた話なんですが・・・
日本をはじめ、世界中にある古代遺跡や
宗教施設は、一直線上に並んで造られている
という説があるそうで、その直線を
【レイライン】
と呼ぶそうです。
Wikipediaを見る限りでは、学術的に
懐疑論も多く、まるで血液型占いのように
根拠のない「とんでも論」扱い
なのですが、確かに福岡県の
宗像大社も
(Yahooマップより)
3つの宮が、ほぼ直線上にあるように
3つの宮が、ほぼ直線上にあるように
見えますし
そして・・・実は
沖島の奥津島神社も、琵琶湖西岸にある
白鬚神社と、近江八幡の日牟禮八幡宮を
結ぶ直線上にあると言うので、
「ホンマかいな❓」
実際、地図で調べてみると
(Yahooマップより)
ホンマですねーーー🤔
ホンマですねーーー🤔
これは単なる偶然とは思えませんね。
このレイライン上には素晴らしいパワーが
漲っているらしいので、近いうちに
白鬚神社へも行きたいと思います。
それでは奥津島神社を後にして、次に
沖島のインスタ映えするスポットへ
向かいます。
=つづく=