こんにちは。
今日の近江八幡は、久しぶりの良い天気。
去年の今頃、長いコロナ休養から職場復帰して、
ようやく普段の生活を取り戻したのだった。
あれから1年…
途中に職場を変わったりしたが、お陰様で
後遺症がぶり返すこともなく、元気に
過ごす事が出来た。
休みの今日は
再び岐阜県不破郡垂井町にある、
南宮大社へ御礼参りに行き
去年の札を納めて、新しいお守りを
購入した。
(南宮大社で1日と15日と言えば「花手水」)
それでは…
ここから先は、積み残していた逢坂山の
記事を書く。
4月4日(火)
昔も今も、逢坂山は交通の要衝であり
大谷駅まで乗って来た京阪京津線と
並走する国道1号線の他に、
東海道新幹線
東海道本線
名神高速道路
が、逢坂山を越えて行く。
京阪京津線は
大谷駅を出た後トンネルに入るが、国道は
そのまま山間を走る。
しばらく国道を歩いて、道が下りになった
辺りに見えてくるのが
「関蝉丸神社上社」
関蝉丸神社には上社と下社があり、こちらも
滋賀県神社庁のサイト並びにWikipediaによると、
創祠は弘仁13年(822)、上社は猿田彦命、下社は
豊玉姫命を祀ったのに始まるとのこと。
蝉丸は、後になって合祀されたようだが
ほぼ
蝉丸がメインの鳥居
「蝉丸」は非常に謎の多い方で、生い立ち等
諸説あり、ほぼ確定なのは逢坂関に住む
歌人で琵琶の名人ということぐらい。
ところで…
私にとって子供の頃の百人一首の遊びは、
カルタ取りより、もっぱら「坊主めくり」
普通は、一人一枚札をめくっていき、
坊主が出れば手持ちの札を全て吐き出し
姫が出れば、その札を総取りできるという
単純なルールだと思っていたが…
調べると「蝉丸」がミステリアスなゆえに、
様々な「蝉丸ルール」が存在するらしいのだ。
まず驚いたのは、蝉丸がトランプでいう
「ジョーカー」のような役割を持ち、
蝉丸を引いたり最後まで持っていたら
負けという地域があるらしい。
また「蝉丸」は坊主ではないと、逆に
坊主として扱わないルールもあるとか…
この拙いブログを読んでくださった
皆様の地域では、どうでしょうか🤔
確かに子供心にも「蝉丸」に一種の
不気味さを感じて、蝉丸を引いたら
何か嫌な気分になったものだが…
はるか未来にこんなぞんざいな
扱いをされて、蝉丸もさぞ
迷惑な事だろう。
名神高速道路の橋をくぐって、さらに
大津方面へ下り
「念仏寺」の為だけにある踏切を右に
見ると、国道1号線と161号線の
分岐点にさしかかる。
ここを161号線方面に少し歩くと、左手に
旧逢坂山トンネルの入り口が見える。
日本人が主体的に設計施工を行った、初の
山岳隧道。
JR西日本が設置した説明看板があった。
かつて東海道本線は今より南、現在の
名神高速道路をたどるルートを走っており、
深草辺りで北上して、稲荷からはほぼ
奈良線のルートで京都へ到達していた。
そのため、旧逢坂山トンネルの京都側は
名神高速道路のトンネル口として破壊され、
現在は道路公団の建てた石碑だけが
残されている。
トンネルの中では今も水が湧き出ており、
敷地の一部は大津市水道局が管理する。
さらに浜大津方面へ歩くと
関蝉丸神社下社がある。
ここは専用の踏切を渡らないと行けない。
踏切を渡り、鳥居をくぐると右手に見えるのが
「関の清水」跡。
歌枕として、多くの和歌や源氏物語にも登場。
代表的な歌が
逢坂の 関の清水に かげ見えて
いまや引くらむ 望月の駒
紀貫之
昔、東国から朝廷に貢物として献上される為、
逢坂関を曵かれていく小馬を詠んだとのこと。
今は枯れてしまっているが、復活の動きも
あるそう。
滋賀県名物「飛び出し坊や」の
蝉丸バージョンがあった。
今の東海道本線(JR琵琶湖線)を越え
長安寺に続くこちらの石段を上がると
長安寺の宝塔がある。
「関の牛塔」とも呼ばれ、随筆家 白洲正子が
著書で紹介したこともあるそう。
詳しくは
こちらを…
ゴールの上栄町駅。
鉄分補給が主な目的だったので、何の下調べも
せずに逢坂山を歩いたが、今回この記事を
書くにあたって色々調べたら、歴史的にも
重要な場所だったのだなと…
もう少し学習してから、再度行ってみようと
思う。
長々とお付き合いありがとうございました。