岩槻だいすき!

生まれ育った岩槻に恩返し。
年中まちを飛び歩いているお元気主婦の活動日記
岩槻大好きな人この指とまれ~

岩槻のまちづくり人紹介します  その1  

2008-09-26 01:35:29 | この指とまれプロジェクト
わたしが出会ったすてきなまちづくりひとをご紹介していきたいと思います。


   NPO法人 元荒川をきれいにする会 代表の布施さん。

   とてもパワフルでアツいかたです。

   本業は画家さん。ダイナミックなすばらしい絵をかかれます。

   彼女の岩槻に対するアツい思いや元荒川を愛する気持ちが

   多くの仲間をひきつけて、一緒に活動しているのだと思います。

   私もその一人です。

   布施さんが書かれた文章から そのお人柄がよくわかります。

2008.9.25(木)
いわつきの虫愛ずる姫君

昔、平安時代の御伽草子に「虫愛ずる姫君」というのがあった。子供向けには「けむしひめ」という題だったろうか。なぜ忘れずに覚えているかというと読んだとき、私とおんなじ子供があの時代にも居たんだなーと思ったことだ。またその中の文に、お姫様が鉢をかぶっていて、塀越しに外から見た男の子が見たものは、かぶっていた鉢を取ったとき眉毛が毛虫のように毛深い眉をしていたそうな。そのとき読んで私とおんなじだーと思って、今まで忘れずにいたのだ。これを人に話すと恥ずかしいが、私も現代のけむしひめです。といいたいのです。
自然児の私が山、川を愛さないわけがない。結婚相手も山男。45歳のとき富士山の近くの櫛形山でパラグライダーで空から落ち頚椎損傷で首から下が不随になり、リハビリを重ねた。富士のふもとの富士吉田の病院に通ったが好い思い出だ。もう亡くなって15年経つ。
私こと、けむしひめは小学生のときなどは男の子とザリガニ採り、用水や田んぼへ魚とり、昆虫採集、女の子の遊びはしたことがない。昆虫採集は夏休みの自由研究で持っていった。クラスの子はデパート買ってきたんだろう。などとけちをつけた。そんなお金があるはずもない。親に標本箱を作ってもらい飾ったが、いつも一夏しか持たなかった。虫が入り腐ったり食べられてしまって、がっかりした子供の頃。
結婚して子供が出来、それも男の子、一緒に遊べるではないか。山でも家の近くでも子供と一緒に虫取りに励んだ。私の子供の頃の夢がかなっていると思うとうれしくってうれしくってー。そういう子供の頃の原風景が今も脈々と続き、子供をさせてもらっている。
家族で、しょっちゅう山のぼりや、絵を描きに行って自然の中ですごせたことは、本当にしあわせだった。
標本箱も今では変えるようになったしー。腐らないでいつでもみられるしー。
絵描きとして、自分の哲学を形にして発表することは苦しいことも沢山あるが、自分の好きな仕事でこれは当たり前のこと。
岩槻に生まれ、育ち、岩槻藩の武士の家に生まれた父からもらった血は、私の人生に受け継がれている。絵を描くことも、剣道をやったことも、元荒川を思うことも……。
高校生の頃、おはやし公園(今の城址公園)からの元荒川の景色は、春ともなると河川敷には黄色いのうるしが咲き誇り、じゅうたんのように広がっていた。元荒川の風景の絵を見て美術の顧問の先生は「いわつきにはこんなきれいなところがあるんだねー」といっていたのを思い出す。
だから、私は元荒川を昔のようにしたいのです。皆の力を借りてね。特に元荒川は心を安らかにしてくれる。あのシジミ取りをした子供の頃の風景は忘れられない。
なぜ‘‘おはやし‘‘というのか皆知っているかしら。きっと、お殿様がいらしたお城があったところだから、樹がいっぱいあった林だから「お」と呼ぶんですよ、きっと……。
またまたですが、おはやしでは、沢山植物採集をしました。それにも長い長い、今でもすっきりしない、心に残ることがあるんです。よくやった思い出です。植物採集のことはまた後で。

「けむしひめのお話」 はまた後で


 こんなすてきなまちづくり人に出会えた私は、とてもラッキー















                             
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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
元気主婦様 (豆タンク突撃隊)
2008-09-26 13:06:17
初めてお邪魔します
いつも元気主婦様から元気をいただいている
豆タンク突撃隊です

岩槻には素敵な人が多いようですね。
私も仲間に入りたい
しかし、遠いのよね

またイベントがあったら、呼んでください
元気主婦様に会いに、三鷹から飛んでいきます
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