東の方には山があるので太陽が顔を出すのは7時過ぎ頃からでしょうか。
うす雲が掛かっていたので少しぼんやりしていました。
すぐに陽が射し始めました。
今朝の庭の様子です。
昨日の夜中ごろから雪が降り始めました。
先週の土曜日は春一番の暖かな風が吹いて春が来たと喜んだのですが・・・
今朝は一面の雪景色。
秋の空と・・・と言いますが秋ばかりでなく春も?
でも今日は暖かくなりそうなので多分今日一日でこの雪は消えてしまうとは思いますが。
今日はあの震災から2年目。
私にはまだ昨日の事の様に思えます。
私の住んでいるところは震度4強でしたが幸いにも被害はあまりありませんでした。
揺れが止まったと同時に子供に電話をしましたが繋がりませんでした。
母が一人で家に居ましたのでとりあえず母のもとに行くために車に乗り込みました。
母のもとへとだけ考えてハンドルを握りました。
電気が止まりましたので信号も止まってました。
幹線道路は車がひっきりなしに走り横断することができません。
その道路を横切らないと母の所には行けないのです。
走っている人たちも必死だったと思います。
どうしようか考えていると私の前には大型ダンプがいたのですがそのダンプが車の流れの隙をついて
動きました。
私も急いで後を追いました。
私の車のすぐ後ろを別の車が横切って行きました。
母の所に行くと母は普段と変わりなくいました。
そんな大事をきずかぬまま私にせかされるまま車に乗り込み不安そうにどこに行くのかと聞いてきました。
どうやってとりあえず自分の家にたどり着くか考えながら母の問いに答えていたので
余計不安になったのでしょうね。
同じことを繰り返し繰り返し聞いてきました。
帰りはまた同じ幹線道路をどこかで渡らないといけないのですが帰りは消防署の近くの信号が復旧していましたので
何とかたどり着きました。
私のつれあいは仕事がらこんな災害があるとそのまま仕事続行になるので家に帰ってくることができません。
子供は幸い遅くはなったものの帰宅できました。
夜は物置の隅にあった昔ながらのストーブで暖をとり、灯りはローソク。
電気は2日後に復旧しました。
それでも落ち着くまで1か月かかりました。
私たちはこれで済みましたが被害の大きかった三陸の人たちの事を思うと胸が痛みます。
そしていつ果てるともわからない原発。
忘れてはいけないと思います。