うつだった人間が書く岩波先生のことと克服までの道のり

うつ病を根本解決できた佐藤のブログ。鬱病克服経験談、精神医療や抗うつ薬治療への提言、岩波英知先生の革命的手法の口コミなど

【岩波英和脳覚醒プログラム】うつ病克服ブログ 僕の生い立ちと鬱病原因 そして回復記録、雑感 Part3

2024-06-10 | 鬱病のルーツ分析と回復記録 こうして大うつ病を克服した

鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復1
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復2



◆鬱病の解決へ

 今まで書いてきたように、神経症(うつ病)克服プログラム(脳覚醒プログラム)の岩波英和先生のもとでルーツ整理をしてわかったことは、鬱病になってしまったのも当たり前だったんだなということでした。
僕が鬱病や神経症にはまる方程式が確かに自分の人生の中にふんだんにありました。
今ではこれではならないほうがおかしいくらいだなと思えています。
僕以外の人間が同じ人生を辿ったとしても、必ずうつ病にどこかでなっていたであろうと。

 主な原因は、いじめ経験や親から自分を殺して生きるように育てられてきたこと(愛情なのはわかってます、はい)、いくらいい成績を取っても親から褒められないで自分の価値がわからなかったことなどです。
抑うつ状態で過ごさざるを得なかったのも当然のことでした。
それに会社のストレスや人間関係のプレッシャーが加わるとなったら、心がやられないわけはないと。
神経伝達物質もそりゃあ乱れて、セロトニンが出なくなるわな、って。
 
 この「当然のこと」という考えに至ったことは、僕の鬱病克服対策の中でも大きな柱になりました。
鬱病になる方程式がはじめてわかって、どうしたらそこから抜け出せるかヒントがあったからです。
鬱病になる方程式は何も永続的ではありません。
いくらでもこれから変えられます。
ちゃんと原因を分析してわかれば修正は可能だし、鬱病から脱する糸口が見えてきました

 方程式を変えることは、岩波英和先生の指導の元、トラウマへのこだわりをなくしていくということや、暗示を入れ込んでいって、マイナスの思考を打ち破るということでできました。
抗うつ剤はあくまで一時しのぎで、無意識〔深層心理〕から、鬱病が起こる病巣を解決していくことが、根本療法になります。
鬱病が改善していったのはそういうことをしていったからです。

 抑うつ状態になった方程式がわかったのは、今まで書いてきたように、またのちにも述べますが「ルーツ分析&整理作業」をしたからです。
それをしたからこそ、体験記をWEB上に載せようと思いましたし、みなさまの鬱病解決への何らかのヒントになると思ったからです。

 分析の助けにしてください。
鬱病にならざるを得なかった自分はこれからでも変えられます!



◆鬱病回復して

 今は抑うつ状態から解放されています。ぶり返すこともありません。すっごく楽です。
今までがよっぽど歪んでいたという裏返しですが、これから先を楽しみたいです。
頭がすっかり晴れた感じの心地よさはすばらしいものです。

 抑うつ状態の時は想像できない状態です。
僕の過去からマイナスの悪循環の流れから解放されました。
過去のトラウマや心の傷を無意識に押し込むことなく、客観的出来事として処理できているので、そいつらが悪さを働くことはないです。

 割り切りもついてきたし、何かあって落ち込んだとしても、すぐ気持ちを切り替えられるようになりました
自分への信頼感もついてきたと思います。
前はスカスカな心の脆さを持っていたんですが、今はちょっとしたたくましさを感じることができます。

 はまりこんでしまう人生を送らざるを得なかった人も、答えはまだ決まっていません。
今は最悪な答えを出してしまったかも、と思っても、それは幻想です。最終的な答えではありません。
ノイローゼにはまる式に一生つきあっていく必要はないのです。

 あくまで与えられた式ではなく、自分で作り上げていくものです。
落ち込むのも理由があるし、落ち込まないようにしていくのも理由がちゃんとありました
しっかりを過去を見つめること、焦りの感情、不安の感情への対処法を身につけること、心の抑圧を取り除いていくこと、最終的に覚悟をもって、怪我をしてもいいぐらいの気持で動いていくこと、割り切りを身につける訓練などをしていくことが肝要でした。

◆鬱病になった原因を分析することの重要性

 
 僕が運良く通うことができ、こうしてルーツ分析をし、鬱病が解決した岩波英和先生のところでも、やっぱり、パソコンの仕事(SEなど)の人がたくさん通ってきていました。
なぜその仕事に就くのか、それ以前の学生時代や子供時代のルーツの積み重ねの流れがあって起きていると、はっきり知ることが出来ました。

 ルーツ分析と整理作業をしてからです。
だからこうやってサイトに自分の悩みに行く流れを書くことができるのですが、悩んでいると、それすら面倒くさくなったり、あえて目を背けてしまうのです。
僕も昔はそうでした。
惰性という気持ちは神経症を治すことも阻んでしまうのです。

 過去の流れを断ち切るためには、いずれは立ち向かっていかなくてはいけません。
自分の内面と対峙しなくてはいけない時があります

 抗うつ薬SSRIなどで逃避するのもいいでしょう。
でもいつか抗うつ薬では限界が来るかもしれません
薬はだんだん効いてこなくなります(医者も認めています)。
その間に問題解決できるのが理想ですが、対症療法である薬物療法が全盛の世の中において、そえはなかなか大変なようです。

 そうなるとずるずると服用していた抗うつ薬の副作用の苦しみが上乗せされます。
薬害とまでは言いませんが、たしかに抗うつ薬には負の側面もあります。
人によってその副作用は大きく違ってくるので、一般論としては書けませんが、抗うつ薬が合わない人が服用し続けると、副作用の苦しさで、症状は更に重くなってしまいます。
だから、抗うつ薬に心も体も依存してしまう前に根本的に鬱病に対処すべきだと思います。



◆SEを選ぶ人の特徴


 書いてきたように僕は鬱病にはまってしまうただ一本の道を歩んでいただけでした。
現状の困難や未来の不安から逃げに逃げて、コンプレックスを抱え続け、それを打破したり、別のことで補償しないまま、ついに神経症になってしまいました。
そんな人が多く僕と同じ仕事(SE)を選んでいました。

 誤解がないように言っておきますが、パソコンとずっと向かいあっている人すべてが、心の悩みにはまっているわけではないです。
ただ、確率が多いだけであって、悩みが生活に支障を来さずに生きられる人も多いです。
貶めるわけでもありませんし、僕がそうだったから書いているだけです。
気分を悪くしてしまったら申し訳ありません。

 当たり前ですが楽しめないから鬱病になると言えます。
ただし、一人でいることが好きな人は、決して「一人でも平気な人間」というわけじゃありません
知らず知らず人との接触を避けて、一番楽な生き方が一人で生きることなだけだから、そんな人は悩みやすく外部の刺激にすぐ傷つきます。
コミュニケーション能力にも長けていないため、劣等感を感じやすいのです。
同時にプラスに積み上げていく機会がないのは確かだと思います。

 だから、ネットゲームやテレビゲームにはまって、ずっとゲームをやり続けてしまう人は、未来があまりないと思います。
ゲームやっとに依存している時は楽しいけれど、それが人生のすべてじゃないし、ほんのちょっとのささいな楽しみにすぎません。
いくら熱中しようともです。
人生のうち5%それで楽しさの埋め合わせが出来ても、他の95%はつまらなかったら、だれだって鬱病に陥ります。

 まぁ、何にも楽しみがない人、楽しめない人に比べたら、ゲームに熱中出来ただけでもましかな、という程度だと思います。
どっちにしたって、自分が好きになる、少なくとも嫌いじゃない自分にならないと、鬱病になりやすいと思います。

 
◆無意識の深さと恐ろしさ

 鬱病も神経症も一気に悩みにはまるわけではなくて、ちゃんと理由があってなっている。
それはいま勤めている会社や業種を選んだ理由だって、消極的理由だったら、神経症的理由があって、それを選んでいる。
だから、僕と同じ仕事の人が多く悩んでしまっている。

 人を避け続けても、結局はどこにいっても人は存在するし、もう避けようがない。
だから、どんなに逃げても結局ははまりこんでしまうでしょう。
逃げても逃げても、避けても避けても、それができなくなったときなんか、すごく焦ったり落ち込んだりすると思います。
自分の無意識から逃げることは絶対無理だし、蓋も出来ない

 押さえつけようとした分だけ、のちのち無意識が意識を圧倒するくらいに暴れ回るのです。
それは落ち込んだり、敏感になったり、病的な感情を抱くようになったり、怖すぎることだと思います。

 コンピュータとかネットとか、そういったものは、その無意識に潜む心の問題の氷山の一角の事象にしか過ぎないものです。
僕は自分の経験から氷山の一角を分析しました。
この考察を含めて、いかに無意識に潜む問題が、人間の行動の多くを制限してしまうのか、あらためて考えさせられました。


◆ 根本から鬱病になる原因を解決していこう

 生きるって厄介です。
でも厄介なりに生きて行かなくてはいけないことも確かです。
うまく自分の心の問題を解決できて、楽しい人生を歩めることを切望しています。

 そのためには僕がお世話になった心理と脳内の専門家の先生に相談するのも一つの道ですし、他にも方法はあるかもしれません。
でも、一生抗うつ薬に頼り続けるのはのちのち悲惨なことになると思います。

 僕は分析をすることを是非オススメします。どうやってやればいいのかは、僕のサイトに書かれてあるようなことをやればいいと思います。それが鬱病とか対人緊張・対人恐怖症にどう結びついているのか知ることが大事だと思います。
無意識とかトラウマの処理もしなくてはいけないかもしれませんが、基本としてやった方がいいと思います。
ただし、それで落ち込むようならば絶対にやらないでください。


色々な意見もあるかと思いますが、鬱病が治った男の一つの例として受け止めてください。



【眠れない、だるい、眠い、死にたい】うつ病克服ブログ 僕の生い立ちと鬱病原因 そして回復記録、雑感 Part2

2009-08-02 | 鬱病のルーツ分析と回復記録 こうして大うつ病を克服した
鬱病のルーツ分析&整理と回復記録 Part2


◆生きづらくなって

 僕は鬱病にはまる人生を送り続けなくてはいけなかった。
好きでなったわけじゃないけれど、それで生きるしか当時の僕にはなかった。
とにかく生き続けていました。
でも、深刻に自分の人生に向き合ってきたわけじゃないです。
生きづらい自分の性格を認識するのが怖かったのかもしれません。

 いじめや認めてくれない(また愛情表現が下手くそな)親の影響もあり、劣等感もとても強かったです。
人が当たり前にやっていることを、僕は出来なかったのだ。
だけど、よく思われたいとか、恥をかきたくないという願望が強いため、余計コンプレックスが強くなるものです。
ジレンマを感じ、焦りを感じて、心がクサクサすることばかり。
とても生きづらい人生なのも当然です。

 コミュニケーション能力も低くて、ますます一人での遊び(パソコン)にのめり込んでいった。
先の未来を考えるのがとても怖かった。
逃避と空想だけが慰めてくれた。

 孤独でしたが、孤独もまた楽しいものです。
しかし、社会にはいるとそうはいきません。
僕が鬱病に社会人になってからかかってしまったのも当たり前のことなのでした。

◆鬱病になる原因って。家族・学校・会社?

 鬱病のどん底にはまってしまった責任の所在はどこにあるのでしょう? 
  • 僕をからかったり、いじめた奴らだろう? 
  • 人目をとても気にしやすく、そうなるように育てた母親だろうか? 
  • 感情を表に出さないし、褒めたことなどほとんどない父親だろうか? 
  • 誰も褒めてくれないから、自分の存在意義を見いだせなかった? 
  • そりが合わなかった会社の上司だろうか? 
  • 僕らをこきつかった会社だろうか? 
  • 病める人間を作り出している社会システムだろうか? 
  • ろくに僕の心をわかろうとしないで、抗うつ薬SSRIを安易に出し続けた医者だろうか? 

 でも、結局は自分しか自分の症状に責任を持てないのです。
自分の人生だから、自分の苦しさですから。
泣き言はいくらでも言えるけれど、もう起きてしまったことで、取り返しがつきません。
それが現状を受け入れる=心が楽になることかも。

 鬱病や神経症が良くなっていく人は、そういう割り切りが出来る人だと思います。
もちろん、僕は一人では割り切りは出来なかったけれど、くどい人間ほど不安感が強いんだと思います。
不安が強くなるとくどくなって、そのくどさで鬱病が悪化していく感じがします。

 あとコミュニケーション能力を上げた方が絶対にいいです。
コミュニケーション能力を上げることで自分に自信を持て、生きやすくなりましたから。
人間関係が悩みに占める割合は、誰だって圧倒的だと思います。
だからこそ必要です。

 それだけ悩みの原因が減るわけですからね。
もし僕にコミュニケーションスキルがあったら、いじめを受けることはなかったに違いありません。
また内にこもって一人遊びをすることもなかったでしょう。

◆何をやっても鬱病・抑うつ状態は改善せず

 社会人になって、SE,プログラマという職業に就き、仕事のストレスや職場の人間関係でボロボロになって鬱病になったことは前に書きました(
鬱病と仕事との関係考察

 つらい現状を打開するために、鬱病を克服するために精神科と催眠療法に通いました。
しかし抗鬱剤SSRIをたくさん飲んでも、改善することができず、休職、ニートの状態が続きました。

 このままダメになっていく自分を見て、母親がどうにかしようと方々をあたってくれました。
それでも結局ダメで、一時はやめていた抗鬱薬SSRIに頼るしか生き残る術はないのかなと絶望の淵に立たされました

 催眠療法もどういう状態が催眠状態なのか、自己暗示と自律訓練法のCDを聞いても何にもならないし、やっていることは詐欺に近いんじゃないかと思うぐらいレベルが低いところでした。
どういうところが評価が高くて人気があるなんて、ぜんぜん情報を得られませんでした。

 でも、その後に鬱病への対策アプローチとして、一大転機となるものあったんですが、この章はここまでです。


 鬱病は焦りが禁物です。
何をやってもダメだと思うとますます焦りにはまって、改善するものも改善しなくなります。
僕はその罠にはまってしまい、せっかくの努力がすべて水の泡でした。

鬱病になったんだからしょうがない、こういう気持の方が、鬱病回復の第一歩に確実になると思います。



その三につづきます。

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鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復3


【一体いつ治るのか、先が見えない】うつ病克服ブログ 僕の生い立ちと鬱病原因 そして回復記録、雑感 Part1

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◆まずは僕のプロフィールから
Sugar Bφy (SATO)
1978年生まれ(昭和53年) とある離島出身 中学から東京へ引っ越す

◆いじめを受け・・・

 一人で遊ぶことがとても楽しかったタイプです。
テレビゲームにもはまってしまった(一人で遊ぶのに、逃避にも一番最適だったし、何より楽しめました)
小学生時代のいじめがまず最初の鬱病の原因です。 

 汚いとよく言われました。
バイ菌のように扱われました。
小学生の時はいじめられたり、そうでなかったり繰り返していました。

 中学に入ってから再びいじめの被害に遭います。
肉体的な暴力はほとんどなかったです。
ぶたれたり蹴られたりした方がまだよかったと思うくらい、精神的ないじめがひどかったです(だけどどちらも心の傷になるのは間違いない)。

 父親の仕事で、東京都内の中学に引っ越すことに。
離島での閉塞された状況といじめの傷から晴れて、すべてがよい方向に変わると思っていた。
すごく解放されたすがすがしい気持ちでした。

 大嫌いな島と学校とクラスから離れられると思うとホッとしたようなうれしいような気持ちでした。
離島だけあって、閉塞感と保守性がすさまじくて、常に島民の眼があって僕はなじめませんでした。
生まれ育った地域の特性と鬱病(神経症)は非常に関係していると思います。

 地域環境や家庭環境を鬱病の人は今一度洗い直してください。
鬱病になる種はまかれているはずです。


◆引っ越し先の中学でもいじめの被害に

 でも東京の中学でもいじめやからかいにあってしまいました。
このことに大変ショックを受ける(僕はどこにいってもいじめられる存在だということだから)。
すごく孤独でした。

 仲の良い友達もいましたが、いじめグループから目をつけられていました。
おそらく僕のどこかにいじめて楽しいと思わせる要因があったのでしょう。
しかしこれは自己否定につながります。
表だって暴力を受けたことはほとんどありませんが、やっぱり言葉や態度でのいじめはきつかったです。

◆心を汲んでくれない親

 親は何事も限定された狭い島という環境スペースで生きてきました。
だから、人からどう思われる、こう思われる、目立つことをやってはいけない、調和を乱してはいけないという観念が非常に強く、僕も小さいときからずっと影響を受けてきました。

 あと親はとてもしつけが厳しくて、褒めてくれない人でした。
さも当然というような態度です。
親の親からそういう風に育てられてきたのでしょうか。
こうしなさい、ああしなさい、こういう風にしろ、という育て方で、僕は自分を見失っていきました。
ただでさえ学校でのトラブルで自分に自信を持てないのに、のびのびと心の余裕を育む環境が家にもなかったのです。

 たくさん勉強していい成績を取っても、自分の期待したのとはかけ離れた反応をしただけだった。
非常に不満だったし、寂しく感じたし、自分の価値がそれでは見いだせません。
親からはもっと得点をとれると言われた時はショックだった(典型的な鬱病の親かもしれない)。

 いつまで経っても褒めてもらえないという絶望感はいいようがないもので、生きることへの不安をより強化してしまいました。
どんなに頑張っても親から褒められなかった人(飯島愛さんをはじめとする有名人など)が、結局最後は悲しい結末になっているニュースに接すると他人事じゃないと思います。
アダルトチルドレンは鬱病になりやすいそうです。
もしかしたら僕もアダルトチルドレンと呼ばれる人だったのかもしれない。
機能不全家庭ではなかったけれど。

 親は愛があるからこそ、そういう育て方をしたのでしょうが、子育ては難しいものですね。
決して親は悪い人間ではないけれど、あまりに視野が狭い人でした
そういう家庭と環境で育ちました。

 それ単体ではならなくとも、この時点で鬱病になる原因はしっかりとできていたのです。
学校と家庭、僕のどこに安息があったのでしょうか? 
一人でいることが何より楽しみでたまらなく、よく空想にふけっていました。
一人遊びを含めて逃避行動と言えるんでしょうか。

 恥ずかしいことをしてしまったら、立ちゆかなくなる環境で育ったから、人目を気にして生きるようになります。
恥をかいた時の後悔はずっと消えませんでした。
夜中ふと恥をかいたこと、出しゃばってしまったかなと思い出すと、「うわー、ああー」と呻いてしまいました。
それくらい罪の意識が強かったのです。

 「そんなことどうだっていいじゃん」と思いこもうとしても、どうしても思えなかった。
どうだっていいって想像することすらできませんでした。

◆鬱病になる布石

 対人恐怖症という段階までにはならなかったけれど、その要素は誰よりも持っていた人間になっていました。
親のいびつな作品として、そして学校生活のトラウマによって、健康的に育つことができませんでした
だから、生きていて楽しいことも少なく、友達と楽しんだことはあんまりなかった。
友達や人に合わせて楽しいふりをしていただけです。
僕は演技ばっかりをしてきたと思います。

 自分を見失い、価値を感じられず、かつ楽しい経験がなかったから、当然、落ち込んだ状態が長く続いた。
抑うつ状態のまま思春期を過ごしてきたと思います(ただ一人遊びや空想だけが僕の気を紛らわせてくれた)。

 感情が出せなくなったし、出すこと自体も恥ずかしかった
親も感情を出さない人だったので、当然ですね。

 そういう人は周りから不気味がられたり、不信の眼で見られるものです。
だからますます周囲から浮く存在になるというバッド・サイクルでぐるぐると回っていました。

 心の抑圧をため続けて、さらに社会の厳しい環境で、何の解決もしないまま過ごし、ついには鬱状態にはまるという流れ。
鬱病にはまりこんでしまうのも、もう当たり前でした。

 未来予想図はこのときにはもう決まっていたようなものかもしれません。
僕の脳の中のホルモン(神経伝達物質)が、多大なストレスによって、悪い影響を受け始めていたと思います。
自律神経(交感神経・副交感神経)もずっと崩れたまま成長しましたし。


その二につづきます。

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