鬱病の真っ最中は新聞も読めないし、テレビも見る気力もない。
何より楽しめませんでした。
ということは、一番鬱病の人に読んでもらいたいこのブログも、重症中は僕のサイトも目にする機会がないということになるんだなー。
情報弱者という言葉があるけど、もしかしたら鬱病の人は情報弱者になっているのかもしれませんね。
でも、うつ病は気分の波が重いなりにあるので、気分が軽い時もあるはずです。
そういう時に鬱病のブログをのぞく気力があればいいですね(でも、鬱病ど真ん中の人のブログを読んではいけないと思います)。
医者が鬱病に関していうことが正しいことばかりいっているとは思えませんが、抗うつ薬を飲んでいればいつか治るという情報だけを頼りに毎日ひたすら耐えている人もいると思います。
僕の時はどうだったかというと、やっぱり病院に行けば鬱病を治してもらえると思っていましたし、他の治療法を見つけようとはなかなかできなかったです。
鬱病は心の風邪だし、脳の病気だから回復するのを待つというスタンスでした。
鬱病は心の風邪、心の病気と言われますが、ただの風邪・病気ではなく、とらえどころがないメンタルのトラブルです。
本当に風邪や病気だったら、薬を飲んでゆっくり療養すればいずれ回復するでしょうが、ある程度回復しても、あるところから先は進めなくなります。
やっぱり鬱病になる原因を突き止めて解消しないと解放されることは難しいと経験から感じています。
そこから、僕は他の方法を探し始めました。
鬱病は心の病気だけど、肉体の病気じゃない。
病気だと思って甘えていると、人生そのものも破滅してしまう危機感が芽生えていました。
岩波英和先生のことを知ったのも、たまたまインターネットで情報を仕入れたことからはじまりました。
抑うつ症状をしのぐだけじゃ、1年後も、五年後も、十年後も同じじゃないかと不安に感じたからです。
すべてがおっくうで何にもしていなかったら、鬱病とはいまだにおつきあいをしていたかもしれません。
ずっと薬を飲んで日々を低空飛行でしのいでいても、2,3年後に回復が軌道に乗っている保証なんてありませんでした。
鬱病は将来の不安が襲ってきますが、何年経っても変わっていない想像をしたら、いてもたってもいられなくなりました。
療養は必要なことでしたが、ストレスを受けるたびに薬でしのいで、また療養を繰り返すうつ病ライフはいやでした。
雑草のように表面の草だけ刈っていれば解決できるわけじゃありません。
対症療法をしている間に、雑草はますます地中深くに根っこをはり巡らせてしまいます。
強力な枯れ葉剤をかけても、根っこまで枯れてくれません。
それどころか土まで汚染されてどうしようもなくなります(←抗うつ薬のことでもあります)。
それだったら、僕は心の奥深くを耕して、ほじくり返して、雑草の根っこから解決していくことが一番だと思いました。
根幹から鬱病を何とかしなくてはいけない、その思いが岩波英和先生を知るきっかけにつながりました。
本能や情動といった、心の根幹に関わる部分から、根本的に鬱病の種を炙りだして、その執着を破壊し、抑圧を発散させ、脳の神経伝達物質のバランスの崩れや自律神経のバランスの崩れを正す技術が、僕の鬱病を治させてくれたのです。