うつだった人間が書く岩波先生のことと克服までの道のり

うつ病を根本解決できた佐藤のブログ。鬱病克服経験談、精神医療や抗うつ薬治療への提言、岩波英知先生の革命的手法の口コミなど

【テレビが楽しめない】うつ病克服ブログ 一生治らない鬱病ライフ? 五年、十年後の未来、同じことの繰り返しの恐れ

2009-09-23 | 欝病/うつ病/抑うつ状態の悲惨さと希望のなさ

 鬱病の真っ最中は新聞も読めないし、テレビも見る気力もない。
何より楽しめませんでした

ということは、一番鬱病の人に読んでもらいたいこのブログも、重症中は僕のサイトも目にする機会がないということになるんだなー。

 情報弱者という言葉があるけど、もしかしたら鬱病の人は情報弱者になっているのかもしれませんね。
でも、うつ病は気分の波が重いなりにあるので、気分が軽い時もあるはずです。
そういう時に鬱病のブログをのぞく気力があればいいですね(でも、鬱病ど真ん中の人のブログを読んではいけないと思います)。

 医者が鬱病に関していうことが正しいことばかりいっているとは思えませんが、抗うつ薬を飲んでいればいつか治るという情報だけを頼りに毎日ひたすら耐えている人もいると思います。
僕の時はどうだったかというと、やっぱり病院に行けば鬱病を治してもらえると思っていましたし、他の治療法を見つけようとはなかなかできなかったです。
鬱病は心の風邪だし、脳の病気だから回復するのを待つというスタンスでした。

 鬱病は心の風邪、心の病気と言われますが、ただの風邪・病気ではなく、とらえどころがないメンタルのトラブルです。
本当に風邪や病気だったら、薬を飲んでゆっくり療養すればいずれ回復するでしょうが、ある程度回復しても、あるところから先は進めなくなります。

 やっぱり鬱病になる原因を突き止めて解消しないと解放されることは難しいと経験から感じています。
そこから、僕は他の方法を探し始めました。
鬱病は心の病気だけど、肉体の病気じゃない。
病気だと思って甘えていると、人生そのものも破滅してしまう危機感が芽生えていました。

 岩波英和先生のことを知ったのも、たまたまインターネットで情報を仕入れたことからはじまりました。
抑うつ症状をしのぐだけじゃ、1年後も、五年後も、十年後も同じじゃないかと不安に感じたからです。
すべてがおっくうで何にもしていなかったら、鬱病とはいまだにおつきあいをしていたかもしれません。

 ずっと薬を飲んで日々を低空飛行でしのいでいても、2,3年後に回復が軌道に乗っている保証なんてありませんでした。
鬱病は将来の不安が襲ってきますが、何年経っても変わっていない想像をしたら、いてもたってもいられなくなりました。

 療養は必要なことでしたが、ストレスを受けるたびに薬でしのいで、また療養を繰り返すうつ病ライフはいやでした。
雑草のように表面の草だけ刈っていれば解決できるわけじゃありません。
対症療法をしている間に、雑草はますます地中深くに根っこをはり巡らせてしまいます。
強力な枯れ葉剤をかけても、根っこまで枯れてくれません。
それどころか土まで汚染されてどうしようもなくなります(←抗うつ薬のことでもあります
)。


それだったら、僕は心の奥深くを耕して、ほじくり返して、雑草の根っこから解決していくことが一番だと思いました。

 根幹から鬱病を何とかしなくてはいけない、その思いが岩波英和先生を知るきっかけにつながりました。

 本能や情動といった、心の根幹に関わる部分から、根本的に鬱病の種を炙りだして、その執着を破壊し、抑圧を発散させ、脳の神経伝達物質のバランスの崩れや自律神経のバランスの崩れを正す技術が、僕の鬱病を治させてくれたのです。





【性欲が湧かない】うつ病克服ブログ 欝病が治った人の共通点 『抗うつ剤』服用していないこと

2009-09-08 | 欝病/うつ病/抑うつ状態の悲惨さと希望のなさ
 鬱病が治った人に共通点があります。

抗うつ剤に頼らなくなっていること
ちょっと単純すぎますが、大きなことだと思っています。
鬱病が治った、良くなったって言っている人がいましたが、ずっと抗うつ剤を服用していると言います。
抗鬱剤によって、その覚せい剤効果で無理やり精神をハイにしているのを、鬱病が治ったと錯覚してしまうんです。
抗鬱剤の中には覚せい剤すれすれのものもあります。
詳しくはネットで調べてみてください。

 抗うつ剤を服用し続ける。うーん、これは・・・・鬱病が治ったといえるのでしょうか? 
抗うつ剤飲んでも抑うつ状態が晴れない人からしたら、とっても羨ましい状態なのももちろんですし、合うお薬に出会ったことは喜ばしいことです。

 でも、鬱病が治ったという言葉は当てはまらない。
鬱病が抑えられているだけといって方がいいと思います。
その間も身体が抗鬱剤に依存していってしまいます。
その時の離脱症状はまた、鬱病とは別個で苦しいものです。

 鬱病になる要因(外部要因、内部要因)を探して、効果的に対処していけば、次第に抗うつ剤の量も減ってきます。
でもそちらに眼を背けて(けっこうつらいことに向き合わなくちゃいけない)、抗うつ剤で場をしのいでいるだけじゃ、いつまでたっても改善は期待できないと思うし、実際にそうでした。

 鬱病はつらいけれど、つらい時こそ、つらさの原因に眼を向けてみるべきだと思います。
鬱病には波があるから、どん底じゃないときにやっていくのがコツでした。

 毎日薬を飲む労力から解放されてみると、清々しいですよ。
もう抗うつ剤を飲まなくていいんだ、それで生きていけるという希望の空気を吸えたからでしょうか。




【不安、焦り、落ち着きの無さ】うつ病克服ブログ SEの仕事は鬱病と神経症になりやすい その回避方法とは

2009-09-01 | SEという仕事やテクノ依存症 =仕事と大うつ病の関係
 SEの仕事の大変さと過酷さは、環境がめまぐるしく変わりやすい点もあります。
これからもシステム・エンジニアのストレスを被りやすい環境について書いていきたいと思います。

 技術職だけど、自分の持っている技術が、次の仕事に適用できるかわからないという不安があります。
そのプレッシャーとストレスは、自分の技術が通用しない時、焦りを生じます。
常に勉強しなければいけませんし、これが心身共にすり減らしてしまいます。

 上や仕事先でのプレッシャーと期待に応えるために、自分の限界を超えて頑張らざるを得ません。
そうして、鬱病になってしまう下地ができてしまうんです。
みんなきつい思いをしていました。

 技術・知識を持っているから自信を持って仕事にのぞめるはずなのに、技術と知識が中途半端にあるばっかりに逆に苦しめられてしまう構図があります。
専門用語が飛び交うので、相手が言っている意図が知らない専門用語によって、その理解を妨げられてしまいます。
そこに行き違いが生じるし、大変な仕事です。
人間関係がめんどくさいのに、ちゃんとはっきり伝えないといけないし、お互いの意思のズレが生じたらアウトですから。

 そういうときは正直に知らないことをきっちりと相手に伝えた方がいいです。
知ったかぶり、わかったふりは自らの首を絞めます。
僕もプライドが高い方(まあ下手なプライドってやつだけど)だったから、当時よく知ったかぶりして、あとでひどい目にあったことがたくさんあります。

 知らないことを自分の勉強不足として自責の念に駆られるより、一時の恥と信用がなくなるぐらい関係ない、自分はこれから覚えるんだ、というふてぶてしさが必要だと思います。
お世話になった心理セラピストの岩波先生が、もし自分の立場ならばどう対応するかを想像し、それを念頭に置くようにしてからは、一時の恥でも正直に聞こうと思いました。

 岩波先生は、すごくタフな人で、恥をかいても『それがどうした』『勝手に笑ってろ』的な発想が出来る人です。
人に笑われても、けなされても『勝手に言ってろ』と本当に思える人で、とにかくメンタルタフネスは相当なものがあります。
気持ちの切り替えも早く、悩みを悩みとして脳が認識しないぐらい訓練されていて(昔は悩んでいたそうです)、僕から見たら精神的な巨人という人ですね。

 岩波先生の心理脳内プログラムを受けて、過程の段階で自分にマイナスが降り注いでも、結果を出せばいいと言う考えに切り換わりました
そうやるとストレスも減ってくるし、逆に自分に自信を持てるようになりました。
自分を主体的に生きることです。
人や仕事に振り回されていたら、また鬱病が寛解・回復して復職しても再発しかねません。

 僕は立派な成果を上げている人や人から大きな信頼をもたれている人を浮かべ(僕にとっては岩波英和先生です)、自分の立場だったら? と考える癖をつけるようになりました。
客観的に自分を見れるし、とてもいいと思います。

 職場の環境でその人の一生が左右されている現実があります。
その中でもせめて、自分が周りに振り回されず、主体的に生きていれば、絶対認めてくれる人がいます
常に相手の考えに振り回されていて、それにあくせく苦闘していたら、ますますそいつは図に乗るでしょう。増長します。
そこでひたすら我慢すると、病まない心も病んで来るに決まっています。

 上は特にシステム・エンジニアを使い捨て感覚で雇用しています。
代替は他にいると。
消耗品だと思われているからこそ、しわよせが来た人から真っ先に鬱病になっていきます。

 いつまでも消耗品扱いされているなら、思い切って職場を変えてしまいましょう。
それか人を使う立場になるかです。
僕は今もIT業界に身を置いていますが、消耗品扱いされる立場にはいません。
かつての奴隷状態とは比べものにならないくらい、仕事に対して充実感を得られるようになっています。
それはかつてよりも主体的に生きているからだと思います。

 自分が主体的に仕事ができている時は、とても気持ちに余裕とハリがあります
仕事はこうあるべきだと思いながらも、それができなかったから鬱病になったことを考えると、環境や自分の思考って大事ですね。