私の場合は、高校生の一年のときにサイクリングで旅行を始めときに最初は野宿で、2回目のときに私と一緒に行く予定であった友人が予約してくれていたのがユースホステルでした。その旅行は結局、私一人で行くことになり、一人旅とユースホステルが同時に始まったような具合でした。
当時の会員証を見ますと、昭和41年12月29日がその第一歩です。山中湖清渓寮というところでした。なにせ寒くて路面が凍てついていたことが記憶に残っています。それでも一人で自由にどこにでも行けるのだ、という開放感でいっぱいでした。
中学生のころはバスケットに熱中はしていましたが、学校のなかではあまり親しい友人もいなく、日曜日ごとに神田の古本屋街をひとりぶらぶらする変な中学生であったのですが、高校生になった途端、一人旅でユースホステルのような未知の人とすぐに知り合えるような環境に感動したことをよく覚えています。高校を卒業するまでの間に20箇所ほどのyhに世話になりました。
なんだか当時のことを思い出すと、なんとも甘酸っぱい思い出でいっぱいになります。
当時の会員証を見ますと、昭和41年12月29日がその第一歩です。山中湖清渓寮というところでした。なにせ寒くて路面が凍てついていたことが記憶に残っています。それでも一人で自由にどこにでも行けるのだ、という開放感でいっぱいでした。
中学生のころはバスケットに熱中はしていましたが、学校のなかではあまり親しい友人もいなく、日曜日ごとに神田の古本屋街をひとりぶらぶらする変な中学生であったのですが、高校生になった途端、一人旅でユースホステルのような未知の人とすぐに知り合えるような環境に感動したことをよく覚えています。高校を卒業するまでの間に20箇所ほどのyhに世話になりました。
なんだか当時のことを思い出すと、なんとも甘酸っぱい思い出でいっぱいになります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます