来年で70年になるんですね。
もちろん我々は全員戦後生まれですから直接の記憶というものはありません。
私の9歳年上の兄は米軍戦闘機による機銃掃射を覚えている、と言っていました。千葉県に疎開していましたから、成東駅の空襲か何かの時かもしれません。
私が戦争の爪痕を見たのは、杉並の自宅の裏の空き地でした。地面を掘ると焼け焦げた土とともに折れ曲がった釘が沢山出てくるのです。たぶん、空襲で焼けた家の残骸を空き地に集積した跡なのでしょう。それと小学校に入ってから、プールの工事をしていたら焼夷弾のカラが何本も出てきたのを覚えています。一本自宅に持ち帰ったら、母にえらく怒られました。クズやさんに引き取ってもらおうとしたらことわられてしまったので、仕方なく裏の空き地に埋めました。
戦争に行った父も亡くなり、その記憶はますます薄らいでいきますね。