桜の開花宣言が出はじめて
ソメイヨシノが国中に咲き乱れるのも
もうすぐですね。
写真は
ソメイヨシノが国中に咲き乱れるのも
もうすぐですね。
写真は
桜の花のリングとネックレス。
リングはぶかぶかだけど
直すほど高価なものでもなくて。
それでも
この時期にだけつけるお気に入りです。
アレックスのお土産。
梅と桃と桜の区別がつかない人だったけど
「これ桜だろ? 桜だよな? な?」
...っと。
桜が
わたしにとって特別なことを
出会ったかなり初めのころに彼は学習している。
毎年、
連れて行ってくれたワシントンDCの桜まつり。
はじめて行ったときは
まだ友達だった。
単独での
無期限の国外生活の8か月目くらい。
自覚していなかったけれど、
そろそろホームシックだったのだろう。
はじめは
きれいきれいと喜んで
はしゃいでいたのに、
異国の首都に
これでもかと咲き乱れる桜を眺めていたら
突如として
涙があふれて、
止まらなくなって
彼を驚かせた。
涙がこぼれる程度ではなく、
泣きじゃくってしまった。
アメリカには
日本を想起させるものが、わりとある。
でも、
あんなふうに激しく
逆らいようがないほど
わたしの心を揺さぶったものは他になく、
彼も、
わたし自身も、
あの春、
ソメイヨシノの威力を思い知った。
桜は、
ソメイヨシノは、
いろんな意味で日本人の心を騒がす。
記憶の底に眠るものを呼び覚ます。
桜を見上げてきた
幾たびもの春の
さまざまな感情をよみがえらせる。
そう意識していなくても、
誰にも
そういう反射的な反応が起きているように思う。
誰にも
そういう反射的な反応が起きているように思う。
やっぱり在原業平が詠んだ通り、
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
なのだ。
そしてやっぱり、思う。
わたしたちのDNAには
桜に関してインプットされたなにかが、
あるに違いない。
あるに違いない。
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