都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
師匠は「日高昆布」を描いてきました。
師匠の腸の調子も改善されたそうです。
師匠! 日高昆布は名産ですよ。
師匠は冬になると鍋が多くなると言っています。
エビやキンメダイの鍋だそうです。
師匠! いい材料使ってますね。
師匠は白菜、長ネギ、エノキのトリオがお気に入りだそうです。
日高昆布とは 日高昆布とはみついし昆布(標準和名: ミツイシコンブ)の銘柄の一つです。 みついし昆布は日高、十勝、釧路、道南(函館)の4地区で採取され、そのうち日高地区で採れたものを日高昆布と呼びます。 ただし、日高昆布の名前がとても有名になったため、みついし昆布のことを日高昆布と呼ぶこともあります。ですので、十勝や釧路で採取されたみついし昆布であっても「日高昆布」の名前で販売されていることがあります。
日高昆布は平らに整形されずに出荷されるものがほとんどです。 平らに整形される羅臼昆布や利尻昆布と比べると、表面が凸凹しています。 みついし昆布の命名は北海道の三石(みついし)で採れたことに由来します。三石はアイヌ語のピットウシに由来し、意味は「小石の多い土地」です。 |
師匠! 今回は「出汁」ですね。
私は「花かつお」を描きます。
師匠! 私は10日頃から腰が痛くなり。26日にとうとう我慢できなくなり整形に行きました。
「腰椎すべり症」の診断でした。初めてです。痛み止めの飲み薬と湿布をもらってきました。年が明けたらリハビリしましょうと言われました。
ところが27日になっても痛みは和らがず増してしまいました。再度整形に行き座薬を処方してもらいました。
28日になって腰痛は治まりましたが、左太ももが痛くなり眠れませんでした。整形は9連休になってしまい我慢するしかありません。
今は左足の太ももと脛のあたりが痛くて、じんじん痺れています。寝ても起きてもいられません。
6日までは長いな~。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。
今回は、「㉕蛤蜊観音(こうりかんのん)」を描きました。
蛤のような二枚貝には稀に真珠の玉が入っており、その真珠を観音にたとえた。
蛤は蜃気楼を起こすという伝説から、観音様の蜃気楼を見せた。
大きな蛤に乗って海を渡りながら漁師の安全を祈っている。
ご利益:豊漁・財運・繁栄
ボッティチェリのヴィーナスの誕生を思わせる構図です。
㉕蛤蜊観音(こうりかんのん) 中国創出の観音菩薩です。蛤の殻の中、或いは蛤に乗り海を渡る姿で表現されます。仏典には記載が無く『佛祖統紀』巻四十二、唐文宗開成元年条が出典。
「唐の文宗は蛤が好きだった。それを知った地方官僚が地元の漁民に蛤漁を科した。悪天候でも漁に出なければならず、遭難が相次ぎ、漁民たちは天を恨んだ。観音菩薩は哀れみ、五色の輝く大きな蛤の中に身を隠した。
この目立つ蛤は早速朝廷に届けられ、調理人が包丁を入れても開かなかった。偶然文宗が厨房を訪れると蛤は口を開き、中から真珠の観音像が出てきた。文宗は驚き国中に蛤漁禁止令を出し、漁民たちは安心して暮らせるようになった。」とあります。
ただし、この話には原型があり『原化記』の故事「白田螺」が変化したもの。観音信仰の流布と共に創作されたと考えられます。 |
したっけ。
師匠は「サンタクロース」を描いてきました。
師匠! もうクリスマスですね。
あっと言う間に一年が終わります。
師匠は血圧が高い日が続いていて、腸の調子も悪いそうです。
もう体調が万全の日はなくなってくるのだろうと言っています。
師匠! そんなことはありません。
血圧が高いのは寒いからです、温かくして過ごせば大丈夫です。
腸も温かい食べ物を中心にして労わりましょう。
「赤い衣装のサンタクロース」はコカ・コーラ社のキャンペーンがルーツだった!? コカ・コーラとサンタクロースのポスターの前でボトルを持つサンタクロース
大きな身体に真っ赤な衣装をまとい、白いあご髭をたくわえた陽気で楽しいサンタクロース。世界中の人々が知っているだろうこのイメージのルーツは、何と、「コカ・コーラ」にありました。 1931年、コカ・コーラ社とアメリカ人画家が「真っ赤な衣装と白いあご髭」のサンタクロースをつくりあげたのです。 クリスマスシーズンの風物詩になった赤いサンタクロースとコカ・コーラ社の深い関係。その知られざる物語をご紹介しましょう。
今から1700年ほど前の4世紀の初め頃、ローマ帝国の時代に、小アジア半島、現在のトルコにあたる場所に、セント・ニコラス(Saint Nicholas)というカトリックの司教が住んでいました。彼はその生涯を慈善事業に尽くし、人一倍の子ども好きとしても知られていました。このセント・ニコラスが子どもの守護聖人として崇められるようになり、後に伝説となり、貧しい子どもたちにプレゼントを贈るという彼の行動がそのまま習慣化、発展していったのがクリスマス・プレゼントの始まりだと言われています。
この伝説は、時間をかけてヨーロッパ各国へさまざまなイメージとともに語り伝えられていきました。たとえば中世のオランダでは、サンタクロースではなく“シンタークラウス”(Sinterklaas)と呼ばれていたそうです。オランダ人の思い描いたシンタークラウスはパイプをくわえ、煙突から家の中に入ってきていたそうで、いまに繋がるサンタクロースのイメージは、オランダ人のものだったというわけです。トナカイが引くソリに乗って現れて、毛皮に縁取られた衣装を身につけ......という風貌はどこか北欧的ですから、北方の風土から生まれたということも暗示しています。サンタクロースの伝説は、セント・ニコラスが生きた時代から1000年以上の時を経た17世紀になって、オランダ人の入植者たちとともにアメリカへ渡りました。先ほど述べた“シンタークラウス”を英語風に読むと“サンタクロース”になります。こうして、“サンタクロース”(Santa Claus)という言葉が誕生したと言われています。 |
師匠! 今回は「サンタクロース」ですね。
私も「サンタクロース」を描きます。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。
今回は、「㉔多羅尊観音(たらそんかんのん)」を描きました。
原型の起源は古く、広範囲の神々と結び着いています。雲の上に立ち、右手は衣裳の中に入れて胸の下、左手はその下に置いた慈母神として崇められた女神であります。多羅は眼精、瞳を意味し、救いの母と訳されているように、慈母のやさしい眼で衆生を彼岸へ導き、煩悩の苦海より救ってくださいます。
観音菩薩の救済に漏れた衆生をも残らず済度する菩薩としてチベットで広く信仰されています。
㉔多羅尊観音(たらそんかんのん) インド由来の女性格の観音菩薩です。インド神話の女神が源流で、チベット密教で四大元素の「風」を象徴する本尊として最重要視されるターラーと同体です。多羅はその音写で、「目」を意味します。観音菩薩の涙から生れ、右目の涙が白ターラー、左目の涙が緑ターラーとなったとされています。
後期密教では観音菩薩の心から生まれたとされ、別名を多羅眼観音、多羅菩薩と呼びます。胎蔵界曼荼羅の観音院では右列5番目に位列しています。戦闘神としての性格が強く、十方の衆生の苦しみを除くため、魔を悉く調伏したため救度速勇母とも呼ばれます。
『法華経』普門品では「或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心(或いは怨賊の繞に値し 各刀を執りて害を加えんとす、彼の観音力を念ぜば、咸な即ち慈心が起る」に対応しています。
中国の民間伝承では「北宋末に金軍が朝廷に攻め込んできた。敵軍に捕らえられた息子達の帰りを、毎日涙を流しながら待つ老婆が遂に失明しまった。それを哀れんだ観世音菩薩が赤い脚をした医者に化身して老婆の目を治し、息子たちを無事帰宅させた。」と言われています。 |
したっけ。
師匠は「モンブラン」を描いてきました。
師匠は回転寿司に行ったそうです。好物のイカと鉄火巻をたらふく食べたそうです。
締めはモンブランだったそうです。
今年のクリスマスは、本格的なモンブランを買ってもらう予定だそうです。
トイレの水道の元栓を落とすのも慣れてきたそうです。
師匠の家はお店をやっていたので、店のトイレは冷えるんでしょうね。
北海道の水道には元栓というものがあり、地下の水道管から上の部分の水を抜くことができる構造になっています。
寒い部屋や長期に家を空ける場合などは、元栓を落とさないと水道管が凍って破裂してしまいます。
北海道の水道管が埋まっている深さは地域によって異なります。凍結深度というものが設定されており、道南の温かいところは60㎝から寒い地域では120㎝です。
私のところは100㎝です。
モンブランとは? 語源・由来 モンブランの景色 モンブランとはフランス語で「白い山」を意味し、その由来は、フランスとイタリアの国境にそびえる山「モン・ブラン」です。アルプス山脈に連なり年中雪に覆われた様子は、まさに白い山。イタリアでも同じく「モンテビアンコ=白い山」と呼ばれています。そしてこの白い山を望み、栗の名産地であるイタリア・ピエモンテ州で生まれたケーキが、モンブランの起源と言われています。
定義 ではモンブランとはどういったケーキを指すのでしょうか。現在私たちがよく見るモンブランは、茶色いマロンクリームを細い線状に絞った円すい、またはドーム状のケーキですよね。また、中はサクサクのメレンゲの上に、生クリームを絞ったものが一般的で、その上から細い線状のマロンクリームをたっぷり絞って、粉糖を振りかけたものが一般的です。 ですが、必ずしもモンブラン=栗のクリームをしぼったケーキというわけではありません。それよりも、由来となった白い山「モン・ブラン」をイメージするようなケーキがモンブランであると言えます。以下の3要素が、多くのモンブランに共通し、ケーキを定義づけていると言えるでしょう。 ・山をイメージするような円すい、ドーム型の形状 ・生クリームや粉糖で降り積もる雪を表現している ・モンブラン発祥の地・ピエモンテ州の名産品でもある栗を使用
日本発祥のモンブラン 昔ながらの洋菓子店で見かける黄色いモンブラン。実は日本発祥のモンブランがあり、考案者は東京・自由が丘に店を構える「MONT-BLANC(モンブラン)」の創業者・迫田シェフ。迫田シェフはかつてヨーロッパを訪れた際に見た白い山「モン・ブラン」に感動、その姿を模して考案したのが黄色いモンブランなのです。
同店のモンブランは、黄色いマロンクリームをたっぷり絞ってその上に降り積もる雪を表現した白いシャンティクリームが絞られています。淡い黄色のマロンクリームは、当時日本でなじみ深かった、クチナシで黄色く着色した栗の甘露煮を使用。現在でもお店の定番商品として店頭に並んでいます。
日本のモンブラン モンブランとさくらんぼ、コーヒーがテーブルに置かれている 上記の黄色いモンブランの他にも、日本には様々なモンブランが存在します。栗やかぼちゃなどこっくりとした味わいが楽しめるモンブランはもちろん、チョコレートやいちごを使用したものなどバリエーション豊か。線状に絞った特徴的なフォルムはそのままに、さまざまなモンブランが店先に並ぶのは、海外のケーキを柔軟に取り入れてきた歴史を持つ日本ならではと言えるでしょう。 |
師匠! 今回は「ケーキ」ですね。
私は「アップルパイ」を描きます。タルトも好きです。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。