筆記具といえば今はすっかり鉛筆が主流ですが、
昭和のはじめ頃まで『筆』と『墨』が日常の中にあり…。
そんなだから、
先達の作品を眺めていると
「筆の使い方はかなわないな〜」
とつくづく思います。
運筆の変化で表現する南画はとくにですが、
一瞬雑に見えるほどに達者に流れる筆運びに驚嘆します。
さて。
画像は南画ではありませんが
『東の大観、西の栖鳳』といわれた、四条派の大御所、竹内栖鳳。
私の中で「竹を描く」といえば、竹内栖鳳で、
いずれの作品中も涼しげな空気感がなんとも言えず好きです。
竹内栖鳳の門下生には、
上村松園、西村五雲、伊藤小坡、土田麦僊、山口華楊などなど
錚々たるメンバーが並びます。
作品が気になれば、その生きた軌跡も気になり始めるもので…
竹内栖鳳、胃潰瘍を患い晩年は京都を離れ湯河原に定住するのですが、
女弟子であった、六人部暉峰を伴にします。
六人部暉峰は、優秀な日本画家でありながら画壇で活躍したのはわずか10年ほど。
栖鳳との間に生まれた七人の子を育てたと言われています。
人生いろいろ。絵の向こう側の景色を眺めたりする今日この頃です。
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