個人的備忘録に近いのでご容赦ください🙇
生粋の関西人ではないにしても、東京に住んで10年ほど。
《東京に魂を売った》冗談は今でもよく使う日常、、、。
バッテラが買えない
それはさておき在関西中は、そんなに言っていなかったのに、旦那が《バッテラ》が簡単に買えないと嘆きはじめてはや数年。
ここに来て私の中でクッキリしたのは、バッテラは《押し寿司》ですね!←今頃??
先日、大井町阪急食品館フロアのテナント《古市庵》で買って、それをイヤというほど気付かされました。
最近は難嚥下で呼吸が止まりかけることが多々あるため(^.^; 喉がつまらないように頂きました^^;
イヤ!美味しいのである。お値段も手頃だ。
※一度に沢山頬張るからでもなく牛乳&青汁で息が止まりかけた^^;
《古市庵》はアトレ川崎地下にもあり、日参したプール帰りに半額になった寿司折の残り物をよく買って一人で食べていた。3〜4回あった旦那が長期ホテル暮らしの出張(鹿児島、熊本•福岡、広島•岡山)期の話
うめだ阪急にもあったが、関西時代はあまり買ったことがない。フルイチと読むのではなくコイチと、最近知った。
(古市は元勤務先←藤井寺そばの地名)
関西で美味しかったのは阪急淡路駅から左右両側につながるアーケード商店街の路地裏にあった《丸富寿司》が最高だった!
※かのボクシング世界チャンピオン実家の喫茶店と目と鼻の先。徒歩圏内に住んでいて喫茶は何度か入った。
当時、既に熟年というか高齢手前なお二人が経営されていたから寿司店は今はもうない。
茶碗蒸しと赤出汁がまた最高だった!安い旨い早いの寿司店だった。
検索で見たら鯖寿司とバッテラの比較が出ていて、バッテラは大阪発祥の庶民の味だそうです。《このしろ》という魚で作ったのが始まり、、、?
一方、鯖寿司は半身を使い"すのこ"で巻くらしい。
しかし、思い出したのが友人が連れて行ってくれた京都《いづう》。八坂さんのホン目と鼻の先で、その日は休業で閉まっていたので相当残念がっていたのを覚えている。
当時既に関東に引っ越していたから随分と期待していたようだった。
(好き嫌いは当時も続いていたから、個人的にはラッキー!と思ったかも)
これはまさに京都人?が召し上がる巻くタイプの鯖寿司で、母(京都人)の実家で次男=弟嫁(長男は戦死)が得意としていた料理だった。
が、なんせ山の中ゆえ鯖の鮮度に問題ありなのか、過去強烈な?偏食児童だったゆえ子供心に、、、食欲が萎えた(滝汗)
ま、それはともかく、前出友人の母上はツウな人で、荻窪に遊びに行った時も新宿まで寿司を食べに連れて行ってくれるような人
その時のピンク系花柄ワンピと黒の網タイ(ツ)姿は、強度の近眼で小学校から赤メガネのインテリ女子←歴女&本女な友人とは酷くギャップがあったが、一応、良家深窓の令嬢当時は社長夫人だったとカバーしておこう。
ジビエとどぜう
その友人が、東京引越の歓迎を兼ねてすぐに連れて行ってくれたのがジビエ料理《ももんじゃ》in 両国
日を置いて、どぜう《桔梗屋》柳川鍋も行ったが、両店は実は非常に近いことを後で知る。さすがにどじょうは彼女だけで私は別メニュー
(「一緒にいた時期は短いし←7年!、あなたが何が好きなんだかもわかんないし、、、」みたいな冷徹なまでの前置きがあったにはあった)
彼女といると寺社や歴代著名人の講釈付きで鶯谷駅(谷中やその反対側)周辺、(恐れ入谷の)"鬼子母神"近辺で散策がてらご朱印帳を埋めていく人なので、、、とにかくよく歩く覚悟が必要。
江戸東京博物館(改修休館中)内で待ち合わせ、延々と千鳥ヶ淵やら飯田橋(小石川など)やら、、、(汗)
小5で(壁)新聞委員を仰せつかり、彼女は順調に文化系へ私は彼女いわく唯一の?運動大好き系、靖国神社も気にしない稀有な友人らしい。
歴女&インテリな彼女の周りはご朱印ブームは千里を走ったが、靖国は御託を並べて同行困難という女史が若干多めと。ただ歩きたくないだけでは?
今日もまたダラダラ書きで、🙇お赦しくだされ😍
しかし、鶏肉を"かしわ"とは言わなくなったが、回転(どら)焼きやバッテラは《誰か故郷を想わざる》の心境?!?
※因みに生まれは九州→四国→2歳で神戸港に(^.^;実は父も若い頃は転勤族
最後までお読みくださり、多謝💑
【🍓苺】
一箱(4パック)500円のイチゴは酸っぱさの極みでした😭
お気に入りの八百屋さん、通常はあまーーいイチゴばかり。太田農園さんのは甘い。失敗😣