京旬の彩り 

京都の神社、仏閣、歳時記、自然、等、目に写ったり感じたことを
写真で掲載したいと思います。

嵯峨水尾と越畑のそばの花

2010-10-15 09:21:19 | 日記
愛宕山の南山麓の山間に位置するところに水尾があります。
昔は山城と丹波を結ぶ要地で、772年光仁天皇が奈良から訪れ、
788年桓武天皇も遊猟しています。
源氏の祖清和天皇もこの地が気に入り没後はここに墓を建てる事を望んだ。

鳥居本より山道を進むと明智光秀が亀山から京都へ入る時に通った峠へ


また水尾は柚子の里としても有名で、秋の収穫の頃には民家で柚子風呂に
入り地鳥の水炊きが食べられます。
現在まだ柚子は青い色をしてました。


集落の西、清和山の中腹に清和天皇陵があります。谷を降り階段を上がった
場所だとの事で今回は遠慮しました。


街道沿いに清和天皇を祀る清和神社がありました。
境内摂社の四所神社がありました、清和天皇の母、染殿皇后が信仰した
大原野神社の祭神を勧請したと伝わる。





集落の中心部に円覚寺があります。
元は水尾山寺と称していましたが、清和天皇が譲位後、水尾山寺に入り
仏堂を建立,後病に倒れ洛東粟田の円覚寺に移り、そこで没する。
1420年に円覚寺が焼失したため、水尾山寺に円覚寺を移し現在にいたる
境内に清和源氏の祖清和天皇の皇子貞純親王、源頼義、為義、義朝ら源氏
一族の供養塔があります。






狭い杉林の山道を過ぎ道が広くなり棚田が目に入って来る、嵯峨越畑へ
山道の端にハロウィンに使うのか大きなかぼちゃが転がっていました。


棚田今は稲も刈とられ来年の春、水を張った頃訪れたい。

 




棚田にそばの花が見頃を迎えていました。




近くの民家





河原家住宅(市登録有形文化財)
由緒書によれば、当家は藤原鎌足の子孫が河原と改姓したことに始まる。
その後豊臣秀吉に仕えていた長右門衛門の子、16代目源之允が現在地
へ移り住んだと伝わる。
主屋は、1657年の建築で年代が確定する民家として市内最古。






初秋を感じさせるススキが沢山穂を揺らしていました。


ここにもあまり広くない蕎麦の花が咲いていました。


近くに蕎麦100%のそばを食べる店があります、訪れた日は休日で  
残念でした、でも日本の現風景を見ることが出来堪能できました。