超×2伝説のプログ

【普通のプログ】基本的に恣意的ブログ。新題→「伝説」<超>付けた。「超」を拒んだ。超を二乗にした。

あざみの如く棘あれば

2013年11月18日 00時12分54秒 | 今日の名言
昔の横溝正史シリーズⅡのED主題歌に「あざみの如く棘あれば」という名曲があり、

その歌詞内容は「罪人がテーマ」だと思われてる様だが、

あらためて歌詞内容を読めば、それは全くの勘違い・誤解であるのがわかる。




「あざみのごとく棘あれば」とは俗に言う(綺麗なバラには刺がある)と同義語で

外国のことわざでは、因果応報・自業自得といった

花を摘み取ろうとした人の天罰や業、あるいは花を盗もうとか

手中に入れようとした画策した人の浅墓さ軽率さを戒めるかのような意味だ。

それはわかると思う。

そしてこの歌の一節にも「あざみの如く棘あれば」とあるので

ほとんどの人が、これは諺通リの

愚かな罪を歌う悲しい歌だと思ったのだろう。



しかし

この「あざみの如く棘あれば」の歌詞をよく読んで欲しい

これは諺の一節は使ってるが諺の内容ではないのだ。



まず1番を見ていただこう




●作詞:阿久悠 作曲:茶木みやこ

【あざみの如く棘あれば】


 あなたの紅い くちびるは
 
 いつから 歌を忘れたか
 
 酔いどれ酒を そそいでも

 道化ることも なくなった

 あざみの如く棘あれば

 悲しい心 さらさずに
 
 この世を生きて行けようが

 はかない花は
 
 罪を負う




おわかりいただけただろうか?:::

この歌の主人公は何か傷を背負ってる。つまり刺が刺さったのだが

花とは?何かこの世で価値のある綺麗なもの、※。(花=女性)

その女性関連で傷を背負った主人公に作詞家は憐憫を感じてる

だから最後の一節が「はかない花は罪を負う」なのだ。

罪があるなら、この主人公に刺の仕打ちを与えた花の方だと

作詞家は言ってる。


この主人公への傾倒が2番には更に顕著になる



2番


 あなたの白い 指先が
 
 つまんで捨てる しあわせは

 からから音を 立てながら

 心の傷に 転げこむ

 あざみの如く棘あれば

 やさしい夢は そのままで

 嘆きの谷に 咲けようが

 愚かな花は

 罪になく



おわかりいただけただろうか?::::

最後の一節はまたもや花の方の罪で、花本人も擬人法で泣いてしまってる

1番の紅いくちびる、2番の白い指先は

紅は生命力、白は純粋さを表し

主人公側に「道化る」や「やさしい夢」などことごとく善良な語彙を使ってる。

これは彼が罪人ではないということだ。

また「歌わなくなった人」は作詞家から見ても同情すべき存在であろう。

決して彼の罪を歌う歌詞ではないというのは分かっていただけたと思う。



「美しさは罪」というアニメ主題歌がパタリロであったが

この「あざみの如く棘あれば」とは

因果応報などでない

花を盗むとか摘み取ろうではない

花(女性)に見とれたり愛でてただけの人に襲ってきた災難を表して


その顛末を作詞家は哀れんでるのである。





花を見てただけで訪れた受難とは何であろうか?

それは 嫉妬 である(誰の嫉妬になるのか想像していただきたい)



主人公には罪はなかった

でも嫉妬で刺のリスクを背負った

その犠牲は大きい悲しみだ。

その原因は花の美しさにあるなら

汚れもなくただ咲いてる、はかない花こそ罪深いと

この歌は言うのだ。

そしてそれを花も嘆いて泣くのである。

(ここでいう罪も比喩であり、実際には花も悪くないのであるよ。
そしてその現状が〝綺麗な花には刺がある”と言う、ことわざの真意であるなら、
それは因果応報とは言わない。嫉妬と逆恨みだ。
あるいは優しい強さで自分を犠牲したようなもの。
歌の歌詞とはこういったテーゼを時代とともに織り込んでいくものなのだ。)



この美の罪というテーマは、さっきのパタリロだけでなく

その後のアニメ漫画の美少女ブームの引き金になったように思う。

美のテーゼは未だに萌えとかで続いてはいるし

答えも出ていない。


誰が棘を解消するのか、でようやく光明が現れるのだろう。

40年近く前のテーマを、いまだ解放されてないのが現状なのだ。