前回まなちゃんを 名無しの対立メタファーだと言ったけど
名無しのやってることは 妖怪の 真理を引き出す トリガーみたいなもんで
名無しが呼び起こした悪い妖怪どもは大抵人類を粛清する立場にあるから
地球 ガイア論 じゃないけど 人類を 毒 だと考える発想から見れば悪い妖怪こそ 正義だということ
でその悪い妖怪と対決する鬼太郎は 正義なのか 悪のか分かんな くなる
プラスでもマイナスでも無い
0の視点だということ
そもそもバトルの勝利以外に鬼太郎の役割はないから
ジャッジメントは物語の 帰結に 視聴者が判断するという こと になる
この 6期の鬼太郎 にアンハッピーエンドとか シュールな終わり方が多いのは
そういった物語の 収束で 是非を託す イノセンスな文法ゆえ
ざっくり言えば勧善懲悪を超えた 別の何かを非限定で追ってる気がする
鬼太郎の勝利は この結論の添え物であって 本当の是非は見てる人が決める、もしくは世界が決めるというようなモードに入ってるようだ
これが6期の特色と言える
そして悪い妖怪というのは 悉く人間の悪とか 煩悩とが 毒性 の指摘になる から
救済メタファーとして まなちゃんが用意さ れている
彼女が妖怪側につくことで 人間側の希望 と 理解 になっている
つまり善悪の是非 とは
人間の是非につながる
6期の鬼太郎 は、まさに 妖怪を 媒体にした人類修羅場ドラマということだ
名無しのやってることは 妖怪の 真理を引き出す トリガーみたいなもんで
名無しが呼び起こした悪い妖怪どもは大抵人類を粛清する立場にあるから
地球 ガイア論 じゃないけど 人類を 毒 だと考える発想から見れば悪い妖怪こそ 正義だということ
でその悪い妖怪と対決する鬼太郎は 正義なのか 悪のか分かんな くなる
プラスでもマイナスでも無い
0の視点だということ
そもそもバトルの勝利以外に鬼太郎の役割はないから
ジャッジメントは物語の 帰結に 視聴者が判断するという こと になる
この 6期の鬼太郎 にアンハッピーエンドとか シュールな終わり方が多いのは
そういった物語の 収束で 是非を託す イノセンスな文法ゆえ
ざっくり言えば勧善懲悪を超えた 別の何かを非限定で追ってる気がする
鬼太郎の勝利は この結論の添え物であって 本当の是非は見てる人が決める、もしくは世界が決めるというようなモードに入ってるようだ
これが6期の特色と言える
そして悪い妖怪というのは 悉く人間の悪とか 煩悩とが 毒性 の指摘になる から
救済メタファーとして まなちゃんが用意さ れている
彼女が妖怪側につくことで 人間側の希望 と 理解 になっている
つまり善悪の是非 とは
人間の是非につながる
6期の鬼太郎 は、まさに 妖怪を 媒体にした人類修羅場ドラマということだ