https://kaiphan.com/4006/gegege-no-kitaro-season-6-ep-15/
さっき鬼太郎六期の ずんべらの回 の海外での感想 を読んだので
その返し文を 書いてみようと思う
海外の人はこのエピソードを 肯定的に見てるようだ
つまりキララの選択を
自分の新しい人生の見つけ方 だと考える らしい
いかにも海外の発想だが
日本にはそういう考え方はあまりない
つまり
「顔じゃないよ心だよ」とか 「 ボロは着てても心は錦」とか
内面を磨く風潮が日本には蔓延ってるし根付いてる
日本の真理といってもいい
そういうスタンスの中で
日本を舞台にした妖怪ドラマ である鬼太郎で
ずんべら回の解釈は
そうゆう 海外テイストを刺激するような逆襲劇にした ゆえの 賛否が日本では起こってた と思う
海外の人は何て言うの同性愛とか そういった性障害 の救済とか権利の主張とか
相当時代の先端でやってるから
美しい顔 ずんべらの顔を選択したことに 背徳もなく
拍手喝采を与えてるのは分かる
しかし
ずんべらの選択肢をした きららがいくらレッドカーペットに上がるほどの売れっ子になったとしてもその後幸せな人生を送っているかどうか は不明である
要するに日本の場合は
整形アイドルでどこまで人気が出るか ていうこと
そりゃずんべらの美貌が
超スーパー級だとしてもね
キララの人間性と人格が 支えられるかどうか
その辺をチートに済ましてる点でこのエピソードは 満点を与えられない 不満もある
整形が正しいんだというような 結論で終わってしまっては日本受けはしない
要するに変な話で終わってる
ユースケという少年は
この日本の旧体制風潮を象徴している
つまりさっき言った見かけよりも内面を 信仰する 支持するという 存在
そしてキララも
途中まではその旧体制ドラマ に付き合ってはいるが
これは翻るための伏線でしかなく
彼女なりのエピローグは別に用意されていた
その結果、妙な逆襲劇が 一遍残ったということ
そして
このエピソードのわかりにくさ
というのは犬山マナとか
猫娘とか 結構美形がうろうろしてる世界なので
対比してキララずんべら後も
そんなずば抜けた 美少女には見えないということ
だからこそ 整形前の ねずみ顔とか いじめ描写で対比させるしかなかったんだろうけど
まあそれはそれでいい
とにかく 海外の人に支持されてるという事実が意外であり
面白く思った
日本人の視聴者は キララの選択肢に不満も持つし
レッドカーペット の大スターになって幸せな人生を送るという 結末には納得いかないと 言うのが 大筋 であろう
ではこのエピソードは駄作なのか
いやこれは単なる着火で あればそれで良いのであろう
つまり話題を呼ぶと言うネタフリ
確かこのずんべらのエピソードは 2期のにも出てくるはずだが
あの時も他人の 魂を犠牲にするという設定 と 見かけだけ追求てもダメだよねっていうきちんとした オチがあったように思う
それがいくら40年以上経ったからといって
今回のように落ちは問題提起ではあっても 正論真理にならない気がする
それだと整形文化は正しいとかいう意味になるし
本当の美しさは 見かけよりも引き出す事ではある
つまり自分を磨いたり 成長したりすることに価値がある
そのためにの 劣等感とか 確執とか 負い目 とかも 糧になる
とはいっても化け物並みに 顔が崩れてたら 整形ぐらいした方がいいのも確かであるが
どうもこの このエピソードは
まだ1展開の余裕があるように思う
つまりせっかくこの過去の 美貌を再現しているということなら
その過去 死んだ 人との関わりとかでも 何か話が作れそう
また女性が美しくなって何が一番幸せなのか
大スター になることが 幸せだというのは結構ステレオタイプなので
ここがどうも逆に弱い気がする
あの短いエピローグでは 意外性はもらえるか
それを目で追うユウスケくんは
日本人の 象徴だから
あっけにとられているというのが正直なところ
つまり祐介くんのリアクションこそ日本人の視聴者の代弁者と言って良い
そしてさらに続けるならば
キララの選択肢こそ本当の化け物になったと いうところが新たな鬼太郎の妖怪ドラマ としての着陸点なのだと思う
しかし 実際は キララにそういう暗ささとか不気味感は演出しなかった
思いつかなかったのか
狙いが無かったのか
よくわからないけれども
またそういった方向性を 与えず 曖昧に未知数与えた方が良かったと思ったのかもしれないが
このずんべらのドラマは再びどこかで行われる可能性がある
この6期鬼太郎かどうかは知りませんが
もうちょっと深く もしくはわかりやすくする方法がありそうだ
ただそれは海外とか日本人の どちらも肯定ではないもっと
切実で納得しうる 方法が 望まれる
さっき鬼太郎六期の ずんべらの回 の海外での感想 を読んだので
その返し文を 書いてみようと思う
海外の人はこのエピソードを 肯定的に見てるようだ
つまりキララの選択を
自分の新しい人生の見つけ方 だと考える らしい
いかにも海外の発想だが
日本にはそういう考え方はあまりない
つまり
「顔じゃないよ心だよ」とか 「 ボロは着てても心は錦」とか
内面を磨く風潮が日本には蔓延ってるし根付いてる
日本の真理といってもいい
そういうスタンスの中で
日本を舞台にした妖怪ドラマ である鬼太郎で
ずんべら回の解釈は
そうゆう 海外テイストを刺激するような逆襲劇にした ゆえの 賛否が日本では起こってた と思う
海外の人は何て言うの同性愛とか そういった性障害 の救済とか権利の主張とか
相当時代の先端でやってるから
美しい顔 ずんべらの顔を選択したことに 背徳もなく
拍手喝采を与えてるのは分かる
しかし
ずんべらの選択肢をした きららがいくらレッドカーペットに上がるほどの売れっ子になったとしてもその後幸せな人生を送っているかどうか は不明である
要するに日本の場合は
整形アイドルでどこまで人気が出るか ていうこと
そりゃずんべらの美貌が
超スーパー級だとしてもね
キララの人間性と人格が 支えられるかどうか
その辺をチートに済ましてる点でこのエピソードは 満点を与えられない 不満もある
整形が正しいんだというような 結論で終わってしまっては日本受けはしない
要するに変な話で終わってる
ユースケという少年は
この日本の旧体制風潮を象徴している
つまりさっき言った見かけよりも内面を 信仰する 支持するという 存在
そしてキララも
途中まではその旧体制ドラマ に付き合ってはいるが
これは翻るための伏線でしかなく
彼女なりのエピローグは別に用意されていた
その結果、妙な逆襲劇が 一遍残ったということ
そして
このエピソードのわかりにくさ
というのは犬山マナとか
猫娘とか 結構美形がうろうろしてる世界なので
対比してキララずんべら後も
そんなずば抜けた 美少女には見えないということ
だからこそ 整形前の ねずみ顔とか いじめ描写で対比させるしかなかったんだろうけど
まあそれはそれでいい
とにかく 海外の人に支持されてるという事実が意外であり
面白く思った
日本人の視聴者は キララの選択肢に不満も持つし
レッドカーペット の大スターになって幸せな人生を送るという 結末には納得いかないと 言うのが 大筋 であろう
ではこのエピソードは駄作なのか
いやこれは単なる着火で あればそれで良いのであろう
つまり話題を呼ぶと言うネタフリ
確かこのずんべらのエピソードは 2期のにも出てくるはずだが
あの時も他人の 魂を犠牲にするという設定 と 見かけだけ追求てもダメだよねっていうきちんとした オチがあったように思う
それがいくら40年以上経ったからといって
今回のように落ちは問題提起ではあっても 正論真理にならない気がする
それだと整形文化は正しいとかいう意味になるし
本当の美しさは 見かけよりも引き出す事ではある
つまり自分を磨いたり 成長したりすることに価値がある
そのためにの 劣等感とか 確執とか 負い目 とかも 糧になる
とはいっても化け物並みに 顔が崩れてたら 整形ぐらいした方がいいのも確かであるが
どうもこの このエピソードは
まだ1展開の余裕があるように思う
つまりせっかくこの過去の 美貌を再現しているということなら
その過去 死んだ 人との関わりとかでも 何か話が作れそう
また女性が美しくなって何が一番幸せなのか
大スター になることが 幸せだというのは結構ステレオタイプなので
ここがどうも逆に弱い気がする
あの短いエピローグでは 意外性はもらえるか
それを目で追うユウスケくんは
日本人の 象徴だから
あっけにとられているというのが正直なところ
つまり祐介くんのリアクションこそ日本人の視聴者の代弁者と言って良い
そしてさらに続けるならば
キララの選択肢こそ本当の化け物になったと いうところが新たな鬼太郎の妖怪ドラマ としての着陸点なのだと思う
しかし 実際は キララにそういう暗ささとか不気味感は演出しなかった
思いつかなかったのか
狙いが無かったのか
よくわからないけれども
またそういった方向性を 与えず 曖昧に未知数与えた方が良かったと思ったのかもしれないが
このずんべらのドラマは再びどこかで行われる可能性がある
この6期鬼太郎かどうかは知りませんが
もうちょっと深く もしくはわかりやすくする方法がありそうだ
ただそれは海外とか日本人の どちらも肯定ではないもっと
切実で納得しうる 方法が 望まれる